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 まさか――。

 エリオットは動きを止めた。

「おい、どうした?」

 再びアンナの声。

 エリオットは先へ。二歩の距離を、慎重に進めた。アンナも室内に入ってくる。

「血か」

 アンナの呟きが聞こえた。

 足元に広がるぬめりは血溜まりだった。

「どういう状況だ」とアンナは続ける。

「困ったことになった」

 エリオットはいった。

「お前じゃない、エリオット。お前の友達だよ」

「同じだ。困っていたみたいだ」

「過去形だな」

「もう過去の人だからな」

 男が死んでいた。

「なんだよ」

 足を止めているエリオットは肩を掴まれる。振り向くと、アンナがナイフを抜いて首元に押しつけてくる。またアンナの肩から黒猫が床へ降りた。

「私を騙したな」

 アンナの目を見ると鳥肌が立った。「ぶっ殺してやろうか」

 刃の冷たい感触が首に伝わる。恐怖で顎が上がった。動けない。

「知らなかった――」とエリオット。震えていた。「俺だって同じだよ。驚いてるんだ」

「この落とし前、どうつけるつもりだ」

「金はあると思う」

「思う? 思ってるだけか? ガキとかわらない」

「ある」

 たぶんないだろう、と思った。だがこう告げるしかなかった。

「私の金は返せるな?」

「返せる」

「絶対か?」

「俺は嘘を吐いたことはない」

「探せ」

 解放された。力が抜け、深呼吸をしていた。刃を当てられていた首元を確かめる。切られてはいなかった。

「立ってないで探せよ」

「わかってる」

「こいつの名前はなんだったっけ?」

 アンナは屈んで、床で横たわる塊の顔を上に向ける。

「あんたらしくないな。記憶力があるかと思ってた」

「エドゥアールだろ。覚えてる。お前を試したんだ。こっちへきて本人か確かめろ」

 エリオットはアンナの隣に立って、死体をみた。丁度、頭部の周りを黒猫がゆっくりと歩いている。

「間違いない。エドゥアールだ」

 死体に黒猫。悪魔の組み合わせだ。

「死体と仕事をしたわけじゃないよな?」

「俺がそんな愉快な男にみえるか?」

「お前は不愉快だ。さぼるな」

「探してる」

「黙って動け、間抜けが」

 アンナは椅子を引いて、腰掛けた。その膝の上に、黒猫が飛び乗る。

 クソ――。自分は働かないつもりだ。

「名前はつけないのか? その黒猫に」

 エリオットは机の引き出しから棚、木箱、樽、壷の中を覗いてまわる。

「必要ない。こいつが勝手について来てるだけだ」

「猫、好きだろ?」

「大嫌い」

「あっそ」

 探索を続ける。

「これじゃ泥棒だ」

 エリオットがぼやく。

「確かにな。お前は私の金を盗んだ」とアンナ。

「いますぐ返す。もうすぐだ。もうすぐお別れだよ」

「すぐ、が遠いぞ」

「あんたよく死体の前で座ってられるな」

 話を変える。

「道にあるのと変わらない」

「そうか? 俺はなんだか落ち着かないよ。やっぱり生きてるときに話したことがあったからかな」

 死体には見慣れているつもりだったが、知り合いの死体が突然現れるのは初めてだった。

「見つかったか?」

「待て」

 壷の封をあけた。皮を蝋で封してあったが、短刀で切り裂いた。壷の中から匂いがした。覗き込み、中身を確認した。

「なんだ?」とアンナ。

「阿片だ」

 子供の拳ほどの大きさの阿片の塊を取り出した。無数のくたびれた白い花びらで包まれていた。一枚剥がす。粘土のような黒い塊がみえた。鼻に近づける。確かに阿片の匂いがした。

