第38話:水の都アルカンレティア

 街に入った俺たちはまず宿を探し、部屋を取ってすでに各自で自由行動を取っていた。


 アクアはウィズを連れて街へ繰り出して行き、ダクネスは一人で危ない顔をしながら興奮気味に駆け出して行った。


 そして俺はもちろん、めぐみんと一緒に行動している。

 隣では、私服を着ためぐみんが、街の様子を伺いながら歩いている。

 俺たちが今いるこの場所はやはり、水の都と呼ばれているだけあって、水路や温泉が至る場所に見られる。

 中でも商店街は、アクセルには見られないような賑わいだ。

 そして、さすが温泉で有名な観光地というべきだろうか。

 沢山の場所からの観光客や、ドワーフやエルフなどの人外の種族などが、種族の壁を超えて意気揚々とした雰囲気を醸し出していた。


「こうして、アクセル以外の街でゆっくりするのも良いものですね」


「ああ、そうだな。

 紅魔の里では、色々とあったからな」


「……ええ。本当に、色々と……」


 そしてふと、めぐみんの言葉につい三時間ほど前までいた場所のことを思い出す。

 隣を歩くめぐみんは、それを思い出してげんなりしているが、俺としては、とても良い経験ができたつもりだ。

 もちろん、良い思い出だけではないのは確かだが、何しろ、一人の男としての長年の夢が果たせたのだ。


 そう、俺はーーーー童貞を捨てたのだ。


 数日間実感はなかったが、今思い返してみれば、確かに、俺は大人の階段を登ったのである。

 それに、前までは『良いシチュエーションで、雰囲気のある時』というあまりにも曖昧な条件だったのが、『二人が屋敷にいない日の夜』という明確な基準が出来たのだ。


 それは、男である俺としては中々良い前進なのではなかろうか。

 めぐみん、もとい、女たちの言うそれは、あまりにもあちらに有利すぎる言葉である。

 こちらが、『これこそ、良いシチュエーションで、良い雰囲気なのではなかろうか?』と思っても、いざ誘ってみると、相手の気持ちがならない場合は『ダメです、まだその時ではありません』と突っ返されてしまうのである。

 そんな事されては、十分ヤる気だった俺の相棒はとても辛い思いをしなければならなくなる。


 だからこそ、こうして明確な基準を設けてくれることによって、互いに利益が生まれるのである。

 その条件が少しキツイのが、また俺にとって悪影響があるのかもしれないが。


 ……だが今はその話は置いておこう。

 こうして考え事をしていると、隣にいるめぐみんがいつのまにかむくれていることがあるのである。


 今後は気をつけようとは思いつつも、考え込む瞬間というのはなんとも曖昧な感覚で、すでに気が付いた時にはかなりの時間を費やしてしまっているのである。


 という事で、とりあえず今は考えるのをやめ、めぐみんの方を見てみるが……。


「……あれ⁉︎ また⁉︎」


 どうやら今回も、俺は失敗してしまったようだ。

 先ほどまでは上機嫌で歩いていためぐみんは一変して、俺から顔を背け頬を膨らませながら、いかにも怒ってますよと言わんばかりに薄い胸の前で腕を組んでいた。


 いや、その仕草も、恋人である俺からしてみれば、どこか子供っぽさを感じてかわいく思えてしまうんですけどね?


