第7話 確定

 優斗と佳奈子の夕食後の時間は、毎日の日課になっていった。佳奈子は、両親が来たあの日以降、発作を起こすこともなく順調に生活していた。その毎日の会話の中で、優斗の様々な疑問も解決していった。そんな中、優斗の入院予定はあと一週間になった。

 佳奈子が解放病棟にいる理由、それは自分の意思とは関係なく自由が制限される閉鎖病棟で、すでに3ヶ月間の入院生活を送っていた結果だった。閉鎖病棟への入院は3ヶ月を超えて入院を強制することはできない。そこで任意入院を継続するか、退院するかは患者本人と医師の相談によって決まるものだったが、佳奈子の場合は、父の幹夫が強引に入院を継続させているのだった。佳奈子の言葉を借りれば、「大事な時期に家にいてもらっては困るので、一人暮らしするか入院しているかを選択しろ」と迫られたのだ。仕事をした経験のない佳奈子がいきなり一人暮らしできる訳でもなく、仕方なく解放病棟で任意の入院を続けているとのことだ。

 佳奈子が食後必ず一時間は座っている理由、それは佳奈子の「食べ吐き」の防止策だった。食べたらすぐに吐くという行為を繰り返してきた佳奈子がその行為を行わないようにするためであったのに加え、一時間の間に食事が少しでも体内に吸収されるようにするための方策だった。

 それ以外にも、2人は多くの話をした。佳奈子は特に優斗の仕事に興味を持っているようで、例えば知事の仕事の内容に興味を持てば、優斗は秘書課時代のことを話してやった。北海道新幹線の北海道開通については、官房部局が関係部局とどんな調整を行ない、どれだけの人間がどんな仕事をしたのかという話もした。優斗の仕事のやり方は、公務員一般的なものではなくて、行政社会の中ではかなり特異であること、そのために組織の内外にかなり敵も多いことも話をした。夕食後のおおよそ一時間の会話であったが、毎日のその時間で2人はそれまでの人生やそれぞれの性格を理解し合うことができた。

 優斗の診察は、1回あっただけだった。引き継ぎのための事務も順調に進んでいた。現在の仕事の調整先の情報、議員の根回しの経過などを丁寧に拾い上げて、そのほとんどを口頭で課長の佐藤に引き継いだ。あとは、規則に定められている形式的な引き継ぎ書を作成して決済を受けるだけになっている。もちろん、全ての引き継ぎ内容を書く訳にはいかないので、文言を精査しながら書かなければならないが、優斗にとってみれば大した仕事ではなかった。

 入院してから13日目の月曜日、出勤すると課長の佐藤が自席に優斗を呼んだ。

 「引き継ぎは、あれくらいだろう?」

 佐藤は今までの引き継ぎのことを言っている。

 「はい。だいたい終わりました。あとは引き継ぎ書を書くだけです」

 「退院してきてからでも書けるくらいの量か?」

 「はい、2時間から3時間で書いてしまえると思います」

 優斗にしてみれば、引き継ぎ書の作成などその程度のものだった。仕事の引き継ぎは、引き継ぐ者と引き継がれる者がその内容を理解していればそれでいいとさえ思っていた。しかしそこは行政組織である。資料至上主義はありとあらゆる場面でその作成を求めてくるシステムになっているのだ。

 「じゃあ、退院までゆっくり休んだらどうだ?病院にいても暇だろうが、教育庁に行ってからの仕事の準備もあるだろう」

 佐藤は暗に、佐藤と優斗にしかわからないように先日の人事データのことを指して言っている。優斗は反射的に、3時間という中途半端な時間だけでも出勤して何かしらの仕事をすべきか、退屈な病院にいて休養するか、そのどちらを取るか天秤にかけた。

 「では、お言葉に甘えて退院の日まで休ませてもらいます。ええと、休暇は?」

 「代休と有給休暇を使えばいい。とりあえず今週いっぱいの分を処理して、来週以降は退院してからの事後処理でいい」

 「ありがとうございます」

 優斗は簡単に礼を言ってから課長席の横の書棚に保管されている休暇処理簿を取って自席に戻り、佐藤の指示通りに今週分の休暇届けを記載し、佐藤のデスクに戻った。

 「それでは、これで失礼します」

 「うん」

 佐藤にそう言うと、優斗は「今週いっぱい休みますから」と周りのデスクで仕事をしている職員に聞こえるように声をかけて、事務室を出た。

 そのまま病院に向かおうと考えていたが、地下鉄札幌駅に向かっている間に気が変わって、西堀静香の自宅に向かうために、病院に帰るのとは逆方向の地下鉄ホームに向かった。彼女とは、彼女が入院初日に荷物を届けてくれた時以来会っていなかった。

 歩きながら確認した腕時計は9時半を少し回った時刻を指していた。

 (まだ寝てるかな・・・)

 優斗は、早朝3時まで営業をしているシュエットでの仕事を終えて、静香が眠りに着くのはいつも朝方なのを知っている。しかし、それが静香の家へ向かうことへのためらいになることはなかった。

 地下鉄南北線、札幌駅からわずか3駅の中島公園駅で降りると、そのすぐ側の静香のマンションへと向かった。18階建ての最上階の彼女の部屋に辿り着くためには、3つのセキュリティを通る必要がある。静香とはお互いの家の鍵をもっている仲だったが、悠斗のそれは自宅にあるため、今は持ち合わせていない。

 一つ目のセキュリティは、マンション自体に入るための自動ドア。その横にある番号キーの中から、1801を押して、呼び出しボタンを押す。しばらく待ってみたが応答がない。優斗はもう一度同じ作業をしてしばらく待ってみたが、応答がない。

 (いないのかな・・・)

 これで最後にしようと思い、また同じ手順で作業を繰り返してみると、「どちら様ですか?」と、インターホンから気だるそうな声で応答があった。

 「優斗だけど、開けて」

 優斗がそういうと、無言で自動ドアが開いた。次のセキュリティは、エレベーターである。このエレベーターは暗証番号を入れないと作動しない仕組みになっていて、さらにその番号と連動する階にしか止まらないシステムになっている。勝手知ったる優斗は、静香の部屋にしか割り当てられていない番号を押した後、18階のボタンを押す。動き出したエレベーターは高速で、すぐに目的階まで運んでくれる。そして最後のセキュリティは部屋の玄関横のインターホンである。優斗がそれを押すと、ガウン姿の静香はドアのチェーンを外さないまま、顔を半分ほど覗かせた。

 「退院したの?」

 静香は挨拶抜きでそう言ったが、チェーンを外して優斗を中に入れる気配は見せない。

 「いや、会いたくなって来ちゃった」

 優斗がそう言い終わるか終わらないかのタイミングで一瞬ドア閉まったが、すぐにチェーンが外れた状態で再び開かれた。

 「今からシャワーだよ」

 静香はそれだけ言うと踵を返して、バスルームへと向かっていく。「待ってて」という言葉がないということは、静香の「着いて来て」という合図でもある。

 静香はまるで優斗がいないかのように、羽織っているガウンを脱いで一人でバスルームへと入って行く。それを横目で見ながら、優斗もスーツのジャケットを脱ぎ、それから順に身につけているものを脱いでいった。優斗がバスルーム入ると、すでにシャワーは全開になっており、湯気で曇ったその中で静香はいきなり優斗の体を愛撫し始めた。

 静香はこの1.25坪はあるこのジャグジー付きのバスルームでことを致すのを好み、ベッドで睦み合っている最中も、優斗をバスルームに誘うことがよくあった。そんな時は決まってシャワーを全開にして、シャワーノズルから放出される熱い湯を2人で頭からかぶりながら、息苦しさと快感の双方を楽しむように、立ったまま激しく愛し合うのだった。今日も、全開になったシャワーは容赦なく2人に湯を浴びせかけていたが、それを楽しむように静香は優斗の前に膝まずき、優斗のものをくわえ込んで唇で激しく上下させている。

 優斗は強引に静香の両脇に手を滑りこませて立たせると同時に180度静香の体を回転させ、背中向きにさせた。そして足を広げさせると、立ったまま挿入していった。壁に手をついて尻を突き出した静香は、何度も絶頂を迎え、その度に激しく壁を叩く。優斗も静香の鼠蹊部に手を回して自分の方へ押し付けながら、激しく腰をピストンさせる。2人とも、目にも鼻にも口にも湯が入り込み、やっとのことで呼吸をしながら、それでも襲ってくる快感を求め続けている。静香の喘ぎ声がバスルームに反響して響くなか、優斗も絶頂を迎えそうになってきた。

