味見家のご奉公

ぬこじゃむ

味見家のご奉公

「味見家当主、味見弥衛門、参上いたしました」


 ご当主様のすぐ後ろ、わたくしはひれ伏したままふすまの滑る音に冷たい汗をたらし、顔をゆがめて涙しておりました。


 思えばはかない覚悟にございます。

 初太刀しょたちをこの身に引き受け、すきあらば刀を奪いとり、襲いくる敵をどれだけ道連れにしてくれようか、などと夢見ておりました。されど恐ろしゅうて恐ろしゅうて。

 今はただ、ご当主様だけはご当主様だけは、と口にも出さずとなえるばかりでございます。


「ゆくぞ、立たぬか」

 ご当主様のお声で立ち直り、背中を追います。大広間はご家来衆けらいしゅうで埋めつくされており、ど真ん中を歩むのは、手に汗どころではありませぬ。


 もう、ご家老様かろうさまの前なのでしょうか。ご当主様がひざをつかれましたので、私も深くひれ伏します。ひれ伏す前に盗み見ましたが、皆様やはり刀をびていらっしゃる。冷たいさきを頭に浮かべて息を止め、暴れる奥歯を噛み抑えました。


「そちに頼みがある」

 ご家老様は城へ呼び付けた理由わけを述べていかれました。

 話に熱がこもってくると、あちらに鼻をすする者、こちらに嗚咽おえつを漏らす者、ついにはご家老様までもが言葉を詰まらせる始末。

 ご当主様は、うなじを真っ赤に染め上げ、かすかに震えていらっしゃいます。

 私は肩から力を抜いて、久しぶりの息をいたしました。




 帰り路、ご当主様は口を開かれません。

 人気ひとけのない場所まで来ると私は、どうにかして歩みを遅らせられまいか、とそでを引くことばかり考えておりました。




諸派筆頭しょはひっとうを集めよ」

 ご当主様はお屋敷に着くなり小僧を走らせます。

 ほどなくして、才と縁とで結ばれた味見の一族、その筆頭の方々がお集まりになります。しかし、ご子息の彦衛門様をはじめ、みなご当主様を一目見ただけで、語らず静かに、各々おのおのの場所へと腰を下ろされました。


「ご奉公である」

 屋敷中に「はっ」ととどろきました。震える障子のむのを待って、ご当主様が今日の大事だいじを述べられます。


「殿へ献上された品の中に、かぐわしき香りの汁があった」

 私、思い出して生唾なまつばを飲みました。

 先ほど、城の大広間でその香りを味わってしまったのです。

 忘れられません。忘れようもありません。


「料理人が汁をすすり、死んだという」

「では」

 喜びの声が、一様いちように瞳を突きだした面々めんめんから飛び出しました。しかし、


「我々は、もう戻れぬ」

 ひとつ高い畳の上でご当主様は目もつむらずおっしゃいます。

 しおれうなずく皆々様。

 胸を締めつけるものは何なのでしょう。


「味見家は代々、天下の味見役であった。

 味の中に〝こころ〟を感じ、言葉ことのはを生み出す。

 料理人は言葉ことのはを受けとり、人々に〝こころ〟の料理を届けた。

 我らと料理人は共に歩んでもきたのだ。

 されど、戦によって国は疲れ果て、我らの食い扶持ぶちすらもままならぬ。

 さらには昨今さっこん、舌の肥えた料理人も少なくないと聞く。

 今一度言おう。すでに沙汰さたは、下っておるのだ」


 ご当主様が仰るのは三度目です。一度目はご家老様よりお役御免やくごめんを言い渡されたあの日、二度目は先代のご葬儀の夜、そして今。


 ゆるい柳の揺れに音をきき、やがてご当主様がおべになります。


薫香くんこうの汁、すすれば先はない。されどご奉公である。

 日ごとせ細るばかりのあわれな殿に、その味を、その〝こころ〟をじかにお伝えするのだ。二度と香りに惑わされぬよう、我らの、この味見家の言葉ことのはにて、殿にご満足いただくのだ」


 重なりあった返事によって、軒下のきしたから猫が飛び出し、叫びながら柳のみきに身を打ちました。一族の先陣を切ったその猫は、味見家の墓にほうむられました。




「申し上げます。昨晩、酸味役さんみやく筆頭、味見次郎丸様、務めを果たされました」


 次郎丸様の従者じゅうしゃである田吾作たごさくは、私と馴染なじみで一つ年下。畳にして申し述べる姿を見れば一目で分かります。いつもと変わりませぬ。お仕えする主人が亡くなったというのに、いつもと全く。

