シャー=ルギィズと呪いの仮面

1.東の神の王子の仮面


 ジャッキールは、市場から籠いっぱいの食料を抱えながら、ちょうど家に帰ってきたところだった。

(意外と買い込んでしまった。リーフィさんにでも、わけようか……)

 籠の中から果物や野菜が覗いているのは、どう考えても彼には似つかわしくない。流石に日常生活では、鎖帷子くさりかたびらを身に着けていたり、仰々しいマントを羽織っているわけでなく、襟ぐりに黄色の装飾のある黒の上下という軽装だ。腰に短剣と長剣を佩いてはいるものの、刃物の携帯はこの国の成人男子では当たり前のことで、儀礼的でもある。しかし、それでも、彼の身辺に物騒な気配が漂っているのはどうしようもない。

 しかし、そんな格好の彼がまさか市場の特売日に張り切ってでかけて、大量に食材を買って陽気に帰っているのは、正直滑稽以外の何物でもなかったのだが、意外とそれを笑うものはいない。彼を知らないものは、そもそも物騒すぎて面と向かって笑えないし、逆に彼を知っているものにとっては、この珍妙な光景は、いつものことなのだから。

「あら、先生、こんにちは。今日はそういえば特売日でしたわねえ」

 近所で井戸端会議中の主婦たちに話しかけられ、ジャッキールはやや慌てつつ挨拶をする。

「あ、ああ、これはどうも、こんにちは」

 ジャッキールは基本的に女性があまり得意ではないが、彼女たちはジャッキールが読み書き計算を教えている私塾に通っている子供の親であり、よく顔も見知っている。その為、ジャッキールも比較的気楽に話ができるのだった。

「今日は果物が非常に得な価格で売り出されていたものでな」

「あら、そうなの。それじゃ、私たちも行こうかしらねえ」

「ああ、そうなさるがよい」

 ジャッキールはかすかに愛想笑いを浮かべて、それではと会釈をして家に向かう。

 その彼の背中を見送りながら、主婦たちはため息をつくのだった。

「先生、相変わらずいい男ねえ……。ちょっと陰気なとこあるけど……」

「本当ね。一見怖そうだから損してるけど、本当、素敵だわあ。あとでお料理でも持っていこうかしらねえ」

「抜け駆けは禁止でしょ?」

「それじゃ、あたしはお隣のお髭さんでも狙おうかしら」

「お髭さんも素敵よねえ。壊れた戸棚とか直してくれるし。あの二人が住んでから、目の保養になるわあ」

 そんな熱い会話が後ろでなされているとも気づかず、ジャッキールはすたすたと歩き去る。

 ようやく部屋の前まで来て、扉を開けようとしてジャッキールはむっと眉根を寄せた。

 鍵が開いている。

 すわ賊か、と思う前にジャッキールは、思わず隣の部屋を睨み付けた。

(こんなことをしでかすのは、蛇王へびおか!? いや、あの男ならやりかねん!)

 とそこまで考えて、そういえば先ほど帰ってくる前に、ザハークらしき人影がそのあたりを歩いているのを見かけた。面倒になるので敢えて顔を合わさなかったのだが。

(部屋の外にいたということは、奴ではないのだろうか……)

 ジャッキールは眉根を寄せる。

 そっと買い物籠を入り口に置いて、扉を音をさせないようにかすかに開く。そっと中を覗いてみると、部屋の中で何か青いひらひらしたものが見えた。

(なんだ、賊か)