 「いいか?」

 優斗が短く聞くと、静香は喘ぎ声をもらしながら、小さく「うん」とだけ答えた。その刹那、優斗は静香の中で果てた。

 2人はそのままの姿勢でしばらく余韻をひたるように立ち尽くしていたが、優斗から密着した体を離し、バスルームの外に出た。静香はこの後、決まって体と髪の毛を洗いゆっくりシャワーを浴びてから出てくる。その間、優斗は全裸のままキッチンに置いてある静香のタバコを拝借し、昔やめたはずのそれをふかす。優斗がタバコを吸うのは、静香の家でだけだった。優斗は時々、タバコを吸いたいから静香の家に来てセックスを楽しむのか、セックスをしたいから静香の家に来て、ついでにタバコを吸うのか、自分でもわからなくなる時がある。それほど、静香とのセックスはありふれたものだった。

 「あの病院、精神科の単科病院でしょ?」

 静香はガウンも羽織らずに、全裸のままバスルームから出て来て、そう切り出した。

 「そうだよ」

 優斗はすでに3本目となったタバコをふかしながら、短く答える。

 「どうしたの?うつ?難しい仕事ばっかりやってきたから、精神的にまいっちゃったとか?優斗の仕事ってストレス溜まりそうだもんね。最近は店に来る時も堅苦しい偉そうな人とばっかりだしね。そもそも、最近は店にだって来て・・・」

 静香は優斗が “うつ ”だと半ば決めつけたようにに話を進めていく。優斗は否定するタイミングを計っていたが、我慢できなくなって話の途中で割って入った。

 「うつ、じゃないよ」

 優斗は静香と目線を合わせずに話を続ける。

 「セックスの依存症ってあるらしくて、それを疑われている。仕事で上を目指すなら、今のうちにちゃんと診断を受けて治しておけって、半分業務命令みたいなもので検査入院してるんだよ。来月早々に異動の予定で、いろいろあって今のタイミングで入院になったんだ」

 「異動?今の時期に?」

 静香は全裸のまま優斗に近づいて、顔を覗き込むようにして驚いた声を出した。

 「まさか、何かやらかしたの?」

 静香は、まるで小学生が理科の実験を楽しんでいるような目をしている。

 「いや、政策の転換だよ。詳しいことはまだ言えない」

 優斗がそう言うと、静香は今の実験は失敗だったと言わんばかりに興味を失い、優斗から離れていく。こういう感情がわかりやすい静香の態度が、優斗には心地よかった。彼女は店でもそうだった。そこで働く多くの女性がやりがちな、高い酒を入れて欲しいという下心が透けて見える作り笑いや、見るからに無理があるテンションで客と絡むのではなく、時には客に説教をすることもあるくらい、店でも我を通していた。それでもなお、入店してから雇われママになるまでは店のNo,1をとり続けたのだった。彼女との時間を楽しむために、店に通う男は自分自身を磨く、静香はそんな魅力がある女性だった。この時も、彼女はセックスの依存症というものには全く興味を示さなかった。

 「よくわからないけど、私は優斗が登っていくところが見たい。病気とかどうでもいいから、もっと上に行って、楽しい世の中にしてよ」

 静香はそういうと「もう寝るね」と行って寝室へ入って行った。こういう時は、優斗は一緒にベッドには入らない。「一緒に寝よう」と言わない限り、それはもう帰れという静香の意思表示であることがわかっているからだ。悠斗にとっては、多くを語らず一見気難しく思える静香の態度が実にわかりやすいものであり、心地よいものであった。

 「おやすみ」と一声かけて着替えた優斗は、静香のマンションを後にして病院に向かった。

 急に一週間以上の休みが取れたことで、今日から何をして過ごそうか、などと考えているうちに地下鉄は麻生駅につき、優斗は病棟へと戻った。外出を取り消そうかどうか迷ったが、考えようによっては3時間の自由時間を自ら手放すことになる、と思い直して看護師たちにはこれから仕事が休みとなることは伝えなかった。

