2.家出王子と王家の指輪

 彼が、その「兄」の姿を見たのは、兄が何度目かの東征に向かう時の出陣式の時だった。

 真っ青な空に、真っ青な旗がたくさん舞っていて非常に綺麗だった。リル・カーンはまだ幼かったが、その時のことはよく覚えている。


 その兄は、彼らの中でも一番上の兄だった。いや、厳密には、父は支配した地域の未亡人を保護するために、表向き妃として引き取っていたらしい。その連れ子が養子になっていて、彼より年長の義理の息子などもいたようだったが、彼と血のつながりのある兄の内、もっとも年長なのが彼、シャルル=ダ・フールだった。

 ほかの兄とは、親しくはなかったが多少の面識はあった。優しく良識派なラハッド兄上と礼儀正しく思慮深いザミル兄上。彼らの母親は、前王朝の王族の出であったので、やがて王位は彼らのどちらかが継ぐのではないかと予想されていた。

 リル・カーンの母のサッピアは、彼らの母とは違う派閥の権力者の娘だった。昔からある名のある豪族の出であり、その軍事力はあのジートリュー一族に匹敵するともいわれている家の姫だった。野心高い彼女はラハッド達に対抗意識を抱いてはいたようだったが、彼女には彼らに勝てる目算があったのかもしれない。サッピアは、さほど剥きだしの敵意を見せたりはしなかった。

 それに女狐と言われるサッピアだったが、夫であるセジェシス王にはぞっこん惚れこんでいたし、どちらかというと気の強い女が好きだったセジェシス王にとって、おとなしい王妃より自分の方に魅力があるだろうと自信を持っていた部分もあった。まだ王は若く、後継を決めるような年頃でもなかった。これから意見を変えさせることはできる。

 しかし、そんなサッピアが、最も警戒していたのがほかならぬ長兄シャルル=ダ・フール王子だった。母が兄の何を恐れるのか、幼いリル・カーンには全くわからなかったし、今となってもよくわからない。あの目つきが気に食わないと彼女は常々言っていたが、そもそも、彼は後ろ盾を持たない男だった。兄弟の中で一番最初に生まれたという以外、何の有利になる条件もなかった筈で、彼女は何を脅威だと思ったのだろう。母は長兄を遠ざけ、長兄も母に近づきたがらなかったと聞いている。

 そもそもシャルル=ダ・フール王子は、東征王子というあだ名がついているほどに遠征が多かった。兄弟で唯一軍事に携わり、幼少期にすでに将軍職を持っていた彼と宮殿で出会う機会はなかった。

 そして、シャルル=ダ・フール王子は、あまり公式の場に出てくることの少ない王子でもあり、幼くて公式行事にあまり呼ばれていなかったリル・カーンと顔を合わせることはなかった。それに出会っていたとしても、顔がわかったかどうか。いつも武装したまま兜のままだったり、仮面や布で顔を隠していることも多かったらしい。その顔は毒を盛られて崩れたのだとか、戦場で傷を負ったのだとか言われていたが定かではない。ただ、彼は特例としてその姿が許されていた。病弱であるという噂もあったが、どれもこれも矛盾をはらみ、実情の良くわからない男だった。

 だから、その時まで、リル・カーンは彼とはっきり会ったことがなかったのだ。

 ただ、その出陣式の折にはパレードがあって、リル・カーンは世話係のナズィルにワガママを言ってこっそりと連れて行ってもらった。父の出陣の時のパレードは見たことがあったのだが、その時にとても格好良かったのでもう一度見てみたかった。それに、今まで見たこともない「兄」その人にも興味があった。

 それで、母上には内緒のまま連れて行ってほしいとナズィルに頼み込んでみたものだった。ナズィルは困っていたが、非常に人がよくで忠誠心が厚い男だったので、サッピアの意に反したことがわかったら何をされるかわからないことを知っていながら、リル・カーンの望みをかなえてくれた。リル・カーンは権謀術数に通じた鬼のような母を疎ましく感じることはあったが、情が深い彼らに育児を任せきりにしたことだけには素直に感謝している。