「わ、悪かったって……そんなに怒んなよ。今回はまだ、早めに気が付いた方だろ?」


 俺がそう伝えると、尚も顔を背けながら、めぐみんは言う。


「別に、私は無視された長さに怒ってるのではありませんよ。

 隣に彼女がいながら、別のことを考えているあなたに怒っているのです!」


 語尾が上がってるあたり、結構真面目に怒っているらしい。

 しかし、その所為なのかなんなのか、声のボリュームが少し大きく、周りに見られてしまっている。

 内容的には結構恥ずかしいことを言っている気がするのだが、当の本人は怒っているせいでおそらくそのことに気がついてないのだろう。


「ちょ、おま…せめてもう少し静かにしろって!」


「なんですか。カズマは、彼女より世間からの評判を取るんですか?」


「なっ!そ、そんなわけ……」


 ねーだろ!』そう叫ぼうとした時が、後ろから肩を叩かれる。

 ふと振り向いてみれば、そこには聖職者の格好をした一人の男が立っていた。


「まあまあ御二方、少し落ち着いてください」


 見るからに優しそうな顔をしたその人物は、柔らかな笑みとともに、落ち着いた声で俺たちに言う。


 正直、割って入ってもらって助かった。

 もう少しこの喧嘩が続いていれば、俺は観光先でもカスだのクズだのと不名誉な烙印を押されるところだった。


「あ…す、すいません。止めていただいて、ありがとうございました」


 俺がその男性に礼を言うと、めぐみんも落ち着いたのか、俺同様、男性に礼を言った。

 その礼にも、男は笑みを崩さず紳士的に答える。


 なんともまあ、できた人だ。

 おそらく俺は、一生かかってもこんな人にはなれないし、こんな人と友達になることもないだろう。


 そう、自分と比べながら、その男性の様子を伺っていると。


「ところで御二方は、観光でいらしたのでしょうか?」


 なんの脈絡もなく、その男はそんなことを聞いて来た。


「え?……あ、あぁ、はい。そうですよ?」


 あまりに急だったので少しどもってしまったが、質問に答える。

 すると男は、パッと顔を明るくし。


「そんな御二方に、とてもいいものがあるのです!」


 そう言いながら、ショルダーバッグのようなものから二枚の紙を取り出して俺たちに手渡す。

 少し興奮気味の男に若干の疑問を覚えつつ紙を見ると、そこに書かれていたのは……。


「今ならなんと、この教徒限定で手に入る石鹸が付いて来ますよ!

 仕事に恋愛、多岐にわたって全てアクア様がなんとかしてくれます!

 実際に、アクシズ教に入信して幸せになったという知らせがいくつも届いています!

 私たちと一緒に、アクシズ教徒になりませんか!」


 紙の一番上に、大々と書かれている『アクシズ教入信書』の文字を見た瞬間、俺はめぐみんの手を引いてその場から離れた!


「待ってください!

 この石鹸、食べられるんです!」


 後ろから、そんなどこかのテレビショッピングみたいな声が聞こえて来たが、それを無視して走り続けた。






 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー






「はぁっ、はぁっ、はぁっ……。

 さ、流石にもう追って来ないだろ……」


 迫り来る勧誘から逃げ続け、俺たちは街の端にある湖のほとりにいた。


 一人目のアクシズ教徒から逃げている途中に別のアクシズ教徒に見つかり、またそのアクシズ教徒から逃げ出す。

 それを延々と繰り返す悪魔のようなループからやっとの思いで、俺たちは抜け出したのだ。


 すると、そこには着ている服の至る所に入信書を詰め込まれた男が、ぼーっと湖を眺めていた。

 おそらくあの男も、俺たちと同じようにアクシズ教徒に追われていたのだろう。

 ここから見えるだけでも、気分が落ち込んでいるのがわかる。


「めぐみん、おまえは大丈夫か?」


 あの男が精神的ダメージを受けているのが見て分かるように、めぐみんにも何かあったかもしれない。

 そう思い、声をかけると。


「………………」


「………………おい、めぐみん?」


 そのめぐみんは、顔を赤くして惚けたように俺を見つめている。


「お、おい、どうした⁉︎

 逃げてる途中に何かされたのか⁉︎」


 そう声をかけながら揺さぶると、ハッ!と息を吐いていつもの調子に戻る。


「す、すいません……。大丈夫です、特に何かされたわけではありません。

 ただ……」


「ただ……?」


 何も無かった事に安堵するが、その後に続く言葉により俺はめぐみんの言葉に引き込まれる。

 すると、顔を赤くしながら、チラチラと俺の顔を見てめぐみんは言う。


「私の手を取って逃げてくれたカズマが、その……。格好良かったと言いますか……」


「〜〜〜〜〜〜ッ!そ、そうか……」


 引き込まれた後にモジモジしながらそんな言葉を放たれ、胸が詰まる思いを感じながらも、今は屋外の為なるべく平静を装う。

 だがおそらく、俺の顔は先程のめぐみんのように赤くなってしまっているのだろう。


 自分でもなんとも閉まらない男だなと思いながらも、仕切り直す為に話題を変える。

 今のこの喜びを、忘れるわけではないのだが。


「そ、そうだめぐみん。

 お、温泉を探しに行こうぜ?

