9.劣等感の裏側に

 

「ジェアバード、アイツ、何者なんだ?」

 そんな風に唐突に主君に尋ねられて、彼はいささか戸惑ったものだった。

 戦況を伝えに彼のもとを訪れたとき、当の主君は鎧を外しているところだった。

 カーネス朝ザファルバーンの創始者である、セジェシスはジェアバード=ジートリューからしても背が高く、どちらかというと爽やかな美丈夫といった外見をしている。愛想が良く、しかしどこかしら謎めいていて底が知れない。けれど、そういうところが魅力的にも思えていた。

 ジェアバード=ジートリューも、彼の魅力に惹かれた一人だった。

 しかし、雑談交じりに報告して、それが一段落ついたところで、不意に彼からそんな質問を投げかけられたときは思わずきょとんとしてしまった。

「アイツと申されますと」

「お前の甥っ子だよ」

「あ、ああ、アイードのことですか。もしや、何か陛下にご無礼でも?」

「別に何もしてないよ。礼儀正しいいい子じゃないか」

 そういわれて、ちょっと彼は安堵する。しかし、その瞬間、ふとセジェシスがちらりと彼に目を向けた。にっと意味ありげに笑いつつ、セジェシスは告げる。

「だけど、あの目はいただけねえな」

「目、でございますか?」

 ジェアバードがぎくりとした様子で、彼らしくなく恐る恐る尋ねる。

「アイツ、この前まで北部諸島に留学してたといったよなァ」

「はい。水上での戦術や実技を学ぶのに、ちょうどよいということで。北部諸島は、ファザナー家の支配の強いところでございますので……」

「本当にそうか?」

 セジェシスはにっと笑う。ジェアバードが思わず答えに窮するのを楽しむように見て、彼ははっはと笑い飛ばした。

「別にお前を詰問してもしゃあねえって話だな。隠しておかなきゃならない何かがあるんだろう。お前の家は、そーゆー家だもんな」

「きょ、恐縮でございます」

「でも、アレはお坊ちゃん暮らしして、のうのうと悠長に過ごしてきたヤツの目つきじゃねえって。

アイツは今回が初陣のはずだろう。それなのにあの余裕だろ。で、アイツ、俺の前で緊張しているように見せてたけど、本当の意味では全然緊張もしてねえでやんの。でも、傷の話もてんでデタラメを口にして、あんなに信じてもらえる奴も珍しい。本当に器用だなあ。だから、多分ほかの奴等にはバレたりしないよ。その点安心しな。でも、俺は、まあ、こういうの勘が鋭いっていうか……。んで……」

 セジェシス王は武装を解き終えると、さっぱりとした笑顔を向けていった。


「ジェアバード。アイツ、結局、カタギじゃねえんだろう」




「さて、ようやく出口が見えだしたってところかね」

 部下から送られてきた報告書を読みながら、例の銀髪をうっとうしそうにかき分けてハダート=サダーシュが背伸びをしていった。カラスのメーヴェンがその手に飛び乗ると、彼の黒光りする美しい羽を優しく撫でやった。

