ゆかりさんの事情
ポムサイ
第1話 背に腹は代えられぬ
不幸というか災難というか、悪い事は常に団体様でお越しになる。
大した不幸も幸福もなく淡々と過ごしてきた俺の人生はある意味順調と言っても過言ではなかろう。それが一変したのは一昨日の午前10時を少し回った頃だった。
2月の割には暖かいこの日、俺は大学のキャンパス内にあるカフェにいた。就職も決まり卒業に必要な単位も取得して、暇潰しに出ても出なくても良いような講座を受けに来たのだ。
程なくしてカフェの外を友人の福田が通りがかった。俺に気付いたらしく笑顔になった矢先、はっとした表情になり出来上がった顔は口の端だけ上がり眉間にしわの寄った奇妙な笑顔モドキだった。何だその顔はと独り言を呟いている間に福田はカフェに入って来て俺の向かいの席に座りブレンドを注文する。もう先程の顔ではないが、やはりいつもの福田ではない。
「どうしたんだよ微妙な顔して。俺に霊でも憑いてのるか?」
表情の硬い福田に俺は冗談めかして話しかけた。しかし福田の態度は変わらないまま口を開いた。
「大変だな。大丈夫か?」
「何がだよ。」
「まさか知らないのか?今朝からテレビでそのニュースばっかりやってるぞ。」
そう言うと福田はスマホを取り出し何やら操作し、こちらに画面を向けた。そこには、スーツ姿のおじさん達がカメラのフラッシュの雨霰を浴びせられていた。数人のハゲ頭の照り返しが滑稽だな…などと思った次の瞬間、俺は愕然とした。
「なんだよ…これ…」
画面右上に経営破綻の文字と俺が内定をもらった会社名。顔から血の気が引く音が聞こえたような気がした。真ん中のハゲが泣きながら喚いていたが内容は全く入って来なかった。福田はスマホをポケットにしまい、咳払いを一つすると抑えた声で言った。
「おまえ、これからどうするんだ?力になってやりたいけど俺は卒業すら危ない身だからな~。」
どうするんだと言われてもあてなどあるわけもなく呆然としていると俺のスマホが鳴った。彼女の梨香からのSNS のメッセージだ。
“私やっぱり遠距離には堪えられそうにないかも…終わりにしようと思います。今までありがとう。元気でね、さようなら”
昨日まで卒業したら遠距離になるけどお互い頑張ろうねと言ってくれていたのに何故急に…とは思わない…理由は明らかだ。今から就職活動したところでたかが知れている。将来性を失った俺を梨香は要らないらしい。不思議と悲しくなかったのは起こっている現実をまだ受け止められていないからだろう。
「梨香が別れようってさ。」
「…あっ。俺これから講義あるから!!」
福田はこの空気に耐えられなくなったのか運ばれてきたブレンドを一口も飲まずに席を立った。
「とにかく、あれだ…えーと…頑張れ!!」
「…おう…。」
無理やり捻り出した福田の言葉にそれ以上に捻り出した俺の「おう」で答えたが、どう頑張って良いのか検討もつかない。
その後、なかなか繋がらなかった会社に問い合わせをし、どうにもならないという事が判った。救済処置はないが少しばかりの謝罪の意味のお金が貰えるとのこと…。思い切り文句を言ってやろうと思っていたのに電話の向こうの疲れきった女性の声を聞いているうちに、この人の方が大変で可哀想なのではないか…と思ってしまい何も言えなかった。
「親に何て言おうか…」
と呟いてみて、あれ?と思う。
もちろん親も俺の就職先は知っている。これだけテレビでやっているのに何の連絡もない。心配して電話でもかけてきても良いだろうに。とにかく親には報告と相談をしなければならないし、知り合いに就職先を紹介して貰えるかもしれない。そんな淡い期待も持ちつつ母親静枝(しずえ)の携帯に電話をかけてみる。5回目のコールの後、
“もしもし、ちょうど電話しようと思ってたのよ”
母親の声は慌てるでもないがいつもと調子が違う。
「あのさ。もう知ってると思うけど…」
“お父さんと別れる事にしたから”
俺が話し始めたのを遮るように母親が衝撃の一言を発した。どうした静枝、俺の話を聞け。しかし静枝は止まらない。
“お父さんインドネシアへ転勤の話があって私に一言も相談なしに受けちゃったのよ。しかも一緒に行く事前提で!!私の仕事とかこっちでの付き合いとか何にも考えてないんだから。そう言ったら女は男についてくるもんだろう!!とか怒り出しちゃって、分かってはいたけどこういう人だったんだ…って再認識したらもうやっていけないと思っちゃって…。あっ、でもその場の勢いで離婚するって言ってるんじゃないわよ。その後、落ち着いて冷静に話し合った結果、離婚する事にしたの。あなたも社会人になるし、子育ても終わってお互いの人生をそれぞれ自由に楽しもうってね。そう言う訳だからよろしくね。”
ほぼ一呼吸で言い切った静枝は思い出したように聞いてきた。
“…で、あなたの用は何なの?”