 もうアクシズ教徒達は振り切ったたんだし、最初に言ってた腰に効く温泉でも探しに行こう」


「そ、そうですね……。

 逃げ回って、汗もかきましたからね……」


 そう言って二人は、また街の中へ歩いて行く。

 しかし、二人はまだ知らない。

 もう既に、ある組織の陰謀に、思い切り足を突っ込んでいる仲間がいることを……






 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー






「結局、ここなんだな……」


「……ええ、まさか戻って来るとは思いませんでした」


 アクシズ教徒達からの逃走劇を終え、腰に効く温泉を探していた俺たちだったが、その途中にある事を知った。

 この街の中には、同じ効能を持つ温泉がないらしい。

 こんなに近くにいくつも温泉があるのに、本当なのかと疑ってしまうところもあるが、異世界の温泉の仕組みはまだ理解しきっていないのでそこには口出ししない。

 が、困った事に、腰に効く温泉を聞き込みで探していたところ、これも本当に一つしかないことがわかった。

 しかもその一つしかない腰に効く温泉というのが、俺たちが探し出した宿についている温泉だったのである。

 なんという偶然、なんという運命の悪戯。

 俺たちの逃走劇はただの無駄足だったのかと思いたくなるような出来事だったが、今更嘆いても仕方がないので大人しく入る事にした。


 受付を済まし、荷物を持って浴場を目指すと、たどり着いた先にあったものを見て、俺たちは立ち止まる。


 そこにはなんと、三つの入り口が並んでいるのだ。

 一つはもちろん、青い暖簾に『男』と書かれた男湯の入り口。

 もう一つはもちろん、赤い暖簾に『女』と書かれた女湯の入り口である。

 そして、その間に位置する、元の世界ですらエロ同人でしか見たことがないようなもの。

 それこそが、俺たちが立ち止まった理由。

 そこにはなんと、『混浴』と書かれた暖簾がかかっている扉があるのである。


 実際、期待はしていたし、この街の奴らならやりかねないと思ってはいたが、実際に目にしてみると人間はこういう反応をしてしまうのだろうか。


 しかし、既に予想済みだった俺は、めぐみんより早く正気に戻る。


「……よし、決まったな」


 そんな俺の一言にめぐみんも正気に戻り、俺同様声を発する。


「ええ、そうですね」


 そしてその言葉を仕切りに、俺たちはまた歩き出す。

 タッタッタッとスリッパの音を立てながら歩き、その扉との距離が手で届く範囲になった時。


「……おい、何をしようとしてるのか聞こうじゃないか」


「……お前こそ、その手はなんだよ」


 互いに手にとる扉の取っ手が違った事により、生じる衝突。

 だが、これは譲れない。

 男にとって混浴とは、ロマンであり、生き様であり、また、一生に一度か否かの夢でもあるのだから。


「なんですか。紅魔の里ではあんなこと言っておいて、あんな事やっといて、早速浮気ですか!」


「違うわっ!お前と一緒に入るつもりだったんだよ!」


「〜〜〜ッ!」


 俺の言葉に赤くなり、少し黙っためぐみんに勝ちを思わせられたが、なおもめぐみんは俺に続ける。


「で、ですが、他の男がいるかもしれないじゃないですか!」


「安心しろ!こういう事に関する俺の運は、エリス様の後ろ盾があるからな!」


「なっ……何を根拠にそんな事を!

 そういう過信のせいで、いつもアクアに借金を作られるんですよ!」


「そっ、それとこれとは関係ないだろ!

 なんだったら、勝負してみるか?」


「……いいでしょう、受けて立ちますよ!」


 俺の挑発に、めぐみんは目を真っ赤にして答える。


「俺が勝ったら、お前も俺と一緒に混浴な!

