5. 海に溶けゆく太陽を
「私も君と一緒のセミナーに通おうかな、と君は言ったんだ。そのときに僕は確信した。君は超記憶術セミナーの関係者だってね」
太陽は一層強くビーチを照らしつける。目の前に広がる海は先ほど同様、きらきらと陽を浴びて輝き続けている。一瞬で消える儚い光の連続で、それは記憶の中にある、良い思い出の一つ一つのように美しかった。
話を聞き終えると、「結構うまくやれている自身があったんだけどな」と悪びれる様子もなく、シャーリーは言うのだった。
「それからも少しずつ君が何のために僕に近づいてきたのかを探ってみたんだ。君には悪いなとは思いつつね」
「恐れ入ります」とシャーリーは大げさなお辞儀をした。
「超記憶術の可能性と、その弊害に関する研究」と僕は言った。それは僕がインターネット上の論文検索サイト上で見つけたシャーリーの研究題目だった。
「完敗だね」とシャーリーは言った。「やはり君は私が見込んだだけの人間だった」
論文の概要はこのような感じだ。超記憶術を習得することで人は鋭敏な感覚を持つようになる。この鋭敏な感覚により心的外傷を負いやすくなるが、この心的外傷は悪い側面だけではなく、良い側面があることがわかった。それは映画『レインマン』に登場したようなサヴァン症候群の人間を人工的に生み出せる可能性があるということだ。
その後、被験者Aに関する研究記録が残っていた。恋人を事故で失った被験者は、その後、株価の変動を何日も観測し続けてから実際にトレードを行った。彼の予測の大多数は正しく、結果原資を200倍まで増やすことができた。
そして、もちろん論文の中に登場する被験者Aというのは僕のことだった。
「君は、僕のことを研究材料として見ていたんだね」
「半分は」とシャーリーは言った。「でもね、それだけではないの。君には話しておかなければならないことがたくさんある。私は、このタイミングをずっと待っていたんだ」
まるで別人に出もなったかのように、シャーリーの表情は険しかった。あの陽気で器量が良いだけが取り柄の娘が隠していた聡明さに、僕は気圧されていた。一瞬の沈黙が、永遠のように長く感じられた。太陽が海に溶け出していくかのような錯覚があった。現実が崩壊していくような不思議な浮揚感だった。
しかしそれは僕の心的な問題ではなかった。実際に、太陽は海に溶け出していた。海を光らせているのは並に乱反射する陽の光ではなく、海に落ちた太陽が放つ陽光そのものだった。いや、本当にそれが太陽の光なのかはわからない。空にはもう一つの太陽があって、相変わらず僕らを照らし続けていた。
「どういうことだ」と僕はシャーリーを問いただした。
「これはまずいことになった。奴らに感づかれたのかもしれない。とりあえず逃げましょう」そう言って、シャーリーは僕の手を取り、走り出した。足の裏が火傷するほど暑かったし、ゴツゴツと硬いものを踏んでいて、出血したような感覚もあったけれど、走るのを止めてはならないと本能的に理解できた。
「ちょっと待ってくれ。奴らって誰なんだよ」切れ切れの声で、僕は叫んだ。
「今は詳しく説明している時間はないの。でもとても危険な奴ら。私たちはデストラーデと呼んでいるわ。とりあえず今は振り返らずに走って。あの林までたどり着ければ、空からは追いかけてくることはできないはずだから」
そうシャーリー言ったそばから僕は振り返った。見えたのは海面すれすれのところを僕らめがけて飛行してくるアダムスキー型のUFOだった。小さい頃にテレビや雑誌でよく見かけたような銀色でお椀型のUFOだ。その距離は無慈悲なほどの速さで詰まっていき、そして僕らはその影に覆われる。
「助けに行くから、絶対に私のことを忘れないで」とシャーリーの叫び声がした。
明日が地面から離れて、体が宙に浮かび上がる。体のコントロールがきかない中で、僕らはつないだ手を引き合って、体を抱き寄せあった。もつれ合うようにしながら、ゆっくりとUFOの腹にすこまれていく。真っ暗で視界がなくなった。
「良い。何があっても私のことだけは忘れないで。必ず助け出すから」耳元でシャーリーが囁くように言った。それが最後の最後の声だった。
意識が遠のいていくのがわかった。強く抱きしめていようと思っていたシャーリーの身体が、するりと僕の腕から抜けていった。力が入らなかった。
遠くから男の声が聞こえていくる。朦朧とした中で聞いているその声は、最初どこの国のものともわからない、不思議な響きだったが、次第にそれが日本語であるとわかってくる。身体に力が戻り、意識がはっきりしてきた。
そこは見覚えがある場所で、僕はパイプ椅子に座っていた。そして僕の目の前には、スーツ姿の初老の白人が一人立っていて、僕のことをじっと見ていた。
「さて、準備はよろしいかな」と男は僕に言った。
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