12.煌めきのカケラ


 簡単に手応えがあって、ゼダの拳は目の前の男をとらえていた。

 ふわりと帽子が飛んで、そのままアイード=ファザナーが地面に倒れる。ゼダはその胸倉を反射的に掴み、流れるままに二発目を入れようとしたところで思いとどまっていた。拳を握ったままで、それがかすかにふるえていた。

 アイードはされるがままに無抵抗だったが、いつまで経っても追撃しないゼダを静かにみやって苦笑する。

「なんだよ。もう終わりか?」

 アイードは、唇を歪めて笑う。その唇の端から血がにじんでいたが、彼はぬぐうこともしなかった。

「気が済むまで殴るんじゃねえのかい?」

 ゼダはそんな彼の胸倉をつかんだままで、じっと睨みつけていた。

 こんな時ですら、アイードの目は穏やかで静まり返っている。そのことがいっそのこと恐ろしい。一体何を考えているのか、予想ができない。

「なんで、避けなかったんだ」

 ようやく尋ねたゼダの声は、少し震えていた。

「避けられなかったからだろ?」

「アンタだったら、絶対避けられるはずだ!」

 ゼダは歯噛みしていった。

「馬鹿にするな! それぐらい、俺にだってわかる!」

「ややこしい奴だな。殴らせてやるっていってんのに、黙って殴れよな」

 苦笑して、アイードはため息をついた。

「俺は無益な暴力が嫌いなのさ。散々言ってるだろ。俺はな、”暴力”が嫌いなんだ」

 アイードは涼しげにそう言う。

「振るわれるのも嫌いだが、振るう方がもっと嫌いなんだ。だから、この程度で済むなら、何発でも殴らせてやるよ」

 ゼダが黙っているのを見て、アイードは何を思ったか苦笑した。

「まぁさ、正直に言えば、俺がお前なら、間違いなく張り倒してるだろうな、と思ったからもあるかな……」

 暴力が嫌いだと言いながら、彼はそんな矛盾したことを言う。

「とにかく、そういうコトだから。気の済むまでなんとでもすればいいさ」

 ゼダは唇を噛み締めつつ黙っていた。そんなことで、とても収まるような気持ちではないのだ。彼はその自分の本心を、きっと見抜いている筈なのに、どうしてこんなことをいうのだろう。

 ぐるぐると様々なよどんだ思いが心の中で混ざっていく。その中で、ゼダはようやく、苦し紛れのように言葉を吐く。

「それじゃあ、教えてくれ」

 ゼダは、絞り出すように尋ねた。

「何故、海に出たんだ?」

「なんだって?」

 意外なことを尋ねられ、アイードはきょとんとした。

「アフェリオットは、何故海に出たんだ?」

 ゼダはもう一度尋ねた。

「アフェリオットは、自分が優越感に浸りたいから、外の世界へ向かったんだって、アンタ言ったよな? でも、そんなことおかしいことなんだ。優越感に浸りたいなら、弱い奴しかいない場所でお山の大将してたほうがいいはずなんだ! 未知の場所なんて、怖くていけない筈だ! わかるんだよ、俺がそうだから!」

「それは……」

 アイードが少し言葉を濁す。

「教えろよ!」

 ゼダの声は強く、しかし、懇願するかのようでもあった。

 アイードはしばらく黙って考えているようだったが、ふと顔を上げた。

「同じ海を……」

 ゼダが目を瞬かせる。

「同じ海の色を見たかったのさ」

「海の色?」

 アイードはうなずいて苦笑した。

「一度、派手にやらかしてな。家の連中に、コトがバレたわけだよ。でも、その時は奴も大人しいばかりのアフェリオットじゃなかったんで、思いの丈をぶちまけたものさ。親父がクズだったのを黙っていたこと、不埒に遊んでばかりの母親のこと。厳しい叔父も先生も、その時は反論できなかった。ただ、当の母親がつかつかと近づいてきた。何をするのかと思った瞬間、壁にぶっ飛ぶぐらいの勢いで顔を張られたね」

 アイードは、苦く言った。

「彼女は泣きながら言ったものさ。何故、お前は彼にちゃんと向き合ったことのない他人の噂ばかり信じるのかと。自分は母親失格だけど、人を見る目はある。彼は、世界で一番いい男だ。自分が愛した唯一の男だ、ってね。……正直に言うとな、彼女のことを、母とは思ったことは以前も以後もなかった。でも、母親じゃあなかったけど、その男の妻ではあったんだと思った」

