3.”指輪屋”ファルロフ

 

 外に出ると案の定、ゼダが待っていた。

 相変わらず派手な上着を纏って、いっぱしの不良青年といったたたずまいの伊達男だが、顔だけ見れば子供みたいだ。先ほどまでリル・カーンと対峙していたものだが、本物の子供のリル・カーンを見た後でもやはり子供ぽい気がした。態度だけは大人ぶっているので、なんだか少年が背伸びして大人ぶってるような感じがする。

「なんだよ、やっぱりいるんじゃねえかい。素っ頓狂な叫び声が聞こえたから、どーせお前がいるんだろうと思ってたぜ」

「オレは忙しいんだよ。なんだ、用事がないなら帰れよ」

 そんな憎まれ口を聞くゼダに、シャーは不機嫌に言い捨てる。

「あー、相変わらずだな、テメエは。せっかくおもしれえ話持ってきてやったのに」

「面白い話だと?」

「でも、お前、聞く気がないみたいだから、帰るわ」

「ちょ、ちょっと待て!」

 帰ろうとするゼダを思わず引き留めると、ゼダがにんまりして振り返る。

「聞く気ねえんだろ?」

「いや、その、本当におもしれえ話なら聞いてやってもいいんだぜ」

 シャーはやや態度を軟化させるが、相変わらずひねくれた態度だ。ゼダはやや勝ち誇った顔になった。

「んじゃー、まあ、話してやってもいいかな」

 ニヤニヤしながらゼダはつづける。

「実はよ、ここ数日、でかい賭場が開かれてるらしいんだ。ハーキムの縄張りの中らしくてさあ」

「賭場? なんでえ、博打の話か」

 シャーは、途端興味なさげになった。

「悪いけどな、オレはこう見えて最近は博打にゃ手を出してねえの。資金もないし、今まであんまり大勝ちしたこともねえから、足洗ってるんだよ」

「オレだって別に博打はしねえよ。たまに仲間内で遊びではするが、賭場なんか入って、でけえ面したら、せっかく表面上おとなしくしてんのに台無しじゃあねえか。そこまで真剣にする遊びじゃねえし」

「じゃあ、何でそんな話をするんだよ」

「そりゃあ、そんだけ目立つことをすれば、相手方も燃え上がっちまうだろ。ハーキムは今やこの街の一大勢力なんだが、この街にはお前とおんなじ名前の悪い奴が仕切ってるじゃねえかい」

「ああ、シャー=レンク=ルギィズな」

 シャーは軽くうなずいた。

「そりゃ大変かもしれねえな。突撃かまして大喧嘩になるかもしれねえが、そうなると共倒れになりそうだしな」

 確かにザファルバーンでも、賭博は禁止されている。

 しかし、それは建前で、実際そこまで取り締まってもいない。他に取り締まるところも多いし、何せシャー自身がこんなやつなので「空気抜くのも必要っしょ」的なことを言った覚えもあるし、それに実質摂政であるレビ=ダミアスが賛同していた。宰相のカッファは、正直苦い顔をしていたものの、そういうこともあり積極的な取り締まりはしていないのだ。

 しかし、公然と道端で賭博するわけにもいかない。さすがに風紀が乱れすぎるので、そういう場合はキッチリ取り締まられる。

「でも、賭場荒らしはあり得るぜ。その辺で大騒ぎが起きるんじゃねえかと思ってるんだよ。おもしろそうだろうが?」

「物騒なこと言いやがって」

 正直、リル・カーンのことで頭が痛いのに、そんな話を持ってこないほしい。シャーがうんざりとしてそういうが、ゼダはそんな彼の様子も見ずに話をつづけた。

「あと、これは役に立つ話だ。大勝負だってえんで、この街中の博打うちが無理して大金突っ込んでんのさ。おかげで文無しがあふれてやがって、治安が悪いったらないぜ」

「治安? そんなに悪化してんのか?」

「そうだぜ。何せ、オレみたいな奴相手からでもスろうっていう不埒な輩がいるもんだからよ。さっきここに歩いてくる途中で、うっかりやられそうになったもんだぜ。ソイツ、なにせ指から指輪も抜いちまうぐらいの手練れでさあ、お前も普段ボーっと歩いてんだから、注意しろよ。あ、でも、お前にゃ、盗まれるような財産なかったっけ?」

