第十五章 魔力革命(アクリル時代:西暦1765年~1805年)
疫病によって崩壊した魔族社会が復興するまでにはおよそ80年の歳月を要した。第一次大戦時の三度目のコロンブス侵攻における人族の脅威によって結ばれた二大国の停戦協定は80年間更新され続けた。二大国が興って以来80年もの長期に渡る平和は始めてだった。戦う相手が同族から疫病に変わっただけではあるが、少なくとも魔族同士の殺し合いはなかった。二国間の魔族に刷り込まれていた「隙を見せれば攻め込まれる」という強迫観念はこの平和によって薄れ、否定された。対立が消えたわけではないが、対立を煽る事はなくなった。
魔力革命の話の前に、その背景について幾つかの小話を交えて述べておく。
第一次大戦終結以来、アメリカ大陸には散発的に人族の異端者達が密航してくるようになっていた。本国で魔女の嫌疑をかけられた薬師や、探求熱心であった錬金術師達が異端狩りの脅威から逃れてきたのである。彼らは悪魔との交渉を許容した。密航船は最初は交渉の余地なく沈められていたが、1525年に錬金術師ヨハン・ゲオルグ・ファウストが全裸で密航船から真冬の海に飛び込み、非武装・無抵抗を全身で主張する事によって上陸に成功した。錬金術師ファウストが球体技師メフィストフェレスとの間で銃の秘密と球体魔法の秘密を交換する契約を交わしてからは人族の有用性(利用価値)が認められ、厳しい検査を通れば上陸を許されるようになった。銃の仕組みが判明すると四響打の「硬化」を応用した新しい物理防御魔法が何十種類も考案され、第二次世界大戦中期に77mm速射砲が開発されるまでの間、人族の銃撃をほぼ無意味にした。
銃の解明と再現に成功した功績によりアステカ国主席球体技師となったメフィストフェレスは、その名誉ある立場と名声を失う危険を厭わず人族であるファウストをいつでも強く擁護した。1560年に共同実験の失敗により爆死するまで二人は終生の友人であった。
人族の異端者達は人族国家の作物や家畜、文化を持ち込み、同時に伝えられた数々の技術は主に「真球術」「錬透術」として昇華され魔族の技術に組み込まれた。「真球術」は完全な球体作成を目指す技術体系であり、「錬透術」は完全に透明な物質作成を目指す技術体系である。昔からあった学問であるが、人族の技術との融合により多様化し洗練された。どちらも成功する事はなかったが、研究の副産物として様々な物が発見された。政府は疫病対策に力を入れ、医療技術も長足の進歩を遂げた。研究と発明の時代であった。
例えばマヤ国ウィスコンシン州のトーヤラケット(1598~1626)は優れた錬透術師であった。彼は魔力こそが完全に透明な物質であると考え、魔力を物質化させようとした。トーヤラケットはこの世に存在する目に見える物質を全て分解する事で、最後に残る物が魔力だと信じた。人族の錬金術師の影響を受け金属に着目したトーヤラケットは水銀を魔法的に分解しようとした。そしてそれは一部成功した。水銀は周期表で80番目の元素であり、金は79番目の元素である。トーヤラケットの魔法は水銀の陽子と中性子の一部を弾き飛ばし、ごく微量ではあるが水銀を金に変えた。図らずもトーヤラケットは錬金術を実現したのである。しかしトーヤラケットは錬金の三日後、全身の細胞を壊死させ悶え苦しみながら死んだ。錬金の際に生じる多量の放射線を浴びたためであった。
トーヤラケットだけでなく多くの研究者が危険な実験を繰り返し、偉大な業績を残すと同時に貴重な才能が多く失われた。
一方で研究成果を偽る詐欺師も多く現れた。ファン・マトゥス(本名不詳、1630?~1669)は当時の詐欺師の中でもとりわけ有名である。ファン・マトゥスは「透明化魔法」を発明したと主張し、金持ちにその響打法を高値で公開すると持ちかけた。ファン・マトゥスは巧みな詐術で大金をせしめるとすぐさま雲隠れした。彼が生涯にだまし取った金額は現代の日本円にして約六百億円であった。大陸各地で七十五件の詐欺と二件の窃盗を行ったファン・マトゥスは大陸中の金持ちの目の敵にされ、1669年にとうとうリオデジャネイロ州で捕まった。処刑前に盗んだ財宝の在り処を聞かれたファン・マトゥスは「ロンドンだ、ロンドンにある、本当だ」と繰り返した。処刑人はロンドンという都市名を知らなかったため、いい加減な地名をあげて誤魔化そうとしていると思い、ファン・マトゥスの首を落とした。なお、1818年にロンドン郊外テムズ川の河口で河川工事をしていた男性が厳重に密封された宝箱をいくつも発見している。財宝と共に中に残された手紙と大量の酔い止め薬注文書から、ファン・マトゥスが人族の密航船で宝を先にロンドンに送り、後から自分もロンドンに高飛びするつもりであった事が分かっている。
