20.逢魔が時ー2


「ああ、それはすまなかった。俺の早とちりのようだ」

 何かとてれてれした様子で、ジャッキールは苦笑する。

「いや、その、欄干を乗り越えようとしていたものだから、つい、悪い方に想像が……。すまなかったな」

 アーコニアはそんなほのぼのした心境にはなれない。

(なんで、こんなのがこんな朝っぱらから、こんなとこうろついてんのよ!!!)

 これは、とんでもないやつととんでもないところで出会ってしまった。

 顔を隠してはいるものの、アーコニアは彼をだまして薬を飲ませた張本人だ。多少記憶がぶっ飛んでいたとしても、アーコニアの顔を忘れているとも考えづらい。

(これは、ばれるとまずい)

 いや、そもそも、なんで彼はこんなところをうろついているのか。療養中とかきいていた気もするのだが。というか、リリエスに盛られていた薬は相当なものだったはずなのだが、なんでこのひとこんなに平気なんだろう。

(リリエス様が目をつけるだけあって、もんのすごい丈夫だなこのひと……)

 思わずそんなことを思ったアーコニアだったが、そんなのんきなことを考えている場合ではない。

 とりあえず、正体がばれないようにしなければ。あの戦闘力を間近でみただけに、奇襲するとかそういう考えは一切なかった。どう考えても勝ち目もない。

(ううう、今日はなんて厄日なの。リリエス様は人使いあらいし、チンピラには絡まれるし、なぜかエーリッヒが散歩してるし)

 自分の不運を嘆いていると、ジャッキールが怪訝そうにきょとんと小首をかしげた。

「おや、どうかされたかな」

「あ、い、いえっ、な、なんでも」

 アーコニアはやや高めの声で答えつつ、首を振る。あまり話すとぼろがでそうだ。早いことどこか行ってくれないだろうか。

 ところが、目の前の男、こういう時はやたらと親切なのだった。

「ああ、そうであったな。落とし物をしたのだったか。どこに落としたのだ?」

「あ、えっと」

「橋の下かな?」

 と答えあぐねていると、ジャッキールは橋のたもとをのぞきこむ。

「なるほど、アレを取ろうとしていたのか?」

 ジャッキールは欄干の下の籠に気づいてアーコニアに確認する。

「あ、え、ええ」

 アーコニアが戸惑いがちに答えると、ジャッキールは、よし、とうなずいた。

「私が取ってあげよう」

 ジャッキールは顔に似合わず親切なことを言い出して、ひょいと欄干から身を乗り出した。ジャッキールは背が高い。アーコニアでは届かない場所でも、手がやすやすと届く。

(うう、隙だらけ。今なら突き落とせそうだけど……)

 とはいえ、失敗すると反撃される危険を伴う。第一、そこまでリリエスに義理立てすることもない。さすがのアーコニアも今日のさんざんな心境の中、親切にされると情もわくというものである。(いくら、私でもここで突き落とす選択肢はないよね)

 そうこうしているうちに、ジャッキールはさらっと籠を拾い上げてきた。

「中身は無事かな」

 手渡しされて尋ねられ、慌ててアーコニアは我に返って中を見る。少し落ちてしまったものもあるようだが、大体は助かっているようだ。思わずほっとする。

「だ、大丈夫みたい」

「それはよかった。では、気を付けて帰られよ」

「は、はい。ありがとうございます」

 とりあえず、礼はいう。

 しかし、長居は無用だ。ばれないうちに帰らなければ。

 そんなことを思っていたせいか、柄になく焦っていたアーコニアはそのまま後退して走り去ろうとして、欄干にぶつかって転びそうになる。思わず彼女らしくもなく、かわいらしい悲鳴をあげかけたところで、慌ててジャッキールが受け止めに来た。

「だ、大丈夫か?」

 そういって顔を覗き込まれて確認される。

「あああ、ごめんなさ……」

 と、謝りかけて顔を上げる。

(ち、近い!)

