プロローグ
純白のドレスは細めのシルエット。
うえに羽織るのは、さらに
高地民族ツェルト・ウーリの夏の正装。
王都の貴族たちが着るドレスともっとも
長い
身につける
息を深く吸って深く
しっかりと前を見すえた夜空色の
「──なにごとだ!」
大型の騎獣で
「
もちろん知っている。
四頭立ての
知っているからこそ、こうして膝をついてお成り道をふさいでいる。
ユーリアは深呼吸のあと、
「私はツェルト・ウーリ族のユーリア・ツェルト・エンドリッヒと申します。殿下にお取り次ぎを願いたい! 新たにオーバーラント公となられる殿下に、この地の
「高地民族の娘ごときが、分をわきまえろ! しかも殿下に会わせろなど……!」
早くどけよ、
「直接お言葉を
ユーリアはひるむことなく、ひとつの書状を差し出した。
これは大きな
酒好きにして女好き、二十一歳にもなる第二王子でありながら、国務のいっさいを手伝うこともなく、ひきこもった
その
また、オーバーラントは事実上の〝島流し〟の地として使われるのだ。
(
変えなければ。オーバーラントを治める
この首が、そのきっかけになるのなら……!
そのとき、並んでいた馬が左右にわれた。
視界がひらけた先で、馬車からひとりの青年がおりてくる。
ユーリアは息をのんだ。
礼拝堂でなんども目にしてきた
まさにあれと同じ、人ならざる氷の
(これが、このかたが、〝
氷竜王と同じ、
(王子殿下自ら死を
どうか、われらオーバーラントの民の気持ちが伝わりますように……。
ゆっくりと目を閉じようとしたユーリアだったが、次の瞬間、逆に目を見開くことになった。
長い指が、ユーリアの髪を
「用意が足らぬ」
は?
「首と引き換えでも、といったか。──だが、血を洗い流し、清めるための聖水も、
最悪首を
(なんてこと。これはうわさにたがわぬぼんくら王子だわ!)
直訴はムダに終わった。また、無能な王族がオーバーラントの血税で
怒りとともに絶望が支配した。
うなだれて、
「娘。用意が足らぬのは、覚悟が足らぬがゆえではないか。気が向いたら、ぬかりなくやり直せ。次こそ首を刎ねてくれよう」
足音が
ぼう然とするユーリアを騎士たちが
まぼろしのように朝靄のなかへと消えてゆく隊列を見送りながら、ユーリアはただ、
一章
午後の
高い
どこもかしこもまばゆい気がするのは、なにも豪奢な内装や装飾品のせいばかりではない。
青
その毛足の長い
背の高い少女だった。
胸を張り、
しかし当の少女ユーリアは、
(これはいったい、どういうこと……!?)
自分の置かれている
彼らがやってきたのは今朝のことだ。
ユーリアが暮らす集落へととつぜんあらわれ、同行を求められた。
父や仲間たちは驚いていたけれど、心当たりのあったユーリアはなにを
(私は、
原因は、
ユーリアは、新たにオーバーラント公に封ぜられてやってきた、第二王子殿下の行列をさえぎった。
目的は、書状を
王族のお成り道を、貴族でもなんでもないただの少女が故意にふさぐのだ。最悪、表向きに『
真実、命をかけての直訴だった。
(でも、失敗した……)
書状は受けとってもらえなかった。しかもただ無下にされただけではなく、王子殿下じきじきに「用意が足らぬ」などといういちゃもんをつけられたのだ。
だが結果的に、王子のあのセリフは、決死の覚悟で
去って行く彼らをぼう然と見送ったあと、急いで
つぶさに思いだして、ユーリアは
(なのに、けっきょく書状は受けとってもらえなかった!)
二度目は「日が悪い」の一言であしらわれ、三度目は「また会おう」とノンストップで
そこまで言うならまたやってやる! と先回りの努力はしたが、けっきょく、あざ笑うかのように速度を上げた彼らに追いつくことなく、第二王子一行はオーバーラント城までたどり着いてしまったのだった。
警備が厳重な城に入られてしまっては、あきらめるしかない。
悔しさを嚙みしめながらも、もとの生活にもどって一月。「
──それなのに、だ!
(なぜ
それもすでに四階を歩いていた。
おかしいと思った時点ですぐに声をかければよかったのだが、
それでも意を決して声をかけようとしたとき、ずんずんと風を切って歩いていた騎士たちの足がとつぜん止まり、ユーリアは前を歩いていた騎士の肩に、おもいっきり顔面を打ちつけてしまった。
「おっと失礼。こちらですよ、
「すみま……ひ、ひめぎみ!?」
「あれ、身元調査では、高地民族ツェルト・ウーリの姫君だと。まちがいだったかい?」
騎士たちの中心人物らしき男性が、ユーリアの顔をじっとのぞきこむ。
年の
「いえ、まちがいでは。ただ姫君だなんて呼ばれ方はしたことがなかったもので」
そもそも高地民族の姫という立場は、王家の姫君とはぜんぜんちがう。尊重こそされるが、みんなが
「そうかい? いやなら改めるけど。まあそれはともかく、さっさと中に入ろうか」
ちょいちょいと彼が指差したのは、衛兵が守るひときわ
「ちょっとまって下さい、処刑じゃないなら連行の理由を先に……」
「失礼いたします! エルンストが、ユーリア姫をお連れしました!」
(殿下の……なぜ!?)