 「松野さん、少し時間ある?」

 まだ夕方、入院中の高齢者たちが唯一と言ってもよいほど一日の楽しみにしている、夕方の時代劇の再放送が始まる時間帯に、談話室の隅で夕刊を読んでいた優斗は不意に佳奈子に声をかけられた。

 「あるよ。どうしたの?」

 夕食後の時間以外に声をかけられることは滅多になかったので、優斗は少し驚いた表情を浮かべて答えた。

 「松野さん、退院来週の予定でしょ?」

 「そうだよ。順調に行けばその予定だけど、まだ一回しか診察を受けていないし、一体どうなっているんだろうね」

 「私も退院、来週になりそうなんだ」

 「え?」

 優斗は驚いた。先日、父が面会に来ただけであれだけ取り乱した佳奈子が、急に来週退院するという。実家以外に、彼女が帰る場所などないはずだ。

 「それはおめでたい話だけど、家のほうは大丈夫なの?」

 とてもおめでたいという顔ではない表情を浮かべて、優斗はそう言った。

 「父の社長就任が、ほぼ決まりなんだって。今まではなんか難しいしがらみとかがあって私が邪魔だったみたいだけど、社長になれることが決まったら、今度は入院しているのが不都合みたいで、急に退院させたいって、今日の午前中に母が来て先生と話したみたい」

 それが事実であれば切ない話である。佳奈子の病気が治るか治らないか、という基準ではなく、あくまで父の幹夫の仕事の都合によって佳奈子の入院は左右されている。

 (この子の病気の本当の理由は、家族にあるんじゃないか?)

 優斗は確信に近い感情でそう思ったが、それは軽々しく口にできる問題ではない。

 「そうなんだ。実家に帰って大丈夫なのかい?」

 父との相性の悪さがダイレクトに体調に出る佳奈子にとっては、それが死活問題であった。

 「大丈夫じゃないよ。でもやっていかないといけないんだろうって諦めてる。ねえ松野さん、携帯の番号交換してもいい?」

 佳奈子にとっては藁にもすがる思いなのだろう。優斗は「いいよ」と言って携帯電話の番号を教え、その番号に佳奈子からコールするように言った。

 その日から、佳奈子は病棟内に出て来ることはなくなり、食事も病室でとっているようだった。佳奈子との一緒の時間がなくなった優斗は寂しさを感じながらも、所詮入院中の病棟での出会いなどそのようなものだと言い聞かせ、翌日から仕事に行くふりをして外出を続け、いつも懇意にしているソープランドやヘルスに行き、いつも指名する女性を指名して、束の間の休暇を楽しむ感覚で毎日性欲を発散した。

 翌週の月曜日、午前中にソープランドで遊んで病院に戻った優斗に、看護師が、15時から診察があると伝えた。この診察で退院時期が明らかになるだろうと思った優斗は、そろそろ頭の中を仕事モードに切り替える必要があるなどと考えていた。

 「今週退院の予定でしたね」

 医師はそう切り出した。

 「はい。その予定で入院計画書もいただいています」

 優斗は、この入院の意味を見出せなかったことを医師にぶつけたくなったが、それをこらえて冷静に答えた。

 「その後、性欲はどうですか?入院も2週間をすぎて、不自由な中で生活していただいたわけですが」

 医師は単刀直入に本題に入ってくる。

 「不自由はあまり感じませんでしたよ。毎日外出できていましたし、仕事も順調でしたし」

 優斗は当たり障りのない回答で、医師との会話の間合いを図っていた。医師は何も言わずに、話の続きを待っているようだった。

 「性欲のほうは・・・、実は正直に言いますが、前の診察の時にお話しした女性ではない女性と一度関係をもっています。それから、先週はほとんど仕事に出る必要がなかったので、毎日風俗に行って欲求を処理しました」

 この医師には、正直に話してもいいという安心感が生まれるのが不思議だった。本当はややこしい話になるのが嫌だったので、先週以来の風俗のことは伏せておこうと思っていたのだが、この医師には話してしまおう、そんな思いになるのだった。

