7.兄の剣術


 朝方。

 ちょうど冷たい空気が窓から光とともに漏れてくるころだ。小鳥の声がどこかから聞こえるのを、まどろみながら感じる。

 シャーはそんな風流なこととは無縁だ。ともあれ、毛布をかぶって心地よく眠りについていた。昨日は帰りが遅かったので、今はちょうど熟睡中。

 結局、バラズの屋敷まで送らされたし、彼の妙な変貌にあてられてしまって、熱気を冷ますのに周辺を遠回りして帰ってきたものだから、余計に眠いのだった。今日はひたすら惰眠を貪りたい。夕刻には、また賭場に行かなければならないが、それまでぐっすり寝れば今日は完徹だって怖くない。

 人間眠っているときは幸せ。ちょっと疲れた後の眠りなどは特に最高。この頬に当たる毛布の柔らかい感触。今日は、もう、ひたすらダメ人間でいたい。いや、いつもだけど……。

 しかし、唐突にシャーの幸せな睡眠時間は、騒音とともに終わりを告げるのだった。

 ドン、ダン、と何かをぶしつけに地面に置く音。それから、ガシャガシャという金物の音。

 耳障りな音にシャーは眉根を寄せつつも、毛布を手元に引き寄せた。さすがに相手に敵意があれば目が覚めるシャーだったが、相手に敵意はない。だとしたら、この程度の音ぐらいで眠りを邪魔されるわけにはいかない。

 しかし、相手は手ごわかった。

 いきなりギコギコギコとノコを引くような音が間近で聞こえたのだ。直後にカーンと何かを打ち付けるような音。

 さすがのシャーも、毛布を蹴飛ばして起き上がる。

「な、なんなんだよ! もう、気持ちよく寝てるのに!!」

 起こされてしまったシャーは、不機嫌だ。 

 また、ジャッキールだろうか。

(くそう、隠居ジジイかよっ! また、朝っぱらから何か掃除かなんか始めたのか。いやでも、ノコギリの音が聞こえるような……)

「お、なんだ、起こしたか?」

 そんなことを考えている横の土間の方で、カーンと何かを打ち付けながら、男が声をかけてきた。

「へ、蛇王さん」

「おう、おはよう」

「おはようじゃないよ。何やってんの?」

 さわやかに挨拶してくる髭男を恨めしげに三白眼で見上げつつ、シャーは彼の手元を見た。なにやら丸太のようなものを釘で打ち付けているようだ。その手元にはノコギリが落ちている。なるほど、朝っぱらからノコ引いてたのはコイツで間違いないだろう。

 シャーは、じっとりとザハークをにらむ。

「なに、オレに対するいやがらせ?」

「それは俺が言いたいセリフだな」

 そういうザハークはなにやら意味ありげにシャーに視線をくれながら、その何かを作っていた。さほど太くもない丸太を十字に組み合わせたものだが、なにに使うのかさっぱり予想がつかない。

「何それ?」

「エーリッヒが作れっていうから、作っているんだが……」

 と、ザハークは大あくびをする。

「実のところ、俺も相当眠いのだ。あの馬鹿は、隠居老人並に朝が異常に早いが、ひとを巻き込むのはやめてほしいものだ」

「それは本当にそうだけど、それなによ?」

 シャーが再び尋ねると、ザハークは意地悪くにやあっと笑う。

「なんだと思う?」

「なにさ、もったいぶらないで教えてよ?」

「ははー、まあ、それは庭にでもでて答え合わせをしてくれ」

 そんなことを言いながら、ザハークは小刀でその何かの上の部分を削りだす。

「まったく、エーリッヒのヤツ。腹立つから、人形の顔はエーリッヒ風にしてやろう」

 出来上がった顔は大してジャッキールに似ていなかったが、ザハークは満足げにそれを担いで立ち上がる。

「まー、そういうことで気が向いたら庭に来い。俺は設置したらまた寝るけどな」

 そういうとザハークは、けだるくあくびをして庭の方に出て行った。

「ったく、なんなんだよ」

 シャーは再び寝なおそうと思ったが、ふと気がかりになって起き上がる。

 普段陰気なくせに、朝だけ異様に爽やかになるジャッキールが活動しているのは当たり前だが、そういえば昨日ここに泊まっているリル・カーンがいないような気がする。別室で寝ているのかと思ったのだが、シャーから見える位置からでも、すでに毛布が折りたたまれていた。