 リル・カーンは、隊列を組んでやってくる兵士たちや将軍たちに夢中になっていた。

 セジェシス王は、紅い旗や紅い軍衣を基調としていたが、シャルル=ダ・フール王子は彼とは真反対の青色を自分の色としていた。それはそれで砂で覆われた黄色の街の中で、美しく清らかに映っていた。けたたましい音楽をきけば、穏やかな彼でも血がたぎるような感覚があった。

 やがて、青い旗が翻る中、白馬にのった人物が、全身真っ青な軍衣を身にまとって現れた。

 青い兜に青く染めたクジャクの飾り羽、刺繍の入った青いマントに青い甲冑。痩せていて背ばかりが高い。馬上にいる男は目深にかぶった青い兜と、その下に仮面のようなものがはまっていて顔がよくわからなかった。ただ、よく見るとまだずいぶん若いらしく、どことなく漂うあどけなさが抜けきっていない。ようやく少年と言われる年齢を脱しているといった感じだった。

 何となく不思議な男だった。ほかの将軍たちとは全く違う雰囲気があり、妙な威圧感と存在感があった。

「あれが兄上様ですよ」

 彼を見上げたまま見とれているリル・カーンに、そう、ナズィルはこっそりと耳打ちして教えてくれた。

「あれが兄上?」

 そういってリル・カーンは顔を上げたが、すでにその男は青いマントを揺らせて立ち去ったところだった。

 結局、彼が兄の姿を見たのは、それが最後だ。その後、面会がかなうことはなかった。

 


 *



「はい、これ。お茶とパンよ。中にお肉が入っているから、そのまま食べるといいわ」

 リーフィがお盆に食べ物と飲み物をのせてやってきて、少年の前に差し出した。上品な彼は、いくら空腹で喉が渇いていてもがっつくようなことはせず、顔一面に喜色を浮かべていたが、ふと何を思い出したのか顔を曇らせた。

「ありがとうございます。でも、私は先程財布を失くしてしまい、お金の持ち合わせがないのです」

「あら、そんなことを気にすることはないわ。それなら、余計にお困りでしょう? 困ったときはお互いさまだもの。気にすることはないわ」

「しかし」

「貴方、バラズ先生のお弟子さんなのでしょう? 私も先生の弟子だもの。姉弟子からの贈り物ということにさせてくれればいいわ」

 そういわれ、少年は少し恥ずかしそうに俯きながら頭を下げた。

「実は、私、お屋敷を出てから飲まず食わずだったんです。ありがとうございます」

 少年は、リーフィに丁寧に礼を述べる。

「そんな気にしなくていいのよ。簡単なものだし。お口にあえばいいのだけれどね」

 リーフィはそういって優しく笑う。といっても相変わらずリーフィの表情には素人には無表情にしか見えないが、そういう時のリーフィは雰囲気が柔らかい。特に今回は相手が少年なので、リーフィもいつもよりもさらに優しかった。