 「やはり、我慢できませんでしたか?」

 「我慢とか、そういう感覚ではないんです。時間が空いたからパートナーとしよう、財布に余裕があって時間があるから風俗に行こう、そんな感じです。悶々とするからという訳ではなくて、本当にふっと思いつく、そんな感じです。」

 「そういう時に、他の方法、例えばスポーツをするとか、趣味をするとか、そういう選択肢は思い浮かびませんか?」

 医師はメモをとるのをやめて、優斗に正対して話を聞いている。

 「セックスや風俗に行くと決めてからは、他のことは選択肢に入ってきません。というよりは、他のことが頭の中には浮かびません」

 「風俗って、結構な経済的負担になると思うのですが、その点はどうですか?公務員をされているので、収入は安定しているとは思いますが、経済的には大丈夫なものなのですか?」

 「金銭感覚って、よくわからないものですね。例えば3万円の買い物をする時って相当悩むものですが、風俗で3万円を使うことって、高いという発想にはならないんです」

 優斗の正直な気持ちであった。風俗で使う金額は、それ相応のサービスを受けられるのであれば、高いと感じることはなかった。

 「それなら例えば、それが常習化していけば、収入を上回るお金をつぎ込んでも風俗に通うということになっていく可能性がある、ということではないですか?」

 医師のその言葉に、優斗は沈黙するしかなかった。これから先、家計の中で風俗が占める割合が、どれだけ大きくなっていくかはわからないのだ。それを見ていた医師は言葉を続けた。

 「依存症とは、何かの物質や行為に依存していくことで、社会的な生活を営むのに困難をもたらした時に表面化します。もっと言うと、社会的な生活を営むのに困難がなければ、その物質や行為に依存しているとは気づかずに受診することもなく、受診しないため当然診断されることもありません。松野さんの場合は、職場の方の勧めもあって受診された訳で、今のところその困難を感じることはないと思います。しかし、このままだと、その困難に直面する日はそう遠くないと推測できることは、おわかりいただけますか?」

 「はい」

 「性嗜好障害について、今の医学界は2つの考え方にわかれています。ひとつは、性嗜好障害として積極的に診断し治療していくことで、性犯罪の抑制に寄与しようという考え方です。もうひとつは、性犯罪の言い訳になっては困るので、積極的には診断すべきではない、という考え方です」

 医学について素人の優斗にも、納得できる説明であった。優斗は言葉を発せずに頷いて同意したことを示した。それを確認した医師は、さらに話を続けた。

 「私は、性嗜好障害も他の依存症と同じように、積極的な診断があってしかるべきという立場に立っています。その上でお話ししますが、私は松野さんの性への依存は極めて高いと判断します。そして、その結果として近い将来社会的な困難を抱える可能性も高いことから、松野さんの今の症状を聖嗜好障害として確定した診断をしたいと思います」

 優斗は、医師の全ての言葉に納得する他なかった。

 「それで、どんな治療がありますか?」

 優斗は、やっとの思いでこれからとるべき善後策は何なのか、ということに思いを至らせ、質問をぶつけた。

 「性嗜好障害を依存症のひとつだと考えても、その克服は簡単ではありません。普通、依存症の基本的な対策は、依存している行為や物質を断つことです。例えば、アルコール依存であればアルコールという物質を断ち、ギャンブル依存であればギャンブルという行為をしない。しかし、性欲は本来誰しもが持っている欲求のひとつなので、完全に断つということは困難です」

 「それでどうすれと?」

 「依存症には特効薬もありませんから、認知行動療法という方法をとる場合が多いです。つまり、自分のその行為に関する認識を “ゆがんだもの ”として捉え、そのゆがみを矯正するために、同じような症状を持った人たちと語り合っていく、というものです」

 優斗は拍子抜けした気分だった。克服するために特効薬はない、治療方法として示された認知行動療法も、ずいぶん古典的な方法に思えた。

 「カウンセリング、という方法もあります。まずは定期的に通院をしていただいて、最善の方法を考えましょう。」 

 周りの患者に比べ格段に自由度が高い自分の入院生活も、診察の回数が少ないことも、全て優斗自身がどのような性的な行動に出るのか、そのことの様子を見るためのものだった。そのことに気づいた優斗は、自分が性思考障害というものを患っているという事実を素直に受け入れざるを得なかった。

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