 ゼダはちょっと挑発するようなことをいうが、シャーははっと顔を上げた。

「なんだって、指輪?」

 そういわれてシャーは、ゼダの手を見る。今日はゼダは、左手の中指に何やら紅い石のついた指輪をはめていた。

「ああ。物乞いのフリして縄張りで張ってる指輪抜きのドーディってスリがいてな。相手が施しをしようとしたときに相手から財布を……、そこまでは普通なんだが、スキ見せたついでに指輪まできれいに抜いちまうってので有名で……」

「ちょ、ちょっと待て。指輪を盗むのか?」

「そりゃ、指から抜けねえような指輪なら盗まねえんだろうが、普通に抜けそうな指輪を見抜いて綺麗に抜いちまうのよ」

 ゼダは、そのまま楽しげに話す。

「オレはちょいと部下から聞いてて奴のこと知っていたから、助かったようなものの、知らなきゃやられちまってたぜ。オレだって今日はたまたま指輪してたら狙われたんだが、お前もごくたまーに指輪してるの見るけど、アレやめといたほうがいいぜ」

「ちょ、ちょっと待て。指輪と財布を盗むんだな、そいつ。指につけたままのを」

 シャーが、そのままだらだら続きそうな話を止めながら確認する。

「ああ、そうだよ。ま、アレはアレで一種の職人技だな。そりゃあ、なかなか華麗なもんさ。どうしたんだよ、顔色変えて?」

「い、いや、その、さっき酒場に飛び込んできた坊主がさ、指輪と財布スられて困ってるっていうもんだからよ。それで盗った奴探そうと思ってたところなんだ」

「ふーん、そりゃあドーディの仕業かもな。場所は?」

「場所かあ。どうやってここまで来たかわからねえらしいからなあ」

 と、シャーは王都郊外にあるサッピア王妃の屋敷の場所を思い出した。あれとここを直線距離で結んでいる場所だとしたら、ここから少し西の方。

「あの辺かな?」

「んー、そりゃあ多分そうじゃねえか。なんだ、子供からも盗んでんのか、アイツ。もっととっちめておけばよかったな」

 ゼダは、ちっと舌打ちする。

「そうとわかればのんびりしていられねえな。ちょっと案内しろよ」

 シャーはゼダにそう言い、室内のリル・カーンにちょっと出かけると言い置いてゼダと共にその場所に向かった。

 


 指輪抜きのドーディは、再び自分の持ち場に座っていた。彼等にも縄張りというものが存在するので、しばらく危険を感じるまではそこを根城として稼ぐつもりのようだった。

 しかし、どうも景気がイマイチなのか、その表情は芳しくない。

「おい」

 と、不意に声を掛けられて、ドーディはちらりとそちらを見てはっとした。

 そこには、童顔で子供にしか見えない派手な衣服の若旦那風の男と、やや薄汚れた感じの青い服を着た三白眼の背の高い青年がいた。童顔の男には見覚えがあるので、ドーディは慌てて立ち上がった。

「こ、これはこれは、先程はどうも旦那」

「ああ、どうやら不景気らしいな」

「へえ、うっかり旦那みてえなスキもねえお方を狙っちまうぐらいでさ。お許しくだせえよ」

 どうやらドーディのやつは、ゼダの指の指輪を狙ったときに痛めつけられたのか、非常に低姿勢だった。

「しかし、あっしに何の御用で? もう、指輪も財布もお返ししましたし、何もほかに盗んでは……」

「ちょっと話ききてえことがあってな」

 ゼダがそういうと、ふとシャーが割り込んだ。

「アンタ、今日、十五か十六ぐらいのガキから財布と指輪盗んだんじゃねえか? ちょいとイイとこのお坊ちゃんてな感じのガキでさ」

「そんなガキ、知りませんよ」

 ドーディは、にやにやしながら首を振った。その態度は、あからさまに知っていると言っているようなものだ。

「あっし以外にもスリは山ほどいますぜ。第一、ハーキムの賭場のせいで、皆、金目のモノが欲しいんでさ。ぼーっと歩いてる世間知らずのお坊ちゃんから、指輪抜けるのは何もあっしじゃなくても……」