 まあ、盗賊とわかったところで、やることは同じだが。

 流石の彼も、普段のこの状態で相手の首を吹っ飛ばすような真似はしない。せいぜいどやしつけて相手を反省させるぐらいのことだ。

 ジャッキールはやれやれとため息をつくと、短剣に手を這わせ、突然扉を蹴り開けると、中に入り込んだ。相手が驚いた様子でこちらを向いた気配がする。

「何者かしらんが、覚悟しろ!」

 部屋に短剣の白い光がさっと走る。

「ちょ、ちょっと、待った!」

 ふいに不審者が声を上げた。

「待って待って、いきなりそういうの止めてよね」

 何だか聞き覚えのある声だ。徐々に部屋の暗さに目が慣れてきたが、ジャッキールの目の前にいるのはなにやら派手な衣装を着た男だ。

「アレ? ダンナ、オレの事わかんない? ね、ちょっと珍しいカッコしてるけど、わかんでしょ?」

「ん? 何?」

 男はひらひらとした衣装で肩をすくめる。その顔には羽飾りのついた仮面が嵌っていて、しかも髪も綺麗に結い上げて着飾っていた。いよいよ尋常でない派手さだが、その男の声も態度もよく知っているものだ。

 ジャッキールは何度か瞬きして、ようやく口を開いた。

「な、なんだ、貴様あ! その珍妙な格好は!」

 やや素っ頓狂な声を上げつつ、ようやくジャッキールは相手に気づいて刃物を引っ込め、構えるのをやめていた。

「珍妙ってひどいいいようじゃない、ジャッキーちゃんよお」

 仮面の奥で、例の三白眼が恨めしげに彼を見上げる。

「ま、いいや。あのさ、ダンナ、ちょっとお願いがあるの。しばらくかくまってちょうだい」

「かくまうだと?」

 顔をしかめるジャッキールに頼み込むように両手を合わせて、そのあまりにも珍しい格好をしたシャー=ルギィズは告げる。

「ちょっと困ったことになってんだよ」

(俺が一番困っているんだがな!)

 ジャッキールはそういいたいのを飲み込みつつ、またどうせ厄介なことでも持ち込んできたのだろうと、深々とため息をつくのだった。


 


「はー、落ち着くねー」

 ゆるやかに立ち上る湯気を見上げ、温かい茶をすすりながらシャーはため息をついた。

「今日はお菓子も果物もいっぱいあるしさー。しばらく籠城できそうだよなー」

「籠城してもらっては困るのだがな!」

 ともあれ、どうせ話を聞くことになるのだ。ジャッキールは、あきらめて早々に茶などを出してやったものだ。

「ところで、貴様、鍵がかかっているのにどうやって入った?」

 仏頂面でジャッキールが尋ねると、シャーはああと声を上げる。

「針金でちょちょいっと細工したら開いたよー。オレ、結構器用なんだよねー。ははー、ダンナと一緒で住まいの鍵もひねりがねーんだよな」

(おのれ! 鍵を増やすべきか)

 真剣に鍵の購入を考えつつ、自分も茶をすすりながら、ジャッキールは改めてシャーの姿を見やった。

 いつもの彼なら、大抵青い服を着ている。上等だが着古されていて、もうちょっといいモノを着てこいと言いたくなるようなアレだ。しかし、今日の彼ときたら、全く異質な格好をしていたのだ。

 青いマントには刺繍が入っているが、なにやら東洋の紋様が描かれており、中は黄色の袖の長い派手な上着だが、どうもそれは女物のようである。袴をはいてはいるものの、ある種の女装みたいなものだ。そう考えると、なるほど口紅は取れかかっているが、目元には青いラインが引かれており、どうやら軽く化粧をされた形跡がある。髪も一度おろして、半分ふわりと結い上げたような状態でそれにジャスミンの白い花を飾っている。

 で、それから顔には仮面。やたらと装飾の多くて上等な、木と金属でできた羽飾りのある仮面だ。

「チンドン屋の仕事でもしていたのか?」

 正直に思ったことを尋ねてみると、シャーは不機嫌そうな顔になった。

「失礼だなー。もうちょい気品があるカッコじゃない。これはさー、舞踊の衣装なのよ、舞踊の」

 しかも、とシャーは片膝を立てたまま林檎をかじる。

「これは、異国の王子の格好なんだぜ。オレにぴったりじゃん」

「うーむ、馬子にも衣装とはいうのだがなあ」

 ジャッキールは渋い顔をして腕組みをした。

 似合っていないわけではない。この男は、舞には定評があるらしいので、そうしていれば様にはなっているのだろうが……。

(普段の姿でこの格好をしていると、ただの馬鹿殿にしか見えないのだがな)