さて。
1765年、ミスカトニック大学錬透学部のウェスト教授が偶然アクリルを作成した。ウェスト教授はこれこそが自らの研究の集大成だと主張したが、彼の脈絡の無い当てずっぽうの実験は何度も危険な事故を起こし大学追放寸前であった。そのためアクリル発明の業績で彼は一躍時の人となったが、同僚の目は冷たかった。
発明されたアクリルはガラスより軽く、割れにくく、透明だった。響打数は42響打から50響打へ増加し、これが魔力革命を起こした。
1769年に発明された49響打の「吸引」は、周囲の物質から魔力を吸引する事ができた。しかも消費した魔力に対し100%以上の魔力を回収した。つまり、「吸引」を発動させると魔力が消費されるどころか充填されたのである。加えて「吸引」は連環魔法であった。連環魔法とは、一度発動すると球体内部の魔力を使い尽くすまで効果を継続させる魔法である(「結界」など)。一度「吸引」を使えば、球体内に限界まで魔力が充填されるか、周囲の魔力が枯渇するかするまで「吸引」は持続した。
「吸引」の登場まで、一般家庭の魔族は夜に屋根や庭に球体を並べ魔力を補充し、明け方に屋内に回収するという単純だが手間のかかる労働に囚われていた。「吸引」は魔族をその労働から解放した。十年ほどで「吸引」は大人ならば覚えていて当然の響打法として広まり、昼間でも夜間に地面や木、壁、動物たちが蓄えていた魔力を吸い出して球体に補充できるようになった。
魔族は昼間も活動するようになった。それまで変人の奇抜な装飾品であったサングラスが脚光を浴び、子供の昼間外出が問題になった。
魔族が一日に消費する魔力量は爆発的に増えた。「吸引」発明から十年で九倍にもなったと言われている。ありあまる魔力は産業を活性化させ、湯水のように魔力を使い派手な魔法を披露するサーカスが雨後の筍のように次々と現れた。
景気は天井知らずに上がるかと思われたが、1790年代から歯止めがかかった。魔力は無限のエネルギーではない。大都市の住宅街などの人口密集地では魔力の枯渇が問題になっていた。限られた狭い土地で大人数が「吸引」を使えば、一晩の内にその地域に蓄えられた魔力は根こそぎなくなってしまうのだ(貯蓄魔力量は基本的に質量に比例するため、空気からの吸引魔力量は微々たるものであった)。特に大都市では魔力消費が激しかったため、魔力枯渇問題が表面化すると土地の奪い合いが起きた。地価は急上昇し、邸宅は高い柵で囲まれ自分の土地に誰かが侵入して魔力を盗んでいかないよう目を光らせた。
土地の奪い合いと魔力泥棒への個人的制裁は大きな問題になった。政府はこれに土地所有権の厳格化と侵入罪の厳罰化、公共の土地での「吸引」禁止(後に公共施設では常に公僕が「吸引」を限界まで行い魔力を枯渇させておく事でそもそも奪い合いが起きないようにされた)などにより対処した。しかし魔力を巡る諍いはなかなか収まらなかった。
「吸引」問題の根本的解決策として、1801年に法学者テフィニアム・ヒニエは「独立組織による魔力の管理」を提唱した。込み入った話になるので要点だけを述べれば、ある一つの組織が一度土地の魔力を全て一括して吸引・集積し、それを公平に分配するべきである、という理論であった。この考えは「吸引」騒動の煽りを食った貧困層や没落した人々に支持されたが、自分のライフラインを他者に管理させるという考え方に危機感を持つ人々の方が多数派であり、あまり注目されなかった。問題が再燃するのは1840年頃にこの理論が共産主義と結びついてからである。
マルクスが有名な共産党宣言を出版する前に、世界は二度目の大戦を迎える。
次の章では、史上最も多くの死者を出した戦争である第二次世界大戦について見ていこう。
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