第二章 アメリカ大陸への旅(700~400万年前)

 「人類は猿から進化した」というフレーズは誰もが聞き覚えがあるだろう。これは魔族にも当てはまる。700万年前まで、人族と魔族は全く同一の種だったと言われている。両種族の祖先の化石の年代を遡っていくと、両者の違いは次第に少なくなっていき、700万年前の化石で同じ物に収束する。サヘラントロプス・チャデンシスである。

 サヘラントロプスの化石はサハラ砂漠南方で発見された。この化石はそれ以前の四足歩行類人猿の化石と異なり、頭蓋骨の大後頭孔が頭骨の底面にある。大後頭孔というのは、脳と脊髄を結ぶ神経の束が通るために頭蓋骨に空いた孔である。これが頭蓋骨の底面にあるという事は、頭蓋骨の底面に脊髄が突き立つように繋がっていた。つまり、地面に直立した脊髄に頭蓋骨が乗っていた=二足歩行であったという事だ。サヘラントロプスは史上始めて二足歩行生活を始めた、人族と魔族共通の祖先なのである。

 サヘラントロプスが発掘されたのと同じ地層からは木の葉や草の種の化石が発見されていて、サヘラントロプスがまばらな樹木が林を作る開けた水辺に生息していた事が分かっている。サバンナに住む動物の化石も発見されていて、我々の祖先が森から平地へと進出しつつあった事を示している。

 樹上生活の利点として、視界の確保が挙げられる。高所から地上を見回す事で、素早く敵を発見し逃亡する事ができたのだ。これは食物の発見についても同じ事が言える。高い位置の視界を確保する、というのは生存戦略上とても有利である。四足歩行の猿は草原に進出すると、登る事のできる木が無いため、視界の確保が難しい。餌を探すのも敵を察知するのも著しく困難になる。サヘラントロプスがこの問題に対して出した答えが二足歩行なのだ。二足歩行を行うと、視界はグッと高くなる。餌も敵も見つけやすい。空いた両手を自由に使い、高所の木の実も手を伸ばして取る事ができる。故に、二足歩行と平地への進出が同時期に起きるのは必然なのである。


 さて、二足歩行を始めたといっても、彼らは未だに森の恵みに大きく頼っていた。食糧を探しに平地へさ迷い出る事はあっても、実り豊かな森から完全に離れる事はなかった。まだ狩猟は一切行わず、完全な採取依存生活であった。

 後に魔族となる二足歩行の祖先は、せっかちな事に二本足になった途端に北上を始めた。森林地帯を伝い北へ北へと旅をして、生息域を広げていったのである。対して人族は人類発祥の地・アフリカに留まった。これは実際賢い選択だった。700万年頃からアフリカ大陸に乾燥した空気が吹き始め、現在のサハラ砂漠が形成されつつあった。乾燥していて、しかも寒い北方へ生息域を広げるよりも、乾燥していてもまだ暖かな南方へ生息域を広げるのが道理である。事実、700~400万年前にかけての化石資料は人類の物の方が圧倒的に多く、魔族の物は少ない。北方への旅は厳しく、個体数もその厳しさ相応だ。

 アフリカ大陸を北上した祖先の集団は、ユーラシア大陸全土へと拡散し、数多くの魔族近縁種に分岐した。魔族直系の祖先と枝分かれし、しかし絶滅して歴史の闇に消えていった種族である。人類はアフリカ大陸南方に留まったため大陸に閉じ込められ、生息域を広げる事ができず、進化の可能性を自ら狭めた。しかしそれは結果論であり、魔族の祖先が北上に成功したのは偶然に近いと考えられている。事実、ユーラシア大陸全土に散在する魔族近縁種の化石は栄養不足に適応するためか小型化していて、肉食動物に襲われたと思しき捕食の跡が骨に残されている事が多い。

