#02 水の少女(05)

   *

 清井 夏美。

 僕と同じ赤葉中の二年生。才色兼備、品行方正、文部両道、さらに名家のお嬢さまと、非の打ち所がない美少女だ。

 特に水泳の才能は世界を狙える逸材と言われており、それゆえテレビや雑誌の取材もひっきりなしという、それはそれは冗談みたいな人なのです。だから同じ学年でありながらクラスが違うこともあり、近づくこともできなかった。まさしく住む世界が違うお方。

 その彼女が、今、同じ空間で寝息を立てている訳で。椅子を挟んでバラバラに寝ているので、彼女の寝顔とかは見られないけれど……、こんな状況で寝られる訳ねーじゃん! 僕は横になったまま、ただ悶々としているのであった。

 精神的にも肉体的にも疲労の激しい彼女を保護するのが優先と判断して、安全なコーディの中で休ませてもらっているのだ。コーディ自身も回復が必要だけど、彼も心配するほど清井さんは疲れ果てていたのだ。

 それにしても、今や国民的な人気者といっても過言ではないアスリートを僕はこの手で抱きしめてしまったのだ。それも思いっきり。彼女の前では平然としたフリをしていたけれど、心臓がとんでもない音を立てていたのはバレなかっただろうか? 彼女はとても柔らかく、か細かった。トップクラスのアスリートだというのに。そのギャップが信じられなかった。でも彼女はたったひとりで見知らぬ世界で生き抜いてきたのだ。僕はすぐコーディに出会ったから何とかなったけれど、立場が逆だったら生き抜けただろうか?

 そんなことを考えていると、いつの間にか彼女の寝息は止んでいて、ゴソゴソと音が聞こえてくる。僕は慌てて寝たふりをした。何か、起きていてはまずいような気がしたのだ。

 「コーディ、開けてくれる?」

 小声で話す彼女の声が聞こえた。コーディは今、自分の操縦席だという場所にいる。危険があったらすぐに鎧を動かせるように待機してくれているのだ。

 扉の開く音がしたと思うと彼女はそっと出て行った。

 気配が消えた頃を見計らって、コーディが話しかけてきた。

 「にーちゃん、起きてるんだろ?」

 「……まあな」

 「ナツ、どっか行っちゃわない?」

 「大丈夫だろ? 僕たちは互いに行くところがないんだから」

 そう言うと互いに黙ってしまった。やや長い沈黙の後、コーディが何か言いかけたようだが僕は無視し、あらためて眼を閉じた。

 「きゃああああああ……」

 空っぽの頭の中に、突然彼女の悲鳴が飛び込んでくる。僕は、バタッと立ち上がり急いで扉の方に向かった。

 「どうした……わぁぁぁ」

 扉の向こうでは満月をバックに彼女が仁王立ち。逆光となるそのシルエットはボディラインが露わになっていて、僕は思わず眼を手で覆う。

 「あはは、ごめんね。でも、その反応だと覗いたりしてなかったのね」

 平然と笑う彼女は水着に着替えていた。裸と見間違えたのは事実だけど、その姿も十分に刺激的ですよ、清井さん。

 「あまりに汗臭かったから、そこの川で身体を洗ってきたの。そしたら、ちょっと泳ぎたくなっちゃって。悪いけど見ててくれる、谷川くん? さすがに体力が不安なのよ」

 コーディから降りて、僕たちは川に向かった。適当な深さのある場所で、彼女は小さな声を上げながら水の中に入っていった。

 僕は彼女の視界に入る場所にある岩の上に座り、コーディには鎧のままで下流で待機してもらった。万が一、彼女が川に流された時のためだ。しかし、その心配は無用に終わりそうだった。

 「私、川で泳ぐのって初めて」

 月明かりに彼女の笑顔が浮かぶ。

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