言いづらい。離婚の話し合いでニュースなど観ていないのだろう。しかし、話すしかないだろう。意を決して口を開いた。
「離婚の話はわかった。二人が決めたなら仕方がない。…で、こっちの話なんだけど就職ダメになっちゃってさ…会社が潰れちゃって…母さんのツテでどこか就職先ないかな?」
話してる間、電話の向こうから“えっ!?”とか“何ですって!!”とか要らぬ合いの手が入ってきたが報告は済んだ。
“酷い会社ね。分かった。何とか探してみるわ。…でも、あまり期待しないでね。時期が時期だし、時代が時代だしね。あなたはあなたで探しなさい。”
何の解決にもならないが話した事と探してくれると言ってくれて少し前に進んだ気がして気持ちが少し軽くなった。
「あっ。父さんには…」
“あなたから電話しといて”
俺の不幸をきっかけに両親を元の鞘にとも思ったが被せ気味にあしらわれてしまった。
その後、父親貴仁(たかひと)に電話したがやはり母と同じような結果だった。インドネシアに行く準備の大変さやら母への愚痴やらを一通り聞いた後電話を切った。
疲れきってアパートに帰り今日はカフェでコーヒーを飲んだ以外何も口にしていない事に気づいた。空腹感はないが何か食べた方が良いと思い冷蔵庫を開けた。料理をする気にはなれず、そのまま食べられる魚肉ソーセージとチクワを取り出し、両方とも同じような原材料だな…などと思いながらベッド横になりながらかじった。不安で眠れないかと思ったが睡魔はその心配が馬鹿馬鹿しいほど早く重くのし掛かってきた。
ここまでが一昨日の話だ。職を失い(実際にはまだ働いてはいなかったが)、恋人にふられ、両親が離婚するという人生最悪の日が終わった。
翌日、つまり昨日の事だが目覚めると目の前に魚肉ソーセージが転がっていた。どうやら食べながら寝てしまったらしい。魚肉ソーセージと添い寝とは人類史上そう何人もいないだろう。くだらない事だがそう考えたら自分が少し特別な存在で何か出来そうな気がしてきた。とりあえず、シャワーを浴び身支度を整え、学生課と職安と求人雑誌のお世話になる一日と決めドアを開けた。
朝の気持ちはどこへやら、帰り道、今俺は猛烈に落ち込んでいる。分かってはいた。分かってはいたのだが落ち込んでいる。この時期に就職などない。バイトで食い繋いで行く覚悟を決めなくてはならない。貯金などほとんどないし、潰れた会社から貰える金も大した額ではない。両親も新しい生活の為に何かと物要りだろうから当てには出来ない。ないない尽くしでますます落ち込む。考えてみたら今住んでるアパートも更新していない。慌てて不動産屋に電話して更新を願い出てみるが、回答はもう次に入る人が決定しているらしく断られてしまった。大学の紹介で借りた部屋だから仕方がない。次に入るのも同じ大学の新一年生だろう。俺が住んでいたという事で縁起の悪い部屋と噂されたりはしないだろうか?すまぬ…見知らぬ新一年生よ。ともあれ、住む所も失ってしまう訳だ。いよいよ追い込まれたな~と足を止め深いため息をついた。気が付けば大学とアパートの中間程の住宅街だった。ふと目の前の一軒家の貼り紙に俺は釘付けになった。
『入居者募集、家賃無料、仕事有り月収25万円、面接あり 連絡先090-××××-××××榎木まで』
怪しい、こんなうまい話がある訳がない。きっと怖いお兄さんにこの国ではやってはいけない事をやらされるに違いない。でも…でもだ。今の俺には悪魔の囁きか神の救いかに賭けてみたい気持ちがあった。気が付けば貼り紙にある電話番号にかけている俺がいた。
一夜明けて今日となった。昨日かけた電話に出たのは若い女性だった。仕事の内容を聞いてみたのだが、詳しくは面接でと言われてしまい時間を指定された。
