5 荒波の時代

 食堂には、人が増えてきている。店もにわかに慌ただしくなり、何人かの店員が足早に、食堂の端から端へと行き来している。人々の意識が、シェルバ人二人とグランドル人の学生四人という奇妙な集団へ向くことはなかった。

「もともと、ヴァイシェル大陸は魔力持ちが生まれやすかった。地質のせいとも、魔女のせいとも言われてるけど、詳しい理由は誰も知らねえ。ともかく、魔力持ちが多いということは、それだけ魔術師になる奴も多いってことだ。あの大陸では昔から、魔術師とそうでない人たちが隣り合って生きてきた。だからこそ、魔術師に理解がある人が多いのも確かだが――争うことも、多かった」

 ひとつひとつ、言葉を紡ぐたび、口は渇きを訴える。青年は、とうの昔に冷めたスープの残りを、一口、すすった。

「それこそ大陸に人が住みはじめてから、小競り合いは飽きるほどあったらしい。けど、生活圏が拡大するに従って、争いも大きなものが増えた。いつからか始まった『第三次抗争』って名づけられた紛争も、そのひとつだったんだ」

 少年少女の顔は、すでに気の毒なほどこわばっている。それでも彼は、ぐらりと揺れる心を黙らせ、冷たく、教科書を読むような語調を心がけていた。冷たい風に抗うように、陽の光が食器に落ちる。

「きっかけがなんだったかなんて、覚えてる奴はほとんどいなかった。けど、俺が生まれる頃にはすでに、抗争はかなり激しくなってたみたいだった。あちこちの村が焼かれていたし、町でも破壊活動や取っ組み合いが頻繁に起きてたらしい。

それでも、俺たちの住んでいた地方はまだ平和だったんだ。大陸東部の、岩場と平原と、少しの森があるだけの地域だ。ドがつくほどの田舎で、『五色ごしきの魔女』の棲みかがあったから、恐れて近づく人が少なかったんじゃねえかって言われてる。――けど、それにも限界はあった。反魔術師の連中は、いよいよそこにも目をつけた。

俺が七歳のときだな。ちっさな港町がやられて、ガキの俺の耳にも不穏な話が届くようになった。……そのときにはもう、何もかも手遅れだった」

 誰かが息をのむ。青年は、無意識のうちに拳をにぎる。

 幼い彼に、大人の話が聞こえるようになっていたときにはすでに、武器を手にした人々は、平和な村に迫っていたのだ。



     ※



 体の芯までじっくりと凍らされてゆくような、暗くて寒い夜だった。あばら家の奥で、彼は震えながら起きあがった。緩慢かんまんに頭を振って、あたりを見たとき、両親の姿がないことに気がついた。縫い合わせた皮革ひかくに枯れ草を詰めた寝床は、そのままだ。けれども、触ってみると、ひんやりしていた。彼らがここを出てから、それなりに時間が経っているらしい。

 不思議になった少年は、みずからも掛布かけふを跳ねのけて立ちあがった。粗末な寝間着に、毛皮で作った上衣を雑にはおって歩き出す。

 十歩も進まないうちに、変な音が聞こえた。壁に向かって砂利じゃりでもばらまかれているのかと、彼は眉をひそめる。そんな嫌がらせをする人間は、この村にはいないはずだ。けれどもややして、怒鳴り声がいくつも聞こえてきた。くぐもっていて、なにを言っているのかわからない。成人の儀にすらまだ遠い子どもは、ひりつく空気を敏感に察して肩を震わせた。上衣の襟をきつくにぎってかき合わせる。彼がまた、一歩を踏み出そうとしたとき、扉がどんっ、と音を立て、軋んだ。細く開いた口の隙間から、か細い悲鳴が漏れる。

 扉は何度も鳴った。落雷を受けているかのように、薄い板がひび割れた悲鳴を上げる。いつか弾け飛んでしまうのではないかと、少年は震えた。思わず後ずさりした彼の足を、続く一声が縫い止めた。

『さっさと開けろっつってんだろうが!』

『待て、無駄だ。戸を壊せ。悪魔の子がいるのは間違いない』

 夜の中にこぼれたのは、声だったのか、吐息だったのか。彼は、その場から動けなくなっていた。凍てつく空気が形をなして、紗のように降りてきそうな空白の時間。呆然と、知らない者たちの会話を聞いていた少年は、けれどもすぐに目を見開いた。苛烈なやり取りの間から、覚えのある声が聞こえる。彼が、今まさに探し求めていた――両親の声が。