 こういう何かと気を遣う時期には、こういうふわふわしたものを撫でると癒される。と、彼は到底らしからぬことを、このところ言っている。

「くそ、思ったより手間取らせやがる。王都の方もなんかきな臭い雰囲気だし、とっとと戻らないとな。まーでも、今日は久しぶりにあとはのんびりできそうだぜ。なあ?」

 そう声をかけたところで、合いの手がかえってこないので、ハダートはきょとんとした。

「おいどうしたジェアバード。考え事か?」

「あ、ああ、いや、なんでもない」

 ジェアバード=ジートリューは、曖昧に答えて苦笑した。

「あ、そうだ。今日は時間があるんだから、そろそろ教えてくれよ」

「何をだ?」

 ハダートがにやりとする。

「お前の甥っ子の秘密の話だ」

「ああ、その話か」

 ジェアバード=ジートリューは、思わずふきだしそうになる。先程、彼はかつて主君に甥のことを尋ねられた時のことを思い出していたばかりなのだ。

「時間があるから話してやってもよいのだが……。まあ、身内の恥みたいな話だが、ほかならぬお前相手だからな」

「なんだよ、勿体をつけるじゃないか」

「ちょっと話が長くなる」

 ジェアバード=ジートリューは、軽くため息をつく。

「まず、奴のことを話す前に、ファザナー家とザファルバーンの海の話をする方がよかろうな」

「海の話?」

 ハダートは思わぬ言葉に目を丸くする。

「そりゃあ、俺はもともと外様だから、ザファルバーンの細かいことは知らないこともあるけどさ。流石にザファルバーンの勢力範囲は知ってるぞ? 周辺国ってことだろう?」

「そこがちょっと違ってな……」

 ジェアバードは赤い髪を少しかきやりため息をついた。

「ファザナー家というのは、今でこそ水軍の長だが、もともとは地域の網元。海賊対策に自ら乗り出して、いつの間にやら私掠船の親分のようになった家だ」

「それは何となくきいてるな。だから、お前の、ジートリュー一門の血と家柄が欲しかったので、姫を娶ったんだろ。嫁に行ったのがお前の姉さんで、生まれたのがアイード」

「そうだ。まあしかし、あれの話をするには、まずファザナー一族がどういうものなのか、そして彼らの縄張りが実際どこからどこまでなのかを話す必要がある。そして、アレの父の話も」

「親父?」

 ハダートは、軽く頭を上げる。

「そういやあ、不名誉な話を聞いたことはあるけど、親父のことは知らないな」

「アレの父のアウロース=ファザナーは、そもそもファザナー家を継ぐ予定の男ではなくてな。次男だったのだが、長子が亡くなり呼び戻された男だ。まあ、アレの話をするには、そのあたりのことから話さなければならない。そうして、それを話すと、どうしても太内海の海賊の話に触れなければならないのだな」