「ダンナ、今、オレの悪口言ったでしょ? 心の中で」

「べ、別に悪口ではないが……、いや、室内でその格好は仰々しいだろう。普段着があるなら着替えたほうがいいのではないか」

 ジャッキールは、さらに眉間にしわを寄せつつ続ける。

「大体、仮面ぐらい取れ。誰だかわからなかったではないか」

 シャーはそういわれて、不意に林檎を持ったまま手を下ろして、こうべを垂れた。

「どうした?」

「それができれば、アンタのところには来てないんだよう」

「なんだと?」

 ジャッキールは、目を瞬かせる。

「何があったかしらんが、ともあれ、話してみろ」

 急に悄然としてしまうシャーを見やりながら、ジャッキールはそうせかしてみた。



 *



 その話の発端は昨日にさかのぼる。


「兄貴、最近踊ってないじゃないですか? たまには踊ってくださいよ」

 いつもの酒場で、たかり酒を飲んでいたシャーは、不意にそう振られたものだった。

「たまには、兄貴の踊りもみてみたいなあって」

「ああ、最近何か物足りないと思ったら、それだ。最近踊ってないですよね」

 舎弟たちにそういわれて、シャーはそれもそうかと思ったものだった。

 いや、別に飲みに来ている時間が少ないとか、そういうわけでもない。シャーだってそれなりには忙しい。リーフィの顔を見れば、愛想もふりまかないといけない――正確にはリーフィにかまってもらわないとシャーが寂しいし、悪い虫でも付いたら大変だ。

「そういや、そうだなー。んじゃ、たまには踊ってみよっか」

「おおー、いいですね。兄貴は踊り”だけ”はすごいんですから」

「だけは余計だっつの!」

 シャーは、不機嫌そうにそう言い捨てる。

「んなこというと、踊ってやんない!」

「そんなこと言わないでくださいよ。ちょうど兄貴にいい奴拾ってきたんですよ」

 そんなことを言いながら、カッチェラがどんと膝に何かおいてきた。

「え? ナニコレ?」

 そこそこ重みがある。なんだろうとみてみると、それは金属でできた仮面だった。鉄の匂いがして、少しだけさびている気配がある。枠の部分だけを金属で作っているが、表面の木を細工した部分は軽いので、つけても負担はそれほどなさそうだった。

 表面は細やかな透かし彫りがされており、なかなか芸術的でもある。額の部分には青い羽根で装飾されているところをみると、舞踏用の仮面らしい。鼻から下の部分は、大きくひらいているので息苦しくもなさそうだ。

「兄貴、踊るときにこーゆーのかぶるでしょ?」

「ん? まあ、そりゃー、踊るときとかには、ちょいとした非日常性が必要じゃない?」

 シャーは、急にそんな一端なことをいって格好をつけつつ、仮面をひっくり返したりしている。

「んでも、どうしたのさ。こんな上等なモン」

「これは拾ってきたんですよ。ちょっと壊れている部分があったんですが、その部分、ちょちょっとなおしたら直りましたからね」

「へー、いいじゃん」

「兄貴、質草にしようとか思ったでしょ」

 まじまじとシャーが仮面を眺めていると、横からカッチェラが突っ込んできた。

「ちッ、ばれたか」

 シャーは考えを読まれて舌打ちしつつ、しかし、まんざらでもない様子でもなかった。

「まあ、そこまでいうなら仕方ないなあ。ちょっと、なんか衣装でもないかリーフィちゃんに聞いてこよ」

 いい仮面なんだし、ちょっとぐらいはおしゃれしよう。シャーにしては珍しくそんな気持ちになったものだった。いや、決してリーフィと話をする口実ができたとか、そういう動機ではないのだ。多分。