 再び顔が近い。

 しかし。

 長い睫毛、切れ長の目、やや色の薄い瞳、形の良い眉、高い鼻梁に形の整った唇。やや険はあるものの、今日は穏やかな知的なまなざし。

(な、何コイツ……)

 色の薄いその瞳が何度か瞬きされる。

「だ、大丈夫かな?」

 心配そうな表情でアーコニアを見やるジャッキールに気づいて、アーコニアは彼の顔を凝視していたことに気づいて、慌てて彼から離れた。

「あ、あああ、す、……す、すすみません」

「い、いや、私こそ失礼した。けががなくて何よりだ」

 思わず見つめてしまったことに動揺したらしく、ジャッキールも慌ててそう答え、照れ隠しのような笑みを浮かべる。

「で、では。私はこれで」

 ジャッキールはそういって、かすかにほほ笑むと立ち去っていった。颯爽とというには、彼なりに動揺しているのか、ちょっとぎこちない動きだったが、アーコニアにはそんな姿は目に映らない。

 後姿をぼんやりと見送り、彼が見えなくなってしまったところで、ようやくアーコニアは身を起こす。

「なにあれ……」

 彼女は茫然とつぶやいた。思わずぎゅっと両手を胸の前で組み合わせ、彼女はらしからぬしおらしさでため息を深々とついた。

「顔が、めっちゃいい」

 


(この私があんなにいい顔に気づかないとか、迂闊だった。まあ、この間は任務中だったしなあ。情なんか抱いたら薬盛れないし……。いや、あっちも、あんな穏やかな顔とかしてなかったんだけど。目つきやばかったし。いや、もしかして、仕事中は、目つきヤバイとこあるひとなのかな……、まあ普段からちょっと険しいかあ。しかし、一般人には、普通に礼儀正しい武官風なのかしらね)

 目の前の惨状を忘れるべく、先ほどのいい思い出に浸っていたアーコニアはそんなことを考える。

(んー、それにしても、いくつかしらないけどそこそこオッサンの今であの顔でしょ。若いときは凄い美青年だったのかな。それはそれで見てみたい感じ、いや待てよ、今の方が磨かれていいってこともあるし……。うんうん、あの洗練された所作もなかなか評価高い)

 ネリュームに面食いだとか、ジャッキールの顔は好みなどといわれたことはとりあえず置いておいて、彼の言う通りにうっかりとときめいてしまったアーコニアは、そんな勝手なことを考えながら思いに浸っていた。

「で、どうだよ。クスリの話は」

 そんな風にせかされて、思わずアーコニアは現実に戻る。

(なんで同じ傭兵なのにここまで違うかなあ。あっちが特殊なのはわかるんだけどさあ)

 目の前の傭兵たちをチラ見して、アーコニアは深々とため息をつく。

「いいわよいいわよ。どうせ、使うことがあるんでしょ。ほら、渡すから適当に使って」

 もうどうでもよくなって、アーコニアはさっさと彼らに小瓶を渡す。

 劇薬の部類であるそれを、そんなに簡単にばらまいていいのかどうかはわからないが、どうせリリエスに聞いても適当にやれとか返事があるだけになりそうだ。

 それにもうギライヴァー=エーヴィルが持ち逃げしているわけだ。ばらまいたのがどこかに流れて、敵に知られたとしても、自分の責任でもあるまい。

「はは、すまないねえ」

 優男の傭兵フルドが、いかにもチャラい様子で瓶を受け取る。

 雰囲気だけはジャッキールと少し似ている彼ではあるが、何か色々大きな違いを感じて余計暗い気分になるアーコニアなのだった。

「それにしても、今日は、皆、それを欲しがるわねえ。あなたたちも作戦なわけ」

「まあそれもあるんだけどな。押し入る家が押し入る家だからさ」

「家? あれ、ファザナー将軍の施設とかじゃないの?」

 ふとフルドの方が声をひそめる。

「大きな声じゃいえないが、今日の作戦の先はファザナー将軍のところって話だぜ。いくつか別宅があるらしいんだが、そのひとつとかなんとか」

「別宅? なんで?」

「さあ、それは知らねえけどさ。あそこは船着き場があるから、海賊連中も動きやすいんだとさあ。実は武器庫として運用されているんじゃないかとか、俺らの中では噂になってる」

 そういえば、ジャッキールをかくまっているあそこもファザナー将軍の別荘らしいが、到底、彼らが攻め入る対象のような武骨なものはなさそうだ。あそこは普通に遊びのために作ったような場所だったはず。だとしたら、多分違うのだろう、とうっすらアーコニアは考える。