 シャーは、ふらっと立ち上がった。庭の方から、ジャッキールの声がするが何を言っているのかわからない。

 少し考えた後、シャーはそろっと正面玄関の方から裏庭に回ることにした。堂々と行けばいいのだが、ザハークにからかわれた手前、姿を見られたくない。そういうところは素直でない。

 向こうから風を切るような音が聞こえる。

「えいっ!」

 シャーがそっとのぞき込むと、ちょうどリル・カーンの姿が見えた。リル・カーンは木の剣をもって素振りをしているようだったが、その後ろでジャッキールが腕組みしたままその様子を見ている。

(何やってんだ。あいつら)

め!」

 と、不意にジャッキールがリル・カーンを止める。

「握り方が少し違う。こうではなくこう……。徐々に戻ってしまっている」

「は、はい」

 ジャッキールは、手ずからリル・カーンの手を取ってそう指導する。

「素振りの時にしっかり癖をなおしておかなければ、実際に切りつけたときに直らないからな」

「え、ええ、すみません」

 リル・カーンが不安そうな顔をしたのに気付いたのか、ジャッキールはこう付け加える。

「筋は決して悪いものではない。基本に忠実にすることを心掛け、鍛錬すれば必ず強くなれるだろう。殿下は強くなりたいのだろう?」

 ジャッキールがそう尋ねると、リル・カーンは頷いた。ジャッキールは少し相好を崩し、かすかに優しい表情を浮かべる。

「それでは、練習を続けてもらおう」

 次は、とジャッキールが指さす先には、ザハークが先ほど細工していた丸太の人形のようなものが立っていた。

「次はアレを相手に打ち付けてみよう。打ち込み方を見せるから、よく見ておくように」

 と、ジャッキールはリル・カーンから木の剣を受け取って、ざっと構えるとまず斜め右から切り下げた。それから真正面。そして胴体部分を横なぎ……。相変わらず、その太刀筋の軌道は正確で乱れがない。

「こう……だ。わかったかな?」

 一通り終わると、ジャッキールはリル・カーンに言って指さす。ジャッキールが打ち込んだ部分に傷が入っている。

「あれから大きく逸れないように打ち込む。まずはそれを心掛けてもらおう」

「あーあ、またまた、教科書みたいなことを言ってるな、エーリッヒ」

 ふいに声が割り込んできて、ジャッキールがむっと彼をにらむ。どうやら、ザハークがその人形を設置したらしい。そのあとも様子を見ていたらしい彼が、ふらっと姿を現していた。

「基礎に忠実であることの何が悪い」

「別にそれはそれで構わんぞ。いやでも、それだけが真理というわけではないではないか」

「真理だと?」

 ジャッキールが片眉を引きつらせると、ザハークはにやりとした。

「ほら……!」

 ザハークは、唐突に足元に落ちている枝を蹴り上げて手に取った。

 そのまま突然ジャッキールに襲い掛かる。ジャッキールは、持ったままの木剣で、反射的にそれではじく。孤を描くようにして反撃するが、それは、ザハークの目の前で対象をひっかけるような曲がり方をし、先ほどの曲線とは違う軌道を描いていた。難なくザハークはそれを枝で抑えた。

「はは、今の見たか小僧」

 と、ザハークは、別に本気でないので、ジャッキールの剣を手で払いながらリル・カーンに笑いかける。

「この男も本気になると太刀筋に急に手癖が入って来てな。今みたいに急に軌道が変わるのだ。こう言ってはなんだが、非常に避けづらいし、相手にとっては脅威でな。そういう面では悪いことばかりではないと思うのだが……」

