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 宿屋へ辿り着いた。街道沿いの小さな店だった。扉を開き、中へ。一階は居酒屋だ。典型的な旅籠だった。

 一日中賭け事に興じているろくでなしたちが一斉にエリオットとアンナを見た。朝特有のけだるさの混じった重い緊張感が漂う。

「溺れたのか? あんたら」

 店の主人が話しかけてきた。盗賊みたいな雰囲気だ。他の客たちも上品な連中とはいえない。好奇というよりも敵意に近いような視線を二人に向けていた。

「泳いだんだよ」

 アンナは店内を見渡す。エリオットも観察をする。空いたワインのボトルとグラス、歯型が残った食べかけのパンとチーズ、油が白く固まった肉汁や穀物がゆが残る皿、色が変色したリンゴの欠片、床は染みと食いカスだらけ。

「外の馬が欲しい。二頭だ」とアンナ。

 突然のことにエリオットはアンナを見る。堂々としたものだ。

「それは売りもんじゃねぇよ。俺と俺の弟の馬だ」

 テーブルでサイコロ遊びをしていた男がいった。白髪交じりの長い髪と蛇のような目をした長身の男だった。

 弟はスキンヘッドの太った男だった。隣に座っている。

「誰の馬かは聞いてない。それが欲しいといったんだ」

 アンナは唾を吐いて口を拭う。長身の男は舌打ち。友好的な交渉じゃない。いつものことだが慣れない。

「タダで欲しいってのか?」と長身の男。

「そうだ」

 アンナが言い切る。「今すぐ寄越せ」

 エリオットは心の中で天を仰いだ。最悪の未来しか想像できない。どうして何もかもが喧嘩腰で始まるのだろうか。

「金もないのに馬が欲しいってのは笑える」

「笑えるのは貴様の顔だ。お前らサイコロやってんだろ。サイコロで勝つから馬を寄越せ」とアンナ。

「おい、勝算はあるのか?」

 エリオットは耳打ちした。

「ある」とアンナ。

 根拠のない自信だとわかった。

「俺が行く」

「お前の勝算は?」

 聞き返される。

「あんたよりずっとだ。俺には経験がある」

「博打で私から借金したんだろ」

「いいから任せろ」

「見せてみろ」

 アンナはエリオットを見た。「イカサマの監視は私がする」

「おい、さっさとつけよ」と長身の男がいった。向かいの椅子が空いている。

「今行く」

 エリオットが向かう。

「あの女じゃないのか」

「あいつは飾りだ」

 こういうのは舐めらてはいけない。会話で負けていたら勝負にも勝てない。

「ルールは?」とエリオットが聞く。

「あんたらぁ見ねぇ顔だし、うちのルール説明するのも面倒だから単純なのでいいだろ」

「悪いな」

「ルールはこうだ。二つサイコロを投げて、同じ数を出したら勝ち。勝ったほうが相手の賭け金を貰う。賭け金はあんたらが決めろ。金がないみたいだからな」

「わかった」

「で、種はなんだ?」

「あの女だよ。金より欲しいだろ?」

 アンナをみる。頷いていた。了承は得た。

「あれにそんな価値はない」

「冗談いうな。気が強い女を犯したくないか? それにあんたらの馬は最高とはいいがたい」

 控えめに見てもあの馬は最低の手前だった。

「お前はどうなる? 負けたらお前はどうなるんだよ」と太った弟が口を挟んできた。

 長身の兄が笑いを抑えている。

 太った弟の視線はどこか違和感があった。

「お前の弟は男色野郎か?」とエリオット。

「俺の弟を侮辱するなよ」

 さっきまで笑いを堪えていたのに、一転して顔が赤くなる。わからない男だ。だが弟が男色の気があることはわかった。

「エリオット。お前のケツの穴も賭けろ。そこの変態にくれてやれ」

 アンナから指示が出た。

「女が喋ったぞ」と長身の男がいった。

「喋る女がそんなに珍しいか? どうやら俺たちは違う世界に住んでたみたいだな」

「いいか? 賭けるのはお前のケツの穴と女の股の穴だ」

「わかった。条件を飲む。俺たちが勝ったら馬だ」

「いいねぇ。よしきた」

「一発勝負だ」

「生意気こきやがって」

「あんたはクソ野郎だ」

「まず俺からでいいのか?」

 長身の男がいった。

「サイコロを確かめる」とエリオット。

「あぁいいぞ」

 エリオットはテーブルの中央にあるお碗に二つのサイコロを放る。二と一。もう一度、放る。今度は五と三。

「大丈夫だ」とサイコロを返す。

「じゃ勝負開始だ」

「すぐに追い詰めてやる」

 エリオットが答える。空気が張り詰めた。長身の男はサイコロ握り、息を吹きかけた。

「いくぞ」

 サイコロが放たれる。お椀の中で二つのサイコロがお互いを追いかけるように回転する。エリオットは見つめながら息を呑んだ。次第に勢いが弱まる。

「おぉ」

 歓声が上がった。

「一と一だ。あんたが追い詰められたな」

 誤算だった。

 後攻のエリオットが二つの目を合わせなければ、勝負は終わる。

「どうした? 振れよ」

「クソだよな、人生ってのは」

 天に全てを任せるしかない。

 長身の男がやったように息を吹きかけてから、サイコロを放った。