 力が抜けたゼダの手が離れ、アイードはふらっと立ち上がった。

「そんないい女にそれだけ愛されるなら、まんざら悪いだけの奴でもなかったのかなって……、そう思ったら気が抜けちまってな。気持ちをどっちにもっていっていいのか、わかんなくなっちまったんだよ」

 アイードは近くに落ちていた帽子を拾い上げ、ほこりをはらった。

「でも、そのころにはもう別に夢見る少年じゃなかった。現実は知っていた。だから、もうそれが宝石じゃないとわかっていて、知ればどうせまた傷つくとわかっていた。それでもただ、その男と同じ海が見たいと思ったのさ。そうすれば、良くも悪くも、きっと気持ちの整理がつくだろう。納得できると思ったものさ」

 ゆっくりとそれをかぶりなおしつつ、彼は言った。

「こんなこと言っても、何の救いにもならねえが、……お前の親父だって、俺から言わせれば巷で言われてるほど悪い男じゃなかったぜ」

 黙っているゼダにそう告げながら、彼はまっすぐにゼダを見やる。からかっている様子はないし、穏やかだが慰めるようでもない。淡々と真実を告げるような口調だった。

「外向けかもしれないが、部下のことはちゃんと考えてるし、言われてるような守銭奴ってわけじゃなかった。一代で成り上がっただけあって、クセはあるけどな。でも、だからこそ、魅力的で話せる男だったよ。俺は三白眼のところの親父のことは個人的にゆるせねえんだが、お前のとこの親父のことは多少はかばえることをしっているよ」

 そういって彼は苦笑した。

「まあでも、俺は聖人じゃねーから、なんでも許せとか説教くさいことは言うつもりはないぜ。身内だけに色々あるし、俺だって未だに関わりたくねえ身内は掃いて捨てるほどいる。ただ、どんな形にせよ、自分の心の整理さえついているほうがいいに決まってるんだよなあ。お前や三白眼のボーヤも、俺みたいに楽になれるといいよな」

 ゼダはまだ黙っている。アイードは自嘲的に笑った。

「結局捨てられなかったのさ。昔憧れたそれが、もう煌めくものじゃなかったってわかっていても。古いおもちゃ箱にぶち込んだゴミクズだとわかっていても。でも、それってすごく無駄な事さあ。餓鬼が夢見てるだけの話、いい大人のやることじゃない」

 アイードは目を伏せていたが、ふと顔を上げて首を傾げて笑う。

「だから、お前は捨てなきゃダメだぜ?」

 冷徹なことを言うくせに、彼は優しい眼差しを向けてくる。

「そんなもんただの、子供じみた感傷さ。大事にすればするほど傷つくことだってある。夢見るなら手を触れてはいけないし、真実を知るつもりなら捨てちまえ。残念だけど、そういうことだから」