 チッとジャッキールは舌打ちして木の剣を引く。

「この癖は美しくない。それに自分では弱点もわかっていてな。俺は、常々直したいと思っている!」

 指摘されてジャッキールは不機嫌だが、ザハークはすでに取り合う気がないらしい。相変わらず、自分のペースでしか物事を考えない。

「ふーん、そうか。まあ、俺も手癖だけの男だからなあ。どうも弓を射るときも癖が抜けんが、無理に修正すると外してしまう。ま、気負わずに好きなようにやればいいぞ、小僧。どうせそのうち癖がついてくるからな」

「こら、初心者を惑わすようなことをいうんじゃない!」

 適当なことを言ってあくびしながら去っていくザハークに、やや焦って注意しながらジャッキールは、リル・カーンを見た。

「まったく。あの男の言うことはあまり気にしないように」

「いえ、ジャッキールさんも蛇王さんも、やはりとてもすごい腕前をお持ちなのですね」

 リル・カーンが目をきらめかせながら言った。

「私も皆さんと手合わせいただけるほど強くなりたいです」

 そういってリル・カーンは少し目を伏せた。ジャッキールは少しからかうように、

「実際に手合わせしての稽古でないことがご不満かな?」

「い、いえ、そういうわけでは……」

 慌てて否定するリル・カーンに、ジャッキールは滅多と見せない優しい口調で言った。

「残念だが、殿下の腕では俺と相対するには少々危険だ。俺は、ふとした時に手加減ができなくなる男なのでな、相手にはそれなりの腕が求められる。しかし、本来殿下が、俺や蛇王と渡り合う必要はない」

 ジャッキールは、そういいながら首を振る。

「俺や奴の剣は、殺人の為の剣だ。実戦では確かに役に立つが、殿下はそうした剣ではない剣を学ぶ方がいいのだ。本来なら、俺が教えない方がいいものなのだ」

 ふふ、とジャッキールは笑った。

「あの三白眼の男にしてもな。あの男も本来はそういう剣を学ぶべきだったのに、どうやら少し殺人剣に寄っている。本当は、それはあまりよくないことなのだ」

「シャーさんが?」

 ジャッキールは頷く。

「貴方は、敵を倒したいから剣を学ぶわけではないのだろう?」

 リル・カーンは頷く。

「はい。私が強くなれば、きっと母上を止めることも、ナズィル達を守ることもできる。今回のような失敗をすることもないでしょうし、きっと、兄にも会えるように自分で行動できると思います」

「そうか。それでは、なおさらのこと」

 ジャッキールは、微笑んだ。

「俺でできることなら手伝いはしてあげられるが、強くなるには自身が努力しなければならないこともある。さて、俺には所用があるのだが、その間、あの人形を相手にして鍛錬しておきなさい。後で見てあげよう」

「はい」

 リル・カーンがそう頷くと、ジャッキールは踵を返して部屋に入っていった。

「よし!」

 リル・カーンは、ぎゅっと木でできた剣を握りしめると、ザハークが設置していった丸太を相手に切りかかる。

「えいっ!」

 ジャッキールの言う通りを狙って打ち込むが、なかなかうまくいかない。連続で攻撃しようとすると、ただの木の剣だというのに振り回されてしまいそうになる。

 息を切らせながら、十数回打ち込んだところで、思わず剣から手が離れてしまった。

「ああ……」

 リル・カーンは、膝をついて嘆息した。

「私はダメだなあ。こんなぐらいのことも簡単にこなせないなんて……」

 しょんぼりと肩を落としつつ、リル・カーンはつぶやいた。

「もっと、昔から本気で剣を教えてもらえばよかったのに」

 リル・カーンは、かつて体が弱かった。そんなこともあり、剣を教えてもらったのはずいぶんあとのことだ。ザファルバーンはそもそも尚武の国ではあったので、剣の素養を持たないわけにはいかなかった。しかし、リル・カーンが戦闘に向かないことをサッピアは勘づいていたから、彼にそれを披露させるような場を決して与えなかったし、けがをさせないようにと、師匠もそんなに厳しい人物ではなかった。さわりだけは教えてくれたが、基礎の部分で終わってしまった。