「海賊?」

 ハダートは意外そうに、メーヴェンを撫でる手を止める。

 どうも目の前の、海とはそもそも似合わなさそうなジェアバード=ジートリューから、そんな話がでるとは思えなかった。ハダートは逆に興味をひかれていた。



  *



「さてと、大将どうするよ?」

 ゼルフィスが豹のように寝そべりながら、じっと見つめる先で、アイード=ファザナーは船に素早く近づきつつあった。

 大胆に動いているようにみえるが、船上の騒ぎに乗じて静かに移動する彼の存在に、まだ誰も気づいていない。

 巧妙に足音を忍ばせて近づくと、彼は荷物が積まれた場所に姿を隠し、船の中に上がり込んだ。

 彼が隠れている場所には、樽や船荷が乗せられたままになっている。

 ゼルフィスの視線の先で、きらりと一瞬刃物の光が輝いた。荷の間で、彼は手に握っていた短剣を一本口にくわえ、懐に手を入れた。

「さて、上手くいくかなあ」

 ゼルフィスは面白そうに笑いつつ、今度は船の上に目を移した。

 アイードの潜入にも気づかないはずで、船の上は大騒ぎになっている。見張りの男たちもそちらの方を気にしているので、アイードもさぞかし入り込みやすかっただろう。

 今だ小競り合いといった様子だったが、ゼダは外見は小柄だが一歩も引かない様子で、短剣の柄にすでに手が伸びている。

 まさに一触即発といってよかった。

「何を騒いでやがる!」

 掴みかかって今にも殴り合いになりそうなゼダのところに、そんな風に怒鳴りつけた男がいた。ゼダがきっとそちらを睨みつける。

 細面の黒髪の男が、ゼダの手前の船乗りを乱暴に押しのけて入ってきた。彼はつかつかとゼダに近寄ると、胸倉をつかんだ。

「小僧、一体、何騒いでんだ!」

 ゼダはそれでもひるまず、彼を睨み上げるようにしつつ言った。

「あんた、狼のターリクだろ!」

 胸倉をつかむ手が一瞬緩んだ。その隙を見て手を払いのけ、ゼダはつづけた。

「黒髪の細面の二枚目って、ダルドロスの右腕の玄海の狼だったよな? あんたがそうだろ!」

 いきなり名前を言い当てられて、黒髪の男がぎょっとした様子になる。

「なんだ、小僧……。どうして俺のことを……」

「ダート=ダルドロスの舎弟のあんたが、どうして偽者の片棒を担いでるんだ!」

 質問を許さず、ゼダがそう畳みかける。

「何?」

「ダルドロスを兄貴って呼べるのは、あんただけだったよな? 流石に兄弟分なら本物と偽物の区別ぐらいつくだろう!?」

 そう言われてターリクは片目を引きつらせる。

「何言ってる、ここにいる兄貴は偽者じゃあねえ!」

「どう考えても偽者だろ!」

「おい、小僧」

 不意に、ターリクの後ろにいたダート=ダルドロスと思しき男が低く声をかけてきた。ターリクがはっとして振り返る。

「どうして俺が偽者だって?」

「ふん、どう考えても偽者さ。緋色のダルドロスには特徴がある! 俺は見たことがあるんだ!」

 ゼダがターリクの腕を振り払い、声を上げる。

「本物の緋色のダルドロスは……」

 その時、空気を裂く鋭い音がした。ゼダの背をかすめるようにして飛んできた短剣が、緋色のダルドロスの帽子を弾き飛ばす。ダルドロスの黒い髪が風になびく。

「なんだ!」

 ダルドロスやターリクがそちらを向く。甲板の中で船荷の積んである方だ。と、いきなり樽が転がってくる。中の果物がまき散らされ、ダルドロスの手下が浮足立った瞬間、船荷の間から覆面をした男が躍り出た。

 男は麻袋を一つ失敬してきていたが、それにくわえていた短剣を持ち直して素早く袋を裂き、手下たち目掛けて投げつける。小麦粉らしい白い粉が、空中に舞い上がり、周囲が粉まみれになった。

「な、なんだ……!」

 ゼダも巻き込まれそうになり、慌てて目をかばおうとしたとき、ふと慌てふためく男たちと粉塵の間からふらっと男が一人抜け出てきた。

「何やってんだ」

 彼は一足で彼はゼダのところまでやってくると、ぐいと首根っこをつかむ。

「逃げるぞ、ネズミ!」

 低い声でそう囁く。覆面の間から覗く瞳は、碧に輝くあたたかな海の色だ。

 アイード=ファザナーだ。ゼダは瞬時に相手の正体を見抜く。

「あ、あんた……」

 どうやら笑ったらしい。目が少し細められ、傷のある左目がやや引きつる。

「あ、てめえッ!」

 狼のターリクが粉を避けながら、彼を追いかけるべく剣を抜こうとしたが、その瞬間アイードとふと目が合った。

 ぎょっとしたようにターリクの動きが止まる。

 その隙に、アイードはぐいとゼダを引っ張った。

「こっちだ! ついてきな!」

 彼はそう声をかけると、だっと駆け出した。慌ててゼダが後をついていく。

「ど、どうして……!」

 船乗りを押しのけつつ、船を降りていくアイードにどうにかついていきながらゼダは尋ねる。

「どうして、アンタがここにいるんだよ?」

「どうして? それは俺がききたいねえ。全く、なんつートコに突撃かけてんだ」

 アイードは走りながらそう吐き捨てる。

「突撃するのは元気でいいんだけどな、いきなり敵の本丸に突っ込んでどうするつもりだったんだ?」

「オレのことはいいだろ! なんで知ってるかってきいてんだよ」

「おいおい、ココは俺の庭みたいなもんだぜ」

 アイードはちらりと振り返り、どうやらにやりとしたらしい。

「悪いけど、庭で起こった事件については何でもかんでも知っとかなきゃいけねーの。って、あーあ」

 アイードは唐突に声を上げる。振り返った際に、後ろから迫ってくる追っ手をみたらしく、彼は呆れたように言った。

「やれやれ、俺は乱暴なことは嫌いなんだよな。面倒起こす前にざっくり逃げるとするか」

「逃げるって……」

 ふと、アイードは、路地裏の塀に飛び上がって軽々と上に手をかける。その状態でゼダを振り向き、彼は言った。

「だから言ってるだろう? ここは庭なんだよ、俺の。連中を撒くくらいなら朝飯前ってところさ。それよか、俺についてこれるかな? ネズミのボーヤ」

  そういうと、彼はやすやすとそれを飛び越え、低い建物の屋根に飛び移った。

「ええっ、ちょ、ちょっと待ってくれよ!」

 ゼダが慌てて後を追う。

 アイードは屋根伝いに走った。この周辺の建物は複雑に入り混じっている。アイードは屋根から隣の窓に飛び移り、そこから階段を上っていく。

 確かに、ここはどうやら彼の”庭”には違いないらしい。迷いなく複雑怪奇な道を進んでいく彼に、ゼダは内心舌打ちする。

(なんだよ!!)