「なんだと、テメー、知ってて言ってんだろ!」

 シャーが珍しく言葉を荒げるが、それをゼダが手で止めた。

「なぁに、何もただで話せっていってるわけじゃあねえよ?」

 ゼダが財布から金をぴらっとのぞかせると、ドーディは表情を変える。

 ゼダは、シャーの方をみてにんまりする。こういう奴等にいうこと聞かすのは金が一番だ。しかし、金のないシャーにはそんな芸当はできない。ゼダの勝ち誇った笑みを見て、シャーは借りを作ったとばかりむむっと表情を歪めた。

 ゼダは、再びドーディに顔を向けてにやりとした。

「お互い、助け合おうじゃねえか、なあ?」

「へへへ、旦那、すみませんね」

 ドーディは、さっとその金を奪い取って、さっそく懐の中に突っ込んでうなずいた。

「ああ、確かに、朝、そんなガキ……いや、お坊ちゃんから財布と指輪をいただきましたよ、はい」

「その指輪どこやったんだよ」

「そりゃあ、賭場で使っちまったに決まってるでしょうが」

 ドーディは悪びれない。

「ハーキムの親分が派手に賭場開いてるもんだから、ここは一勝負と思ったんですがね。指輪のおかげか、大勝負までこぎつけたんですが、あの如何様野郎のファルロフのやつに大負けしたんでさあ」

「ファルロフ?」

 ゼダがきょとんとして聞き返す。

「アレ? 旦那、ご存じねえんですか? 『獅子の五葉ごよう』なんかの骨牌カード使う賭博じゃあ、アイツの右に出る賭博師ぁいねえっていわれてましてね。今度こそ、アイツの鼻を明かしてやろうと思ったのに。寝不足かと思いきや、朝っぱらから元気でいやがるたあ……」

 ドーディが悔しそうに歯噛みする。

「ちょい待ち」

 そこにシャーが腕組みしながら聞き返した。

「そのファルロフって、”指輪屋ファルロフ”のことかい?」

「おや、よくご存じで。へへ、その”指輪屋”のことですよ。あの野郎の嫌味なことねえったら……」

 ドーディがブツクサ文句を言うが、シャーはやや難しい顔だ。

「じゃ、アンタ、指輪を換金しないままファルロフと勝負したんだな?」

「あたりめえでしょうが。俺みてえな無名の博打打ちがアイツと勝負するにゃ、それが一番ですよ。あいつはコト指輪にゃ目がねえんですからね」

「……チッ、じゃあ、指輪もそのまんまファルロフのところにあるってことか?」

 シャーが、舌打ちして腕を組む。

「え、なんだって? 意味がわからねえよ」

 いまいち状況が把握できていないゼダが、シャーの方に視線をやる。シャーは、仕方なさげに話し始めた。

「”指輪屋ファルロフ”っていうのはな、腕輪や首輪なんかの装飾品、特に指輪が別格に好きで、収集してやがる奴なのさ。なので、金じゃなくてそれを賭けて勝負をしてりゃ、いずれ食いついてくる。そして、相手からそれを巻き上げると換金しねえでしばらく飾ってやがるんだ。それでついた名前が指輪屋っていうわけ。だが、賭博師としては確かに凄腕なんだぜ。どうやってるのかしらねえが、常に勝ってるんだよ。ハーキムにもそこんとこ見込まれて飼われてるんだろ」

