第4話:人魚の養殖?

「あなたたちのお父さん、計良けいらさんの報告では油野養殖あぶらのようしょくの工場に忍び込んで写真を撮ったそうね」


 とみさきは話し出した。


「写真?」と円理えんり

「ええ、なんでも養殖されている人魚の写真だとか」

「なにを言っているんだ? 人魚なんているはずがない」


 円理は明らかに鼻白んだ。

 常識に照らせば円理の反応は当然。


 しかしみさきは違う。彼女は常識の外からやってきた人間だ。まずは外堀から円理の常識を犯そうとする。


「じゃあ、円理さん。あなたは油野養殖がどうしてこんな寂れた町にやってきたか、説明できる?」

「いや。それは」


 円理が言葉に詰まるのは無理もない。企業とは利益を追求する組織だ。そして、神室町かむろちょうという町に魅力的ななにかがあるとは誰も思っていない。この町の住人でさえ。


 岬は主導権を握って会話を続ける。


「この町には人魚塚があるそうね。計良さんの報告でもあったわ」

「ああ」


 見守っていた常一じょういちが口を開く。


「人魚の伝説にちなんで大昔に塚を作ったらしいんだな」

「その伝説、説明してくれる?」


 岬に促されて常一は語り出した。


 ある村人が胡弓の音色に引き寄せられて水辺で戯れる人魚を見かけた。人魚のあまりの美しさに村人は彼女を犯す。その結果、産まれたのが双子の兄妹だ。兄妹は成長しても結婚せず、二人で仲良く暮らしていたらしい。


 しかしある時、殿様が病気になったということで良い薬を広く求めた。金に目がくらんだ村の人々は兄妹に迫る。人魚である妹を差し出せと。


 逃げる兄妹。二人の逃避行を導いたのが胡弓の音色だ。その音色を頼りに兄妹が山の方へと登っていったところ、鉄砲水が起きた。その水は村の人々を飲み込み、兄妹だけが助かった。


 その後、兄妹は夫婦になり、村を再建したという。


「この伝説を親父は熱心に調べていた」


 と常一は静かに語り終えた。

 聞き終えた円理は満足気にうなずく。


「わたしの大好きな話だ。兄たるもの、なにがあっても妹を守らなければならない」

「でも」


 岬が笑みを濃くした。


「兄妹で夫婦になるなんて背徳的じゃない?」

「きっと二人には血を超えるだけの愛があったんだ。わたしはそう思う」

「へえ? ずいぶんと入れ込んでいるようね」


 岬が楽しそうに笑った。

 そして円理に意地の悪い質問をする。


「もしかして、自分もジョー君の妻になりたいと思っていたり?」


 かぁああ、と円理の顔が赤くなった。


「わたしは! 別に!」

「否定するところが怪しいわ」


 おいおいと常一は眉をひそめる。


「岬さん。あんまり円理をからかわないでくれ」

「そうね、かわいそうだもの」


 全然、かわいそうだと思っていない口調で岬は円理への追及を止めた。

 自分で脱線しておいて岬は何食わぬ顔で修正する。


「つまり、この町の住人は人魚の血を引いているってことよね。計良さんが工場で見たのは、町の住人に人魚を産ませている光景だったらしいわよ。そして、その肉を加工していたの」

「だったら、写真を見せてくれ。そうでなければ、わたしは信じない」


 円理はあくまで信じようとしない。

 岬が小さく息をついた。


「わたしはこの通り、目が見えないから確認していないのよね。計良さんはわたしが属する組織に写真を送信したそうよ。その画像がパソコンかなにかに残っているんじゃない?」


 パソコン。

 その言葉に常一と円理は顔を見合わせた。


「そうか、父さんのパソコンが破壊されていたのは」


 悔しそうに円理は唇をかんだ。

 実は、と常一が岬に状況を話す。


「親父のパソコンは何者かに破壊されてしまったんだ。たぶん、証拠隠滅だな」

「そう。じゃあ、組織に頼んで写真を送ってもらうわ」

「すぐに送るように言ってくれ」


 円理が勢い込んで岬に頼む。

 それを受けて、岬は円理に感想を求めた。


「どう? 油野養殖がなにか良からぬことをしているのは分かったでしょう?」

「父さんはなにも言ってくれなかった」

「そりゃあ合法的な仕事じゃないもの。でも、わたしの組織は資金が豊富よ。計良さんにはたっぷりと報酬を払っていたわ」


 確かに計良を大黒柱とする村木家の台所は潤っていた。また、計良がサークルを主催していたりと、活発にあれこれ活動できていたのも報酬のおかげかもしれない。

 常一がそんなことを考えていると、岬が懐から分厚い封筒を取り出した。


「一〇〇万円よ」


 一〇〇万円。

 円理が「おお」とうなった。

 岬が得意げに笑う。


「ちなみに前金だけでね。計良さんの仕事を引き受けてくれれば、報酬は弾むわよ?」


 どうする、どうする、と円理はとなりの常一に訴える。


 確かに魅力的な報酬だ。常一もそう思う。しかし、危険なことには首を突っ込まないのが常一のモットーだ。


「やっぱり聞かなかったということで。大金を積まれたって、妹を危険な目にはあわせられませんからね?」

「兄さん。何故、敬語なんだ?」


 じぃ、と円理は蔑むような視線を投げかけた。

 ああ、たまらない。常一は人前もはばからずにぞくぞくする。


 が、譲れないことは譲らないのが常一だ。兄として危険な仕事に妹を巻き込むわけにはいかない。その言葉は本心だ。


 座に沈黙が降りた時、廊下の黒電話が鳴った。

 忙しない。常一はそう思いながら電話に出た。


「常一先生? わだしです、咲子さきこです」


 電話をかけてきたのは同僚の月本咲子つきもとさきこだった。


「朝はえぐからすいません。んでも、どうしても先生に知らせでえことがあっで」


 咲子は常一と同じ二四歳。若い女性なのにひどくなまっている。それがユーモラスな印象で、生徒の人気は高い。

 ふっと気が緩んだ。自分が微笑んでいるのを自覚する。


「月本先生、おはようございます。知らせたいことというのはなんですか?」

「それがなあ。言いづれぇんですけど」

「なんです?」

「そのぉ、常一先生と円理ちゃんがなあ。二人が恋人じゃねえがって、学校でうわさになっでて。いま、登校してきた生徒たちでうわさしでるみだいです。そんでですね。教頭先生の耳にも入ってるらしぐて。これは上手ぐねえですよ」


 校内でうわさ? 自分たち兄妹が付き合っている? しかも、教頭の耳に入った?

 常一は目がくらんだ。思わず柱に手をやって体を支える。

 電話からさらに凶報が続く。


「これから職員会議を始めるって教頭先生は言っでます。緊急の。常一先生抜きで、なにを始めるつもりなんだべか。常一先生も急いで来だ方がいいど思います。わだしがなんとか時間を稼ぐんで」


 常一は空に暗雲が立ち込めたような気がした。

 おかしい。なにかがおかしい。

 父の死をきっかけにすべてが狂い出していったかのようだ。

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