猫とカレーライス

@TEL3

猫とカレーライス

一緒にシャワー入ろうって約束したのに、戻ってくると勇人はいびきを立てて眠っていた。

「風邪ひくよ」

どうせ起きないだろうなと思いながら、ベッドの足元に落ちているタオルケットをかけた。瞼が少し動いたけど、やっぱり起きない。

 さっきまで真剣な顔つきだったのに、今はあどけない。少し厚めの瞼と長い睫毛、先端がつんと向いている鼻と強情そうな口元へと顔全体を眺めていると、髪の水滴がぽたっと鼻の横に落ちた。起こさないようにそうっと指ですくって、ドライヤーをかけようと洗面台へ戻った。

 化粧水と乳液で顔を光らせながら部屋に戻ると、勇人のいびきは止んでいた。ふと栗の木の匂いがして、窓を少しだけ開ける。夜露で濡れた空気が柔らかく肺をすすぐ。

 ちょっとお腹すいた。そういえばコンビニ行こうって言ってたのに。

 もう一度勇人を見るけど、起きる気配は全然ない。ベッドの横のローテーブルに置いてある携帯電話と鍵と長財布を持ってマンションを出た。

「あ、こんばんわ」

 玄関を開けた途端に話しかけられた。お隣に住む男性だった。

「あ、どうも、こんばんわ」

 入れ違いだったのか、おとなりさんは自分の部屋へと入っていった。それを見届けながら、おとなりさんが乗っていたであろうエレベーターに乗り込んだ。

 毎晩遅く帰ってきて疲れているはずなのに、いつもあの人は愛想がいい。確か奥さんと二人暮らしだったはず。なんてことを考えながら一階へ近づく階数表示を眺めて、勇人と暮らすことはないんだろうなと思った。

 エレベーターのドアが開いて大理石のエントランスホールを抜けると、アスファルトの匂いがした。よく見ると黒く濡れている。

 戻ってくる時に降らないで欲しいな。そう思うと出来るだけ近いコンビニへと足が向いた。徒歩一分もかからない距離。さっき勇人のマンションへ行く前に一緒に買い物をしたコンビニ。缶ビールとコンドームとお菓子を同じカゴに入れるのはまだ抵抗があったけど、勇人は全然気にする様子なんてなかった。

「いらっしゃいませー」

 店内に入ると聞き慣れたポップスが流れていた。若い男の店員が明日発売予定の雑誌をひもから解いている最中だったから、立ち読みは諦めてお菓子コーナーから見ることにした。

「あ」と思わず声が出た。

 そうだ、お菓子ならさっき買ってるわ。抹茶とチョコのクッキーと塩キャラメル味のプレッツェル。最近ハマって、職場でも食べているアレ。

 でも、と思う。今はお菓子っていう気分じゃない。深夜に食べるのはよくないと思うけど、お弁当かカップ麺でもいい感じ。

 お菓子コーナーからお弁当コーナーに移動して、がっかりした。ちょうど商品補充の切れ間のタイミングで来てしまったのか、棚にはのり弁とカレー弁当だけ。どちらも嫌いじゃない。嫌いじゃないけど、もう少し迷いたい。

 カップ麺のコーナーへ動く。種類は豊富だけど、買って帰ってお湯を湧かして、って一連の動作を思い浮かべると面倒な気分。結局、カップ麺コーナーをぐるっと半周して裏手の冷蔵庫からジンジャーエールのペットボトルを引き抜いたまま、お弁当コーナーに戻ってきた。

 カレーは家でも作れるけど、のり弁に入っている磯辺揚げや白身魚フライは作れない。でも揚げ物が多いのは嫌だ。じゃあカレーかな。でも匂いで勇人起きるかな。明日は何食べに行くんだろう。そういえば、冷蔵庫に野菜入ってた。自炊しないのに、ラップに包まれた胡瓜とキャベツが入っていた。その横にはそれで作ったのか、ごま油と塩昆布で和えたサラダがあった。

 あの部屋のキッチンで料理をする誰かを想像して、それが自分じゃないことを呆れるほど無抵抗に受け入れて、だけどどこかで期待していた。

 もう潮時なのかもしれない、と思った途端ポケットの携帯電話が震えた。

「もしもし」

 勇人だった。少し不機嫌そうに聞こえるのは寝起きだからだろうか。

「うん」

「どこいるの」

「コンビニ」

「そうなんだ。起きたらいないから帰ったのかと思ったよ」

 なんてない一言でも、その裏を見ようとしてしまう。勘ぐってしまう。表さえ見えていないのに。

「何買うの」

「ジンジャーエールと何か弁当」

「俺も食べたいな。何あるの」

「のり弁とカレー」

「それだけ?」

「それだけ」

「なんだかな、どうすっかな」

 居酒屋のお通しみたいなサラダには、どっちも合わないもんね。胸の中で呟いた。それすら作れない、いや、それすらあそこで作れない自分は何も言えないんだけど。

「じゃあカレーで」

「わかった」

「それとお茶買ってきて」

「わかった」

「ありがとうね」

 電話が切れた。カレーとのり弁、お茶のペットボトルを抱えてレジまで歩く。雑誌コーナーにいた店員が無表情でレジに入る。勇人は愛してるって言わない。冗談混じりでも言わない。分かってるはずなのに。分かっていたはずだけど。

「お弁当温めますか?」と店員が尋ねた。

「いいです」と首を横に振る。

 これであの部屋で温めるまでの数分間を一緒に過ごせる、なんて思いながら、ビニール袋に詰め込む店員の手つきを眺めていた。

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