 彼は穏やかな目で優しく笑う。

「お前の探してる男は、とっくに死んだんだよ。そういうことにしておいてくれ」

 ゼダは静かに彼を見上げていたが、少し俯いてそれから踵を返した。

 アイードは黙ってその背中を見送っていたが、数歩の後、ゼダは思い出したように振り返った。

「もう一つだけ教えてくれないか」

 アイードは無言で首をかしげる。

「海に出たアフェリオットは、その男と同じ海の色を見て答えを見つけたのか?  それを経て、今は、その男は彼にとってどんな存在になったんだ?」

 ゼダの瞳に傾いた太陽の光が差し込んで、赤く輝いている。

「これだけは、本当のことを言ってくれ」

 そんな彼のまっすぐな視線を浴びながら、アイード=ファザナーはしばらく無言に落ちていたが、やがてため息を一つついて苦笑した。

「俺に聞かれてもアフェリオットの返事はわからねえから、俺の話をするぜ」

 やや俯き加減の顔を上げ、彼は真面目な顔で告げた。

「誰が何を言おうと、俺にとって俺のオヤジは、世界一イイ男だよ」

 ゼダはそれを聞いてしばらく彼を見つめた後、ついと振り向いて歩き出す。そしてすぐに駆け足になって、向こうの辻に消えていった。

 アイードは、無言でしばらくぼんやりそちらをみていた。

「しょうがねえんだよ」

 アイードは呟いた。

「俺だって、戻れるもんなら戻りたいぜ。でも、どこ探してもいないんだよ。いなくなっちまったもんはしかたねえんだよ」

 誰にも聞こえないような声でぽつんと呟き、ふと彼は近くの建物の側に目をやる。長くのびた建物の影の一つがいびつにみえた。

「ゼルフィス、もう出てこいよ。いるんだろう?」

 そう声をかけると、馴染みの副官がさっと出てきて笑った。

「なんだ、気づかれないと思ったのに。結構、大将勘鋭いよなあ」

 アイードはそれに取り合わない。

「いつから見てた?」

「さて、いつからだろうな」

 珍しく不機嫌そうな態度のアイードの隣で欄干に背をもたせつつ、ゼルフィスはにんまり笑う。

「なあ、”フェリオ”」

 唐突にここのところ呼ばれない愛称で呼ばれ、アイードはどきりとしたらしい。

「なんだよ?」

 ややぶっきらぼうに尋ねると、ゼルフィスは相変わらず悪戯っぽく笑う。

「アンタ、相変わらず突き放すの苦手だよな」

「何がだ?」

「本当は、幻滅させてあのネズミの子を巻き込まないようにって思ってたんだろ」

「そ、そんなカッコいいもんじゃねえよ。ただ……、あいつの見てたような男はもういねえって伝えたいだけ」

「それなら、なんで言っちゃったんだよ。海に出た理由とその結果」

「それは……」

「あんな本当のこと言っちまってさー。あれじゃ、意外とカッコイイじゃないか」

 突っ込まれてあからさまに困るアイードは、少し考えてからため息をついた。

「あんまりアイツの目が真剣だったから……。どうも嘘がつけなかった」

「ははっ、やっぱりな」

 ゼルフィスは、よっと声をかけて欄干の上に飛び乗って座った。

 静かな夕暮れだ。赤く染まった川面に緩やかに小船が流れていく。

「昔から、アンタはちょっと優しすぎるんだよ。どうにも突き放すのが苦手で、中途半端になっちまうんだよな」

「そんなもん優しさじゃねえだろうよ 」

 アイードは苦笑した。

「身勝手なだけさ。突き放しきれないのは、俺が自分に甘いってことだよ。俺が自分一人悪い奴になれればそれで終わりなのに」

「でも、私は、フェリオのそういうところ、結構好きだぜ」

 好きとか具体的な言葉が飛び込んできて、密やかにアイードは動揺していたが、慌てて体裁を整える。

「なんだよ、持ち上げても何も出ないぞ」

「協力したんだし、メシくらい奢ってくれるだろ?」

「まぁ、そりゃあ」

 ぼやくように呟くアイードに彼女は言う。

「そんなに違うもんかな?」

「今の俺と?」

 水を向けられてアイードが尋ねると、ゼルフィスは頷く。アイードは少し寂しげに苦笑した。

「ふん、俺には無理だよ。勇ましいのはいいけど、あんなのは蛮勇っていうんだ。今の俺には、守るものが多すぎる。身の丈わきまえなきゃ自滅するんだよ。俺はそんな器の男じゃないって、わかってんだろ?」

「そうかなぁ」

 ゼルフィスは少し複雑そうに笑う。そのどこかさみしげなのを、アイードは無視するように視線を外す。

「そうだよ。あんな奴、とっくにこの世にはいないんだ」

 その空気をはらうように、アイードが明るく言った。

「ところで、お前、もうちょっと街中では大人しくしろよな。副官お前の活躍がめざましいもんで、余計俺の情けない噂が広がっちまう。あんまり情けねえと嫁の来手がなくなっちまうって、また俺が親戚連中に袋叩きにされちまうよ」

