対異能犯罪機関SilverBullet

竹中有哉

Brain Hunter

序幕

Aの銀弾 Season13 24話『疾走』

 籠城から既に一時間が経過していた。

 ソーマ製薬医薬品製造プラント。本来なら厳重な警備が敷かれているはずのそこに、鼠のように追われた七名の銀行強盗が逃げ込んだのだ。追跡した特殊捜査班が蓋をしたが、中との連絡はついていない。


「クソったれ!」


 この一時間で何度目になるか分からない罵倒が、捜査班を指揮する黒澤警部の口から飛び出した。交渉もなく立て篭もり、というのは余程追い詰められているかそれとも何か考えがあるかのどちらかだ。手にした情報からすると強盗七名の内五人までが兇状持ち、つまり前科アリの超人だ。魔術師から始まって元同僚のサイバーサイコまで揃っている。ここまで来れば銀行強盗ではなく傭兵部隊と呼んだほうがいいかもしれない。

 問題はそれだけではない。ソーマ製薬に問い合わせたところ、少なくともプラントの中には二十人の人質が存在していることが判明した。施設の方にも被害を出すなという指示が上から出ている。医薬品製造プラントであるから、という指示だが、ここにいる誰もがその真意を理解している。ソーマのような大企業に喧嘩を売れば、公の組織でも無事ではいられない。『大暴露』以降の混乱に乗じて勢力を伸ばしたメガコーポは、今や国家と同等、あるいはそれ以上の権限すら持ち合わせている。

 あまりにも酷い状況に、黒澤の顔が歪む。ギリリという歯軋りの音が周囲の部下たちにまで聞こえるほどだ。知れ渡った秘密、秘儀が生み出した混乱と異能者の犯罪は、常に彼らを追い詰める。


「まだ内情は分からんのか。透視はまだかッ! 式打ちはッ!」


 拳を車両のフロントに叩きつける音が響く。黒澤の瞳がいくら睨めつけようとプラント内部は伺えない。それが出来る者たちは既に動かしているのに、それでもまったく情報が入らないと言うこの状況に苛立ちを禁じ得ないようだった。

 唇を噛んだ部下の一人が近寄り、小さく首を振る。


「透視できません。特殊な力場の形成が確認されました。式も侵入できません。ゼロコンマ一秒毎に自ら構成を変える大型の自在式護符が稼働しています」

「クソッ!」


 今度はタイヤを蹴る。満面に朱を注いだ黒澤は歯を軋ませ、鋭い視線を部下に向けた。


「一体どこで調達したと言うんだ、そんなもの!」

「そ、それが。プラントに元から存在したセキュリティです」


 口にして、反射的に部下は身を引いた。黒澤の表情が凶相と言っても過言ではないものに変わり、握りしめて白くなった拳に張り裂けそうなほどの力が込められたからだ。

 一歩下がった部下をじろりと睥睨し、黒澤はようやくのことで一言だけ絞り出す。


「ソーマは……セキュリティを切ったと言っただろうが」

「敵にコントロールを奪われたのではないかと……」

「ふざけるなよッ! 連中どれだけ俺達に面倒を押し付ければ気がすむんだ!」


 苛立ち混じりに拳を三度警備車両に叩きつける。フロントは既に凹み始めているが、部下たちは止めようとしない。黒澤を恐れているからではない。その言動が彼ら全員の代弁であることを知っているからだ。

 黒澤は一瞬プラントに怒りを込めた目を向け、そして閉じる。数秒。


「突入班に準備をさせろ」

「しかし……」

「これ以上無駄な時間を使う余裕はない。セキュリティを抜いて中を覗くまでどれだけかかる。二時間か? 三時間? 今でさえ時間を掛けすぎなんだ。このままじゃあ、中の連中は皆殺しだぞ――クソったれ」