「貸せ」

 アンナがひったくる。同じだ。アンナも鼻に近づけて匂いを確認した。

「阿片だな」と一言。笑っている。「だが私は死体と阿片が欲しいなんていった覚えないはないぞ。金はどこだ」

「これだけっぽい」

 見つけたのは二枚のグルテン銅貨と七枚のペニィヒ硬貨だった。

 アンナはエリオットの手を払った。床に金が散らばる。

「舐めるなよ」とアンナ。「ガキの遣いじゃないんだ」

「すまない」

 それならアンナは舌打ちをして、顎に手をやり何かを考え始めた。

「たぶんこの、エドゥアールという男は阿片の密売人だった」

 アンナはいった。「部屋は――、私たちがここに来たときは荒らされていなかった。今はお前が荒らしまくったが、来たときはそうじゃなかった。だろ?」

「あぁ」とエリオットは同意する。「俺が金を探すために荒らしたからな」

「ということは、強盗目的の犯行ではなく、エドゥアールは何かのトラブルで始末された。だが私の金はない。どういうことかわかるか?」

「俺がエドゥアールを殺して金を奪ったと思ってる?」

「自惚れるな。私はお前をそこまで評価していない」

「夢見てごめんよ」

「私はお前以外の肝っ玉の据わった奴が私の金を奪った。そう思ってる」

「あんたの金って――」

「じゃお前の金なのか?」

「俺とあんたの金だろ。報酬は二万グルテン。一万二千はあんたで、八千は俺のものだ」

「金の勘定はできるみたいだな」

「頭いいんだ、俺」

「それ馬鹿のいう台詞だぞ」

 アンナはエドゥアールの死体を漁り始めた。ズボンとシャツのポケットに手を突っ込み、腰に下げていたナイフを調べはじめた。

 エリオットは机の引き出し、隅にあった指輪を見つけた。アンナはナイフに夢中のようだ。指輪は高価なもののような気がする。手に取った。リングが太く、上に乗る宝石は赤い。リングをよく見ると、二重になっていた。内側と外側の輪がある。

「なんだこれ」

 外側の輪を回転させてみると、宝石を乗せている台座から爪ほどの長さを持つ刃が飛び出した。

「うわ」

 両手で持っていたので驚いて、左手の小指を切ってしまった。

「どうした?」

 アンナがエリオットを見る。

「指輪だ。刃が仕込まれてた」

「だろうな」

 アンナは納得しているようだ。

「どういうことだ」

「こいつ諜報保安委員会の者だ。ヴェトゥーラだよ」

「ヴェトゥーラ?」

「サウスタークの諜報員だよ」とアンナ。

 マリアノフが属するミッドガルド帝国の隣国にあるのがサウスタークだった。

「甘い響きだな」

「ミッドガルドの民からしたら一応、敵国だからな。このナイフ、魔導が付呪されてる。魔導の文法はサウスタークのヴェトゥーラたちが使うものだ。柄に細かく刻まれていた」

「確かなのか。なぜわかる?」

「聞いてどうする?」

「いや、悪かった」

 エリオットもそうであるように語りたくない過去もある。

「こいつ信心深いのか?」

 アンナが一枚の紙を拾った。「ラナ教の集会に行くのか?」

「あぁ。それか。俺がエドゥアールに渡した。楽園派の説法だよ」

 エリオットがいった。「今週あるんだ」

「お前は信心深く見えない」

「じゃ何に見える?」

「クソ馬鹿野郎」

「酷いね。ま、楽園派についてだが、新しい派閥のことだ。だから新規のお客さんが欲しくて、教会税が安いんだ。長老派は十分の一税だけど、こっちは十二分の一税だ。俺も楽園派に鞍替えして節約しようと思ってな。それでエドゥアールも誘った。世間話のひとつだよ」

