第三章:王女と運び屋

01

 グラファトの襲撃があったせいで行程は予定より大幅に遅れ、ミファナスを出発して初めて、野宿をする羽目になった。

 ハルダーは野宿の経験はいくらでもあるが、イフェリカはこれが初めてだと言った。リューアティン留学中の野外活動で屋外に二泊ほどしたことはあるが、ちゃんとした天幕の中だったという。

 ヴェンレイディールではもちろん、留学中もそれなりの場所で寝起きしていたはずだ。ミファナスを発って以来泊まった宿でも、かなり見劣りはするだろうが寝台はあった。もちろん屋根も。だが今は、そのいっさいがない。

「悪いが、寝袋もない」

「はい。わかっています」

 イフェリカは一言も不満を口にしなかった。どころか、露天での野宿がいかなるものか、未知の体験を楽しみにしているように見える。

 街道には、ほぼ同じ間隔で街がある。朝出発すれば夕方には次の街に着くようになっているから、旅をする者は街に泊まる前提で移動する。野宿だと、盗賊などに遭遇する危険があるのだ。

 ハルダーも、荷物がかさばるし時間もなかったので、野宿をする準備はしていなかった。

 暑くなり始めている季節でよかった。幸い天気もいい。少々涼しいが、外套にくるまればなんとか過ごせる。

 が、ハルダーの外套はあちこちに穴が開いていた。羽織っていればわかりにくいものもあるが、大きく裂けた穴はさすがに目立つ。長年着ているので使用感にあふれていたものが、グラファトのせいで一気に襤褸布に近づいてしまった。

「私が直しましょうか?」

 穴だらけの外套に眉をひそめるハルダーを見かねたのか、イフェリカが申し出た。

「直せるのか?」

「ふさぐくらいなら。あまり上手ではありませんけれど」

 イフェリカは鞄の中から小さな裁縫道具を取り出した。せっかくなので修繕を頼み、その間にハルダーは薪を集める。

 集めた薪に火打ち石で火をつけ、炎を大きくする。空がだんだんと薄暗くなってきている。手元が暗かったらしく、イフェリカは火のそばに移動して、黙々と繕っていた。

 王女である彼女が裁縫をするのは意外だと思ったが、見ていると手慣れた様子である。行儀作法として身につけているのかもしれない。

「これでいかがですか」

 糸の端を処理して小さなはさみで切り落とし、最後の穴がふさがれた。ハルダーの外套を広げると、イフェリカの姿は見えなくなる。穴はすっかりなくなっていた。縫い目は見えるが、近寄らなければわからない程度だ。

「うまいじゃないか。ありがとう」

「どういたしまして」

 はにかむ顔は微笑ともまた違っていたが、王女ではなく普通の娘と変わらない。些細ながら、イフェリカの新しい一面を、また見つけた。

 外套を羽織り、ハルダーは空を仰ぎ見た。天然の天蓋の隙間から瞬く星がのぞいている。

 いつもであれば、夕食にありついている頃だろうか。そう考えると、空腹をより感じてしまう。

 まるでハルダーの思考に同調するように、腹の鳴る音がした。ハルダーのではない。

 見やると、イフェリカの顔がさっと赤くなる。たき火に照らされたせいでないのは明白だった。

「あ、あの、今のは」

「イフェリカも腹が減ってるんだな」

 思わず吹き出してしまった。野宿することに文句一つ言わない王女だが、体は正直なようだ。

「……はい」

 赤い顔を隠すようにうつむかせ、イフェリカが小さな声を返す。ハルダーは軽く目を見開いたが、そういえば、偽名を名乗ることはできないという妙に正直なところもあるのだった。体だけでなく、当人も、空腹に対しては正直らしい。

 手元にある食べ物は、間食用の乾燥パンだけだ。だが、水気がなさ過ぎるので飲むものがないと食べるのに少々難儀する。飲み水も、もうほとんど残っていない。今夜は我慢してもらうしかないか――と、ふと思い出した。