 リル・カーンがお茶を飲み始めたところで、リーフィはくるりと振り返ると、ややぼんやりしていたバラズに言った。

「それでは、先生、私、ちょっとお仕事があるから、あとはシャーとよろしくね」

「えっ、リーフィ、行っちゃうのかい?」

 ようやく一息ついてこの後どうしようと考えていたところ、一番しっかりしていそうなリーフィにそう言われて、バラズは露骨に不安そうな顔をした。

「ちょっとお店が混みあってきていて手が離せなくて……。ごめんなさいね、先生。また後でくるわ」

「えー、それなら仕方がないけど……。私はリーフィが一緒にいてくれる方がありがたいんだけど……。それに……」

 と、バラズは、何となく壁に背をつけてぼんやりしているシャーを見やった。

 よりによって、なんでコイツは残していっちゃうの? というバラズの思いを視線に感じ取って、リーフィは笑って小声で言った。

「シャーは信用できる人よ。それに何か忍び込んで来たりしたら、先生だけでは対応しきれないでしょう? シャーが一緒にいた方がいいわ」

「そりゃあそうだがねえ……。あの男、大丈夫なのかい?」

「ふふ、人は見かけによらないってこと、先生がよくご存じじゃないの」

「そ、そりゃまあ、ねえ」

 バラズが仕方なくうなずくと、リーフィはにっこり笑ってあっさりと立ち去ってしまった。向こうからは店が繁盛しているらしく、喧噪が聞こえてきた。

 果たして、男三人だけが残された室内を、バラズは改めて見やる。

 その少年、リル・カーン=エレカーネスは、部屋の中にちょこんと座って上品に食事をとっている。それにしても、この酒場には場違いだった。

 バラズもそれなりに上品にはしているが何となく彼は貴族にしては庶民派で、別にこの酒場で飲み食いしても大して目立ってはいなかった。リーフィ目当てに来るジジイ共の中でも、彼は最も庶民派だということもある。そもそも、シーマルヤーン家は家柄だけはいいのだが大して権力も財力もなく、バラズも大して出世もしなかった。

 そんなバラズがこの酒場でのんびり遊んでいるのと、リル・カーンがここにいるのとではわけが違う。誰が見ても彼がここにいるのはおかしい光景なのだ。

 何となく途方に暮れつつ、バラズはとりあえず事情をきくことにしてみた。

「とりあえず、お食事しながらお話を伺いましょうか、殿下……、いや、ええと」

 バラズがそう呼び掛けて困った。こんなところで、また殿下などと呼んで誰かに聞かれたら厄介だ。お茶を飲んでいたリル・カーンも彼の意図を察したのか、うなずいて言った。

「そうですね。あまり私がここにいることを知られない方が良いでしょう。ええと、でしたら、リルとお呼びください。それなら、同じ名前の人間もたくさんいるでしょうから」

「は、はあ、それでは、リル様とお呼びします。あ、そこの、三白眼小僧」

「は? え?」

 いきなり振られてシャーは、きょとんとした。

「おぬしも、めったなお名前を呼ぶのではないぞ。リル様とお呼びするのだ、リル様と」

 シャーは、何となく上の空だったがそういわれて適当にうなずく。

「あ、ああ、なんだ、そういうことね。わーったよ。呼ばなきゃいいんだろ」

「なんだその態度は。もう、殿……じゃなかった、リル様がいらっしゃるというのに、このゴクツブシときたら……」

 シャーの適当な返事にバラズはぶつくさと文句を言うが、シャーはバラズのことなど気にもしていなかった。

 実は、シャーはまだこの状況についていけていない。それほどシャーに与えられた衝撃は大きかった。

(まさか、リル・カーンがこんなとこうろついてるとか。本当に、本物か?)

 シャーは、唸っていた。

(もし、本物じゃなかったら多分罠だとは思うんだが……。あのクソババアのしでかすことだし、何があるかわからねえからな)

 彼がそう思うのも無理はなかった。

 よりによって宿敵サッピアの一人息子の彼である。多少は外出の自由が与えられているとはいえ、リル・カーン親子は幽閉中の身だ。それでなくても、彼のような高貴な少年が、一人っきりでこんな場末の酒場付近をうろついているわけがないのである。

 しかし、演技をしているには、目の前の少年は生真面目すぎる気がした。シャーとて、それなりに修羅場もくぐってきているから、人の悪意には敏感な方だが、どうも目の前のリル・カーンには悪意を感じられない。

(しかし、オレ、ちゃんと会ったことねえからなあ。顔も知らないから、本物かどうかもわからないんだよな。せめて、指輪でもありゃいいんだが)

 そういえばそういうものもあるのだ。シャー自身も、ちゃんと与えられているのだが、身分証明の銀の指輪がある。内側に正式な身分が書かれてあるものであり、シャーも何かあったときの為につけるように言われているのだが、どうも剣を握った時に気になるらしくあまり嵌めてはいない。それに失くすと失くすとで非常に厄介なので、しかるべきところに隠してあることの方が多い。今日もそんなわけで彼の指には嵌っていないのだが、シャーですら一応意識はしているのだから、真面目そうなリル・カーンなら嵌めていそうなものなのだが。