 リーフィは厨房の方にもいないらしく、自分の控室にいるようだった。リーフィの居場所をほかの女の子たちに聞いてみたものの、相変わらずリーフィ以外の女子には大して好かれていないシャーは、手ひどく無視されたものだ。

 ともあれ、姿が見えないということは控室で休憩しているのだろう、と勝手に予想して、シャーは店の奥まで進むと声をかけてみた。

「リー、フィっ、ちゃーん、失礼しまーす」 

 控室の扉が開いている。ということは、別に着替えしているわけでもなさそうなので、シャーは声をかけて入ってみた。

 どうもテンションの高いシャーと違って、リーフィは静かになにやら本を読んでいるところらしかった。かなり集中していたリーフィだったが、シャーが入り込んできたのを察知して、顔を上げる。

「あら、シャー、どうしたの? 随分とご機嫌ね」

 リーフィの冷水のような声を浴びて、シャーはいささか浮かれすぎた自分を反省しつつ、やや調子を崩してしまう。

「い、いやあ、その……。オ、オレのことはともあれ、リーフィちゃんこそ、どうしたのさ。難しい本読んでるみたいだけど」

「難しくはないんだけれどね。どれにしようかしらって悩んでいるの」

 とリーフィは苦笑して、シャーに本を開いて見せた。そこには、人が踊る絵が描かれている。

「踊りの本?」

「そう、踊りの教本なのよ。実はね、明日、酒場でちょっと凝った舞踊を披露しなくちゃいけなくなったの。でも急に今日決まったことで、私も準備ができていないのよ」

 リーフィはため息をつきつつ、

「前にあれもやったし、これもやったしって考えていくと、難しくて。あまり何度もやってると飽きちゃうしね……」

「そうねえ。確かにいろいろ踊ってるもんね、リーフィちゃん」

 シャーが本を受け取って、ぺらぺらとめくっているとふいにリーフィがその手に目を留めた。

「あら、シャー、珍しいものをもっているわね」

「え? ああ、これ」

 そういわれてシャーは、うっかり忘れそうになっていた当初の目的を思い出した。

「そうそう、このことで相談しようと思ってたんだよね。アイツらがどっかで拾ってきた仮面でね、これでオレになんか踊れっていうのよ。仮面つけるなら、衣装もちゃんとしたいなあって思って、リーフィちゃんに相談しにきたわけ」

 シャーがリーフィに仮面を手渡すと、リーフィは小首をかしげた。

「なかなか綺麗な仮面でしょ? あいつら、どこで拾ってきたのかな」

「あら、これ、”神の子”の王子の仮面だわ。本当、どこで拾ってきたのかしらね」

「へ、なにそれ? 神の子?」

 シャーがきょとんとする。

「シャーは知らない? ここからずっとずっと東の国のお話。そこの王様は神の子と名乗るの」

「ああ、なんか聞いたことあるよ。神の子とか、天の子とか名乗るんだろ。うちじゃ、王ってえと、もっぱら世俗の王で人間は人間だけどなあ」

「ふふ、そうね。遠い東の国では、王様の存在に対する考え方が違うのよ。王権が神様から与えられるのは、きっと一緒なんだけども」

 そういって、不意にリーフィは仮面をかぶるように手に取った。

「遠い、ずっとずっと東の国のある時世に、神の子の息子に一人とてもとても美しい王子がいた」

 取り立てて芝居がかってはいない口調だったが、リーフィの声は語り部のように朗々と響く。

「彼は優秀な将軍だった。ある時、彼は辺境に異民族征伐に向かうことになったわ。彼はとても強かったのだけれど、しかし、顔が美しすぎた。彼は味方の気勢を上げる為に顔を仮面で隠すことにした。そんな彼には、影のような黒衣の戦士が護衛として付き従っていた。黒衣の戦士は、西方から来たような風貌をした美しい男だった。彼らは戦場でそうして武功を立てていくの」