「そういえばあったな、食べ物」

 苦笑し、昼に食べなかった焼き菓子を取り出す。これなら水がなくても食べられるし、少ないが腹の足しにはなる。

 油紙に包んでいたが、砂糖が湿気で溶けてべたべたになっているので、包み紙ごとイフェリカに差し出した。

「それはハルダーの分です」

 イフェリカは受け取ろうとせず、両手を後ろへ引っ込めてしまう。

「甘いものは苦手だと言っただろう。俺はいいよ」

「でも」

「いいからイフェリカが食べろ。また腹が鳴るぞ?」

 少々意地の悪い表情で言うと、イフェリカはまた顔を赤くした。

 仕方なしといった感じでハルダーから包みを受け取る。そのまま食べるのかと思いきや、イフェリカは焼き菓子を二つに割って、片方をハルダーに差し出した。

「半分こにしましょう」

 元々小さな菓子である。二つにするとますます小さく、本当に腹の足しにしかならない。

「甘いものは苦手だと――」

「疲れているときに食べると、おいしいですよ」

 疲れていないと言えば嘘になる。グラファトのせいで思い出したくないことを思い出してしまい、精神的な疲労もあった。

 今まで通りにしているつもりだが、イフェリカにはそうは見えなかったのだろうか。独り占めするのは心苦しいと、単にそう思っただけなのかもしれない。いずれにせよ、ハルダーを気遣ってくれているのはわかった。

 菓子の半分を受け取り、一口で食べる。

「……うまいな」

 思っていた以上に甘かったが、疲れた体に染み入るようだった。

 ハルダーが食べるのを見届けたイフェリカは、しかし自分の分を口に入れようとしない。手の中のそれをじっと見つめている。人には勧めたのに、と不審に思い、声をかけようとしたら、彼女が口を開いた。

「初めて会ったとき、危険とわかっているのに何故ヴェンレイディールへ戻るのか、と訊きましたよね」

 数日前のことだ。もちろん覚えている。そのときの憂いを帯びた表情も。今、イフェリカはあのときと同じ顔をしていた。

 焼き菓子を油紙にくるんで膝に置き、イフェリカは鞄から細長い紙の包みを取り出した。それをそっと開く。

「家族が眠るお墓を見つけて、これを、そこに納めたいのです」

 中から出てきたのは、金糸のような髪の束だった。

「せめてこれだけでも家族のそばに、と思って」

 イフェリカの故郷と留学先の戦だ。既にそのときから、彼女は微妙で危険な立場にあったはずだ。家族とは別れの言葉どころか、状況を知らせる手紙さえ交わすのもままならなかったのかもしれない。そしてそのまま、永遠に会えなくなってしまった。

「私のわがままです。この旅は、それだけが目的なのです」

 イフェリカが、不安そうな顔でハルダーを見た。放っておいたら迷子にでもなりそうな、頼りない表情だった。

「それでも、ハルダーは私を守ってくれますか」

 危険を冒してでも、せめて、墓に参り自分の一部を。そう思ったイフェリカを非難するつもりはなかった。

 ごく当たり前の感情だ。イフェリカは今やなきヴェンレイディール国の王女だから帰郷するのに少々危険を伴う、というだけである。

「当たり前だ。言っただろう、俺が守る、と」

 イフェリカの目的がたとえどんなものであろうとも。

「そんなことより、それを食べたらどうだ。疲れてるときに甘いものはいいんだろう?」

 イフェリカは、そうですね、と表情を和らげた。


   ●


 翌日の昼前、街にたどり着いた。ここもそこそこ大きな街で、門を出入りする人の数が多い。衛兵は七人。そのうち四人は門の内側と外側の左右に立ち、残り三人は入ってくる者の顔を見ているようだった。

「大丈夫でしょうか」

 門の様子を遠くから眺め、イフェリカが不安そうな表情を浮かべる。大丈夫だ、と断言してやりたかったが、ハルダーは黙っていた。

 イフェリカは髪は短くし、色も変えている。瞳の色は変えようがないが、これは特別珍しい色ではない。地味な灰色の外套に、男物の服。一見すれば小柄な少年だ。手配書とは髪型も服装も違い、雰囲気はがらりと変わっている。顔を確かめているとはいえ、一人一人をつぶさに観察しているわけではない。

 街道を外れて大きく迂回する方法もなくはないが、立ち寄る先が小さな村となると、余所者の存在は目立ってしまう。できればそれは避けたい。雰囲気が違うから見間違えてくれる可能性に賭けるしかなかった。