「父さん、母さん……!」

 駆け寄ろうとした少年は、けれど、叩きつけられた轟音にひるんで立ち止まる。両親の悲痛な叫びが間近に聞こえ、さらに耳をふさぎたくなるような、生々しい低音が連続した。狩人としての仕事に出はじめたばかりの少年は、知っている。これは、肉が裂ける音だ。骨が折れる音だ。命が、消えてゆくまえの、響きだ。

 よくよく耳を澄ませば、一人二人ではない絶叫や悲鳴があちこちで上がっているようだ。薪の爆ぜるに似た破裂音が――燃えさかる火の声が、あばら家を取り囲んでいる。

 もはや、声すら出なかった。懸命に息をしながら、扉にすがりつき、震える手でそれを押そうと踏んばる。しかし、枯れ木ほどにも軽いはずの扉は、このとき、びくともしなかった。

『ロト!』

 壁越しにひそめられ、くぐもった声がする。いつもは穏やかな父の呼びかけは、信じられないほどひきつっていた。

「とうさ……」

『来るな。大きな声を出すのも、だめだ』

「でもっ」

 父は、喉を焼く熱に揺れる子どもの抗弁を許さなかった。

『ロト。よく聞きなさい。なるべく足音を立てないように、裏口に回って、そこから外に出るんだ。イサに、おまえを待つよう言いつけてある。イサと一緒に、東の小道から村を出なさい』

「村を出るって……」

『あそこの道なら、ネサン様たちの家も近いだろう。お二人のところへ行って、お家に入れていただいて』

 行くんだ、早く――と、うながされて。少年は、黙らざるを得なかった。

 言いたいことはたくさんあった。父と母はどうするのか、そもそも何が起きているのか。ほかの村人は無事なのか――。けれど、それらを口に出すことは許されない。問答をする時間もない。父の体が殴られるのを、板をとおして感じた少年は、唇をかんだ。

 一瞬後、上衣のすそをひるがえして、駆けだす。狩りのときのように、足音を忍ばせて。肉の干されている小部屋をくぐり抜け、表の扉よりさらにぼろぼろの板戸に手をかけた。それを押し開けると同時、ひりつくような熱と煙が押し寄せる。窒息しかかった少年は、とっさに上衣をひっぱりあげて口もとを覆った。

「な……に、これ……」

 彼の目の前に広がっていたのは、赤だった。天も地も、ひたすらに赤かった。灼熱の炎は踊り狂い、黒い煙を夜空に吹きあげる。逃げまどう人の影は陽炎かげろうのように揺らめいて、見知った顔ばかりのはずなのに、ひどくおぞましいもののように映った。歓喜の声を上げる炎のむこうに咲く華のことなど、考えたくもなかった。

 我を失って立ち尽くしていた少年は、うぉん、と低い一声に、意識を引きずり戻される。彼が慌てて足もとを見れば、大柄な黒い犬がおすわりをしていた。いつも笑ったような顔の猟犬は、このときばかりは真剣な目をしていた。

「イサ」

 かすれた声で名前を呼べば、忠実な彼はすくっと立ち上がる。小さな主をうながすように、また、小さく吠えた。

 ひときわ大きな音がとどろく。最期の悲鳴とともに、家の表でしぶきが散った。その意味するところが、わからないはずもない。涙のにじんだ瞳をそちらに向けかけて、相棒の吠え声に止められる。思わずそちらをにらむと、つぶらな黒と目があった。

 行きましょう? と、言われている気がした。

 少年は、歯を食いしばる。にじむ涙をこらえ、嗚咽おえつをむりやり噛みつぶした。

 猟犬イサは、今度は吠えなかった。ぴっとりと彼に体を寄せて、ただその横顔を見上げていた。

 何度か、炎が爆ぜたあと。少年は、乱暴に頬をぬぐってイサを呼ぶ。助けを求める泣き声に背を向けるように、黒々とたたずむ木々を振り返る。ためらいも、迷いも恐怖も。すべてをひと息に振りきった少年は、最後の家族を従えて、赤い夜の中を走り出した。

――遠くから、獣じみた叫び声が届く。最後の家族をも失う時が、すぐそばに迫っていた。



     ※



 震えだしそうになる喉を、むりやり押さえつけて。青年は、声をしぼりだす。

「結局、うちで飼ってた猟犬も殺された。多分、そこで気を失ったんだろうな。その後の記憶が少し飛んでんだ。で、気がついたら、目指してた家の中にいた。と」

「それって……話の中に出てきた、魔術師さんの家ですか?」

 凄惨な昔語りの、わずかな切れ目。リュクレースが、泣きそうな顔で首をかしげる。ロトは小さくうなずいた。記憶が飛んでいる、という部分が気にかかったのか、マルクとフレデリックは、揃ってもう一人の当事者の方を見やる。しかし、彼女はなにも言わずに目を細めた。最後まで「付き添い」でいようとしているのだ。ロトは、心の中で幼馴染に感謝しつつ、学生たちに目を戻す。