「へへへ、旦那、詳しいですねえ。そのとおりでさあ」

 ドーディがにやにやしながら肯定すると、ゼダは興味深げにうなずいた。

「ふーん、お前、さては賭場に通ってたな」

「か、通ってねーよ。ある時期、ちょっとだけ……」

 シャーはそう指摘されて慌てて否定しつつ、うーむと唸った。

「ファルロフが指輪持ってるってことは、この賭場が閉じるまでは絶対手元にはおいてるだろうけど」

 これはどうも面倒なことになってきた。

(よりによって、”指輪屋”か……)

 シャーは、かつてみた彼の姿を思い浮かべていた。

 


 *


 

 シャーはここのところ、資金不足なこともあり、長いこと賭場には出入りしていない。

 特にリーフィと出会ってからは、リーフィと話すのが楽しいこともあり、また彼女にダメ男なうえに博徒認定されるのがイヤで、すっかりやめてしまっていた。せいぜい今は、店に集まる舎弟たちとサイコロ振ったりする程度だ。

 しかし、幼少期から戦場で過ごすことの多かった彼の主な娯楽は、一般兵士たちに交じって博打を打つことだったので、彼等から様々な遊びを教えてもらって詳しかった。

 賭博には、様々な遊戯があった。サイコロをつかって偶数奇数を言い当てるもの、弓矢などの腕をきそうもの、城ではそれなりに高尚な遊びだとされている将棋シャトランジでも良く賭けをした。そして、骨牌カードを使ったもの。

 青兜将軍アズラーッド・カルバーンと呼ばれたあの頃は、戦わない日は良く博打打って遊んでいたものだ。しかし、だからといって強いかといわれるとそうでもない。大負けもしやしないが、特に勝ちもしない。大体、もっと勝てるのなら、他人にたかる生活しないで、逆におごってやるぐらいの生活をしている筈だ。結局、彼にとっては純粋な遊びでしかなかった。

 しかし、一時期、荒れに荒れて妓楼に引きこもっていた時の彼は、暇をあかしてしまい、気晴らしをもとめて賭場を開かせたことがあった。気分がふさぎ込んでいた彼は、そうすることで昔のように楽しくなれるのではないかと思ったのだ。

 彼は身分を明かすわけにはいかなかったし、妓楼から出るわけにはいかない身の上だった。そこで、賭博師を出張してこさせ鉄火場が開かせた。

 参加したのは彼の取り巻きの連中と、妓楼の女達、それから”身元のちゃんとした”博徒たちである。

 実際のところ、それはほんのひと時の慰めにしかならなかったので、数回開いただけで引きこもってしまったのだったが、その数回の賭場に招かれた一人が、件の”指輪屋”だった。

  指輪屋ファルロフは、『獅子の五葉』と呼ばれる骨牌賭博カードゲームを得意としていた。いわば、それはポーカーのようなもので、配られた五枚の骨牌の役の強弱で勝敗を決める遊びである。最も強い「1」のカードに獅子の絵が描かれていたことから、『獅子の五葉』という名前だといわれていた。

 その時の彼はそもそも素顔を見せずに正体も明らかにしていなかったが、特に賭博が開かれる時は徹底していて、薄絹の天蓋の向こうから指示して遊戯に参加していた。それなものだから、勝負の際にも、ファルロフと直に顔を合わせたり、言葉を交わしたりすることはなかったのだが。

 夜っぴいて行われる勝負のさなか、遊戯と場の空気に疲れてしまい、人の目を盗んで彼は一人で廊下に出てきていた。

 そこで煙草でも吸いながら休んでいたのだが、そこにふと洒落た服を着た二枚目の青年が現れたのだった。ちょっとキザな感じの青年だったが、頭は良さそうで自分への自信に満ちている。博徒とはいえ、身なりもきちんとしているし、貴族の子弟に間違われそうなほど上品でもあった。

