1-3
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まさか――。
エリオットは動きを止めた。
「おい、どうした?」
再びアンナの声。
エリオットは先へ。二歩の距離を、慎重に進めた。アンナも室内に入ってくる。
「血か」
アンナの呟きが聞こえた。
足元に広がるぬめりは血溜まりだった。
「どういう状況だ」とアンナは続ける。
「困ったことになった」
エリオットはいった。
「お前じゃない、エリオット。お前の友達だよ」
「同じだ。困っていたみたいだ」
「過去形だな」
「もう過去の人だからな」
男が死んでいた。
「なんだよ」
足を止めているエリオットは肩を掴まれる。振り向くと、アンナがナイフを抜いて首元に押しつけてくる。またアンナの肩から黒猫が床へ降りた。
「私を騙したな」
アンナの目を見ると鳥肌が立った。「ぶっ殺してやろうか」
刃の冷たい感触が首に伝わる。恐怖で顎が上がった。動けない。
「知らなかった――」とエリオット。震えていた。「俺だって同じだよ。驚いてるんだ」
「この落とし前、どうつけるつもりだ」
「金はあると思う」
「思う? 思ってるだけか? ガキとかわらない」
「ある」
たぶんないだろう、と思った。だがこう告げるしかなかった。
「私の金は返せるな?」
「返せる」
「絶対か?」
「俺は嘘を吐いたことはない」
「探せ」
解放された。力が抜け、深呼吸をしていた。刃を当てられていた首元を確かめる。切られてはいなかった。
「立ってないで探せよ」
「わかってる」
「こいつの名前はなんだったっけ?」
アンナは屈んで、床で横たわる塊の顔を上に向ける。
「あんたらしくないな。記憶力があるかと思ってた」
「エドゥアールだろ。覚えてる。お前を試したんだ。こっちへきて本人か確かめろ」
エリオットはアンナの隣に立って、死体をみた。丁度、頭部の周りを黒猫がゆっくりと歩いている。
「間違いない。エドゥアールだ」
死体に黒猫。悪魔の組み合わせだ。
「死体と仕事をしたわけじゃないよな?」
「俺がそんな愉快な男にみえるか?」
「お前は不愉快だ。さぼるな」
「探してる」
「黙って動け、間抜けが」
アンナは椅子を引いて、腰掛けた。その膝の上に、黒猫が飛び乗る。
クソ――。自分は働かないつもりだ。
「名前はつけないのか? その黒猫に」
エリオットは机の引き出しから棚、木箱、樽、壷の中を覗いてまわる。
「必要ない。こいつが勝手について来てるだけだ」
「猫、好きだろ?」
「大嫌い」
「あっそ」
探索を続ける。
「これじゃ泥棒だ」
エリオットがぼやく。
「確かにな。お前は私の金を盗んだ」とアンナ。
「いますぐ返す。もうすぐだ。もうすぐお別れだよ」
「すぐ、が遠いぞ」
「あんたよく死体の前で座ってられるな」
話を変える。
「道にあるのと変わらない」
「そうか? 俺はなんだか落ち着かないよ。やっぱり生きてるときに話したことがあったからかな」
死体には見慣れているつもりだったが、知り合いの死体が突然現れるのは初めてだった。
「見つかったか?」
「待て」
壷の封をあけた。皮を蝋で封してあったが、短刀で切り裂いた。壷の中から匂いがした。覗き込み、中身を確認した。
「なんだ?」とアンナ。
「阿片だ」
子供の拳ほどの大きさの阿片の塊を取り出した。無数のくたびれた白い花びらで包まれていた。一枚剥がす。粘土のような黒い塊がみえた。鼻に近づける。確かに阿片の匂いがした。
「貸せ」
アンナがひったくる。同じだ。アンナも鼻に近づけて匂いを確認した。
「阿片だな」と一言。笑っている。「だが私は死体と阿片が欲しいなんていった覚えないはないぞ。金はどこだ」
「これだけっぽい」