 けれどある時ね、とリーフィは前置いた。

「異民族征伐に向かった彼らの前に、恐ろしく強い敵が姿を表した。苦戦を強いられた彼らが戦いをすすめる中、王子を狙って強敵が飛びかかってきた。どうにか組み伏せたその相手は、実は男装した美しい女だった。その瞬間、王子は彼女に心を奪われてしまったのよ」

 リーフィの声は相変わらず冷たく無感情に響いたが、何故か物語の世界にシャーを引き込むような、独特の響きを持っていた。

「遠征が終わり王子と黒の戦士は都に戻った。けれど、平穏な都で彼らは戦場の熱気と狂気をいささか持て余してもいた。彼には都の政治の世界の中では窮屈にしか感じられなかった。それでも、都の人たちは優秀な王子を王位につけようとした。でも、彼には一つ王になるのに問題があった。戦場でも派手な衣装に身をまとっていた王子は、街で女装をして歩くのが常だった。それは王としては許されざる奇行だったわ。きらびやかな女の衣装を身にまとい、黒い戦士を従えて花街を歩いて夜ごと遊ぶ彼を、家臣たちは眉をひそめてみていた。そんな彼を理解してくれていたのは、その黒い戦士だけだった」

 そして、と続ける。

「彼はある時、とある妓楼で異国の女が踊るのを見てしまう。都の言葉を満足に話せないその女の顔をみれば、それは彼と戦った女将軍」 

 リーフィは、かすかに微笑んだ。

「やがて、神の子として王位につかねばならない王子と彼女が惹かれ合ったことが、すべての悲劇の始まりよ」

 リーフィは、仮面を外して机の上においた。

「その王子の物語をたどる舞踊の仮面が、この仮面なの」

「悲劇の始まりか。なんだか大変なことになりそうだね」

「もちろん、美しい高貴な人たちの恋物語の最後には、破滅がつきものだわ。彼女を失った彼は、やがて暴君になり、反乱に敗れる」

 リーフィはそういいながら、けれどといたずらっぽく笑った。

「実は彼らには、生存説もあるのよ。幽閉されている彼を黒い戦士が逃がしたってまことしやかに言われているし。一連の大変なことが終わった後、逃亡先で再会した三人が実は旅芸人として諸国漫遊しているっていう言い伝えもあるほどよ。もともと、舞踊は彼らが日銭を稼ぐのにやりだしたことなんじゃないかっていう噂があるぐらい」

「ええ、それ落差激しくない?」

 シャーはあきれたような顔になった。

「悲劇って自分たちで踊ってりゃ、世話ないよね。絶対、脚色入りまくってるよ」

「それはそうかもしれないわねえ。……けれど人気のある舞踊ではあるのよ。ただ、ものっすごく難しいの。特に主人公の王子をやる人が大変で……」

 あ、とリーフィが手を打った。

「そうだわ、それにしましょ」

「え?」

 リーフィはシャーの手から本をひったくると、ぺらぺらぺらっとページをめくる。

「ほら、これ。東の神の子の舞の部分よ」

「おお? それも載ってんの?」

「ええ、ちょうどよかったわ」

(なんだか嫌な予感)

 シャーは、おそるおそる本で、舞踊の所作をたどるリーフィを見やる。

「私は実は踊ったことがあるんだけれど、相手がいなくて困っていたの。これ、複数の舞手がいるから。三人舞の部分が多いのだけれど、今回は二人舞でやればいいんじゃないかしら」