「お疲れですか?」

 と声をかけられ、彼はまあなとあいまいに答えた。

「はは、俺もですよ。お偉い方々もいるような場所でやるのは初めてでしてねえ」

 と、その男は答えた。

 彼は、目の前の人物が誰だかは知らないのかもしれない。ただ、装飾の多い仮面をつけて顔を隠した彼を、特別な人間であると理解するのはたやすい。しかし、お互いあえて何者か尋ねることも答えることもなかった。

 と、男は不意に彼の手に目を留めた。その時、彼はいつも派手な紅い衣服を纏っていた。首や腕には金銀の装飾品で飾り、指にはいくつもの指輪が嵌められていた。今では動きを制限するといって嫌う装飾品だが、その時の彼は何をする気力もないので、わざとじゃらじゃらと全身を飾り立てていた。

「へえ、いい指輪をなさっていますね」

「別に。こんなもんは、二束三文だ」

「そんなことはないでしょう? こう見えても、俺は目利きでしてね。……賭博の傍ら、指輪を集めるのがシュミなんですよ」

 そういって、男は懐から小さな箱を出してきて彼に開いて中を見せた。そこには、じゃらりと様々な宝石のついた指輪が収まっている。紅、緑、青、紫、そして、金や銀、なかなか質が良いもので細工が細やかに入っている。

「本来はね、コイツを見せびらかしながらやるのがスキなんですが、今日はそういうわけにもいかないのでねえ。本調子が出ませんよ。こいつを視界においてやると、幸運の女神を引き寄せることができる気がするんですがねえ」

「こいつは全部、博打で巻き上げたもんかい?」

「ええ、もちろん」

 男は自信たっぷりにニヤリとした。

「実力で取った戦利品だから、愛着もひとしおというわけですよ。換金もたまにはしますが、気に入ったものは手元に残します」

 男はにっと笑って彼に言ったものだった。その視線は、彼の指の上に向けられている。

「貴方の指輪の二、三、賭けて私と勝負していただければ、こちらとしては願ってもないんですがねえ。特にその銀の指輪など、質素ですがなかなか上物のようですし」

 彼はそういわれて左手中指の銀の指輪を見た。それは、彼の身分を示す特別な指輪だ。地味で質素な作りであったが、確かに男の言うように銀の純度が非常に高く良いものだった。

「ふん、冗談じゃねえ」

 仮面の下で彼は笑った。

「……俺は遊びでやってる。そんなエモノ見る目つきで勝負されたんじゃ、勝ち目ねえよ。他を当たりなよ」

 彼は苦笑してそう言い、煙を吐いてしまうと、その場を立ち去った。

 その時、彼はその男の名前を知らなかったが、のちに賭場に出入りした時に彼の姿を見ることがあった。もちろん、すっかり雰囲気の変わっているシャーのことに気付くことはなかったのだが、指輪がたんまり入った宝箱を傍で見せつけるようにしながら骨牌をめくる男の姿に彼の方が見覚えがあった。

 そして、彼こそが、有名な賭博師”指輪屋ファルロフ”であることを知らされたのだった。


 *

 

「なんだ、そんなに大切なモノだったのかよ?」

 道すがら、ゼダが瞬きしながら尋ねてくる。シャーは、浮かぬ顔のままだった。

「まあな、ちょっと事情の絡んだモノだったんだ。ちょっとややこしいお坊ちゃんでね。しっかし、ファルロフとハーキムが相手ってなると、どうも無理矢理取り戻すことはできそうにないし」

 スリの一人ぐらいなら、なんとか力ずくで指輪を取り返すことぐらいはできるが、ファルロフの裏にはハーキムが絡んでいる。盗品とはいえ、正統に勝負に勝って手に入れた品なのだ。それを何かと文句をつけて奪い返すのは、筋が通らないだろう。