 今はちょっとジャッキールに情がわいてしまった彼女は、むしろそっちでないほうが都合がいい。

「まあ、実際、よくわからないんだがなあ。俺たちは指定された場所にいくだけだから」

 フルドがそう答えると、大男の傭兵ワズンがふと言った。

「そんなことより、あんた、あのメイシアって小娘を知らねえか」

「さあ、知らないわよ。何の用だかしらないけど、今、あの娘、そのアイード=ファザナーが保護しているわよ。だからこの周辺にはいるんだろうけれど。アイードって男はよくわからないけど、彼の持っている組織は侮れないわ」

 第一、とアーコニアは告げる。

「あの娘、エーリッヒのかわいがってた子なんでしょ。あなた達も彼のことは知っているんだろうし、下手に手を出せない相手だってよくわかってるはずよね? 生半可に手を出すのはやめときなさい」

「ふん、お前もあいつと一緒でかわいくないな」

 ワズンはそういって、ふんとばかりに背を向けて歩き出してしまう。

「ほっといてほしいわね」

 ワズンの言葉を冷たくはねのけて、アーコニアは足を進めた。

「私も忙しいから失礼させてもらうわ」

「あ、ちょっと待って」

 フルドの方が呼び止めてくる。相方のワズンはもうとっくに角の向こうだが、彼はまだ話があるようだった。

「何?」

「そういや、君はエーリッヒのことを知っているんだ。それじゃ、あのメイシアって娘とエーリッヒのことも知ってるのかい?」

「え。いや、そんなに知らないわよ。ただ、あの二人が師弟関係みたいなものだったってくらい。エーリッヒがメイシアのことをかわいがっていたってことなんでしょう」

 アーコニアはそういって、ふとメイシアのことを思い出す。

「でもいいわよねえ。あの子は。エーリッヒに、”あなたの騎士”とか手紙に書いてもらえて、特別扱いしてもらえうるんだもの。あれ、絶対特別な呼び方よね。いいなあ、二人だけの暗号とか」

 思わず嘆息してしまう。今までは別に羨ましいとは思わなかったが、今日のアーコニアはメイシアが羨ましくて仕方がない。

 自分の上司と取り換えてくれないだろうか。無理だろうけれど。

 そんなことを考えてしまう。

「近いうちにエーリッヒと会うんだろうなとは思うけれど、うらやましい」

 ぶつくさ独り言のようにそんなことをい宇彼女の言葉を、フルドは聞いていたが、ふと笑顔になっていった。

「そういえば、君、ほかの薬も持っているんだろう。もしよかったら分けてくれないかな。実は、最近寝つきが悪くって」

「なに、眠り薬が欲しいってこと? アレ、効きすぎると本当に気付かないわよ。あなたたちみたいな職業の人は飲まない方がいいでしょ」

「いやあ、それが睡眠不足になるぐらいで、逆に仕事に支障がでるんだ」

「まあ、それぐらいならいいけど……」

 アーコニアは、懐に手を入れた。眠り薬程度ならいつでも持ち歩いている。彼女は、特に深く考えず、フルドにそれを渡した。


 *


「んあー、よく寝たなあ」

 そんなことを言いながら背伸びをする。店からでてきたギライヴァー=エーヴィルは、行儀悪く大あくびをしていた。

 太陽が傾き始めている。それはまだ赤くはなっていないが、そう遠くないうちに暮れはじめるだろう。

「よく寝られますね」

「今日は朝早かったろ? 眠たいに決まってるじゃねえか」

「昼間からお酒を召したからでしょう?」

「朝に一仕事したんだ。酒飲んで昼寝して何が悪い。どーせ、俺には仕事らしい仕事もねえしさあ」

 冷たい視線を浴びせてくるキアンに、ギライヴァー=エーヴィルはにやっと笑う。

「それではお屋敷に帰りましょう。本日は色々忙しゅうございます」

「いや、寄りたいところがある。一軒だけ寄る」

 さらっとそんな風に否定する主君に、キアンはあからさまに嫌な顔をする。そんな彼の顔を見てもないくせに、先立って歩いているギライヴァーはにやりとした。

「おめえ、つくづく顔に出るなあ。くく、そのクセ直しておいたほうがいいぜ」

 彼はそういって横目にキアンをみる。

「俺はそういう素直なのは嫌いじゃねえが、世の中、俺みてえに善良で優しい男ばかりじゃねえんだぞ」

(どこが?)