 実際のところ、王子たちの中で極めて優れた武術の腕を持つのは、実際に戦場経験があるといわれている長兄シャルル=ダ・フールだけだったから、サッピア王妃もその点について焦りはなかったのかもしれない。長兄さえ何とかすれば、あとの王子たちの武芸の腕は似たり寄ったりだった。それなら、サッピアは、リル・カーンの貧弱さを隠すことに専念する方が楽だったのだ。

 けれど、それでは駄目だ。

 今回だって、もし自分が強ければ、指輪を取られることはなかった。自分が強ければ、兄に危害を加えようとする母を止めることだってできた。

 もし、自分が強ければ、そもそも、母はあんな恐ろしい方法で権力を奪おうとしなかった。

「強くならなきゃ……。私が強くならなきゃ……」

 ぐすりと鼻をすすり、思わず目が潤みそうになりながら、それをこらえて地面に転がる剣に手を伸ばす。

 が、リル・カーンがつかむ前に、もう一つの手が剣をつかんでいた。

「はは、朝っぱらからご苦労だな」

「あっ」

 顔を上げると、シャーが目の前に立って笑っている。

「シャーさん」

 少し驚いた顔をするリル・カーンにかまわず、彼は剣を手で弄んでいた。

「ったく、ジャッキールのヤツ、無責任だよなあ。もっと丁寧に教えてから一人にしろって」

 そういいながら、シャーはリル・カーンに剣を差し出す。

「でも、ま、あのダンナは、ほんっとうにぶきっちょでさ、本気で手加減できないやつなんだ。んなわけで、許してやんなよ、リル」

「あ、えっ、いえ……」

 ニヤッと笑うシャーに、涙ぐんでいるのを見られたかとリル・カーンは恥ずかしくなるが、シャーは気に留めた様子もなく続けた。

「一回、オレと手合わせしてみるか? リル」

「えっ、で、でも……」

「なぁに、ダンナの言うことは気にするなって。オレは、あのオッサンと違ってうっかり手加減し忘れたりしねえしさ。それに……」

 戸惑う彼に、シャーはにっと笑った。

「一人で稽古したって張り合いがねえだろ? 何が悪いかわかんなくなって、落ち込んじまうこともあるしさ。そういうの、オレにも経験がある」

「は、はい」

 シャーは、先ほどザハークが捨てていった木の枝を拾いつつ、それを手にしたが、ふと思い出したように眉根を寄せた。

「あ、でも、このことはジャッキールのダンナにゃ秘密だぞ」

「え? どうしてですか?」

 キョトンとするリル・カーンに、シャーは小声で言った。

「基礎がなんちゃら~とか言ってたから、オレが勝手なことしたとか怒られちゃいけねえしさあ。あのオヤジ、説教くせえからさあ。な、秘密だぜ? 頼むよ?」

「え、あ、は、はいっ」

「んじゃま、そういうことで!」

 シャーはおどけたようにそういった後、やや表情を引き締めて構えをとった。

「じゃ、来い! リル!」

「はいっ!」

 リル・カーンは、嬉しそうに返事をすると剣を構えてシャーに向かってとびかかった。



「やれやれ、まったく」

 向こうから、木の打ち合う音が聞こえてきていた。

 ジャッキールは、勝手口の扉から庭の方をコッソリと覗き見る。

 向こうでは、シャーが軽々と動きながらリル・カーンをいなしていた。

「兄弟そろって世話を焼かせる……」

 そのシャーの表情に、いつもリル・カーンと相対していた時の複雑さのようなものは消えていた。そこが悪い、そこは良かった、などと言いながら剣を弾くシャーの言いぐさは、心なしか兄らしくもあった。