「事情を話してみるのはどうだ? ほら、ジャッキールのダンナが、前にハーキムはソコソコ話の通じる男だって言ってたぜ?」

「そういうわけにもいかねえんだよ。いろいろ込み入った事情があるんだ」

 冗談じゃない。

 まさか、ハーキムにその指輪がリル・カーン王子の身分証明の指輪なんぞとバレたらどうなることやら。たとえ、ハーキムが信用のおける男だったとしても、その身内まで信用おけるかどうかはわからないのだ。第一、ハーキムと勢力を二分しているシャー=レンク=ルギィズは、サッピア王妃とつながっている。事情を知ったハーキムが、対レンク=シャーの最終兵器としてその指輪を持ち出したりすると、余計に厄介なことになるのだ。当然血を見ることになる。

「買い戻すってのも考えたんだが、ファルロフってやつ、ちょっとひねくれててよ。アイツにとって、指輪なんかは戦利品だからな。安易に金で買い戻せる相手じゃねえんだよ」

 いっそのこと、盗品だと言ってみようか。いや、しかし、ドーディみたいな奴から巻き上げたのだから、盗品なのは十分理解しているのだろう。どうしてもとなると、結局事情を聴かれることになる。

「じゃ、アレだな」

 後ろを歩いていたゼダがひょいと前に出てきた。

「やっぱ、博打で取られたモンは博打で取り返すしかねえよ」

「どうやってだ」

 シャーは憮然とした。

「相手は、とんでもねえ奴なの。特に『獅子の五葉』ってのは、んな偶然に勝てるもんじゃねえんだよ。それに、オレは、あれで大勝したことないの。ぶっちゃけ、いつも小刻みに負けてんの」

 シャーは、じっとりとゼダを睨みつつ、

「テメエが勝ってくれるってえのかよ」

「冗談じゃねえよ。オレは、遊びでしか賭け事したことねーしな。それなりには強いけど、そんな本職に勝てるわけねえじゃねえか」

 ゼダは他人事のように冷たいことを言う。

「オレも同じだっつの……」

「とりあえず、似た素材で似た指輪作って嵌めとけばいいんじゃねえか?」

 シャーも思ったことを、ゼダは軽々しく言ってくれる。

「どうせ、貴族のガキがお家代々の指輪失くしちまったみたいなもんなんだろ。ばれなきゃ怒られねえって。それが一番平和的解決よ」

(それがバレそうな相手だから困ってんだろうがよ)

 シャーは、それは言わずに深々とため息をついた。

 なにやら用事があるというゼダは、そんなシャーを放置してそうそうに帰ってしまったので、シャーはしょんぼりしながら一人酒場に戻ることになった。

「ただいまー……」

「あら、お帰りなさい。遅かったのねえ」

 そういって裏口に来て迎えてくれたリーフィは、先程までリル・カーンと遊んでいたようだ。ひょいと窓から部屋を見ると、リル・カーンは、手に猫じゃらしをもって、例の虎猫みゃー太さんと遊んでいて、バラズがそれを微笑ましげに見つめていた。

 それをみると、シャーはなんとなく気が重い。

「アイツ、どうなったの?」

「先生がリル君の後見人の方と連絡を取ってくださってね。しばらく、先生のお宅で預かるっていうことにしておこうってことになったのよ。後見人の方がお母さまにうまくいっておいてくれるって。先生のところなら、知識向上の勉強の為に泊まり込みでとかなんとか言えるものね」

「へ、そういうことになったの?」

(ていうか、リル”君”って……。リーフィちゃん、いつの間になじんでんの?)

 リーフィは、彼の正体を知っているのだろうか。いや、知っていても、彼女なら平気で「君」づけで呼びそうではあるのだが。

(リーフィちゃんなら、マジで『王子様だろうと何だろうと、私の弟弟子ですもの』とかいいそう……)

 そんなことを思いつつ、

「しかし、よくあの爺さん、アイツ泊める気になったね。自分ところは守りがどうとかいってたのに……」

「あら、建前はそうだけど、実際はそうじゃないわ。先生のところは、確かに不審者が忍び寄ってきたら守り切れないし、危ないかもしれないでしょう? もっと安全なところを用意しなきゃ」