「え、ふ、二人舞って、あの、お相手の方は……」

 リーフィは、無表情のままに小首をかしげる。

「シャーしかいないじゃない」

「えええ、オ、オレ?」

「今回は、お店の企画でやることなの。なので、踊ってくれるなら、シャーにもお給金が出ると思うから、悪い話じゃないと思うわ。私からもお礼させてもらうし」

「そ、そりゃー、ありがたいんだけども、で、あ、あのー、オレ黒い戦士でもやってればいいのかな?」

「あら、シャーがやるのは王子様の方でしょ」

 当然とばかりにリーフィが言い切る。

「いやでも、さっき王子やる人は大変とか言って……」

「シャーなら大丈夫よ。それにね、黒の戦士やる人は、外見の制約が厳しいの。まず第一条件は美男子だから。異国情緒溢れる感じの美男子じゃないと務まらないし、私の知り合いでできそうなの、ジャッキールさんぐらいねえ。時間があれば協力してもらいたいぐらいだわ」

(それって、遠まわしにオレが美男子じゃないっていう意味だよね……)

 シャーはなんとなく理不尽を感じつつ、とりあえず話を合わせておく。

「で、でも、ほら、ダ、ダンナは踊りとか苦手そうだからねえ」

「ええ、そうなのよね。あ、でも、時間があるときに練習してもらおうかしら。完璧主義者だし、頑張ってくれれば何とかなりそう……」

 さらりと鬼のようなことを言うリーフィだが、ここからさらに彼女は鬼のようなことを言い出すのだ。

 きらりと目を光らせて、リーフィはシャーを見上げる。

「ということで、シャー、今から特訓よ。明日までに覚えてね」

「え、えええええ? あ、明日あ?」

「ええ、ちょうどシャーも踊る題材探していたのでしょう? だったらちょうどいいわ」

 かすかに微笑んでリーフィは、うなずく。

「王子の役をやる人は、実は女装して踊るから、裾が長くて裾さばきが凄く大変なの。で、艶めかしくありつつも、動きは戦士のそれなので雄々しく躍動的でないとダメ。そのあたりが物凄い難易度高いのだけど、シャーならきっとできるわ」

(ちょっと待って、リーフィちゃん。それ、根拠がないんだけど!)

 冷や汗が無意識にだらだら流れてくる。嫌な予感しかしない。そんな顔色の悪いシャーを見たのか、ふいにリーフィが眉根を寄せた。

「どうしたの? シャー、自信ないの?」

「え? いや」

 そういわれると、本当は負けず嫌いのシャーだ。リーフィを前に、できないとかどうしても言えない。普段から舞踊は得意だと公言していることもあり、うっかりと火がついてしまう。

「じ、自信ないわけないじゃない。リーフィちゃん、オレ、こう見えても本職よりうまいのよ? 知ってるでしょ」

「ええ、十分知っているわ。良かった、シャーが引き受けてくれて。これで私も安心よ」

 うっかりと格好つけたシャーに、リーフィはにこりと笑って、本をシャーに渡した。

「それじゃあ、私、衣装取りに行ってくるわね。裾さばきも覚えてもらわないといけないし、衣装は着て練習しましょう」

「う、うん、い、いってらっしゃーい」

 楽しそうにリーフィが行ってしまうのを見送りつつ、シャーはふと本の内容を見る。

 この手の教本を読むのは、実はシャーも初めてではない。大概の簡単な舞踊なら、短時間でも覚える自信ぐらいはあったが……。

「や、やべえ……」

 シャーは一ページ目を読み終えて、思わず青ざめた。

「これ、超難しい奴じゃん……!」

 これを明日の朝までに覚えるのか、とシャーは喉を鳴らす。

(これ、多分覚えるまで今夜帰してもらえない奴だよね。いや、リーフィちゃんと一緒にいられるのはいいけど、多分そのころにはリーフィちゃんが鬼軍曹に見えてると思う、オレ……)


 そしてシャーの悪い予感は当たり、深夜に至るまで一夜漬けで踊りを覚えるべく、ひたすら猛特訓が行われるのだった。

 

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