8.賭博師達の熱い夜

 賭場の空気は、昼間からすでに熱くなっていた。

 まだ明るいうちから、賭場にはたくさんの人が集まり遊戯に興じている。すでに何度か大勝負が行われているようで、野次馬達も含め人が集まっていた。

 それを彼は眺めながら、酒を口に含む。緩やかに体に注ぎ込まれるアルコールが、彼の視界を軽くとろけさせていた。

 彼がいるのは、休憩所の一角で、そこからは賭場の状況が上から見下ろせた。入り口には屈強な男が立ち、選ばれたものしか入ることができないようになっていた。その入り口を越えると、調度品や敷物が急に豪華なものになる。そこに居て酒や料理を楽しむ者たちも、また、それ以外の者たちとは身分が違うような、上等な服を着ていた。顔を隠しているものも多い。

 そんな彼らに配慮してか、休憩所は小さな区画に分けられ、薄い布で区切ってあり、お互いの様子は見えないようになっている。

「へえ、ご法度の遊びといえ、結構貴族連中もきてるんだな」

 その一角でだらしなく足を投げ出し、酒を飲んでいた男がぼそりといった。周囲には二人きれいな女が侍っており、彼に酌をして回っている。

「まあ、顔隠してるのは、そのせいか。面割れると何かとマズイからな。一応ご法度だし、王サマの顔色うかがうようなヤツぁ、そうするだろうよ」

「そういう貴方様は、平気なのですか?」

「俺か?」

 男は苦笑して、にやりとした。

「お前等に見られる分にゃあ平気だぜ。だが、ま、ここから出る時はちゃんと顔ぐらい隠しておかなきゃなァ」

 男は壮年だった。年のころは四十がらみ。髭を生やしたなかなかの男前だ。遊び慣れている様子だったが、なるほど、女にはもてるかもしれない。身なりもよかったが、どこか崩れた雰囲気を漂わせていた。しかし、女たちがうすうす感じているように、彼はただの不良貴族でもなさそうだった。

 ふいに、一人の男が布をめくりあげて入ってきた。

「ああ、このようなところにおいででしたか?」

「ちッ、あーあ、せっかくキレイどころとくつろいでるときによー」

 彼は見つかったとばかり、忌々しげに舌打ちすると傍にいた女たちに手を振って人払いした。彼女たちは、いわくありげな彼に逆らうことなく、布をめくって外に出ていく。

「殿下、このようなところでお遊びでしたか」

「散々だぜ」

 彼は大きくあくびをしながら、伸びあがって言った。

「あーあ、ろくろく賭け事には勝てねえし、今日はもう遊んで帰るだけのとこだ。それにしても、レンク=シャーのやつもだらしがねぇなあ。ここまででけえ賭場開かれちまって、何にも手出しができねえなんざあ」

「殿下」

 咎めるように男が小声で釘をさすが、彼は全くこたえたそぶりもなかった。

「いいじゃあねえか。本当の事なんだからよ」

 彼は気怠く言った。

「あの男も相当頭には来ているようです。このようなところで遊んでいたら、巻き込まれるかもしれません。ギライヴァー殿下」

 小声で男は彼の名を告げた。

 ギライヴァー=エーヴィル=アレイル・カリシャ=エレ・カーネス。それがこの男の正式な名前であり、爵位を持つ王族の一人だった。

 先王セジェシスが、エレ・カーネスの王朝を開く前は、カリシャ家という王族が王権を打ち立てていた。彼はそのうちのアレイル家出身の王族であった。カリシャ家はその長い歴史の中で、複数の家に別れていた。その中で権力闘争が行われ、王朝は腐敗しきっていた。そして、時の大宰相ハビアスの差し金により、セジェシスが王権を簒奪することになる。