「え?」

 嫌な予感がして、シャーはぎくりとする。

「シャーの隠れ家に泊めてあげるってことになったのよ」

「え、えええっ!」

 シャーが思わず声を上げる。リーフィがきょとんとして、小首をかしげた。

「あら、ダメだったかしら?」

「ダダダ、ダメじゃないよ。めっちゃダメじゃないよ」

 そう、ダメではない。ダメじゃあないが。

(い、いや、その、だって、オレにも心の準備が。いきなりほとんど初対面の弟が家に泊まりに来るとか、しかも、よりによってあのババアの関係者とか、オレにも、心の準備がー!)

「でも、シャーと一緒なら一番安全でしょ?」

「そ、それはそうだけど」

「もし、シャー一人で不安だったら、ジャッキールさんや蛇王さんにも護衛を頼めるでしょ? そっちの方が先生のおうちより、色んな意味で安心だもの」

「そりゃ、口は堅いし、あの二人ほど強い護衛の兵士は、なかなかいませんけどね」

 いろんな意味でとんでもないことになってきた。

 あのジジイ、よりによって今日はどうしてリーフィのところに来たのだろう。ジジイがここに来なければ、リル・カーンもこんなところに飛び込んでこなかったのに。と、思わずバラズが恨めしくなってしまうシャーだった。

「それで、シャーの方はどうだったの? 何か情報が得られそうだって聞いたけど」

「あ、そ、それがね……」

 シャーは我に返ってやや悄然としながら、事情を話してみた。

「そんなわけでね。力ずくやら金で取り返せそうにもない相手で、どうしたらいいもんか、悩んでるんだよね」

「あら、悩む必要もないじゃない」

 リーフィは、あっけらかんと言った。

「博打で取られたものは、博打で取り返せばいいだけじゃないの」

「え、リーフィちゃん、そんな簡単に言ってくれますけど、相手は凄腕の人なんだよ」

 シャーは、あまりにもリーフィが軽い調子で言うので困惑気味にそういうが、リーフィはくすりと笑うばかりだ。

「大丈夫よ。うちにはバラズ先生がいらっしゃるもの」

「え? あのジジイが?」

 シャーは、きょとんとしてリーフィの顔を見つめる。

「バラズ先生は、昔、無双のバラズと言われた方よ。『獅子の五葉』での勝負なら、きっと力になってくださるわ」

「無双のバラズ?」

 シャーが何かにひっかかってそう反芻する。

「ちょ、ちょっと待ってリーフィ!」

 シャーが何か言おうと口を開いた瞬間、いつの間にか、裏口で二人の話を立ち聞きしていたらしいバラズが、だだっと走り出てきた。

「わ、私はねえ、将棋シャトランジでは、確かにそこそこ有名だけど、博打なんてもう……。第一、無双のバラズって呼ばれたのは、たまたま、将棋の御前試合で優勝したからであって……」

「あら、先生、でも、私、いろいろ武勇伝を聞かせていただいた記憶があるのだけれど、あれは嘘ではないのでしょう?」

「そ、それはその、そーなんだけどー……」

 バラズは困惑気味に言い訳を始めていたが、どうも歯切れが悪い。

(無双のバラズ? もしかして、この爺さん、カッファが言ってた将棋の先生か?)

 シャーは、ようやく彼の名前を思い出していた。

 確か、ザファルバーンの歴史書編纂官の一人だった男だ。

 名前は、ファリド=バラズ=シーマルヤーン。シャーと彼とは正式には面識はないが、そういえば、将棋の腕では一流だとカッファが言っていた。セジェシス王の開いた大会で優勝した男なのだと。

(とてもそうには見えないけど、でも、コイツがもしそうなら)

 リーフィは、意外ととんでもない人物と知り合いであるようだ。

「先生とシャーなら、きっと大丈夫よ」

 リーフィは何か確信しているような口ぶりで、困惑気味の二人を後押ししたのだった。

 

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