 この頃の魔族の祖先の化石は人族の化石と区別が大変難しいため、タンパク質や炭素を解析する分子科学的な研究手法が確立するまで、長らく魔族ではなく人類の祖先だと思われていた。面白い事にほんの60年前まで、人類はユーラシア大陸で猿から進化し、魔族はアメリカ大陸で「魔獣」という架空の生物から進化したと信じられていたのである。


 ユーラシア大陸の魔族の親類は350万年前には全て死に絶える。

 しかし現在の魔族の祖先は、その前の440万年前にアメリカ大陸へ到達していた。

 ユーラシア大陸と北アメリカ大陸の間は海峡に隔てられている。舟を持たない魔族がどうやって渡ったかという問題に対する解答は諸説あるが、代表的なものは流氷を利用したのであろうというものだ。厚く凍った流氷の上をアザラシを追って渡っていったのだろうとされている。

 当時は氷河期で、火を持たない魔族の北方生活は凍死との戦いであった。寒さに対し魔族は毛皮と大型化で対処した。大型化といっても、せいぜい身長150cm程度ではあったが、それでも最大130cmであった他の魔族近縁種と比べれば十分大柄だ。体を大きくする事で芯まで凍りつく時間を遅らせ、アザラシを捕まえ肉食を行う事で熱を生み出し大きな体を維持するためのエネルギーを補った。

 シベリア最東端のツンドラの下から発掘されたイーチェ・クルーシス(氷を渡る者)と名付けられた魔族の化石は一体しか見つかっていないが、全身の骨がほぼ揃っていて、この頃の魔族の様子を素晴らしくよく教えてくれる。歯の間に挟まった肉片と鋭い犬歯は肉食が常態化していた事を示している。イーチェは両足を骨折していて、毛皮にくるまる形で死んでいた。クレバスから落下して死んだのであろうというのが定説である。また、手には握りこぶし大の石を握っていた。鑑定の結果、この石は二百kmも南西にある地層のものである事が判明している。毛皮も石も加工されているとはいえず「道具を操っていた」とは言い難い。精々言えるのは「拾った物を持ち運んでいた」という程度だ。恐らく、石は投石か獲物を殴り殺すために使い、毛皮は他の獣に殺されたり病死したりした死体を漁って手に入れたのだと推測される。「物を投げる」という行為だけであれば、現代でもゴリラが威嚇行動として行っている。威嚇としての投石が、獲物を仕留めるための投石に発展しても何ら不思議はない。イーチェが身につけていた毛皮は大型の鹿のものである。投石や石の殴打で殺害できたとは考え難い。イーチェは投石や石の殴打でアザラシを狩りつつ、毛皮を拾って手に入れ、集団で身を寄せ合って寒さから身を守って暮らしていた、というのが妥当なストーリーだ。頭蓋骨から分かる脳の容量から考えても、せいぜい知恵をつけたチンパンジー程度の知能であった事が推測されている。


 流氷を渡りアメリカ大陸に到達した魔族の祖先は、これまでの北上への情熱はなんだったのかという勢いで南下していく。最新の遺伝子解析により、この祖先の一団は僅か70~80人であった事が分かっている。ちょうど彼らがアメリカ大陸に到達した直後から氷期が終わりを迎え、気温も海面も上昇。大陸を繋ぐほどの流氷は形成されなくなった。戻れない以上は進むしかなく、大地は南にしかない。南下は必然だった。温暖化の影響で森林帯も復活し、獲物を追って走り回るよりも豊富な木の実や果物を手に入れた方が割が良くなったのだ。他の肉食獣も暖かさに息を吹き返し、競合してしまったというのも大きい。北方時代の名残かある程度の肉食も行うようになったようだが。

 これ以降、魔族と人族は海に隔てられ、長らく交流を絶たれる。再度の接触には400万年以上待たなければならない。


 次の章では、いよいよ魔族が獲得した人族との決定的な違いについて見ていこう。

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