 吐息をつくように気だるげに話を振ってくるギライヴァー=エーヴィルは、おおよそ”善良”の持つ意味からはかけ離れすぎている。

「ご忠告は痛み入ります」

「そうか、それはよかった。それじゃ、ついでに、お前ここで待ってろ」

「は?」

 唐突にそんなことを言われて、キアンは思わず顔をこわばらせる。

「殿下!」

「声がでかい」

 ぴしゃりとギライヴァーにとがめられて、キアンは心持ち声を下げる。

「意味のわからないご命令はきけません。納得できる理由を教えてください」

「ふん、若いねえ。納得できなきゃ、命令きけねえってか。ふふふ、そんじゃはっきりいうがよ」

 ギライヴァーは、不意にいたずらっぽく笑う。

「おめえといると、女が寄り付かねえんだよな。俺より若いし、美形だし、俺と違ってロクデナシそうなにおいもしねえし。早い話、女と会ってるときはお前は消えてもらいたいんだよ」

 そんな事実はないような気はする。ギライヴァーは実際は意外とモテるし。

 それよりも、カタブツのキアンは、またしても主君が女遊びをしようとているほうが気に食わない。

「殿下、また!」

「お、納得できねえってか? ぁー、相変わらず、気の利かない男だなあ」

「気が利かなくても構いません。私は殿下の護衛が本分です。おひとりで出歩かれて何かあっては……」

「は。お前が守れる程度で何かあるなら、とっくに起きてら」

 ギライヴァーは冷たく笑いながらそう言い捨てつつ、

「とにかく、次の角曲がったところで……」

 といいかけたギライヴァーは、ふと何を見たのか言葉を飲み込み、それからキアンを振り向いた。

「やっぱりここで待て。すぐ戻る」

「殿下!」

「いいから!」

 ギライヴァー=エーヴィルは、くぎを刺すようにそういう。キアンはむっつりと不機嫌な表情を隠さなかったが、

「わかりました! しかし、責任は持ちません!」

「安心しろ。なんかあってもおめえのせいじゃねえって、気が向いたら一筆書いといてやる」

 ギライヴァーはそんなことを軽い調子でいいながら、角を曲がりかけたが、ふと思い出したように振り返る。

「絶対ついてくるなよ!」

「わかっています!」

 むっとしたままのキアンを嘲笑うように口をゆがめつつ、彼は角を曲がっていく。

(まったく。このお方の気まぐれにも困ったものだ)

 もともと、先祖から彼の家に仕えていたから仕方がないとはいえ、選べるならもっとほかの主君を選んでいる。思わずそんな気持ちになるキアンであったが、一方、ギライヴァーが自分を置いて一体どんな女と会っているのかも気にはなる。

 ギライヴァーにみられないように、角の建物の壁に身をひそめてのぞき込むと、気まぐれな主君はふらっと店のある通りの方に歩き出していた。

 その視線の先には女が二人立っている。

 一人はまだ少女のように見え、もう一人も落ち着いているがまだ若い女のように見えた。




「本当にここで大丈夫?」

「大丈夫だよ。ここまでくると、人通りの多い道しかないもん。危なくないよ。それに宿はあと道を一本挟んだところなの。大丈夫だよ!」


 一緒に昼食をとり、お茶などを楽しんだ後、リーフィはメイシアを宿の近くまで送ってきていた。

 河岸周辺でも治安の悪い道はある。午後になると酔っ払いも増えるし、集まる船乗りには柄の良くない者もいる。リーフィもそういうことを懸念して、大丈夫だという彼女にここまでついてきたのだが。