 腕を組みながらジャッキールは、扉の陰に寄りかかってしばらくその様子を眺める。朝の爽やかな光が、庭にきらきらと降り注いでいた。

 そして、そんな彼の様子を、先ほど毛布をかぶって二度寝した筈のザハークがあくびを噛み殺しながらニヤニヤしながら見ていることを、ジャッキールは気づいていない。



 *



「……でだ。貴様はどう思う?」

 シャーは、質問をしてくるジャッキールの前で、大あくびをしていた。

「どう思うって? ちょっと、オレ、超ねむてーんだけどぉ」

 朝ごはんを食べた後、リル・カーンは朝練で疲れ果てたのか、別室でそのまま熟睡してしまっている。のにも関わらず、ジャッキールはシャーだけたたき起こして、昨夜の報告をさせられていた。その隣では、ザハークが眠気覚ましの濃いめの珈琲を飲みながら、やはり大あくびしている。

「あのさあ、ちょっと、オレ、夕べ、超遅かったの。眠たいの。おわかり?」

「よくわかっている」

「だったら、なんでオレを寝かせてくれないのさあ。大体、朝っぱらから起こされて、眠たいんだよ。リルは寝てても許されるのに、オレはどーしてダメなわけ?」

 シャーは恨めしげにそういってみるが、ジャッキールが尋ねる。

「朝っぱらから? ん? 俺は貴様を起こした覚えはないぞ。それに殿下は朝から剣の鍛錬をしていたからだが、貴様はどうだったのか”な”?」

 ジャッキールがわざと語尾に妙なアクセントをつけてきて、シャーはドキッとした。

「えっ、あ、い、いやあ。別に。オレは、寝てたぜ。寝てたよ。朝っぱらから、アンタと剣の稽古だなんて、リルも大概熱心な奴だねぇえ」

 本当は、別にジャッキールに基礎がどうのと説教食らうのが怖いわけではない。リル・カーンに稽古をつけてやったのが、彼らにばれるのが嫌な素直でないシャーなのだ。

「アンタらが、ガサガサして寝られなかったんだよ。そ、それだけ!」

「ふーん、そうか。それならすまなかったな」

「そ、それよか、ダンナ、アイツのこと、殿下とか呼んじゃってるわけ?」

 シャーはあわてて話をそらしにかかる。

「構わんだろう。この建物の敷地内では危険はなさそうだし、第一、殿下と名の付く奴はたくさんいる。爵位を持っている貴族も殿下で呼ばれるだろう。問題ない」

「そ、そうかもしれないけども~、ちぇっ、まあいいさ」

 となると、オレ達の努力はなんなのよ、と言いたくなるものの、まあ、ジャッキールの言うのもごもっともな話だった。

「それはそうとだ。先ほどの俺の話だ」

 と、ジャッキールの方から修正してきた。

「貴様の方の話はわかったし、その老人がただものではないということもわかった。今宵、その指輪屋と勝負をするということもだ」

「うん、わかってくれれば嬉しいよ。あーのさー、もっと話を簡潔にまとめてくれる。何がききたいわけよ」

 持って回った話をするのは、普段のジャッキールの特徴だ。意外と気が短いようでいて、普段の彼は結構気が長くておっとりしている。

「だから、聞いているだろう? 指輪を殿下が盗まれたことに対して、なにやら陰謀が絡んでいるのではないかという話だ」

「そりゃー否定できませんよー。何せ、アイツが指輪なくしたら得する奴は多いんだから。しかし、指輪抜きのドーディは、ただのコソ泥だったし、あいつが嘘ついてるようには見えない。そんな大きなコトに絡めるようなやつじゃあないさ」

「それでは、それが偶然だったとしよう。しかし、殿下が家出をした理由から考えてみたらどうだ」

 ジャッキールは、腕組みして話を続ける。

「昨夜、殿下から話を聞いたのだが、家臣の一人から例の暗殺未遂事件のことについて教えられたといっていた。しかし、その家臣は、腹心ではないらしい。殿下が家出をするように仕向けたものがいるのではないか?」