「えー、あんたなら引く手数多だと思ったけどな。あー、でも、色気とかないかあ」

 さりげなくひどいことをいわれた。ゼルフィスは、そのまま欄干から飛び降りると先に立って歩き出す。

「お、お前さ」

「安心しろって」

 ゼルフィスが振り返って、男前な笑顔で言った。

「どうしようもなかったら、私がフェリオを嫁に貰ってやるよ!」

「は?」

 アイードはあっけにとられて、その意味を反芻していたが、

「いや待て、『嫁』ってなんだよ? 色々おかしいだろ」

 喜んで良いのか、それとも……。複雑な心境のアイードだが、ゼルフィスはもはや話を聞いていない。

「そうだ、今日は肉食おうぜ! やっぱ、運動した後は肉だよな、肉肉!」

「お前……」

 そろそろこの副官とも長い付き合いになるが、いまだにアイードはどうも掴みきれていない。

「しょうがねえなあ」

 アイードはため息をつくと、彼女の後を追って歩き出した。

 その時、ふと足元で光るものがあった。アイードはそれに目を止めて、拾い上げる。

「これは……?」

 それは夕日の残光に煌めいて、アイードの目を輝かせた。彼はふと、まじめな顔になる。手のひらの中のものが、大変な宝石のように輝いて見えた気がした。

「大将ー! 行っちゃうぞ!」

「お、おう! 今行く!」

 アイードは頭をかきやりつつため息をついた。もう一度手のひらの上を見やると、先ほどと違ってそれはただの”装飾品”だった。

「こんなもん戻ってきても今更なのにな」

 困惑気味に呟きつつ、ちょっとためらった後、アイードはそれを結局懐にしまい込んだ。


 *


「昔のカリシャの王様には、背中に羽が生えてたってな。ザファルバーンの王室は、星の女神と繋がりが深い。星の女神は翼が何枚も生えてるって、そういう話で、女神に気に入られてる王様には羽が生えてたって話」

 やや小高い場所になっている、人気の少ない道からは、宮殿の塔がよく見える。そこからは夕暮れの街並みもよく見えた。風光明媚だったが、この界隈は限られたものしか入れないので、見られるものは少ない。

 ギライヴァー=エーヴィルが先導し、リリエスを連れてきたのはそんな場所だった。

 ギライヴァー=エーヴィルは一度屋敷に立ち寄り、荷物を下ろしてきていたが、部下を連れておらず身軽だった。帯剣はしてはいるものの、リリエスのようなものに対していささか軽装すぎる。今もリリエス=フォミカと対峙する形になっているというのに、軽く伸びをした彼には緊張感はない。

「で、昔から高いとこが好きなんだよ。やたらめったと塔なんか建てやがってな。まあ、俺も好きだけどな、高いとこ」

 ギライヴァー=エーヴィルは、底知れない笑みを浮かべて振り返る。

「しかし、なんとかと煙は高いとこのぼるって言ってな。つまるところ、うちの王族にはろくなのがいねえって話」

「聞き及んでいます。特にカリシャ朝の後期については」

 リリエス=フォミカは、中性的にふんわりと微笑み、

「カリシャ朝ザファルバーンの後期は、短期に数名の王が即位し、政治は腐敗していました。一人の名君を除いて、王位を長く保てた者はおらず、王そのものが自身の暴虐により殺害されるなど、まさに地獄のような状況……」

「ふん、どこの国でもあることさ」

 ギライヴァー=エーヴィルは、皮肉に笑う。

「滅亡する国なんて、大抵最後はそうなるのよ」

「殿下はまるでひとごとのようにお話しなさるのですね」

「ひとごとだからな」

「そうでしょうか?」

 リリエスは、挑発するように目を輝かせ、

「殿下こそ、その地獄の中心にいたお方ではないかと、私は踏んでいるのですがね」

「まさか? 俺はアレイル=カリシャ家での王位継承位はそんなに高くなかったんだぜ?」

 ギライヴァーはそう言いながら、油断なく探るような目をリリエスに向ける。

「けれど、貴方のお兄様は王位についている」

 ふとギライヴァー=エーヴィルの眉がピクリと動く。

「貴方のお兄様は、カリシャ朝末期の王アルターク=シャナン。名の知られた暴君でしたよね。直接の血のつながりはないけれど、幽閉された屋敷の中で、貴方と彼は兄弟と呼び合っていた」

「アレイル=カリシャの血は繋がっていたからな。だが、俺と兄では、血の高貴さが違う。最終的に生き延びた俺が一番王位に近い身分になった。それでカリシャの遺産のすべてが、俺の懐に転がり込んできた、ただそれだけの話」