「けれど、また絡まれたら大変でしょう?」

「信用ないなあ、大丈夫だよ。さすがのあたしだって、道一本でからまれたりしないもん。それにリーフィさんも忙しいでしょ。あたしに時間かけてもらったら気を使うもん」

 メイシアが明るく笑って返答する。

 もともと人懐っこいメイシア=ローゼマリーはこの数時間のうちに、すっかりリーフィに打ち解けている。

「でも、夕方にかけて酔っ払いなんかも多いし」

「大丈夫! リーフィさんもだけど、あたしもそういうの慣れてるから!」

 そんなことを話していると、早速、道行く酔っ払っている船乗り風の男たちが彼女たちに目をとめる。

「お、ねーちゃん達、なにしてるんだ? よかったら俺たちと……」

 言わんことではないと、リーフィがメイシアをかばうように、そっと一歩前に出る。彼女はいつもの無表情で、しかし、少しだけ眉根を寄せて口を開こうとしとき。

「ああ、奇遇だなあ」

 船乗りに割って入ってくる男の声があった。

「こんなところで出会うとは思わなかった。リーフィ、お前、ここは店に近いのか?」

 そういってずかずかと船乗りたちの間に、声をかけてきた男が割って入ってくる。リーフィが思わず驚いたように彼に目を向ける。

「なんだてめ……」

 と船乗りたちは言いかけて、ちょっとぎょっとした。

 頭巾をかぶって顔を隠し気味の男は、あからさまに上等な服を着ていた。一目で貴人だとわかる服装に、彼らは気後れする。

 すらりとした長身の男は、頭巾を外してしまうと額に足れさがった波打った長髪を軽くかきわけるようにしつつ微笑んだ。

「おや、失礼。知人を見かけたもので、つい」

 男は船乗りたちに優雅に笑いかける。

「この子たちに、何か用だったかな?」

「いや、俺たちは……」

 その雰囲気に思わず飲まれて、船乗りたちは気まずそうに顔を見合わせた。

「いこうぜ」

 そういって立ち去っていく船乗りたちに視線をやり、男は少し優しげに微笑んでいった。

「リーフィ。こんなとこ、女二人でたたずんでるとあぶねえよ」

「ギル様」

 リーフィが思わぬ相手に出会ったと驚いて名前を呼ぶ。

「美人が二人、こんな柄のよくねえ道に立っていると目立つぜ。あーいうやつらを引き寄せちまうよ」

 ギライヴァーは、髪の毛を後ろに流しながら気だるげに告げた。

「今日はとりわけ、あーいう連中がこの付近を出歩いてるからな。この周辺は足早に通り抜けねえと、あんなのが何人もくるぜ」

「そうなのね。ありがとう」

「なあに。何もしてないさ、通りすがって声かけただけのことよ」

 そういってギライヴァー=エーヴィルは、メイシアの方にも目を向けた。

「お嬢ちゃんすまなかったな。いきなり俺みたいなものが出てきて」

 メイシアも、明らかに常人ではない雰囲気のギライヴァーの登場には面食らっていたが、彼が愛想笑いを浮かべて挨拶すると、ちょっと警戒を解いて微笑みかけた。

「いいえ。助けてくれてありがとう」

「なに。ところで、お嬢ちゃんは、宿にでもとまっているのかな? ここから近いなら送っていくぜ」

 ギライヴァーはそう申し出た。

「今のでわかるだろ。お嬢ちゃん可愛いから、ヤバイ奴が寄ってきやすいのさ。今日はもう外出しないほうがいいぜ」

「ううん、大丈夫。本当にここからすぐなの。それより、リーフィさんの方が遠いから、リーフィさんのほうを送ってあげて」

 とメイシアはリーフィを見上げる。

「ね、あたしはもうすぐそこだから」

「そうか。さっきのすぐなら、そんな変な奴もいないかもな。だが、気を付けた方がいいぜ」

 ギライヴァーがそう忠告すると、メイシアは笑って返答する。

「わかったわ。ありがとう」

「メイシア。まっすぐ帰ってね」

 リーフィがダメ押しをするように確認すると、たっとメイシアは駆けだして笑った。

「わかってるよ。リーフィさん今日はありがとう。また明日にでも酒場によるね」

「ええ。待っているわ」

 手を振るメイシアにリーフィが答えると、メイシアはもう一度明るく手を振って大通りの方に歩き出した。

「あの方向の道なら、そんな変な奴はいねえんじゃないかな」