まっ白になりかけた頭のまま、騎士に
「早かったな」
窓から外をながめていた人物が、白銀の
ユーリアはあわてて
エルンストはとても騎士とは思えない気安さで、安楽
「いえ姫君がですね、ドレスに
ユーリアは着の身着のままの自分を見おろして、密かにうめいた。
騎士が訪れたとき、ユーリアは集落で
「まあでも、
長い足を組みながら、もものあたりに手をあててスリットを示してみせる。ユーリアは反射的に
夏の正装のスリットは、そのままでも騎獣にまたがれるようにつくられた実用的なものだ。腰回りは毛織りの腰巻で、足はひざ上までがブーツに
ツェルトの
しかしヴァルディールはうっとうしげに手を
「不要だ。
「おや、では何用で?
エルンストはちらりとこちらを見てから、近くにあった
しかしそれはいつものことなのか、
面を伏せたユーリアの視界に、すらりと
「
ユーリアは、しばらくそのまま放心していたようだった。
補佐官という言葉が頭のなかでぐるぐる回る。
補佐官? 任ずる? 仕えよ? だれがだれに……? ぽかんと口が開き、はっとした。
(わ、私!? 私に言ってるっ!?)
いったいなんの
大量の
面を上げよ、と声をかけられる前にうっかりご尊顔を拝してしまったことは
(ど、ど、ど…………っっ)
見上げたヴァルディールの姿から、目が
「どうした? 補佐官とした以上、自由に発言を許す」
完全に
だが一級だろうが二級だろうがもうどうでもいい。ユーリアは
「……
ヴァルディールは首に毛皮ではなく、なんと生きた
なでる手の動きに合わせて、しっぽがふさふさと
(ど、どうしよう! 一級の変人だわ!)
変な汗が止まらない。
しかし
「心配せずともよい。
そういう問題じゃない! と
「きちんと清潔にも保っているぞ。王都クレモリッツ育ちの私には、高地オーバーラントは夏とはいえ寒すぎる。こいつはあたたかくてよい」
どうだ、と言わんばかりの氷の美貌に、ああもう、とユーリアは内心で頭を
(オーバーラントは終わった……! よりによって、ご乱心変人殿下が領主となるなんて)
ユーリアがまっ白な顔をしていると、ついにエルンストが
「くっ、はははっ、そりゃそうだ! そういう顔にもなる! ですからおやめになった方が、と俺も言ったんですよ」
どうやら騎士も一応言ったらしい。やや
「
思わず不快に眉を寄せそうになって、なんとかこらえた。
それなら知っている。ひきこもった
(酒好きにして女好きというのは事実ということね。お成り道でお見かけしたときには酒の
言いたいことがバーセル河の雪解け水のように、とめどなく
「それがこの
どういうわけだ! と
「うむ。はじめは毛皮のローブで代わりをと思ったのだが、しっくりこなかったのだ。同じ毛皮なら、こいつを巻いていた方がよほどよい。なでると反応があるしな」
ああなるほど。美女には反応があり、ただの毛皮には反応はないですよね、と
「……
「よい。もふっと死ぬるのであれば
「…………」
どうしよう。このぼんくら王子。
「なに言ってんです。俺が以前、『暗殺を仕込まれた女が送りこまれてくるかも』と忠告差し上げた際にも、『美女の口づけで死ぬるなら本望』とかぬかしていた気がするんですがね。
ヴァルディールは、エルンストの言葉で大変
少し落ち着こう、とユーリアは静かに深呼吸をくり返す。
(なんの、これくらいのこと……想定をちょっと
ここオーバーラントは、領主にほとんど
建国の
重要な聖地であるから必ず王族が治めるように、と定めたのは建国の英雄──初代の王であるという。しかしオーバーラントが重要視されたのは、建国からわずか数代の間だけだった。
その原因のひとつはオーバーラントの地形にある。
オーバーラントはホルン王国
王族が治めなくてはならない、貧しく、
すなわち、王位
そして
ユーリアは最後に短く息をはき、強いまなざしでヴァルディールを見上げた。
(させない。もうこれ以上、放置するわけにはいかない)
ちくりと胸が痛む。差しこんだのは冷たい冷気のようでもあった。
「オーバーラント公」
ヴァルディール殿下とは、あえて呼ばなかった。
ユーリアにとって、いや、オーバーラントの
ユーリアを見つめ返すアイスブルーの
「なんだ」
「話をもとへと
「
「……任命の理由をお
「逆に
では、改める気がないのか。ユーリアはそう言い返したい気持ちを
「首をかけてただ
「……つまり、領政に
ヴァルディールは少しちがうな、と
「補佐官の職務はほぼ雑務といっていい。だが、護衛や
「首をかける、というのは?」
「先も、暗殺
(──これが、こんどの〝島流し王子〟……)
オーバーラント公に封ぜられた王子は、人々にそう
(私が、その補佐官に……?)
「納得がいったか? ユーリア」
(納得ですって?)
ユーリアは今年の春、王都の学所を卒業してきた。
わざわざはるか遠い王都の学所を選んだのは、知識を身につけてオーバーラントへと戻り、領政に携わりたいと志したからだった。
けれど結局、はやる思いで故郷へと帰ってきたユーリアは、現実を
そんなユーリアにとって、これは
でも、納得はできない。試験を受けたわけでも、
(けれど、補佐官になれば、この〝島流し王子〟がオーバーラントと向き合うよう、つねに見張り
それならば、答えは決まっている。
「身に余る光栄ながら、このユーリア、身命を
すると、
(──ひゃっ……っ!)
とつぜんヴァルディールの手が、ユーリアの首に
(や、な……なに!?)
深く頭を垂れているので、ヴァルディールがユーリアに向かって
ぞわりとするようなくすぐったさに、悲鳴を上げてしまいそうだった。
「──あ、あの……っ」
「
おもわず飛び
「よく、似合っている」
満足そうに
「
エルンストが笑いをかみ殺した顔で、ユーリアに手鏡を差し出した。
「それが、我が補佐官であるという
いつの間にかユーリアの首には、記章のついたチョーカーがつけられていたのだった。
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