 お前が勝ったら、女湯でも男湯でも好きな方に入れ!」


「男湯になんて入るわけないでしょう!」


 こうして、入口の前での戦の火蓋は切って落とされた。






 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー






「くっ……。カズマにジャンケンで挑んだ私がバカでした」


 そう呟くのは、俺の横で湯船に浸かっているめぐみんだ。


「いや、でも俺相手に一対一であいこになるなんて、まだ良い方だぞ?

 ひさびさにヒヤヒヤしたよ」


「何ですかそれは、嫌味ですか?」


 先ほど行った、入口の前でのジャンケン対決。

 何と、俺があいこになったのだ。

 産まれてこのかた、どんな人数相手でも一回で勝ってきた俺にとっては、これほどヒヤヒヤする事はなかった。


 だが、俺のそんな思いにも気付かずにブツブツ言っているめぐみんに、俺は言葉を続ける。


「まあ、言った通りほかに男はいなかったんだし、良いじゃないか」


「……まあ、それはそうなんですが」


 それでもなお、めぐみんの機嫌は悪い。

 だが、俺にとっても今の状況は特別良いものではない。

 いや、めぐみんと混浴に入れているだけまだ良いのだが、これは既に前に経験済みであり、当初望んでいた利益を得られていないのだ。


 ーーそう、女性もいないのだ。


 言ってみれば、俺とめぐみんの貸切状態。

 喜ぶべきことではあり、実際そこに喜びを感じてはいるのだが、虚しい思いもしている事は確かである。


 そうすると、人には鬱憤というものがたまるのである。

 そしてそれは時に、何かの原動力となる。

 すると俺のそれは、喜びも相まって、もう言うまでもなく、とある方向に発揮されたのである。


「……なんか、凄くムラムラしてきた」


「えっ⁉︎」


 めぐみんは驚きの声を上げ、一旦俺の顔を見た後、徐々に視線を下げ、俺の下腹部を見つめる。


「なっ、何をおったててるんですか⁉︎」


「ナニをだよ?」


「そ、そう言う事を聞いてるのではありません!」


 いやまあ、分かってはいるのだが。

 でも、そうなってしまったものは仕方がない。

 生理現象だ。

 もう諦めてもらうしかない。


「えっちょっ、ここでするつもりですか⁉︎」


「そうだよ?」


「ひ、人が来たらどうするんですか⁉︎」


 めぐみんは慌てているが、突然のことに弱い性格のせいで、ちゃんと抵抗しきれていない。


「どうせ来ないって。

 来たとしても、俺には敵感知スキルもあるし潜伏スキルもあるし、何とかなるだろ」


「〜〜〜ッ!ーーッッ!」


 俺の言葉に、頭では納得してしまったのか。

 言葉のない、表情と行動だけでの抵抗が続く。


「それに、アクアもダクネスもいないから条件も満たしてるじゃないか」


「ーーーッッッッ!」


 これは屋敷でするときの条件だったはずなのだが、本当に押しに弱いのか、全く整理しきれてない。

 そしてとうとう観念したのか、抵抗をやめ、頬を赤くして俺に言う。


「……しょ、しょうがないですね。

 ですが、一回だけですよ?」


 よっし!!!!

 心の中でガッツポーズをして、俺はめぐみんに覆い被さる。

 すると、もう諦めたかのようにしょうがなさそうに目を閉じる。

 そして、キスを待っているかのように口を出す。


 その唇に唇で触れようとした、その瞬間。


 ガラッ‼︎


 扉が開く音がして、慌ててめぐみんを隠しながらそちらを見ると。


「えっ、カ、カズマさんとめぐみんさん⁉︎」


 そこには、脱衣所から姿を見せるウィズがいて。


「す、すいませ」


「どうぞお構いなく」


「「えっ」」


 めぐみんとウィズの声が重なるが、俺には聞こえない。


「いえ、でも……」


「お構いなく」


 俺の言葉に、ウィズが一歩後ずさる。

 それと同時に、めぐみんには無い、とある部分が大きく揺れる。


「で、ですが……」


「いえ、お構いなぐあっ⁉︎」


 同じやり取りを3回もされたら、流石に頭を整理できたのか。

 俺の腹部には綺麗な膝蹴りが入り、意識はそこで途絶えた。






 







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