 お碗の中で二つのサイコロが回転する。瞬きは出来ない。無意識裡にエリオットは呼吸を止めていた。

 異常なまでの重圧。胸の鼓動が耳の裏まで聞こえてくる。身体が一気に熱くなった。

 サイコロの回転が弱くなる。止まった。

「三と四だ」と長身の男。黄色い歯を見せて笑う。

 終わった。全てを失った。弟を見ると、舌なめずりをしている。気持ち悪い。

 エリオットはサイコロの目を見つめた。変わるはずもない。途端に呼吸が荒くなった。自分は馬鹿だ。

「おい、待て」

 アンナの声だ。それがなかったらエリオットは意識を失っていたかもしれない。

「お前らイカサマをしたろ」とアンナ。

 他の客の口笛が聞こえた。

「なんだと、ケチつけるってのか。こいつはサイコロを確かめたろ」

「摩り替えた。私の目を誤魔化せると思うなよ」

「そんなことしてねぇよ」

 エリオットにはわかる。

 長身の男はサイコロのすり替えなどしていない。

 クソ。いやな兆候だ。騒動が起きる。

 場が静まり返る。

「イカサマはイカサマだ。馬は頂くぞ」

 アンナが大声で宣言した。「この男はイカサマをした」

「ふざけんな、このアマ。馬はやらねぇぞ。こんなのは認めねぇ。てめぇがイカサマだ」

 長身の男は怒りに任せて立ち上がった。「お前、マジにふざけてんじゃねぇぞ。イカサマなのはてめぇなんだよ」

 確かにアンナのいってることは出鱈目でイカサマまがいだ。

「そうだ、てめぇ自分が犯されるのがいやだからって見苦しいぞ。さっさと股開けよ」

「ケチつけんな、酔っ払い」

 アンナは野次を飛ばした男にワインボトルを投げつけた。男は頭を抱えて倒れる。

 開戦の合図だった。

 長身の男が近づき、アンナの襟を掴んだ。アンナは手首を返して、長身の男を踊らせた。苦痛で顔を歪ませている。そのまま足をかけて倒すと顔面を蹴った。

「どうしてこうなる」

 エリオットは叫んだ。周りの観客がエリオットに掴みかかった。エリオットは椅子を振り回して応戦する。太った弟がアンナに突っ込んでいる。

「わかってたくせに」

 跳躍し天井の梁を掴んで、突っ込んできた弟をかわしたアンナ。後ろに下りて、ケツを引っ叩く。馬鹿にされた太った弟は逆上し顔を赤くした。壁にかけてあった閂を持つ。太った男が振り回すと、木の棒のよう軽さに思えた。

「うぉら」

 太った弟が閂を振り下ろした。アンナは半身になってそれをぎりぎりで躱す。いつもの余裕の笑み。閂をなぞるようにして距離を詰めて拳を太った弟の鼻に叩き込んだ。鼻は急所だ。太った弟はよろける。距離を詰められたので、長い閂では攻撃がし辛い。太った弟は閂をすて、アンナを掴もうと両手を伸ばした。

「のろまめ」

 アンナは太った弟の腕を掴んで、そのまま出っ張った腹を足場にして肩へ飛び乗った。くるりと回転して肩車のような状態になり、腕の関節と首を両脚できめて絞めあげる。

 逆上して赤くなっていた顔が、呼吸困難でさらに濃くなっていった。太った弟の腕は折れ、白目をむき、泡を吹き始める。

「アンナ、もういい」とエリオット。

 だが後ろから羽交い絞めにされてしまう。「すまん。やっぱ助けてくれ」

「指示するな。命令するのは私で従うのはお前だ」

 アンナは太った弟を片付けると、エリオットの応戦に入った。

「エリオット、動くなよ」

 アンナはナイフを拾って構えた。

「待て、アンナ。投げるな」

「私に賭けろ」

 ナイフが投げられた。エリオットの右腕を切る。

「ふざけんなぁ」

 エリオットは痛みで叫んだ。「俺に刺さってんじゃねぇか」

「刺さってない。掠めただけだ」

 アンナが走りこんできて、羽交い絞めにしている男の顔面を殴った。結局、これが一番早い。エリオットは解放されて、右腕の傷を確かめる。傷が浅いのは不幸中の幸いだった。

 すぐに他の酔っ払いがエリオットに突っ込んでくる。咄嗟に椅子を振り回して、自分に相手を近づけないようにした。

「相変わらず弱い」

 横からすっ飛んできて相手を拳で倒していくアンナの姿は驚異的だった。

 それから三人も倒せば、他の客も戦意を喪失する。場は一時の狂気を忘れ、酔いが醒めたように静まり返る。この中で息を切らせていないのは、最も強いアンナだけだ。

「もういいだろ」

 アンナの問いに誰も返事をしなかった。居酒屋は荒らされている。主人の顔を見ると、泣き顔だった。無言だが懇願している。

「馬は約束どおり貰っていくと、その兄弟に伝えておけ」

 アンナは床に散らばった皿、ワインボトル、樽、残飯を足で払いながら扉へ向かう。エリオットも続いた。「あとな、私たちを追うな。通報もするな。わかったな。今日のことは一切忘れろ」

 また返事はなかった。


   ■


「強盗だな」

 兄弟から奪った栗毛の馬に跨ってエリオットはいった。

「あんまり気にしないほうがいい」とアンナ。

 アンナは走り出した。黒い馬だった。


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