 無言で敬礼し、部下が動く。黒澤の拳が握り固められ、それが軽く腿を叩いた、その時だ。


「黒澤警部ッ!」

「なんだ! これ以上の遅延は無いぞッ!」


 絶叫の如く名を呼ばれて振り返る。黒澤に睨みつけられても部下はどこかを指差し。


「いえ、警部! しッ!」


 何かを口にしようとした。けれどそれよりも早くその『何か』が姿を表す。

 一台のクーペが猛スピードで迫っていた。制止しようとした隊員がその車体に描かれたマークを目にして諦める。黒澤の表情は、憤りではなく引きつりかけていた。


「クソ……ったれ」


 口にした言葉もそれまでのものよりは弱々しい。そんな黒澤をあざ笑うかのように、車体を見せつけるようにしてクーペが横付けされる。黒い車体に描かれた紋様。

 ドアが開き、中から男が二人姿を表す。どちらも黒いコートを纏い、その背に同じように描かれたのは車にあるものと同じ、銀の銃弾。つまり彼らは――


「シルバー……バレット」


 銀弾機関。対超人・超常事件のために組織された大規模自警団。四十年も前に端を発する超人発生による混乱を受けて作られた、無法によって秩序を護る汎世界規模の超人組織。魔術師、人狼、超能力者、サイボーグ、宇宙人、吸血鬼、忍者――それらの御伽話から抜けだしてきた力を振るう悪党を、同じ力で以てねじ伏せる機関。

 公権力の軛からも逃れた、銀の弾丸。


「や、警部さん。ここからは俺達の仕切りです。お友達を下がらせてくださいな」


 シルバーバレットの片割れ、金髪碧眼のエドワード・"シルバーハンド"・ニューマンが笑いながら片手を上げた。手袋こそつけているが、袖口から覗く腕は硬質な銀の輝きを帯びている。サイバネティクス。四十年前の大暴露によって大きな恩恵を得た技術の一つだ。人体の欠損を機械的に補い、いやそれどころか凡人を超人に成さしめる業。


「何の権限があってだ。ここは俺達の管轄だ。協力なら拒まないが……俺達を押しのける理由は!」

「面倒なお話なんで端折りますが……おいスノーマン」

「"I.C.E."だ」


 エディの言葉を打ち消しながら、もう一人が前に出る。威圧感溢れるミラーシェードを掛け、怪しい艶を帯びた黒髪を撫で付けた巨漢、"I.C.E."美馬坂道玄。


「既知の事件で捕獲した集団から今回のプランについての情報を得ている。奴らは銀行強盗ではなくテロリストだ。プラントの薬剤を利用して大規模儀式を実行しようとしている」


 黒澤は思わず目を剥いた。ただ事実を告げたのみ、と平静な顔のアイスの後ろで、シルバーハンドが指を揺らす。


「儀式に付き物の生贄とやらはどうやらあの中の人質と――それからここのお友達だ。ま、不足はないってところでしょうね」

「よって撤退を要求する。迅速に目標建造物から距離を取り、耳を塞ぎ目を閉ざせ。魂魄の消失はこちらの求めるところではない」


 はいデータ、とシルバーハンドが一枚の情報媒体ディスクを黒澤に投げてよこす。疑問があるなら自己判断で、と言うことだ。黒澤は臍を噛む。そんなことを確認しているほどの時間はない。躊躇している余裕はない。