 ゼダでも見失わないようにするのがやっとだった。まるで普段の彼とは違っていて、なんとなく腹立たしい気持ちだった。

 アイードは、それでもゼダを置いていくつもりはない。一応目の端で彼が付いてきているのを確認し、ざくざくと進んでいた。

(まあ、これぐらいならアイツはついてくるだろ……)

 ゼルフィスは、と、彼女の方を探ってみるが、先程までいた建物にいる気配はない。

 今のところ、突撃した形跡はないので、今日はおとなしくしてくれているらしい。

(やれやれ、暴走ネズミ抱えてるんだし、自重してくれて助かったぜ)

 アイードはほっと胸をなでおろす。

 と、その瞬間、アイードの目の前できらりと光りが走った。覆面にしていたスカーフが切れた。

「お、っとっと……!」

 慌てて左手で切れたスカーフを捕まえつつ、アイードはそこから半歩離れて振り向いた。

 いつの間にやらそこに初老の男が立っている。船乗りらしい男の手には短剣が握られていた。

「へぇ、とっつぁん、なかなかやるな」

「あんたこそ……」

 いつの間にかアイードも右手に短剣を握っている。

「あー、流石に使いものにならねえか」

 アイードはそういうと、まだきれっぱしが残っていた覆面をざらりと外し、懐になおしてあった帽子をかぶりなおす。

 それをスキとみて、男が追撃を加えようとしたが、その瞬間、顔が見えた。赤い髪の間からのぞく、緑色の瞳、その左ほおに傷が走り……。

「!」

 その顔を見た男が思わず固まる。相手の動きが止まったのを見て、アイードはすかさず身を翻した。

「はは、悪いね! 俺は無益な暴力が嫌いでなあ!」

 進路を変えて道に飛び降りる。男が立ち止まっている間に、アイードを追いかけてきたゼダが、男とアイードの様子に一瞬怪訝そうなそぶりをみせたが、慌ててアイードについていく。

 二人が風のように去っていくのを、彼はただ黙って見送っていた。

「ま、まさかそんなはずはない」

 男はやや狼狽した様子でつぶやいた。

「ア、アステイル親分……」


  

 *



 ジャッキールから一通りラゲイラ卿の情報をきいた後、シャーはふとため息をついた。

「そっか。結構、あっちこっちつながってるんだな」

「とはいえ、俺も直近の情報は知らないから。もっと別の場所ともつながっているのだろうがな。流石に、俺にもそこまでの情報は入っていないのだ」

「いや、十分だよ。実はさ、結構困ってたんだ」

 シャーは素直に口に出す。

「ハダートもジェアバードも留守だし、うちには、実はラゲイラさんに対抗できるような策士っていなくてね。カッファって、オレの後見人みたいな人だけど、カッファはそういうの向いてないし、ラダーナやゼハーヴもそういうの、あまり得意じゃない。レビ兄ちゃんは、意外とその辺対抗はできるんだけど、今回は相手が相手だし……。オレのとこ、実際は人材不足なんだ。まだ、ちゃんとオレが即位してからそんな経ってないし、オレもみんなから認められてるってわけじゃないんだしさ」

 シャーはもう一度ため息をつく。

「ラゲイラ卿は、もう準備は万全なんだろうっていう予想はたってるっていうのに、どこから手をつけたらいいのかわかんないんだよな。オレ、自分で何とか守れるって思ってたけど、いざってなってみるとこんな風に相手の情報すらわかんない」

「そう卑下することもないだろう。よくやっていると思う」

 ジャッキールは慰めるように言う。

「実際、総司令職設置したのだって、そういう事情もあるんだ。本当はオレも、七部将との間で調整してくれる役割のヒトは欲しい。カッファにはそれは全部させられないし」

 とシャーは、ちょっとからかうような顔で言った。

「いっそのこと、本当にアンタでもいいんだけどな。ザファルバーンの中ではあんまりしがらみもないだろうし、ラゲイラ卿のこととか詳しいしさあ」

「それは冗談でも光栄なハナシだが」

 とジャッキールは口の端を歪めつつ、

「俺は高いぞ。お前の小遣いでは到底足りんな」

「え、マジで? いや、蛇王さんとかは高そうだなあとは思うんだけどさ」

「蛇王は標的がいたりすることもあり、基本的に成功報酬制だが、俺は期間契約で金額を提示する主義でな。まあ、口で言うのもなんだから……」

 とジャッキールは手近な手ぬぐいをもって、シャーに手を出すように言う。手を差し出すと上から手ぬぐいをかける。指の形で相手に金額を伝える。このあたりではよくある金額交渉の方法だ。