場所はあの一軒家、時間は午後4時半。特に持ってこいとは言われなかったが履歴書を用意しスーツを着た。でも靴はスニーカーにした、もし怪しい仕事だったり怖いお兄さんだったらダッシュで逃げられるようにだ。そこまで考えておいても行かないという選択肢は俺にはなかった。賭けると決めたのだ。失うものなど何も…いや、あまりないのだから。
4時半まで後10分、俺はもうあの一軒家の前にいた。
貼り紙はもうない。俺が面接を受けるから剥がしたのだろうか?少し気味悪さも感じながらチャイムを鳴らす。どこにでもある音が鳴り、二呼吸つくかつかないか程で玄関のドアが開いた。出るか怖いお兄さん!と身構えたが、現れたのは10代半ばか後半位の女性…と言うか少女だった。ニコニコと笑いながら
「面接の方ですね。どうぞ。」
と良く通る明るい声で俺を招き入れた。
この声には聞き覚えがある。電話の女性の声だ。この子が面接官?まさか…と考えつつ、まだ怖いお兄さんの登場にも警戒しながら玄関にスニーカーを揃え少女の後に続いた。
家の中はごく普通の家だった。築年数は20年位だろうか、家具も揃っていたし今も家族が住んでいるのではないかと思える。少女にリビングに通されると、一人の女性がソファーに座っていた。俺と同じ20代前半だろうか、色が白く肩甲骨あたりまで伸びた黒髪が美しい。100人いたら98人は美人だと答えるだろう。女性は微笑むと俺にテーブル向かいのソファーに座るように促した。
俺はソファーに座り「よろしくお願いします。」と言ったが、座る前に言うのが面接の常識だった事を思いだし後悔した。先程案内してくれた少女がコーヒーを持ってきた後、女性の隣に座った。最初に口を開いたのは少女だった。
「今日は来てくれてありがとうございます。榎木小百合(えのき さゆり)です。こっちが姉の由佳理(ゆかり)です。」
やはりこの少女が面接官なのか。よろしくお願いしますと俺は履歴書を小百合に渡した。
「履歴書持ってきてくれたんですね。マジメですね。」
何だかバカにされているような気もするがここは良しとしよう。何故なら怖いお兄さんは出て来なそうだから…。
俺の渡した履歴書を小百合はさらりと見ただけでテーブルに置いてしまった。ダメなのかな俺…?と思った矢先
「採用です。」
と小百合はニコリと俺を見ながら告げた。
「採用…ですか?」
「はい。採用です。」
不安気に聞く俺に小百合ははっきりしっかりと答えた。
「何故ですか?」
「?採用されたくなかったですか?」
「いえ。大変ありがたいんですが、こうあっさりと採用って言われると誰でも良かったのかな~とか…。あっ!!それとまだ仕事の内容とかも聞いてないですし…。」
焦る俺を見て由佳理がクスリと笑い、小百合に話しかける。
「小百合、突然採用はビックリするよ。ちゃんと説明しなきゃ。それに受けて貰えるかどうかも分からないし…」
見た目からはイメージの違う少しハスキーがかった声だがそれが耳に心地よい。
「そうですよ。お姉さんの言う通りです。説明お願いします。」
俺がそう言うと二人が驚いた表情でこちらを同時に見た。俺何かまずい事でも言ったかな?少し馴れ馴れしかったかもと反省していると小百合が大声で叫んだ。
「大採用!!!!」
採用に大も小もあるかと思いつつ、
「だから、何で…」
言いかけた時、小百合は続けた。
「だって、お姉ちゃんが見えるんでしょ?声も聞こえるんでしょ?」
興奮気味にまくし立てる小百合は更に続ける。
「お姉ちゃんを探すのが仕事です。よろしくお願いします。」
深々と下げられた小百合の後頭部を見ながら混乱する頭の中身を整理している。由佳理は、はにかみながら軽く頭を下げた。その仕草と表情が可愛らしく、結果、俺は仕事を受ける事になる。
木島慶二(きじま けいじ)22才。就職決まりました。仕事内容はまだ詳しくは分かりませんが、どうやら幽霊の手伝いみたいなものらしいです。
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