 アレイル家は、さほど王位継承について有利ではなかったため、その嫡男であったギライヴァーは早々にセジェシス側についていた。彼はセジェシスとそう変わらない年齢をしていた。そして、ギライヴァー自身は若いころから遊んでばかりの放蕩無頼の不良王族であったため、かえってセジェシスと気が合った。他の貴族たちの勧めもあり、セジェシスは彼を義弟として正式に王家に迎え入れたものだった。

 そういった経緯もあり、王位継承権は、基本的にセジェシスの実子たちが優先されているが、実は彼にも王位継承権が与えられている。そして、彼が失踪直前のセジェシスに送り込んだ”妹”とされる妃の産んだ子に、リル・カーンに次ぐ王位継承権が与えられていた。

「レンクのヤツには、俺からもちょっと発破かけてやったからな。今夜あたり賭場荒らしに来るとおもしれえんだが。まあ、巻き込まれて死んだらシャレにならねえからな」

 それにしても、とギライヴァーは顎を撫でた。

「ここで遊んでりゃ、例のハーキムの面を拝めるかと思ったが、野郎は出てこないんだなア」

「ハーキムは、滅多と姿を現さないことで有名ですからね」

「せっかく入り込んだんだ。ついでに面でも拝もうかと思ったんだが。へへ、まあしょうがねえ。それより、お前、俺にそんなことだけ言いに来たんじゃねえんだろう?」

「もちろんです、ギライヴァー殿下」

 そして、男は再び声を低める。

「実は、ラゲイラ卿からご報告がありました。……あの女狐と子狐の離間策がうまくいっているようです」

「へぇ、あのタヌキ親父、なかなかやるじゃねえか」

「はい。まだ女狐は気づいていないようですが、実は子供が屋敷に戻っていないとか。後見人の男が落ち着いているので、おそらく居場所はわかっているのでしょうがね」

「ふーん、あの親父も、やることが陰湿だな。しかし、あのお坊ちゃんに家出する根性があったとはなあ」

 ギライヴァーは、にやりと笑った。

「ふん、内乱で権力を手にしようとしてシャルル=ダ・フールに叩き潰されたくせに、まだめげてなかったが、所詮、あの女の武器はあの小僧だけだからな。ラゲイラの親父は、そこを突いてるんだろう」

 彼は酒を口に含んで言った。

「シャルル=ダ・フールのクソガキとあの女を相手にするなら、あの女のがまだ与しやすいからな。確かに、兵力もそれなりにあるんだが、あの女にはリル・カーン以外の武器がねえ。一方のアイツは……」

 とギライヴァーは、舌打ちする。

「セジェシスの兄貴は、ぼんやりした野郎だったが、実は押えるところは押える男でな。俺がどういう男か本当はわかっていやがったから、その辺ちゃあんと手を打ってあったわけよ。あの女と違って俺が内乱中に暴れなかったのは、そういうことさあ。色々言われているが、あのガキはセジェシスの兄貴の才能を一番よく継いでるからよ。ラゲイラの親父もそこんとこ見誤って失敗したわけだ。……で、俺の忠告聞いてあの女んトコに矛先向けたってことだろうよ」

 と、ふとギライヴァーは、にやりとした。

「あー、でも、それじゃあさっきの指輪はホンモノかな」

 キョトンとした男に彼は、つづけた。

「いや、ここんトコによ、勝負した相手の指輪巻き上げて集めてる、イカレた賭博師がいるんだが、ソイツとさっき勝負しててよ。コイツと」

 といってギライヴァーは、自分の左手を掲げた。その中指にはまっているのは銀の指輪だった。何の変哲もない指輪ではあるが、その内側には彼の身分を証明する小さな文字の刻印がなされている。その意味を知っているものだけが、その指輪の本当の価値がわかるのだ。

「同じ指輪を持っていたからよ。こんな指輪は誰でも持っているが、俺は当事者だからな。形や色で似てるのがわかるのさ。だから、話きいてみたわけよ」

 ふふふと彼は笑った。

「いや、食うに困った王族の末端が質屋に売るとかありえそうだからよー。でも、どうやら、そのときの勝負相手が有名なスリだったらしく、最近盗んできたものらしいんだよな。はは、あの小僧のモノだったら相当おもしれえんだが……」

「殿下、それは……」

「売れって言ってみたが、金では売らねえとこうきた。だが、俺ン腕じゃあ、分捕れねえぐらいの凄腕の如何様野郎でよ。あー、でも、そうだなー。俺とあの女狐に二股かけてるレンクの野郎にチクったら、おもしれえ騒動が見れるかもしれねえなあ」

 と、不意にギライヴァーは、何かを見てそっと顔の半分を布で覆った。

「殿下」

「しっ……」

 黙れといわれて男は黙り込む。その視線の先に、すらりとした長身の男が通りすがるのが、薄布越しに見えた。

 男は、ギライヴァーとさほど年が変わらない様子だった。上品な顔立ちだが、やたら無表情なのが目につく。冷たさよりも感情のないような無機質さを感じられる男だ。男はその休憩所から出ていくところであるらしい。ギライヴァーのすぐそばを通ったが、彼は目を向けることはなかった。

 男が行ってしまってから、ギライヴァーは苦笑する。

「へへえ、珍しいモンみたぜ」

「珍しい? 殿下は、あの男をご存知ですか?」

「おめえ知らねえのか?」

 彼は嘲笑って、

「あの男、七部将の一人、カルシル=ラダーナだ」

「あれが?」

 男は目を瞬かせた。

 カルシル=ラダーナは、ザファルバーン七部将といわれる七人の将軍の一人である。その七人は、シャルル=ダ・フールの懐刀のような存在だが、彼らのシャルル=ダ・フールに対する態度には当初相当な温度差があった。今ではシャルル=ダ・フールを支持しているハダート=サダーシュやジェアバード=ジートリューが、最初は彼に反発していたことも有名だ。

 しかし、ラダーナ将軍はシャルル=ダ・フールの幼少期から、彼と行動を共にしていた事で知られ、もとよりシャルル=ダ・フールに付き従っていた。多少度を超した無口さで、何を考えているのかわからない男ではあったが、優秀な将軍でもある。

「取り締まりでもするつもりでしょうか?」

「アイツには警察権はねえし、そのつながりもねえよ。赤毛のヤツじゃあるまいし」

 ギライヴァーは鼻で笑った。

「アイツが顔を隠さずにうろついてるんだから、別にそのつもりもなさそうだ。案外、あの無口な将軍サマも博打好きなのかもしれねえぜ? ふん、シャルル=ダ・フールあのガキもろくな部下をもたねえなあ」

 ラダーナは、そのまま遊戯場の方に入り、獅子の五葉の勝負を見つめていた。そこには、あの指輪屋ファルロフの姿がある。それを横目にギライヴァーは立ち上がり、この場を後にすることにした。

 男に導かれて出口に差し掛かった時、ふと視線を感じたような気がして振り向いた。

 しかし、当のラダーナは、やはり獅子の五葉に見入っているようで、ギライヴァー=エーヴィルは皮肉に笑ったものだった。




  *


(このジジイ、どういう性格してんだ?)

 シャーは自分のことを棚にあげまくりながら、前を歩くバラズにあきれ果てていた。

「あー、もう、どうしよー。気が重いよー」

 夕暮れの街の中、シャーはバラズとともに道を歩いていた。

 シャーはいつもの格好だが、バラズは昨日とはまた違ったしゃれた服を着ている。あの猫の縫い取りのある襟巻は相変わらずで、もしかしたらゲン担ぎ的な意味でもあるのだろうか。

 しかし、昨夜はあんなに強気だったファリド=バラズだが、今は何故か猫背で前のめりに歩いてはため息をついてばかりだ。シャーはその変貌ぶりにややあきれていた。

「爺さん、めちゃ元気ないじゃん。どーしたのさ、今日は大勝負の日なんだぜ」

「そりゃあ、大勝負の前だから気も滅入るだろう?」

 バラズは、心なしか顔色が悪い。

「ああ、私、なーんで昨日勝負しなかったのかな。昨日なら余裕で勝てたのに。相手寝不足だったし」

「ちょっ、なに言ってんのさ?」

 そんなことを言い出すバラズにシャーはあきれ返りつつ、

「爺さん本人がそう言いだしたんじゃないかよ。オレは止めたのに」

「そうなんだけどねー。昨日の私、見てただろう? ああなると、やたらと強気になっちゃって」

 バラズは何度目かわからないため息をつきながら、シャーの方を見やった。

「どうにも、暴走してしまうというか。……あああ、もう、この癖どうにかしたいよ」

「それはオレの台詞だっての」

 あきれ果てたシャーは怒る気もうせて、ため息をついた。

「なんか、爺さんもわかんない男だねぇ。昨夜のジジイは油断のならんジジイだったのにな」

「よく言われることだけどね。そんなこと言ったら、お前さんもひとのことはいえないだろう? 二重人格も甚だしい」

 バラズはそういってシャーにくぎを刺しておく。

「私はね、自分と似たような男なのがわかっていたから、リーフィにお前が近づくのが嫌だったんだよ。絶対ロクな男じゃない」

「それは悪かったね」

 シャーは、むっとして腕を組みつつ。

「でも、爺さん自体も玄人じゃん。オレのこととかいえないだろ。アンタさ、元々博徒だったんだろ?」

「だから、学生の遊びさ。最初は将棋シャトランジの賭け事をしているってきいて、親の仕送りで遊びに行ってた。で、そのうち獅子の五葉にはまっちゃったってだけさ」

「アンタの腕じゃ、一生食えた筈だろ。わざわざ小役人にならなくたって、そっちのがメシ食えるはずよ? 引退したのが何故だか謎だったんだけどさ」

 シャーは、今朝のリーフィとの会話を思い出していた。



 「リーフィちゃん、おっはよー!!」

 そんな風に上機嫌で扉を開けると、リーフィが相変わらずの涼しげな佇まいでいた。どうやら差し入れでも持ってきてくれたらしく、籠を手にしているが、飲み物の瓶などが布の間から覗いている。

「おはよう、シャー。あら、昨日はずいぶん遅かったんじゃないの? 思ったより早起きね」

「まあねえー」

 シャーはにんまりと笑って答えた。本当はたたき起こされたのだが、この際、格好をつけておくことにしたものだ。

「先生は、ご活躍されたかしら?」

 リーフィが、悪戯っぽい目をしてそんなことを言う。ほとんど表情の変わらないリーフィだが、さすがにシャーも少しはわかるようになっていた。

「リーフィちゃんも人が悪いよねぇ。知ってたんでしょ、あのジジイのこと」

 シャーは腕組みしながら言った。

「あのジジイ、玄人の博徒でしょ? 突然目の色変わっちまってさあ」

「ふふふ、ごめんなさい。でもね、私も先生からちょっと聞いただけなのよ」

 リーフィはそう言ってそっと続ける。

「バラズ先生はね、シャーの言う通り、若いころ博徒をしていたらしいの。そのときは、今のエレ・カーネス王家が王国を治めていたのでなくて、カリシャ家の時代でね。先生は、役人になる為に王都にでてきて勉強をしていたのだけれど、その学校もろくろく機能していなかったんですって。それで、先生、なにを思ったのか博打に走ってしまったらしくて……」

「でも、学生がただ遊んでたような腕前じゃあないよ。アレ」

 シャーは、昨夜の彼の様子を思い出しながら言った。あの勝負勘、あの手つき、ただ遊びでやっていたにしてはどう考えてもおかしい。

「というか、随分前に引退してたって言ったけど、現役みたいな手つきしてたけどなあ」

「ふふ、先生ね、引退してからも、お弟子さんやお友達相手によくやってたのよ、獅子の五葉。実は私も、将棋シャトランジだけじゃなくて、獅子の五葉も教えてもらってるの」

「えええ、そうなの? っていうか、なんで引退したのさ。あの爺の腕前じゃあ、そりゃあ有名な賭博師になれただろうに。役人になったからかな?」

「それもあるのかもしれないけれど、なんでもはっきりとした原因があるらしいのよ」

 そういってリーフィは、とある話をシャーに囁いたものだった。



「なんかアンタ、女の子に惚れたのが原因で、引退したんだっけか?」

 いきなりシャーに言われて、バラズはどきりとしたように立ち止まる。

「えええ」

「リーフィちゃんがそのようなこと言ってたのよ? アンタにしては、色っぽい話だねえ、爺さん」

 バラズはやや動揺気味だ。

「ええ? そ、そんなことリーフィ知ってるの? おかしいなあ、私、リーフィにその話してないよ」

「アンタの友達から聞いたって言ってたぜ?」

 うーん、とバラズはうなった。

「それは、その、まあー、そういわれればそうなんだけどさあ」

 バラズはそういって、少し苦く笑う。

「まあ、そうだねえ」

 バラズは何を思ったのか、夕暮れの空を見上げながらふと言った。

「昔の私は、本当にただの遊び人だった。けれど、それが楽しくもあった。それまでの私の人生は、あまりにもちっぽけで平凡でつまらないものだったのに、あの鉄火場で私は初めて生きていると実感した。今だってそうだろうね。勝負の場に出てしまうと、すべてを忘れて集中してしまうのは、きっとその実感を楽しんでしまうからだろう。しかし、遊び人をしていた私は、とうとう賭場で彼女に出会ってしまった。私が賭場で餌付けしてた猫の飼い主が、そのコだった。きれいな子だったよ。ちょっとリーフィに似た感じのね」

 ふと、バラズは苦くいう。

「でも、彼女は、その賭場の大親分の情婦イロの一人で囲われ者だった……。私は猫の為に彼女と会っていただけなのに、彼女の相談に乗っているうちに、本気で好きになってしまって……。そしてある時、とうとう彼女を解放してやろうと決意した」

 バラズは、自嘲気味になっていた。

「私も当時は義侠心みたいなもんがあってねぇ、弱い小童のくせに、それなりにかっこつけてたから。別に彼女を解放したとしても、自分が好かれようと思ったわけじゃなくってね。でも、それで、私は強くならざるを得なかった。そうじゃなきゃ男じゃないと思ったものだよ。それほど賭博ヤマ師にならなきゃ、到底身請けできるような金子を私が稼ぐことはできなかったから」

 にやっと彼は笑った。

「実は私にも師匠がいてねえ。その男は、有名な賭博師だった。私は彼の最初にして最後の弟子だった。彼は私にいろんなことを教えてくれたよ。勝負における判断、覚悟、それからあらゆる骨牌を操る技術。彼は私が知る上で最高にして最強の男だった。私は、そんな男の選ばれた弟子になったというのに、だめだねえ。でも、目的を果たしたところで私が賭博ヤマ師である必要はなくなったんだよ」

「てことは、その女の子はどうなったんだ? 結局助けられたんだろ? それからどうしたのさ?」

 バラズは、てへ、とばかり、少しいたずらっぽい笑みを浮かべた。

「さて、どうだったかなー。そんな昔のことは、もう忘れちゃった」

 シャーが反論しようと口を開く前に、ふとバラズは言った。

「そんなことより、三白眼。リル様のことなんだけどね」

 と、バラズはいつの間にやら扇子を手にしていた。どうもバラズは扇子を使い始めると、雰囲気が変わってしまう。それがあまりにも急激なもので、シャーも思わずあっけに取られてしまうのだ。そんなシャーに目もくれず、扇子を頬にあてつつ彼は言った。

「どうも、リル様によからぬことを吹き込んだのは、リル様の叔父様に当たる方なんじゃないかと思うんだよ」

「え、あ、ああ」

 朝、ジャッキールとそんな話をしていたばかりなので、シャーは少しどきりとした。

「ギライヴァー=エーヴィル様という方なのだが、彼は旧王朝の王族でね。リル様のお母様とも敵対関係にあるんだ。今の王様はそういう姑息な手段をとる方じゃないから、リル様をお母様から離間させて一番得するのは彼だろうね」

「へ、へえ、そりゃあまたフクザツだねえ」

 シャーは、動揺を隠しつつ相槌を打ちながら、

「そ、それはそうと、爺さんはなんでそんなこと知ってんの? どこ情報?」

「そりゃー、私にもそういうことを教えてくれる人はいるよ。相談をした信頼のできる方からの情報とだけ言っておこうかな」

 バラズはけむに巻くようにぼかしながら続ける。

「ついでにその人からの情報でね、ハーキムの競合相手である、お前さんと同じ名前のやくざ者が、賭場荒らしを仕掛けるかもしれないということさ。そういうことで、お前さんも注意したほうがいいよ」

 まあ、何かあったら私を守ってほしいだけだけど、とバラズは付け加えた。

「なんにせよ、今日はただの勝負ですまないかもね」

 パチンと扇子を閉じながら、バラズは何故か不穏に笑う。

(他人事だと思いやがって……!)

 シャーはあきれながら、ふと思い出したように言った。

「そーいや、爺さん、”指輪屋”と対戦するのに餌持ってきたのかよ?」

「餌?」

 キョトンとするバラズにシャーは、例の三白眼をまるくしながら続けた。

「そ、そりゃあ、昨日の金だけでも勝負してくれるかもしれないけどさあ、それって”店”の体面保つための勝負だろ? 指輪は今アイツの私物ってことになってんだから、個人的に勝負しないと返ってこないんじゃね? 昨日は、爺さん、あいつと戦うつもりなかったから何も持ってなかったみたいだけど、今日は家伝の指輪なんかの超イイやつ持ってきてるよね?」

「え? あ、そ、そうだったっけ? あ、そ、そうか、そういえば指輪を取り戻す話なんだっけ?」

「ちょっ、ちょっと、今更何いってんの?」

「ええ、い、いや、その、うっかり勝負の事ばかりが先行しちゃってて、つい指輪の事忘れてて……」

 バラズは少し青ざめて首を振る。

「えええ、どうすんのよー!」

「い、いや、でも、だってっ、私の家、家柄だけで貧乏なんだもん。ろくな指輪なんか持ってないから、実際問題そんなのないもん」

「オレはもっと持ってないっつーの。もう、どうするんだよ? あいつが指輪賭けて個人的に勝負してくれなきゃ、返ってこないじゃん?」

 追及されて、バラズはちょっとあたふたしたが、やがてきりっと顔を整えて頷いた。だが、ちょっと動揺している気配がある。

「ん、ま、まー、その辺は状況によって考えよ。とりあえず、あーいう子は勝負にさえ勝てばなんとかなるって」

「そーかなー」

 シャーは冷たい視線を浴びせるが、バラズはそれを振り切るかのようにサクサクと歩き出す。

(このジジイ、普段はほんっと使えねえな。いや、狂気ってそういうことなの? 勝負にこだわりすぎて、他の事どうでもいいのかね?)

 シャーはため息をつきながら、そのあとを追いかける。冷たい夜気が夕方の街の中にじわじわと広がり、そろそろと月がのぼりはじめていた。

 しかし、彼らにはわかっていた。その冷たさをものともせずに、その場所だけは燃え盛るように熱いのだろう。

 賭場に近づけば近づくほど、バラズの様子が変わってくる。いつの間にか扇子を手にした彼は、すでに賭博師ファリド=バラズの目をしていた。


 今日もまた、熱い夜が幕を開けるのだ。


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