「ハルダー?」

 ますます不安そうな顔で、ハルダーを見上げる。

「大丈夫だ」

 彼女の不安を吹き飛ばすように力強く言って、頭巾の前を引っ張って目深にかぶらせた。

「その格好なら、王女様には見えないよ」

「でも、これでは前も見えません」

 イフェリカの顔は半分以上隠れてしまったようだ。頭巾の位置を整え、イフェリカが小さく笑った。

 衛兵は、身分証を掲げて頭巾をかぶったまま通過しようとしたイフェリカに顔を見せるように言ったが、立ち止まらせてじっくりと見ることはなかった。頭巾の下から現れたのが思いの外端整な容貌だったからか、目を丸くしたが、特に何も言わなかった。

「無事に入れてよかったです」

 門から進んだところでイフェリカは大きく息を吐き、頭巾をかぶる。

「うまく変装できているのでしょうか」

「ああ」

 そう応えたものの、完璧だと安心はしていない。現に、グラファトには見抜かれていた。

 イフェリカのような手配書もなかったのに、四年前、あの男はハルダーたちの前に現れたのだ。もっとも、グラファトは暗殺依頼も引き受けているというから、人を捜したり変装を見抜くのは、衛兵よりよほどうまいだろう。

 だが、衛兵相手であっても、いつまでもこの変装で通せるとは思えない。グラファトが雇われた時期は最近だろう。手配書が出てからすぐなら、おそらくとっくにイフェリカは殺されている。今の時期になったのは、手配書をばらまいても一向にイフェリカが見つからないせいなのか、食堂での一件がリューアティン王家にまで伝わり、一気に片をつけようと思ったからなのか、あるいはその両方なのか。

「だが、この先はちょっと厳しいかもしれないな」

 これまで通過してきた街では、顔をのぞき込まれることはなかった。地図では、ヴェンレイディールまであと二つほど街を通過しなければならない。ヴェンレイディールに近づくほど、検分が厳しくなる可能性は十分にある。

「グラファトという暗殺者が、私がどこにいるか、この先の街に知らせるからですか」

「いや、それはない。イフェリカがリューアティン兵や賞金稼ぎに先に捕まったら、あいつは自分の依頼を果たせなくなるからな」

「ではどうして、私を狙うのはヴェンレイディールに入ってから、と言ったのでしょうか。私がその前に捕まるかもしれないのに」

 昨日、グラファトにその気があれば、もっとイフェリカを狙った攻撃をしたはずだ。一部始終を見ていた彼女は、ハルダーが押され気味だったのもわかっている。だからなおさら、グラファトが一旦退いた理由がわからないのだろう。

「俺も、それはわからない」

 あの男の思考を理解したいとも思わない。とはいえ、考えないわけにもいかないので、退いた理由を考えるが、昨日は様子見だったから、というくらいしか思いつかなかった。ヴェンレイディールに入ってからの方が、グラファトにとって何かが都合がいいのだろう。

「ただ、イフェリカがヴェンレイディールに入る前に捕まる、とは思っていないんだろう」

「何故ですか?」

「俺が護衛についてるからだよ」

 自信を持って言いたいところだが、グラファトにそう見込まれているのが、奴の思惑通りに動いているようで面白くない。

「それはつまり、ハルダーを信用している、ということですか?」

 イフェリカがなんとも言えない複雑な顔をする。グラファトは明確に敵だが、対立相手であるハルダーの腕を信用している、というのが理解し難いのだろう。

「ある意味、そういうことだ」

 護衛がハルダーではなかったら、グラファトは昨日のうちに依頼を果たそうとしたかもしれない。四年前にハルダーが魔術師を守り切れなかったのを知っているあの男は、今度こそ守り通そうとすることも見抜いているわけだ。

「そういう信用は迷惑なだけだがな」

 ハルダーはますます渋い顔をした。

「……よくわからない人ですね」

「わからなくていい、あんな男のことは」

 グラファトのことを考えるだけで、気持ちがささくれ立ってくる。精神衛生上よくない。

「話が逸れたが、ヴェンレイディールが近づくにつれ警備が厳しくなるだろうから、変装しているだけじゃ不十分かもしれないんだ」

 一度違う国へ行きそこからヴェンレイディールを目指す、という方法もある。だが、ヴェンレイディールに近づけば警備が厳しくなるのは同じだろう。それに、どこの国へ向かおうが、イフェリカは元々リューアティンにいたのだから、国境付近では厳しく警備していると考えるのが妥当だ。

「では、どうすれば……」

 イフェリカが不安そうにしながらも、思案顔になる。また、毒液で顔を焼いてしまおうか、と考えているのかもしれない。もうそうするしかないと言い出す前に、ハルダーは口を開いた。

「運び屋に頼もうと思っている」

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