見つけたのは二枚のグルテン銅貨と七枚のペニィヒ硬貨だった。
アンナはエリオットの手を払った。床に金が散らばる。
「舐めるなよ」とアンナ。「ガキの遣いじゃないんだ」
「すまない」
それならアンナは舌打ちをして、顎に手をやり何かを考え始めた。
「たぶんこの、エドゥアールという男は阿片の密売人だった」
アンナはいった。「部屋は――、私たちがここに来たときは荒らされていなかった。今はお前が荒らしまくったが、来たときはそうじゃなかった。だろ?」
「あぁ」とエリオットは同意する。「俺が金を探すために荒らしたからな」
「ということは、強盗目的の犯行ではなく、エドゥアールは何かのトラブルで始末された。だが私の金はない。どういうことかわかるか?」
「俺がエドゥアールを殺して金を奪ったと思ってる?」
「自惚れるな。私はお前をそこまで評価していない」
「夢見てごめんよ」
「私はお前以外の肝っ玉の据わった奴が私の金を奪った。そう思ってる」
「あんたの金って――」
「じゃお前の金なのか?」
「俺とあんたの金だろ。報酬は二万グルテン。一万二千はあんたで、八千は俺のものだ」
「金の勘定はできるみたいだな」
「頭いいんだ、俺」
「それ馬鹿のいう台詞だぞ」
アンナはエドゥアールの死体を漁り始めた。ズボンとシャツのポケットに手を突っ込み、腰に下げていたナイフを調べはじめた。
エリオットは机の引き出し、隅にあった指輪を見つけた。アンナはナイフに夢中のようだ。指輪は高価なもののような気がする。手に取った。リングが太く、上に乗る宝石は赤い。リングをよく見ると、二重になっていた。内側と外側の輪がある。
「なんだこれ」
外側の輪を回転させてみると、宝石を乗せている台座から爪ほどの長さを持つ刃が飛び出した。
「うわ」
両手で持っていたので驚いて、左手の小指を切ってしまった。
「どうした?」
アンナがエリオットを見る。
「指輪だ。刃が仕込まれてた」
「だろうな」
アンナは納得しているようだ。
「どういうことだ」
「こいつ諜報保安委員会の者だ。ヴェトゥーラだよ」
「ヴェトゥーラ?」
「サウスタークの諜報員だよ」とアンナ。
マリアノフが属するミッドガルド帝国の隣国にあるのがサウスタークだった。
「甘い響きだな」
「ミッドガルドの民からしたら一応、敵国だからな。このナイフ、魔導が付呪されてる。魔導の文法はサウスタークのヴェトゥーラたちが使うものだ。柄に細かく刻まれていた」
「確かなのか。なぜわかる?」
「聞いてどうする?」
「いや、悪かった」
エリオットもそうであるように語りたくない過去もある。
「こいつ信心深いのか?」
アンナが一枚の紙を拾った。「ラナ教の集会に行くのか?」
「あぁ。それか。俺がエドゥアールに渡した。楽園派の説法だよ」
エリオットがいった。「今週あるんだ」
「お前は信心深く見えない」
「じゃ何に見える?」
「クソ馬鹿野郎」
「酷いね。ま、楽園派についてだが、新しい派閥のことだ。だから新規のお客さんが欲しくて、教会税が安いんだ。長老派は十分の一税だけど、こっちは十二分の一税だ。俺も楽園派に鞍替えして節約しようと思ってな。それでエドゥアールも誘った。世間話のひとつだよ」
「金のない奴にかぎって金のはなしばかりする。私がそれを知らないと思うか? 金を取り戻すぞ」
「取り戻す? 誰から?」
アンナがエドゥアールの死体をつま先で小突いた。
「相手は諜報員なんだろ?」とエリオット。
「そうと決まったわけじゃない。こいつがヴェトゥーラで阿片の密売をしていただけだ。そして何者かが私の金を奪った」
「だけど――」
「お前、自分に選択肢があると思うな。私の金を奪われたのはお前の責任なんだぞ」
「わかってる」
「どうだかな。お前はこれから金の回収が済むまで私の奴隷だ」