「うーん、それはそうだなあ。確かに、リルの性格知ってるような部下なら、本当の事なんて教えねえよな。うちの身内ではないのはわかってるし、あの女狐の家庭が崩壊して一番得しそうなやつ……」

 シャーは腕を組んで、例の三白眼を天井に向けていたが、ふと考え付いたようにつぶやいた。

「あー、もしかして、”叔父貴”かな?」

「叔父貴?」

 ジャッキールはきょとんとする。

「セジェシス王には、身寄りはないと聞いているが兄弟がいたのか?」

「はッ、血のつながらねえ弟さあ」

 シャーは、皮肉っぽく嘲笑いながら言った。

「前王朝の王族でね、親父が国をもらう時に協力したとか何とかで義兄弟になったわけ。だが、曰くつきの男でねぇ。オレも他人の事はいえねえが、放蕩無頼のクソ男だぜ」

 シャーは立膝に肘をついて続けた。

「しかも、その男の”妹”が親父んとこに嫁入りしてるんだが、実際は妹じゃなくて叔父貴の愛人だった女なんだよ。で、しかも、そのときは親父は親征で忙しくてさあ、その女に手を付けたかどうかもわからねえうちに失踪しちまいやがったんだが……、実はそのあとで……」

「ははあん、王子が生まれたのか」

 黙っていたザハークが、湯気の立ち上る珈琲を啜りながら口を挟んだ。

「王の子かどうかわからんが、嫁入りした後で生まれた子だ。王位継承権はあるのだろう」

「蛇王さん、ご明察」

 シャーはため息をつきながら言った。

「そうなの。親父の子じゃなくて叔父貴の子じゃねえかってみんな思ってるけど、継承権はあるのよ。そいつがリルの下の王子でねえ。ザミルが失脚した後、リルの次に有力なの。……だから、とにかく女狐のババアをどうにかしなきゃいけねえのはあの不良叔父貴だね。内乱中は比較的静かだったんだが、実は最近動きがちょっと活発でねえ。コッチに手を出すと決戦になるから、先にババアんところ、つぶそうと思ったんじゃねえの? そっちに矛先が向いてるうちは、うちの連中は手を出さないからねえ」

「最近活発とは? 何か理由があるのか?」

「アレ、ダンナ、この話知らない?」

 ジャッキールがきょとんとすると、シャーはうーんと唸る。

「アレ、知ってるかと思ってたぜ。ダンナがもともとつかえてた男の話だからさ」

「まさかラゲイラ卿か?」

 ジャッキールがハッとした様子で尋ねると、シャーは頷いた。

「ザミルを担ぐ芽がなくなったんでね。そっちに乗り換えたっていう噂。それじゃなきゃあ、あのアホ叔父貴が一人でババアを翻弄できるわけないじゃん? しっかし、どこまで指示してやったかは知らねえが、結局、リルの家出が指輪の紛失につながってるんだから、叔父貴の計画、ソコソコうまくいってるってことだぜ。ちぇっ、忌々しい」

 シャーがあくびをしながら吐き捨てる。

「しかし、”指輪屋”にはどうもそれらしい意図は見えねえんだよな。ハーキムがどうかは知らないが」

「ハーキムについては、おそらく関与していないだろう。あいつはそういう危ない橋を渡る男ではないぞ」

「ええ? なんで言い切れんのよ? ひょっとして、ソイツと知り合い?」

 断言するジャッキールにシャーは不審を覚えて尋ねるが、そのとき、ふいに表の方でトントンと扉をたたく音が響き、女の声が聞こえた。

「あ、リーフィちゃんだ! っと、ちょと待ってー!」

 シャーは眠たいと散々言っていたにも関わらず、しゃきっと身を起こすと玄関の方に走り寄った。

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