 ご当主様も「して」とだけ仰います。


「『酸味、程良し』とだけ」

 私は開きかけた口を右手でひっぱたいておおいました。

 次郎丸様といえば、酸味を華やかな言葉ことのはいろどる達人。学の無い私ですら次郎丸様の言葉を耳にすればたちまちによだれをすすり上げたものです。


 ご当主様は「御苦労」と田吾作に下がるよう仰いました。しかし間もなく、縁側えんがわから庭へと下りかけた後ろ姿に、

「あやつは、どこで」

 と静かに問われます。しばし背を向けたまま、田吾作はたたずんでおりましたが、やにわに低くうなり声をあげ、


「大桜の真下にて」

 と、青いばかりの空に向かって吠えました。それから裸足で庭へ飛び、走り去ります。私は握り拳をつくって、あ奴めを追いかけようとしましたが、ご当主様の腕に止められました。静かに仰います。


「変わらんのう、あやつは」

 田吾作の奴めにではありませぬ。私はその場に崩れ落ち、せてむしれた畳にひたいりつけました。


 まぶたの裏に浮かぶのは月夜の晩。みなが寝静まった後の花見はいつも、御兄弟お二人だけでした。ご葬儀の後もそう。もくして酒を酌み交わすお二人を背に、田吾作と私とは胸を張って門前に立ったものです。




 味見小春様はこの翌日に務めを果たされました。


「申し上げまする。本日早朝、甘味役かんみやく筆頭、そして我が妻、味見小春、務めを、見事、果たしもうした」

 ご当主様はやはり「して」とだけ仰います。昼下がりの座敷は影が濃く、私は目をちりちりと乾かしながら、味見秋月様をみております。

 しばらくがあいて、秋月様が仰います。


「……ご無礼を。小春様は、『甘味、残らず』と」

 私は三つ激しく瞬きをし、それから、桜色にほほを染めていた小春様を思います。秋月様の深い礼のしぐさに、とついで来られたばかりの小春様が重なって見えたのです。


 誰が予期したことでしょう。婚礼のあと、甘味戦かんみせんで秋月様を下し、たちまち筆頭となられた小春様。いく種類もの香辛料を、甘味のみでつぶさに、こと細かに表現なさいました。ご当主様は「才よ」とつぶやき、何度もうなずいておられました。その様子、ありありと思い出されます。


「味見小春、よく務めを果たした。秋月、後を任せる」

 ご当主様は秋月様を、秋月様はご当主様を、互いに目をらす事なく見ておられます。私は思うのです。お二人の血走ったまなこは、相手を映してはおられまいと。


 なればこそ、黄昏たそがれの向こうに秋月様をお見送り出来たのです。




「いらっしゃいました、いらっしゃいました」

 小僧が甲高かんだかい声を上げ、廊下をけて来ます。


 お勤めを申し渡されて七日目の、昼前のことでした。ご当主様が私を連れ、ご奉公に出立するまであと半刻。味見ピエール様ご本人が、本家屋敷にお越しになりました。


「よいのか、ここで」

 ぜんを挟んでご当主様と向き合うピエール様は、空色の眼をにこやかに閉じて仰います。

「もちろんですとも、伯父上おじうえ様」

 ご当主様のほほも緩みます。


「さっそくですが、務めを果たしとう御座ございます。昼にはまだ早いようですが、腹の虫が騒がしいゆえ」

 大袈裟おおげさな笑いの中、二つ手の合図によって女中じょちゅうが、朱色のわん漆黒しっこくの膳の上にはいします。


 一級の料理人に一言も語らせず、夜ごと夢にて上様うえさまを惑わすその汁に、ピエール様もいつしか笑みを消していらっしゃいます。私は汁をにらみつけました。けれど口の中は溢れておりました。あらがい難いものです。


 私が汁にとらわれている間に、ピエール様はにぎり飯をいっぱいに頬張ほおばっておられました。ご当主様に習い、私も居住いすまいを正します。


「御免」


 幼子おさなごでさえ、これほど口のまわりに米粒を付けたまま食事を続けはしません。ピエール様は両手を椀にえ、口元に運ばれました。

 見入っておりましたが、喉仏のどぼとけは転がりません。汁はほんの一口分しかないのです。椀にぐか猪口ちょこに注ぐか、どちらにするか女中も迷ったそうです。


「うま

 とピエール様は言葉を切り、立ち上がりました。全身に震えが見てとれます。口の開く気配はありません。いいえ、ここからがピエール様の味見なのです。


 おうぎをサッと広げ、しとり、しとり、と真白ましろ足袋たびで畳をたたき〝薫香の汁〟を舞われます。つま先、指先、稲穂色をした髪の先。はためく着物にすら無駄な震えはありません。