 ギライヴァーは皮肉っぽく笑ったが、それにいつもの軽さがない。

「暴君と化した彼を王位から引きずり下ろすのに、貴方も手を貸したはずだ」

「さてどうかな。その時、俺はまだ餓鬼だったんだぜ。何も知らねえ純真な餓鬼だったよ。それこそ、空だって飛べると信じていたようなな。そんな俺に何ができると思う?」

 ギライヴァーはやや抑えた口調になっていた。

「リリエス、貴様、一体何が言いたい?」

 静かに怒りを滲ませるギライヴァー=エーヴィルは、不思議に威圧感を伴っている。いつもの不良王族とは違う、鋭い視線で彼はリリエスを睨みつけていた。

「俺はことのほか、その話が嫌いでな。前置きするぐらいなら結論を言え」

「これは失礼しました」

「どうせ、俺がクスリを持ち出したことで文句つけたいんだろう?」

「有り体に言うとそうですね。しかし、やってしまったことは仕方がない。私と致しましては、お薬のお代として、殿下に協力していただきたいなと思いまして」

「協力だと?」

 ギライヴァーは、冷笑した。

「なんだ、金が足りねえって? そりゃー、俺は活動資金くらい援助しても痛くも痒くもねえけどよー」

「お金ではありません」

 やんわりと笑いながら、リリエスは剣呑な視線を彼に向ける。

「どなたか、要人と言われる方の体で、あのお薬の効果を試してほしいのですよ」

「俺に、誰かに薬を盛れってか?」

 ギライヴァーは片目をひきつらせる。

「殿下なら簡単でしょう?」

「はん、何を言いだすかと思えば」

 ギライヴァー=エーヴィルは、嘲笑うように口の端を歪め、

「それはできねえ相談だな。流石にイタズラが過ぎるぜ、リリエス」

 彼は首を振り、

「お前が契約している女狐がどうしろっていったのかはしらねえが、お前の個人的なイタズラならその辺でよしておけ。それに、これ以上暴走すると、ラゲイラのオヤジの計画を潰すことになりかねない。まあ、お前はあのオヤジとは契約していないから、顧客でもない奴の計画がどうなろうとしったことじゃねえんだろう。だが、あのオヤジからかうのはやめとけよ。コワイんだぜ、あのオヤジ、怒らせると」

 ギライヴァーは、にやりとする。

「お前、一回あのオヤジのこと、煽ったってな? あのさあ、顔には出さねえが、あのオヤジ、結構怒ってんだぜ。アイツは本気にさせると、まじヤベエんでさ。火傷じゃすまねえぞ?」

 彼は小首を傾げるようにして笑い、調子を戻す。

「まぁさ。そりゃー、俺も無断で失敬したのは悪かったよ。だが、子供の駄賃くらいで勘弁しろよ。それがお互いのタメだぜ?」

 ややいつもの調子で、じゃれかかるような口調に戻るギライヴァーだったが、リリエスの方が乗らない。

「それは注意しますが、ねえ、殿下。今回はそうはいかないのですよ」

 ふとリリエスは、笑みをおさめる。

「貴方のことはお調べしましたよ。ギライヴァー殿下。蒸し返すようですが、貴方はアルターク王に特別に可愛がられていた。なお、彼の妻、つまり王妃は貴方の侍女を務めていた」

 リリエスはふと微笑み、意図的に言葉を強調する。

「彼女は、貴方の”初恋の相手”でしょう」

 彼がかすかに不機嫌になるのがわかった。

「そんなんじゃねえ。俺の"ねえや"だ」

「しかし、貴方にとって大切なお方だったはずだ」

 リリエスはゆるりと、しかし、意地悪く笑う。

「貴方がシャルル=ダ・フールに肩入れしているらしいと聞いたとき、私は意外に思いました。殿下は、シャルル=ダ・フールに対しては反対勢力だと思っていました。実際、ラゲイラ卿に協力もしていましたし、旧王朝系王族ということでザミル王子などの彼に対抗する勢力に力を貸しているのも知っていた。サッピア王妃とは適当な距離を保っていたようですが」

「あの女狐は美人には違いないが、好みの女じゃあねえんでね」

 ギライヴァーは唇を歪めて吐き捨てる。

「当初は、均衡をとっているのか、それとも新しく兄といって慕っていた先王セジェシスから、長子の行く末を頼まれているのかとも思いました」

「は、馬鹿な。”兄貴”は、そんな血の通った人間みたいなこと頼むような、フツーの男じゃねえよ。それに、お前、何を聞いていた? 俺は、別にあのクソみてえな甥のことをかばったことはない。もし、”そうなっていた”なら、ただの気まぐれか、それか俺に利益のあることだからだ」

 先程まで少しいら立っていた彼は、すぐにいつもの得体のしれない冷静さを取り戻して答える。

「偶然が重なって、そう見えているだけのことだぜ?」

「そうかもしれませんねえ。……しかし、私は一つ、殿下に気になることを見つけました」

 リリエスは、目を細める。

「殿下の、そのお気に入りの侍女が青い目をしていた」

 ギライヴァー=エーヴィルがはっきりと眉根を寄せた。

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