「金のない奴にかぎって金のはなしばかりする。私がそれを知らないと思うか? 金を取り戻すぞ」

「取り戻す? 誰から?」

 アンナがエドゥアールの死体をつま先で小突いた。

「相手は諜報員なんだろ?」とエリオット。

「そうと決まったわけじゃない。こいつがヴェトゥーラで阿片の密売をしていただけだ。そして何者かが私の金を奪った」

「だけど――」

「お前、自分に選択肢があると思うな。私の金を奪われたのはお前の責任なんだぞ」

「わかってる」

「どうだかな。お前はこれから金の回収が済むまで私の奴隷だ」

 何が奴隷だ。阿片が見つかったときに笑っていた。金の匂いを嗅ぎ取ったくせに。たぶんアンナは一万二千グルテン以上を狙ってやがる。

 黒猫がアンナの肩に飛び乗った。もうそこが定位置だと思ってる。

「どうするんだ?」とエリオット。

「猫の名前か?」

「いや、違う。これからのことだよ」

「お前が私に指図するのか? お前、私がさっきいったことを聞いていたか?」

「俺は奴隷だろ」

「わかってるなら、自分がどんなに愚かなことをしたか理解できたか?」

「謝る。謝るよ」

「金を返せない奴は本当にクソだな。エドゥアールと何の仕事をした。まず、それを話せ」

「俺の稼業は知ってるよな?」

「零細のクソ仲買人だろ? なんでも扱うらしいな」

「仲介できるものなら何でも手を出す。それがエリオット・ラウファー商会だ」

「かっこいいと思っていってるのか。それで?」

「絨毯を仕入れてくれといわれた」

「おかしな点はあったんだろ?」

「決めつけるような言い方だな。けどその通りだ。クショーノフって町は知ってるか?」

「北の炭鉱町だろ。見所のない場所だよ」

「そうだ。そこにある店から仕入れてくれ、という話だった。町や店まで指定されるやり方は珍しい、というか初めてで――」

「理由は?」

「絨毯一枚で二万グルテン出すといわれた」

「つまり聞くなってことか」

「すぐに綺麗な仕事じゃないとはわかったが断る理由もなかった」

「その奇跡の絨毯はどこだ? 金を貰うつもりだったってことは納品は済んでるだろ?」

「そこにある」

 エリオットが部屋の隅を指した。丸まった赤い絨毯があった。

「早くいえ、クソボケ。持って来い」とアンナ。

 指示に従った。

「広げろ」

「はいはい」

 丸まった絨毯を放り出した。

「しっかりやれ。この馬鹿が」

 アンナが足で絨毯の端を広げる。

 赤のベースに白い模様が編みこまれていた。幾何学とは違う模様だった。

「魔導が編みこまれているのかと思ったが違うようだな」とアンナ。「これに二万グルテンとはね」

「空飛ぶ絨毯には見えないな」

 左右を結ぶように真ん中に白い線。それを中心に上下にも白い編みこみが巡らされている。

「エリオット、明かりをつけろ」

 エリオットは火口箱を取り出し、蝋燭に火を灯す。

「照らせ」

 アンナがいった。

「それくらいはいわれなくてもわかる」

 燭台を絨毯の上へ。模様の上に、アンナの影。

「裏返せ」

 エリオットは燭台をアンナに渡して、絨毯を裏返した。模様が引っ繰り返す。編みこみの裏側なので、表ほど美しくはない。

「これって――」 

 エリオットは閃く。

「絨毯なのはわかってる。何かを思いついたなら、その先をいえ」

 アンナは絨毯を眺めている。

「期待してもいい。たぶん俺が正解だ」

「うすのろ、早くいえ」

「これはマリアノフ近郊の地図だ」

「同意を求めているのか?」

「みろよ、この街が編みこまれてる。で、真ん中の左右に流れる線はルスターク川だ。そうするとここが俺たちのいるグロウ通りで、ここは第四市門。これはマリアノフ宮殿に聖母フラウエン教会だろ。あとここは市庁舎――」

「もういい。黙れ。私は観光に来たわけじゃない」

「でもわかったろ?」

 エリオットがいった。

「あぁ。ここが目的地だ」

 アンナが踏みつける。

 第三市門近くに、黒い糸で編みこまれた丸い模様があった。

「シエロ通りの外れだな」とエリオット。

「メモを取れ」

 エリオットは机にあった紙に地図を簡単に書き写す。

「行くぞ。ついてこい」

 エリオットに選択肢はなかった。死体を見る。どうにもすることはできない。記念に刃の仕込まれた指輪を持っていくことにした。小屋を出た。


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