第四章 喋らない言葉(190~7万年前)
長い氷期が終わり温暖化すると、森は広がり生き物は増え、食糧が容易に手に入るようになり、栄養事情が改善した。それは食糧によって生存に必要なエネルギーを完全に賄えるほどで、余った魔力を生存のためだけでなく、別のモノに消費する余裕ができた。
魔力消費の矛先として生まれたのがテレパシー、魔族が獲得した第二の魔力消費法である。
この頃の魔族はマレフィカ・エストメンティス(思念の魔法使い)という。エストメンティスの頭蓋骨の内部には後頭部付近に蜘蛛の巣のような形をした骨がくっついている。この蜘蛛の巣の形をした骨が「
エストメンティスは言語こそ持っていなかったが、鳴き声による意思疎通は行う事ができた。なぜテレパシーという二つ目の意思疎通手段を獲得したかと言えば、利便性が高かったからである。
まず、テレパシーは音より距離の制約が緩い。現代の魔族は出力を上げれば(大声を出せば)3km前後はテレパシーを届けられる。エストメンティスの未発達な網骨でも1km程度の距離での送受信は可能である。また、伝達における隠密性が高い。テレパシーは網骨が無ければ聞こえない。テレパシーで盛んにお喋りしていても、魔族以外には静まり返っているように聞こえるのだ。これは狩りの際に大変役立ったに違いない。障害物があっても距離があっても、確実に他の生物に気取られず通信できる手段があるのは、生存戦略上で大変有利に働く。情報社会に生きる読者諸兄ならば他にもいくらでも利用法を思いつくだろう。
ただしテレパシーには欠点が二つある。
一つ目は送受信にエネルギーを多く消費する事だ。テレパシーは大変便利な意思疎通手段であるが、魔法的波長を出すためには多くの魔力を消費する。進化につれて燃費は徐々に向上していくが、気軽に使えるものではなかった。全力疾走するようなものだと考えれば理解しやすいだろうか。速く走る事ができれば良い事はたくさんあるが、常に走っていては疲れてしまう。
二つ目はスムーズな会話の難しさだ。テレパシーは送受信に同じ器官(網骨)を使っているため、送信中は受信できず、受信中は送信できない。喋っている時は聞こえず、聞いている時は喋れないのだ。
以上二つの理由から、日常的でスムーズな会話においてはやはり言語に軍配が上がる。テレパシーにこの二つの問題が無ければ、魔族の口は退化して喋れなくなっていただろう。
テレパシーは会話の代替以外にも武器として使う事ができる。テレパシーは無差別に広域に波長を出す他に、波長を絞り収束させて一人にだけ聞こえる「ひそひそ話」をする事もできる。これを応用し、収束した高出力のテレパシーを対象の脳に当てる事で混乱させる事ができるのだ。現象としては脳震盪に区分される。高出力のテレパシーによって対象の脳が帯びている魔力が励起し、極微細な振動を起こすのである。これによって平衡感覚の喪失、吐き気などの独特の不快感をもたらす。昏倒する場合もある。
このテレパシー攻撃は目に見えず射程が長く回避も察知も困難であるため、長い間魔族の攻撃手段として重宝された。何しろ直接的な殺傷力こそ無いものの、投槍や弓矢よりも遥かに優れているのだ。テレパシーで前後不覚に陥らせた後、ゆっくり仕留めにかかれば良い。
なお、魔族同士では網骨がテレパシーを受信・吸収するため、収束して放っても「耳元で大声で叫ばれた」程度の効果しかなく、驚きはするがそれだけである。
テレパシーを使い始めた頃から魔族の脳は巨大化していく。魔法行使に関する形状は球体が最も優れ、その球体は完全な球体、つまり真球に近いほどよく、また巨大であるほどよい。発達する脳を収容するためというよりも、魔力消費の激しいテレパシーを効率よく使うために魔族の頭蓋骨が巨大化し、巨大化する頭蓋骨にテレパシーによって発達した脳が収まった、という具合だ。発達の理由こそ違うが、最終的に人族と魔族の脳容積は同程度に落ち着く事になる。
テレパシー獲得以後、数度の氷期と間氷期を繰り返しの中でマレフィカ・エストメンティスはアメリカ全土へ広がっていく。その過程で網骨の洗練と脳容量の増大が見られるが、根本的な変化はない。専門的な話をするならば現代の魔族へ進化するまでに最低でも4段階の細かい変化を挟んでいるのだが、この本の主題はそこではない。本作の主眼はあくまでも人族向けの魔族解説であり、読者を混乱させるだけであろう込み入った話を披露するのは本意ではない。この年代の詳細な話に興味を抱いた方に向けてペパニ・ポリパポニ教授の「進化する網骨(ミンメー書房)」を紹介するだけに留めておきたい。マレフィカ・エストメンティスから現代魔族への進化の系譜が分かりやすい図表と美麗な写真を交え詳しく語られている。
次の章では魔族における火。文明の象徴である、球体魔法の発見について見ていこう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます