第4幕 その愛のために

第26話 CL 月光の幻

 林の中でセシルは息を潜めている。その視線の先には街道を行く2人の騎士の姿があった。


「おい! 今ここに誰かいなかったか?」

「見間違えだろ」

「いや、確かに女が一人いたような……」

「ははは。お前、欲求不満なんじゃないか? しょうがないな。夜、一緒にお店に行くか?」

「そういうわけじゃないが、行くぜ」

「よし。そうと決まったらさっさと見回りを終わらせようぜ」

「お、おう」


 王国全土に自分が再び手配されていることがわかっている。しかも今度は「セシル」の名前での手配なので町に入ることもできない。

 街道でもこうして見回りの騎士たちと遭遇したのも一度や二度ではなく、山の中を進むことを強いられていた。


 幸いなことに無事に中央部州に入ることができたが、実はこれも母のおかげといえる。

 というのも、勇者ライナードの『諸国探訪記』に、地元の猟師くらいしか使わないだろう山道が書かれていたのだ。各地の植生や安全な洞窟、水場なども記載どおりのようで、随分と助けられていた。


「う~ん。やっぱりここも街道は無理ね。山越えになる、か……」


 そうつぶやきながら『諸国探訪記』を開いて道を確認する。なぜセシルが困っているかというと、記されている注意書きに問題があるからだった。


 ――神獣の森。動物を殺すな。戦うな。そして、争いをここに持ちこむな。


 近くの町や村に入ることができれば、もう少し正確な情報を得られるのだろうけど、それは危険が大きい。

 記載の情報から、ライナード一行は無事に森を通り抜けているようなので、それを信じて進むしかない。


 ふとセシルは、母の言葉を思い出して思い出し笑いをした。

「ふふふ。〝女は度胸よ〟ね。お母さま」

 セシルは気合いを入れると、日記をパタンと閉じて森の奥へ続く獣道に入っていった。


 歩き出してすぐに、今までに経験したことのない空気を感じる。


 なるほど。神獣の森か。たしかに普通の森とは違うわね。


 かすかに感じる程度だが、どことなく森全体に魔力に似た何かのエネルギーが広がっているようだ。けれども不思議と危険は感じられない。むしろ守られているような安心感がある。


 頭上には強い陽の光に照らされた葉っぱが輝いている。木漏れ日が差し込んで地面にまだら模様を描いていた。

 時折とおりすぎる風が木々や土の匂いを運んできて、野うさぎや鹿の姿も見えるが、セシルを怖れる様子はない。

 ここまで、ロナウドを救わないとと焦燥感に駆られつづけていたセシルだったが、森を歩いているうちに、きっと大丈夫だという不思議な確信が心の奥から湧いてきていた。


 とはいえ急ぐに越したことはない。

 セシルは気合いを入れ直して少しだけ速度を上げた。


 半日後。

 休憩を挟みつつ歩いていたせいでもないが、森を出られないままに辺りが暗くなってきてしまった。

 『諸国探訪記』を調べると、近くに湧き水のある休憩場所があるようだ。


 今日はここで野宿になるわね。


 本当は夜通しでも歩いて行きたいところだが、そうもいかない。この森はどうかわからないが、普通は夜の森は危険で、無闇に移動するのはよろしくない。休めるときに休む。それが冒険者としての常識だった。


 見つけた休憩場所は、泉のある岩場。ちょうどぽっかりと空が顔をのぞかせていて、まるで童話に出てくる妖精の泉のようだ。

 とはいえすでに夕刻になっていて、空もあかね色から群青色に変わろうとしている。


 枝を拾いながら大型動物の足跡がないことを確認し、先に身を隠す場所を探したところ、岩陰にちょうど良い場所があった。


 泉には魚の姿もあり、森の動物たちも飲み水として利用しているようだ。セシルは水筒の水を補給して岩陰に腰を下ろす。

 枝に火を点けて、その上に携帯用の小型鍋を取り出す。水を湧かしながら、乾燥させた薬草を入れて煎じる。ハーブティー代わりの薬湯だ。これを飲めば体力の回復が早まる。


 とうとう空は暗くなり星が見えるようになった。

 携帯食料の乾パンとチーズを取り出し、薬湯と交互に口に入れる。


 静かだ。遠くから虫の音がかすかに聞こえる。やがてぽっかりとあいた木々の間から、月の光が降り注いで、小さな泉を照らしている。蛍だろうか。小さな緑の光が飛び揺れて、幻想的な光景になっている。


 いつもは2人で交互に見張りをするが、今は自分1人だけ。急に寂しさが募ってくる。

 セシルは膝を抱えた姿勢のままで、泉を照らす月の光をぼんやりと見つめていた。


 ロナウド。あなたは今、どうしてるの?


 そんなことを考えていると、月の光の中にロナウドの幻が現れた。


 朝の鍛錬をしている姿。うれしそうにセシルの作った食事を食べる顔。

 他の冒険者たちとバカをやっているところに、女性に迫られて照れている顔。

 ……そして、こちらに優しく微笑みかけながら手を差し伸べている姿。


 幻だとはわかっていても、セシルも手をのばしていた。けれどもその指が触れるようとすると、急にふっとロナウドの姿が消える。


 泉は幻が現れる前と何も変わらずに、ただ小さな虫の光が飛び交っていた。

 知らずのうちに涙が流れている。

 胸が締め付けられるように、ただただ切なさがこみ上げてくる。膝の間に顔をうずめ、セシルは思った。


 ――ああ、早く貴方に会いたいわ。


 ロナウドの想いを知ってからというもの、セシルのロナウドへの想いも今まで以上に募っている。こうして孤独な夜は特に辛い。


 いつしかセシルはロナウドのペンダントを取り出していた。そっとロケットの表面を撫でる。まるでそこにロナウドのぬくもりがあるかのように。


 まだオルドレイクもいた頃。とある街の食堂で、ロナウドが妙に長い時間、セシルを引き留めようとしていたことがあった。

 きっとあの時、近くに似姿を描く絵師がいたのだろう。心当たりはその時しかない。

 なぜ私に直接、言ってくれなかったのか。いくじなしで、馬鹿な男。本当に、馬鹿な男……。

 でも、ロナウドはそういう男。そして、その馬鹿なロナウドを自分は愛している――。


 寂しい。

 切ない。

 ……貴方に、今、会いたい。




◇◇◇◇

 さえずる鳥の声に、セシルは目を覚ました。

 冒険者としてはめられたことではないが、思いのほかぐっすりと眠り込んでいたようだ。

 すっかりそうかいな気分で、うううんと伸びをする。


 まるで今までの疲れがすっかり取れたようだ。身体の調子も良さそう。


 ふと顔を上げると、うさぎや鹿たちが泉に水を飲みに来ている。

 平和な森の光景に自然に笑みがこぼれる。

 セシルも同じように、泉の水で顔を洗って喉をうるおした。


 顔を上げると枝葉の隙間から青い空が見える。

 セシルはそっと微笑んで、手頃な岩に座って日記を開いた。

 今日のルートを確認するためだ。ここまでのところは順調だ。このペースだと今日の夕方には森を抜けられるだろう。


 腹ごしらえをしたらすぐに出発しよう。そう思った時、上から何かがポトンと落ちてきた。


「あら?」


 そこに転がっているのは3つのリンゴだった。


 上を見るが、リンゴがなっている枝はない。いったいどこから落ちてきたのだろう。

 首をかしげたとき、さーっと見覚えのある小鳥が飛んできた。光の精霊だ。


 精霊はリンゴのそばに降り立って、セシルを見上げている。

「ふふふ。あなたが取ってきてくれたの?」

 そういいながらリンゴを拾い、早速1つにかじりついた。

 爽やかな酸味がセシルの身体に活力を与えてくれるようだ。


 1つ食べ終わったセシルは、残りをポーチにしまい、早速その岩場を出発した。

 どうやら来てくれた精霊は、このまま道案内をしてくれるみたいだ。


 それでも時折、『諸国探訪記』でルートを確認しつつ、精霊の導きにしたがって森を進んでいく。

 しかし昨日とは異なり、今日は不思議な気配を感じる。どこからかはわからない。


 ……誰かが見ている?


 見回しても気配を探ってみても森に異常はなさそうだ。けれども、たしかに直感では誰かの視線を感じる。慎重に進んだ方がいいのかも。そう思った時、前を飛んでいた精霊が、想定していたルートを外れていった。


「え? そっちじゃないよ」

と声をかけるが、精霊はこっちだよというように、セシルがついてくるのを待っている。

 あわてて『諸国探訪記』を開くが、精霊が案内する方角には道が記されていない。


 どうする? どっちに行く?


 迷っていると、急に背後から、

「精霊の方が近道よ。そっちに行きなさい」

と声がした。

 反射的に距離を取って振り返ると、そこには一匹の狐がたたずんでいた。


「もしかして……、神獣さま?」

「人は私をそう呼ぶけれど、それは私の名前ではないわ。どのような名前で人が私を呼ぼうと、私は私。だけれど、まあそれでもいいわ。……貴女とライナードは目的がちがうのでしょう? それなら精霊の導きに従いなさい」

「はい」

「人の子よ。覚えておきなさい。その人の本質はその人だけのもの。けれども、人は偶像を欲しがる。レッテルや役割を付けたがる。だけどね。あなたが聖女になることと、聖女であることは別のことよ。その上で、……あなたの好きなように生きなさい」

「え?」


 もしかして私のことを知っているの?

 いま、どういう状況になっているかを。


 驚いている私の目の前から、神獣さまはフッと姿を消した。


 声だけが森に響く。

「精霊の導く先に進みなさい」と。


 けれどもセシルは、その場所でしばらく神獣の言葉について考え込んでいる。

 聖女になることと、聖女であることは別――。そして。

「好きなように生きなさい、か……」


 それならもう決まっている。自分は、ロナウドを迎えに行くのだ。2人で未来に進むために。


 顔を上げると光の精霊が待っていてくれている。悩むのは後にしよう。ロナウドを救出する。すべてはそれから。


 セシルは精霊の案内する方向へと進んでいった。

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