「……行け!」


 忌々しげに二人の顔を睨みつけ、黒澤は乱暴に周囲に指示を送る。ざわりと人垣が揺れて、シルバーバレットのための道が開く。

 アイスは表情に寸毫の変化も見せず、シルバーハンドはおどけるように笑みを投げかけ、当然だと言うようにしてその道を歩いて行く。


「……たった二人でだって? 警部だって手を出しかねていたのに」


 その状況に耐えかねた部下の一人が、思わず口にする。

 馬鹿めと呟き、黒澤は目を覆った。馬鹿め――調子づかせやがって。

 シルバーハンドがにやりとその笑みを深め、指を鳴らす。


「ああ、ウチは万年人材不足でね! 生憎ここにゃ俺達二人しか来られなかったんだ、欲しけりゃ他の連中からサインくらいはもらってきてやるぜ」


 苦虫を噛み潰したような黒澤の顔に、部下たちは粗忽者への哀れみを表した。


「だが、安心してくれ。この程度の仕事なら、二人もいれば充分さ」


 会心の笑顔。露ほども自分の力量を疑ってはいない。ただの自惚れではない。黒澤が何も言わないのを見て、部下たちもそう悟る。いや、既に呆れるほど見てきたニュースとデータがそれを語っている。

 シルバーバレットは、凡百の超人などの及ぶところではない魔人の集まりなのだ。


「内部構造の解析が完了した」


 事も無げにアイスが言う。それは数分前まで警官隊がこなそうとして出来ていなかった難行だ。その足元にはアストラル体=汎用エクトプラズムで構築された式神/高次情報生命体が存在する。人に似せられたデザインのそれはゼロコンマ一秒――つまりセキュリティの自在式護符による結界が構造を変換するのと同じだけの速度でその表面を波打たせ変質している。

 異才。本物の。

 式神が解けて消える。


「内部に二十八名確認。テロリストは七名、情報に変更なし。式神への霊視、攻撃を確認。フィードバックによって一名死亡。残テロリストは六名。位置情報は――送信を完了した」


 表情の変化もなくアイスが宣言する。その最中に白い糸のようなものが一筋、アイスからシルバーハンドへと伸び、頭部を覆ってヘルメットを形成。アイスがすべてを言い終わると同時にシルバーハンドは跳躍している。そして、シルバーハンドの世界は停滞を開始し、世界にとってシルバーハンドは消失した。

 シルバーバレット製の特殊防刃防弾抗魔力耐電流耐熱ユーティリティコートが光学迷彩を起動する。跳んだシルバーハンドの神経速度はサイバーウェアによって既に加速されている。

 遅滞する世界の中を、シルバーハンドは動く。すべてを置いて加速する神経と、それに僅か遅れて追随するサイバネティクスで強化された肉体。前腕部に仕込んだブレードを起動、高周波振動を開始。アイスが放った式神が内部のターゲットとの相対位置を教えてくれる。既にダウンロードしておいたプラント内のマップを脳髄に接続した映像処理領域に立体で投影し、補足。

 時間は無い――呪力のフィードバックで死亡したテロリストが他に気付かれるまでに無力化を行う必要がある。壁面に接近、相手からは直接視界が通らない場所であることを確認し、缶切りブレードをくるり。秒針のようなノロマさで倒れかかる壁の横をすり抜けて、侵入を完了。

 心音、呼吸、体温、エコーと居場所を確かめるものは山ほどある。義眼に仕込まれたサーモ・センサーが人間の影を2の8乗分の一秒でキャッチ。式神からのデータと照合――間違いない。静音動作に特化した脚部の機構を最大限に利用して猫のように駆ける。ただし主観時間で。現実のシルバーハンドは目にも止まらない――そもそも見えないが。

 構造を追って走る。捕らえた生体反応は二十七、間違いなし。一箇所に固められた二十四は人質とテロリスト。残りの三つは見張りだ。思考の間に脳内で構築された水先案内人がルートを決定。外野を黙らせてから本丸にダイブ。異論なし。承認信号を送ると同時に疾走。

 防衛された地点に駆け寄り、ブレードを振るう。一閃。語ることもない。それだけで木偶の坊のように倒れるテロリスト。自分が斬られたことにすら気付かない。立て続けに三人。クリア。拍子抜けするほど呆気無く、人が固まるロビーに侵入エントリー

 蹲らされている職員たちに混じって三人のテロリスト、少し離れた場所に結跏趺坐するローブの男――生体反応は無し。テロリストは照合済み、内訳はサムライにサイバーサイコ、そして超能力者。