 気付けば私、口の端からこぼしておりました。ご当主様ですら何度も何度も飲み込んでおられます。


 やがて舞いはやみ、幕は降りました。

 障子しょうじあわい影だけが、畳の目の上を揺らいでおります。

 ご当主様と二人、口をつぐんで手を合わせます。




「味見家当主、味見弥衛門、参上いたしました」


 ふすまの開く音に耳をやっておりますと、なにやら騒がしゅうございます。ご当主様に続いて敷居しきいまたげば、むんとした熱に包み込まれました。見られております。


 まだ青い畳表たたみおもての切れ目を一つ、二つ、と順に追い、先日よりもずっと手前にひれ伏します。


「おもてを上げよ」

 ご家老様の許しをうけ、私は筋張った両手をついたまま、ご当主様の背中の見えるあたりまで頭を上げました。


「久しいな、弥衛門」

 ひどく懐かしいお声に御座ござります。ご当主様は「はっ」と返事をされたまま、何も仰いません。応じる気配はございます。けれども詰まって、なりません。

 口をはさむ者などございますまい。


 障子の向こうですずめが鳴き、羽ばたき去って、二羽またやって来ます。


「ご奉公いたします」

 ご当主様は仰いました。




「ど、どうなさいました。殿、殿」

 入って来るなり叫んだのは挨拶に来た新しい料理人だったそうです。あの日あの時の大広間を見たのであれば、あわれも憐れ、その慌てざまいたかたなし、と言ったところでしょう。


 酸味、甘味、塩味、苦味、うま味。諸派筆頭のお伝えになった味の全ては、ご当主様の言葉ことのはによってただ一つの味となり、舌という舌、腹という腹を満たしました。ひとしくみなが、あの薫香の汁を味わい尽したのです。


 これぞ味見家。味見家のご奉公にございまする。




 三日後、沈みゆく一日いちじつと共に、ご当主様はってしまわれました。


 ご家老様よりお役御免を申し渡され、まもなくして先代まで亡くされたご当主様。それからというもの、遠い遠い親戚に頭を下げながら一族を養い育て、味見家の妙技を絶やさぬよう尽くしてこられました。そして、此度こたびのご奉公。


 弟の次郎丸様、ご親友の奥様である小春様、養子から甥となられたピエール様。

 苦味役筆頭の彦衛門様とその許婚いいなづけの八重様。なにより、このお二方の務め姿を、ただ独り見届けられたのです。


 うるし塗りの黒いひつぎの中で、お休みになるご当主さまの御髪おぐしの色が、全てを物語っております。




 あれから、味見家はふたたびお役をたまわりました。諸派は新しい筆頭を立て、秋月様と小春様の才を受け継いだ若きご当主様もすこやかに育っております。




 私は旅へ出ました。月日をかけて国中を歩き渡っております。

 豊かなものです。


 竹林に入れば、陽だまりから頭をつき出すたけのこがあり、炭火であぶって皮をむくと、たっぷりと水を吸った身がありました。


 せせらぎの音に誘われてみれば、まぶしい川面かわも揺蕩たゆたあゆの影。塩焼きにしてかぶりつくと、枯れた紅葉もみじの葉音がこだまします。


 稲刈いねかりを手伝った礼にと、米をいただきました。炊き上がり、古びたかまのふたを取ってみれば、温かな雪が湯気を立てております。


 いよいよ寒さもきわまってまいりますと、道行く人々に、だんをとっていくよう手を引かれました。蔵から出した南瓜かぼちゃを煮れば、夕焼け色の実がほろほろと、口の中でとけております。




 旅のあいだ、私は何ひとつ味わえずにおりました。

 否。あの日からずっと、味をしっしておりました




 夕焼け色の南瓜かぼちゃにせっつかれるまま、味見家へと戻って参りました。長い旅だとは思っておりましたが、こうまで変わってしまうとは。


 聞くところによりますと、私が旅に出て間もなく、上様、ご家老様、ご家来衆の皆様、そう、あの大広間にいらっしゃった方々はことごとく、私ただ独りを残して、お亡くなりになったのだとか。味見家を責める者などおりませんが、務めも無くなってしまったそうです。


 私はのどの枯れ千切れるほど笑いました。道行く人々の目には、主家しゅけの滅びに気が狂った、とでも映っているのかもしれません。されど、どうして喜ばずにいられましょう。




 味見家はついに、忌々いまいましきご奉公から解き放たれたので御座います。




 笑いながら歩いて歩いて、それでも笑います。くたびれた門の前で、竹筒たけづつかたむけ水を流しこみますと、


「ああ」


 んでくるその味を、いったいご当主様であればどう言葉ことのはにされたでしょう。しがない従者でしかなかった私に、あらわすすべなど御座ございませぬ。




 今宵こよい、月は浅く欠けております。

 雲も出ており、桜の花びらも残すところあとわずか。

「ややっ」

 声の方へと目をやれば、なんとまぁ、懐かしい顔でございます。


 さて、今夜は一献いっこん望月もちづきさかなに友と語らい、しのびましょう。

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