「ええそうね。寄り道しないでいてくれるといいんだけど」

 リーフィがそう心配そうにいいつつ、改めてギライヴァーの方に顔を向けた。

「でも、本当に助かったわ。ギル様ありがとう」

「いや、礼には及ばねえよ。珍しくこんなところで見かけたから、ちょっと声をかけたかったのさ。”俺が”」

 ギライヴァー=エーヴィルは、優しく微笑む。

「さて、お前も帰るんだろう? あの子に頼まれたことだし、大通りにつくまで送って行ってやるよ」

「あら、でも悪いわ」

「いや、俺もお前と話したいしさ。ただの口実だ」

 素直にそうみとめて、ギライヴァーはリーフィを先導しつつ歩き出した。

「で、口実なんで長く話したいからさ、ちょっと複雑な道を通るんだけどいいかな。そんな怪しげな道は通らねえからさ」

 ギライヴァー=エーヴィルはそう断る。特に嘘をつくようなこともなさそうなので、リーフィは同意した。


 その通り、彼はあえて複雑な道を選びながら歩いていく。角を小刻みに曲がりながらも、リーフィに配慮しているのか、人通りもまばらに見える。

 そんな中、彼の方から話しかけてきた。

「あの絵の進捗なんだけどな、今は色を付けているんだ。ちょっと忙しいんだけどよ。すごく進みが早いんだぜ」

 ギライヴァーは楽しそうにそういった。

「俺は大体描いた相手のことは、よく覚えているんだが、それでも実物を目にして描いたほうがもっとよく描けるんだよ。だから、今日お前に出会えてよかった。これで、もっと仕事がはかどる」

 少しあどけなさをふくんだような、子供みたいな瞳を彼はリーフィに向ける。

「きっといい絵になると思うんだ。だから、完成したら是非お前に見てほしいし、またお前の絵をかかせてほしいぜ。礼もまだしていないしな」

「それは楽しみだわ。私もギル様の絵は好きだし、色のついたところを是非見たいわ」

 リーフィも、実のところ彼の絵には興味があるのだった。

 ただひとならぬ人となりにも多少の興味はあるのだが、純粋に、見かけによらない彼の実力のほども気になるし、彼の絵が好きだといったのも、別に世辞でもなかった。

 リーフィにとっては彼は貴族というより、謎めいた画家という印象なのだ。

「はは、そう言ってもらえると嬉しいよ」

 ギライヴァー=エーヴィルは、屈託なく微笑む。

「しかし、ちょっと街の様子が不穏だな。リーフィも今夜は早く帰った方がいいぜ」

「そうね。今日はずいぶん、いつもと雰囲気の違う船乗りの人が歩いているみたいだわ」

「ああ」

 ギライヴァーはリーフィに同意しつつ言った。

「実はな、今日は河岸のあたりに、何やらよろしくない男が集まるらしいのさ。なんでもその周辺にはファザナー将軍の別荘があるとかなんとか聞いているが、関係あるのかな」

 ギライヴァーは、リーフィに視線をやる。

「俺みたいな立場になると、いろんな噂を聞くんだがな。今日はその辺でちょっとしたもめ事がおきそうなんだぜ。リーフィには、そういうもめ事の好きなお友達はいねえだろうが、でも、もし、厄介ごとが好きな友達がいたとしたら、どうか止めてやってほしいんだよな」

 とギライヴァー=エーヴィルは、にこりと笑う。

 その言葉にリーフィはかすかに違和感を感じた。まるで、ギライヴァー=エーヴィルは特定の”誰か”に向けてそれを言っているようだ。

 素行不良な貴人風のギライヴァーであるが、普段の彼はあくまで理性的で慎重だ。少なくともリーフィの前では、不用意な発言などしない。その彼が、こんな風にある種の意図をにおわせるのは珍しい。

 敢えて意図的にやっているとすれば、彼は一体? そして、誰に?

 そんな風に思いを巡らせるリーフィの思考にも感づいているのか、しかしあくまで彼は優しげなまなざしをリーフィに向けて、確認するようにこう告げた。

「リーフィからも、今夜だけは、くれぐれもそっちに近づくんじゃねえぞって教えてあげてくれよな」

 彼の言葉は、やはりリーフィの向こうの特定の誰かに向けられているようで、それには不思議な響きがある。

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