何が奴隷だ。阿片が見つかったときに笑っていた。金の匂いを嗅ぎ取ったくせに。たぶんアンナは一万二千グルテン以上を狙ってやがる。
黒猫がアンナの肩に飛び乗った。もうそこが定位置だと思ってる。
「どうするんだ?」とエリオット。
「猫の名前か?」
「いや、違う。これからのことだよ」
「お前が私に指図するのか? お前、私がさっきいったことを聞いていたか?」
「俺は奴隷だろ」
「わかってるなら、自分がどんなに愚かなことをしたか理解できたか?」
「謝る。謝るよ」
「金を返せない奴は本当にクソだな。エドゥアールと何の仕事をした。まず、それを話せ」
「俺の稼業は知ってるよな?」
「零細のクソ仲買人だろ? なんでも扱うらしいな」
「仲介できるものなら何でも手を出す。それがエリオット・ラウファー商会だ」
「かっこいいと思っていってるのか。それで?」
「絨毯を仕入れてくれといわれた」
「おかしな点はあったんだろ?」
「決めつけるような言い方だな。けどその通りだ。クショーノフって町は知ってるか?」
「北の炭鉱町だろ。見所のない場所だよ」
「そうだ。そこにある店から仕入れてくれ、という話だった。町や店まで指定されるやり方は珍しい、というか初めてで――」
「理由は?」
「絨毯一枚で二万グルテン出すといわれた」
「つまり聞くなってことか」
「すぐに綺麗な仕事じゃないとはわかったが断る理由もなかった」
「その奇跡の絨毯はどこだ? 金を貰うつもりだったってことは納品は済んでるだろ?」
「そこにある」
エリオットが部屋の隅を指した。丸まった赤い絨毯があった。
「早くいえ、クソボケ。持って来い」とアンナ。
指示に従った。
「広げろ」
「はいはい」
丸まった絨毯を放り出した。
「しっかりやれ。この馬鹿が」
アンナが足で絨毯の端を広げる。
赤のベースに白い模様が編みこまれていた。幾何学とは違う模様だった。
「魔導が編みこまれているのかと思ったが違うようだな」とアンナ。「これに二万グルテンとはね」
「空飛ぶ絨毯には見えないな」
左右を結ぶように真ん中に白い線。それを中心に上下にも白い編みこみが巡らされている。
「エリオット、明かりをつけろ」
エリオットは火口箱を取り出し、蝋燭に火を灯す。
「照らせ」
アンナがいった。
「それくらいはいわれなくてもわかる」
燭台を絨毯の上へ。模様の上に、アンナの影。
「裏返せ」
エリオットは燭台をアンナに渡して、絨毯を裏返した。模様が引っ繰り返す。編みこみの裏側なので、表ほど美しくはない。
「これって――」
エリオットは閃く。
「絨毯なのはわかってる。何かを思いついたなら、その先をいえ」
アンナは絨毯を眺めている。
「期待してもいい。たぶん俺が正解だ」
「うすのろ、早くいえ」
「これはマリアノフ近郊の地図だ」
「同意を求めているのか?」
「みろよ、この街が編みこまれてる。で、真ん中の左右に流れる線はルスターク川だ。そうするとここが俺たちのいるグロウ通りで、ここは第四市門。これはマリアノフ宮殿に聖母フラウエン教会だろ。あとここは市庁舎――」
「もういい。黙れ。私は観光に来たわけじゃない」
「でもわかったろ?」
エリオットがいった。
「あぁ。ここが目的地だ」
アンナが踏みつける。
第三市門近くに、黒い糸で編みこまれた丸い模様があった。
「シエロ通りの外れだな」とエリオット。
「メモを取れ」
エリオットは机にあった紙に地図を簡単に書き写す。
「行くぞ。ついてこい」
エリオットに選択肢はなかった。死体を見る。どうにもすることはできない。記念に刃の仕込まれた指輪を持っていくことにした。小屋を出た。
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