「森の中に家を構える双子の魔術師なんだけどな。弟の方が、マリオンの師匠だったんだ。その二人に助けられてからは、その家で隠れて過ごした。一度だけ村の様子を見にいったけど……なんにも残ってなかったよ。ひょっとしたら、俺たち以外にも生き残った奴がいたかもしれねえけど、今どうしてるかはわからない」

 学生たちは、つかのま、気まずそうに視線をさまよわせる。しかし、マルクが正面を見ると、ほかの三人も居住まいを正した。ロトはほんの少しほほ笑む。

「どのくらいそうして暮らしてたかな。森の寒さがやわらいできた頃、双子魔術師の家に客が来た。海の方に暮らす人の服を着た、やたらがたいのいい男だった。そいつは、どうやってか、俺とマリオンのことを聞きつけてやってきたんだそうだ。それで、俺たちに向かって訊いてきたんだ。――『大陸の外に出る気はないか』って」

 四人ともが目をみはる。早くも、勘づいたらしい。

「俺たちの村と同じようなことは、あちこちで起きてた。そのたびに、たくさんの魔術師や魔力持ち、時にはそうじゃない人たちまで、家を失って家族をなくして、さまようはめになった。

例の、双子の魔術師――先生たちみたいに、力の強い魔術師はまだ良かった。自分の力でうまく隠れて、暴徒をやり過ごせたからな。魔力を持たない人々は、反魔術師の人たちに保護されることが多かったそうだ。けど、俺みたいな中途半端な奴だと、当時の荒れた大陸じゃ、とてもじゃないけど生きていけない。

家を訪ねてきた男は、そういう奴らを集めてた。大陸の外に出る……『船団』を組織するために。それで、俺はその船団に勧誘されたってわけだ」

「それで、誘いに乗ったのか?」

「ああ。めちゃくちゃ悩んだけどな。いつまでも先生たちに迷惑かけたかなかったし、かといって一人で生きていくこともできそうになかったから。そうしたら、この幼馴染もついてくると聞かなくて。二人で、船団の仲間入りをすることになった」

 ロトはマリオンを横目でうかがう。今や『ポルティエの魔女』と呼ばれる彼女は、悪戯っぽい笑みを浮かべた。

「集まった連中で暴徒をやり過ごしながら、食料を集め物資を集め、船を探して。数年の準備期間を経て、出航することになった。船は遠洋漁業用の大型漁船だよ。それに魔術でちっと仕掛けをしたり、船に詳しい奴が設備を改造したりして、なるべく厳しい航海にも耐えられるような造りにした」

 マルクが紙片を束ねたものを取り出して、すばやく書きつけをとってゆく。魔術師二人は、勤勉な学生を、まぶしそうにながめた。

「グランドル暦で言うところの二百三十三年。春の終わりに、『ヴァイシェル魔術師船団』と名乗る奴らは海に出た。本当に、思い出すのも嫌なくらい大変だったな。嵐に遭うわ、海魔かいまっつうぶきみな魔物に襲われるわ、食いもん巡って乗組員が大げんかするわで……。俺もいろいろあって、その頃は体が弱かったから、気が立った奴らに『海に捨ててやる』って脅されたことも一回や二回じゃなかった」

 か細い悲鳴が上がる。キアラとリュクレースが、青ざめて肩を寄せ合った。そこではじめて、椅子の背にもたれていたマリオンが、口をはさむ。

「一回、本当に捨てられかけたときがあったわよね。あたしが死に物狂いで止めた記憶があるわ」

「そうだな。で、今度はマリオンとそいつが取っ組み合い一歩手前の大げんか。俺が団長ひっぱってきて、痛み分けで収まった……だったっけ?」

 深海色の瞳を呆れたふうにすがめれば、マリオンは、花を見つけた少女のように笑う。一方、学生たちは絶句していた。その後も、いくつか船の上での出来事を話してやり――ロトはそっと目を閉じて、締めくくる。

「で、二百三十四年の十一月。エウレリア大陸はグランドル王国に流れ着いた。残ったのはたったの一隻――生き延びたのは、二十一人。船団のほとんどが海にのまれた。……それでも、俺たちは、生き残ったんだよ」

 荒波を越えた先。よどんだ水平線に陸地をとらえたときの喜びとむなしさは、まだはっきりと思いだすことができた。

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