味見家のご奉公
ぬこじゃむ
味見家のご奉公
「味見家当主、味見弥衛門、参上いたしました」
ご当主様のすぐ後ろ、
思えば
今はただ、ご当主様だけはご当主様だけは、と口にも出さず
「ゆくぞ、立たぬか」
ご当主様のお声で立ち直り、背中を追います。大広間はご
もう、ご
「そちに頼みがある」
ご家老様は城へ呼び付けた
話に熱がこもってくると、あちらに鼻をすする者、こちらに
ご当主様は、うなじを真っ赤に染め上げ、かすかに震えていらっしゃいます。
私は肩から力を抜いて、久しぶりの息をいたしました。
帰り路、ご当主様は口を開かれません。
「
ご当主様はお屋敷に着くなり小僧を走らせます。
ほどなくして、才と縁とで結ばれた味見の一族、その筆頭の方々がお集まりになります。しかし、ご子息の彦衛門様をはじめ、
「ご奉公である」
屋敷中に「はっ」と
「殿へ献上された品の中に、
私、思い出して
先ほど、城の大広間でその香りを味わってしまったのです。
忘れられません。忘れようもありません。
「料理人が汁をすすり、死んだという」
「では」
喜びの声が、
「我々は、もう戻れぬ」
ひとつ高い畳の上でご当主様は目もつむらず
胸を締めつけるものは何なのでしょう。
「味見家は代々、天下の味見役であった。
味の中に〝こころ〟を感じ、
料理人は
我らと料理人は共に歩んでもきたのだ。
されど、戦によって国は疲れ果て、我らの食い
さらには
今一度言おう。すでに
ご当主様が仰るのは三度目です。一度目はご家老様よりお
ゆるい柳の揺れに音をきき、やがてご当主様がお
「
日ごと
重なりあった返事によって、
「申し上げます。昨晩、
次郎丸様の
ご当主様も「して」とだけ仰います。
「『酸味、程良し』とだけ」
私は開きかけた口を右手でひっぱたいて
次郎丸様といえば、酸味を華やかな
ご当主様は「御苦労」と田吾作に下がるよう仰いました。しかし間もなく、
「あやつは、どこで」
と静かに問われます。しばし背を向けたまま、田吾作は
「大桜の真下にて」
と、青いばかりの空に向かって吠えました。それから裸足で庭へ飛び、走り去ります。私は握り拳をつくって、あ奴めを追いかけようとしましたが、ご当主様の腕に止められました。静かに仰います。
「変わらんのう、あやつは」
田吾作の奴めにではありませぬ。私はその場に崩れ落ち、
まぶたの裏に浮かぶのは月夜の晩。
味見小春様はこの翌日に務めを果たされました。
「申し上げまする。本日早朝、
ご当主様はやはり「して」とだけ仰います。昼下がりの座敷は影が濃く、私は目をちりちりと乾かしながら、味見秋月様をみております。
しばらく
「……ご無礼を。小春様は、『甘味、残らず』と」
私は三つ激しく瞬きをし、それから、桜色にほほを染めていた小春様を思います。秋月様の深い礼のしぐさに、
誰が予期したことでしょう。婚礼のあと、
「味見小春、よく務めを果たした。秋月、後を任せる」
ご当主様は秋月様を、秋月様はご当主様を、互いに目を
なればこそ、
「いらっしゃいました、いらっしゃいました」
小僧が
お勤めを申し渡されて七日目の、昼前のことでした。ご当主様が私を連れ、ご奉公に出立するまであと半刻。味見ピエール様ご本人が、本家屋敷にお越しになりました。
「よいのか、ここで」
「もちろんですとも、
ご当主様の
「さっそくですが、務めを果たしとう
一級の料理人に一言も語らせず、夜ごと夢にて
私が汁に
「御免」
見入っておりましたが、
「うま
とピエール様は言葉を切り、立ち上がりました。全身に震えが見てとれます。口の開く気配はありません。いいえ、ここからがピエール様の味見なのです。
気付けば私、口の端から
やがて舞いはやみ、幕は降りました。
ご当主様と二人、口を
「味見家当主、味見弥衛門、参上いたしました」
まだ青い
「おもてを上げよ」
ご家老様の許しをうけ、私は筋張った両手をついたまま、ご当主様の背中の見えるあたりまで頭を上げました。
「久しいな、弥衛門」
ひどく懐かしいお声に
口をはさむ者などございますまい。
障子の向こうで
「ご奉公いたします」
ご当主様は仰いました。
「ど、どうなさいました。殿、殿」
入って来るなり叫んだのは挨拶に来た新しい料理人だったそうです。あの日あの時の大広間を見たのであれば、
酸味、甘味、塩味、苦味、うま味。諸派筆頭のお伝えになった味の全ては、ご当主様の
これぞ味見家。味見家のご奉公にございまする。
三日後、沈みゆく
ご家老様よりお役御免を申し渡され、まもなくして先代まで亡くされたご当主様。それからというもの、遠い遠い親戚に頭を下げながら一族を養い育て、味見家の妙技を絶やさぬよう尽くしてこられました。そして、
弟の次郎丸様、ご親友の奥様である小春様、養子から甥となられたピエール様。
苦味役筆頭の彦衛門様とその
あれから、味見家はふたたびお役を
私は旅へ出ました。月日をかけて国中を歩き渡っております。
豊かなものです。
竹林に入れば、陽だまりから頭をつき出す
せせらぎの音に誘われてみれば、まぶしい
いよいよ寒さも
旅のあいだ、私は何ひとつ味わえずにおりました。
否。あの日からずっと、味を
夕焼け色の
聞くところによりますと、私が旅に出て間もなく、上様、ご家老様、ご家来衆の皆様、そう、あの大広間にいらっしゃった方々は
私は
味見家はついに、
笑いながら歩いて歩いて、それでも笑います。くたびれた門の前で、
「ああ」
雲も出ており、桜の花びらも残すところあとわずか。
「ややっ」
声の方へと目をやれば、なんとまぁ、懐かしい顔でございます。
さて、今夜は
味見家のご奉公 ぬこじゃむ @ukabu
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