「ラゲイラ卿のところにいたころは、一年間でこれぐらいで……、普通はこのくらい。まあ、お前なら多少の値下げをしてやってこうかな?」

「ちょッ……!!」

 シャーは、あからさまに驚きつつ、

「それ、ぼったくりじゃね? いや、そんな高いの、アンタ」

「失礼な奴だな」

 手を離して手ぬぐいをたたみつつ、ジャッキールは不満そうに眉根を寄せる。

「それなりの働きはしていたつもりだぞ」

「まあそうかもしれないけどさあ」

「まあ、雇ってくれるつもりなら、ちゃんと予算は取ってもらわないとな」

「お友達価格って言ったくせに、全然下がってないじゃん」

 シャーが小声でそう文句をたれるのに付き合わず、ジャッキールは手ぬぐいを丁寧にたたみ終えると、傍に置いた。

「正直、アイード殿などは調整役を務めてくれるのではないか。それに、ラゲイラ卿のことについても、てんで知らないわけではなかったぞ。積極的に動いてくれているようだしな。彼は、ああ見えて様々な情報に通じているようだ。助けてくれているのだろう?」

「そうだけど……」

「どうした? 何か不安なことでもあるのか……」

 ジャッキールは眉根を寄せる。

「彼は見かけはああだが、実際はしっかりした男だと思うぞ」

「それはわかってる。でも……」

 シャーは少々ためらった後、

「こんなこと言ったら、怒られるかもしれないけど、実は、オレ、あいつのことがちょっと怖い」

 シャーは俯いて、ぼそりと呟くように言った。少しの沈黙の後、ジャッキールは、目を伏せて苦笑した。

「怖いか、なるほど。わかる気がするぞ」

 意外な答えに、シャーが顔を上げるとジャッキールは少しにやりとしていた。

「お前のその気持ちは、俺にも何となくわかるな」

 ジャッキールは顎をなでやりつつ肘を膝の上につく。

「人は、自分に少し似ている人間が怖いものだ。その人間が自分より優れているのではないかと思えば思うほどな。彼とお前は、どこかしら似ているところがあるからな」

「あいつのこと、オレは今までよく知らなかった。ほら、いつもぼんやりしてて、お坊ちゃん然としてのんびり構えてて、将軍としての能力はあるとは思っていたけど、それだけだと思っていた。でも、アイツ、すごく街で評判が良くてさ。オレと似たようなことしてても、アイツはちゃんと街の中を見てて、領主としても慕われててさ」

 シャーは俯いてため息をついた。

「それでいて、実はアイツ、すごく肝が据わってる……。いや、アイツの実力は、オレにはまだわからないけど、多分、オレの想像していたようなものじゃないとおもう」

「俺の剣を受けたとは、蛇王から聞いている」

「ああ。アイツがいい奴だとはみんな言ってる。それはオレにもわかってるよ。でも……」

「わかっている」

 ジャッキールはそういって、かすかに微笑む。

「そういった感情は俺にも覚えがある。気持ちはわかるが、そんな風に気に病まなくて良い。彼とお前は違うし、お前と彼の立場も違う。彼が何を言ったのかわからんし、俺も彼と長い付き合いがあるわけではないが、アイード殿がお前に何を言いたいかは何となくわかるな」

「何を言いたいか?」

 シャーは大きな目を更に大きく開く。

「俺にも似たような覚えがあるといっただろう。だから、俺はお前の気持ちも彼の気持ちもなんとなくわかるぞ」

 ジャッキールは少し優しげにいった。

「ダンナも、そういう経験あるってこと?」

「俺は本当は劣等感の強い人間だからな。一見、自分に似ているくせに、自分は及ばない完璧な人間がそばにいると、つい自分に嫌気がさすものだ」

「それって、もしかして、蛇王さん?」

 ジャッキールは苦く笑う。

「お前に体裁しても仕方がないからな。お前もわかるだろう? 実際のところ、俺とヤツは全く似てはいないのだが、周囲から見ると大きく同じくくりに入れられることが多かった。俺はこのようなものだが、奴は動じない男だ。あの男は肉体的に強いだけでなく精神的にも強く、何かと達観しているから、目の前でそういうのを見せられると俺にも少なからず焦りはあった」

