巨人たちの戦争 第6部:凋落編

伊藤 薫

第32章:変貌する総力戦

[1] 連合国の脅威

「青」作戦が順調に推移していた1942年8月、ヒトラーはヨーロッパ西部に対する連合軍の侵攻に直面させられた。

 8月18日から19日にかけて、イギリス・カナダの連合軍が防御の薄いと思われた北フランスの沿岸都市ディエップへの強襲上陸―「ジュビリー」作戦を発動した。しかし、ドイツ西方総軍(ルントシュテット元帥)による迎撃を受けて、兵員6000名の連合軍は半数もの戦傷者を出して撤退を余儀なくされた。

 この後、ヒトラーは連合軍の西方侵攻に対応するために、精鋭の装甲部隊をロシアから引き抜くための方策を考えるようになった。実際に、かなりの数の師団が西方に拘束されるようになり、その中には装甲部隊も含まれていた。装甲師団の中には、すでに消耗しきって休養と再編のために東部戦線から引き揚げて来たものも少なくなかった。これらの師団が西方に引き抜かれたことは、東部戦線のドイツ軍がソ連軍に対して劣勢に立たされつつあることを意味していた。

 このように連合軍の「ジュビリー」作戦は戦術的には失敗したが、戦略的には重要な成功を収めたのである。

 しかし、連合軍による最も手痛い打撃は、ドイツ空軍に対するものだった。「天王星」作戦で始まるソ連軍の冬季攻勢が発動された1942年11月、ドイツ空軍は400機もの航空機を東部戦線から地中海への配置換えを行った。これは北アフリカにおける連合軍の脅威に対応した措置であった。実際、地中海におけるドイツ空軍の損失は全体の約4割に当たっていた。

 空軍の中でも、特に輸送機が高い代償を支払った。輸送機部隊は無駄に終わったスターリングラードへの空輸補給に加えて、西方の戦域で唯一重要な地上戦が行われていた北アフリカへの補給と増援に二度、駆り出された。一度目は1942年11月にモロッコとアルジェリアに対して行われた連合軍の上陸―「トーチ」作戦に対してであり、二度目は1943年5月にアフリカ軍集団がチュニジアで壊滅した時である。大規模な空輸作戦に伴い、この半年間でドイツ空軍の輸送力は壊滅した。輸送機なくしては今後の空挺作戦も輸送作戦も不可能であった。

 また、西ヨーロッパ全域に対する連合軍による戦略爆撃によって、ドイツ空軍の衰退は加速していった。

 1943年5月以降、西部戦線におけるドイツ戦闘機の損失は常に東部戦線を超えるようになった。東部戦線でクルスク攻防戦が最高潮となる1943年7月でさえ、ロシア上空で撃墜された戦闘機は201機だったが、本土上空では335機が撃墜されていた。ドイツ本土を守ろうとするヒトラーとゲーリングの決意によって、ますます多くの戦闘機と高射砲が本土に集中するようになり、そのために東部戦線の制空権が犠牲となった。

 本土防空のために空軍が撤収してしまったことで、陸軍の各部隊は航空攻撃に晒されやすくなってしまった。装甲師団や自動車化部隊には軽高射砲中隊が配備されることになったが、通常の歩兵師団には防空のための装備や手段がほとんど無かった。

 この本土防空への戦力集中と戦闘機の激しい消耗は、東部戦線のドイツ軍が制空権を喪失する大きな原因のひとつとなった。

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