 警戒順位に従って超能力者を狙う。粘着く空気の中を跳んで、仕込んだ刃を振り上げる。

 それを振り下ろすより先に、目の前をゆっくりと銃弾が飛んで行く。鼻先をかすめたそれを辿って、銃口を見る。サイバーサイコ。そう。シルバーハンドに出来ることは、義体工学に身を浸した人間なら誰でもできる可能性がある。


「悪戯はよくないぜ?」


 サイバーサイコが口ではなく短距離通信で呟く。同時に突貫。鉄拳が加速状態にあるシルバーハンドを貫いた。衝撃で光学迷彩が停止。舌打ち。シルバーハンドの主観時間においてゆっくりと超能力者並びにサムライの顔に理解が宿る。

 無用の長物となったアイスの式神を解放。頭部を覆うものが無くなって深呼吸、もう一発繰り返された鉄拳を肩で受ける。重い。軍用義体の可能性まである。溜息。ブレードを腕部に収納。コートの内側に仕込んだホルダーから大型拳銃を二挺抜き放つ。目標はサムライと超脳力者。ためらわず引き金を引く。

 サムライに迫った銃弾は精密な居合で弾き飛ばされ、超能力者側は僅かに軌道がずれて頬をかすめるに止まる。これだから超人は。他人事のように嘯いて跳躍。その爪先をサイバーサイコの一撃が掠める。

 伸びきった腕に着地。にやりと笑う。同時にサイバーサイコの頭部を一蹴――そして靴底から露出した銃口から、弾丸を一撃。至近距離からの射撃に対応することも出来ず、サイバーサイコの頭部が消失。

 満足気に息を吐いたシルバーハンドの身体がぐらりと揺れる。超先鋭化された視覚が大気の偏向を察知、補助AIが分析。力場の網がシルバーハンドを包んでいる。唇を釣り上げる。その対象にとっては高周波にしか聞こえない悪態を一言、銃を向ける。二挺の拳銃から銃弾を射出。

 当然のように二発の銃弾は行く先を狂わされ、捩れるように超能力者を逸れる。期待通り。既にシルバーハンドの腕からは極小の針が飛び出している。発射音は小さく、銃声にかき消された。シルバーハンドを拘束しかけた力場の網が掻き消える。ご当人は会心の笑みを浮かべておねんねだ。

 脳髄に警告が奔る。サムライ。振り返らずともわかる。その刃が迫っている。舌打ち。跳んで――、いや、遅い。鋭利な白刃がシルバーハンドの身体を切り裂いた。

 しかし痛みはない。後ろでゆっくり、崩れ落ちるサムライ。制圧完了。神経加速が解け、世界に音が帰ってくる。どさり、サムライの倒れ伏す音。追い出したはずの式神が情報構造体を煌めかせながら揺れる。


「警戒不足だ」

「悪いね」


 嘯くと、超加速を終えた全身義体が放熱をはじめる。吸気と排気に伴って、コートが揺れた。

 一息ついてシルバーハンドは周囲を見回す。しゃがみこんでいた人質に被害は無し――無論計算のうえだ。目の前の事態をようよう理解しつつある彼らを見て、こほんこほんと咳払い。


「ようお待ちどう。救助に来たぜ。俺達は――」


 言い終わる前に新たな闖入者。身体には見事な裂け目。鋭く伸びた爪と、黄色い瞳、野獣のような唸り声、そして長い長い牙。人狼だ。どうやら見張りの一人は人狼だったらしい。再生した残存兵力が一矢報いようと不意打ちを掛けた、のだ。

 名乗りからシームレスに右腕が跳ね上がる。微かに向けた瞳で自動照準が行われる。狙い、撃つ。傍目にはすべて計算尽くだったようにしか見えない。銃声。

 にやり。


「シルバーバレットだ」

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