「でも、ダンナの方が出世してたんでしょ? 隊長だったんじゃなかったっけ?」

「ヤツは世俗に興味がないからな。あの男は出世とかそういう発想がないだろう? そういう心構えからして、俺は奴にはかなわないと思ったものだ」

 ジャッキールは一度息をつく。

「しかし、俺はせいぜい貧乏軍人の小倅といったところで、生まれつき宿命を負っているようなヤツとは生まれも育ちも違ってな。俺は、本当はもっと平凡な人生を送るはずだった男だから。だから、アイツに対抗したところで勝てるはずもないし、そもそも対抗する必要すらないわけだ。ということに、気づくのにはそれなりに時間がかかった。気づいても納得できるかどうかということもあるがな」

 シャーが頷くとジャッキールは顔を上げる。

「さて、彼がどういう言い方をしたかわからないが、彼なら多分そういうだろう。自分を意識するのでなく、お前がするべきことをするべきなのではないかと」

 シャーは黙り込む。ジャッキールは、手元から菓子をとってかじりながら苦笑した。

「別に今すぐ答えを出さなくてもよいとは思うがな。何にせよ、アイード殿については心配はしなくていい」

 ジャッキールはそう言ってから、菓子を一息に食べてしまうと、目を瞬かせた。

「しかし、話を聞くとどうも不安になるな。お前はもっとほかの将軍と話を詰めているのだと思ったが、そうでもないのか?」

「いや、話は詰めているけどさ……その」

「その?」

 シャーは少しまごついた様子で視線を彷徨わせる。

「その、……多分オレの気持ちの問題もあるんだ。……でも、こういうこと言うと、多分、皆怒るとおもうし……」

 ジャッキールは苦笑する。

「俺になら言えばいいだろう。俺は別にお前の部下ではないからな。どうせ部外者なのだから、独り言だと思って自由に言え」

 そう言われてシャーは、息をつく。

「本当は、オレは、……反乱を制圧とかしたくない」

 思わぬ言葉にジャッキールが眉根を潜める。

「いざことが起こって鎮圧したところで、結局、ある程度粛清はしなきゃいけない。自分でも甘いこと言ってるのはわかってる。でも、もうああいうのはしたくない。……できたら、何も起こらなければなかったことにしてやりたい」

 シャーは真剣な面持ちだったが、視線は自信なく下げられていた。

「ラゲイラ卿がどうこうっていうより、彼一人だけを処罰するわけにもいかない。どうしても、周囲の人間を巻き込む。なるべくそういう事態になりたくない。そりゃあ、ラゲイラ卿はそんなに甘い相手じゃない。コトが起こる前に防ぐ方法だってわかんないのに、何言ってんだって話だろう」

 シャーは、ふとため息をつく。

「できれば、何も起こる前に防いで、それですべてなかったことにするなんて、他の将軍に言えないだろ。第一、どうやってやればいいのかもわからない、不可能なことなのに……」

「不可能なことではない」

 ふとジャッキールが割って入った。シャーが顔を上げる。

「不可能なことではない。……まだラゲイラ卿は動いているわけではない。反乱は起きていない」

 ジャッキールは、静かにそう告げる。

「今なら、お前の言う通り防げる。……すべてなかったことにできるなら、それが一番良いことだ」

「でも、……実際どうやって……」

 そう尋ねられて、ジャッキールが床に視線を落とす。何やら考え込むように目をすがめる。そして、ふと告げた。

「彼の交友関係に詳しく、その行動をある程度読めるなら、今ならまだ間に合う。彼の行動さえ制限できれば……」

「けど、そんな……」

「俺が……」

 ジャッキールが、シャーの言葉をさえぎって告げた。

「俺なら、彼の交友関係を知っている。それに彼の行動についても読める」

「え?」

 きょとんとするシャーに、ジャッキールは顔を上げて言った。

「お前に雇われてやってもいいぞ」

 ジャッキールは決意を隠すように苦笑する。

「俺なら、ラゲイラ卿を止められる」

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