(なんでかねえ、このお坊ちゃんの指に指輪がねえんだよなあ……)

 リル・カーンの手元をさりげなく観察しながら、シャーはひっそりと唸っていた。

「しかし、ナズィルなどの連れのものはいかがいたしましたか。それに、こんなところを一人でいらっしゃるなんて」

「一人で当然なのです」

 リル・カーンは、急にまじめくさっていった。

「実は、私、本日、家出をしてきたのです」

「い、家出ぇえ?」

 考え事をしていたシャーが、思わず反応してしまう。

「これ、変な声を出すんじゃないぞ」

「あ、ああ、い、いや、ちょっと、その……。すんません」

 シャーはとりあえず謝ったが、正直それどころでない。

(家出ってどういうことだよ。あのババアんところから逃げてきたってことかな。いやでも、それはそれでめちゃ厄介なことになっているような)

 ひっそりと冷や汗をかいているシャーだが、そんなことをバラズもかまっていられない。バラズはバラズで、これは厄介なことになったという顔をしていた。

「い、家出と言われますと、お屋敷をコッソリ出てきたのですか。ま、またなんで?」

「いい加減に母には愛想が尽きたのです」

 リル・カーンは、先程までの不安げな様子から一転し、きりりと表情を引き締めて言った。いまだに怒り心頭といった様子だ。

「私がいなくなれば少しは頭を冷やしてもらえるだろうか、と思って、家を出てきたのです!」

「えええ、はあ、いや、まあ、その……、確かにお母さまはやりすぎな部分はございますが……」

 バラズは唐突な展開についていけていないらしく、少々泡を食っている。

「い、一体、何があったのですか?」

「この間、神殿で騒ぎがあったことをご存知ですか、先生」

「あ、はあ、あの礼拝中の陛下が襲われたとかいう噂の……」

 リル・カーンは、苦々しい顔でうなずいた。

「その事件に母がかかわっていることがわかったのです」

「ええっ。それは……」

 バラズは声を上げるものの、あの女狐と呼ばれるサッピアのこと、あり得ない話でもないなと思ったようだ。しかし、すぐに怪訝な顔になった。

「し、しかし、リル様、そのことをどこからお聞きになったのです?」

「もちろん、母は私にそのようなことを隠しています。しかし、周囲から漏れ聞こえていました。それでとうとう昨夜、作戦に関わったという人物から直接的に話を聞いたのです。それを聞いて、私はもういてもたってもいられなくなって……!」

 リル・カーンはぐっとこぶしを握り、あどけない顔を怒りにゆがませた。

「母が兄上に何をしたのか、すべてではないですが私は知っています。それだというのに兄は我々を許してくださいました。そんな兄上を母はまだ害そうとしていたのかと思うと! もう、今度という今度は許せません! 母にとって、私は権力掌握の為の道具にしか過ぎない。だったら、私がいなくなるのが一番の痛手だ! だから、お屋敷には戻らなければいいと思ったのです!」

 リル・カーンは、憮然とした顔でそう言い切ってしまった。

「はあ、しかし、ナズィルなども心配しているでしょうし……、いずれはお母さまも……」

 バラズは困り果てた顔になって冷や汗を拭う。普通の少年の家出ならよかったのだが、今回は相手が悪すぎる。サッピア王妃は一人息子を溺愛しているという噂であるのだが、苛烈な彼女の性格を思うと、この息子の小さな反抗を許すとも思えないのだ。

(しかも、この程度であの女狐が反省するとも思えないのだが……)

 そう思いながらもなんとかリル・カーンを説得しようとしていたところ、何を思ったのかふらっとシャーが壁から背を離して近づいてきた。

「ちょっと、オレ、坊ちゃんに聞きたいことがあるんだけどさあ」

「こ、これ、何という口を……」

 いきなりなれなれしくぞんざいに声をかけてきたので、バラズがむっとした様子になるが、シャーは無視だ。リル・カーンは、かわいらしく小首をかしげた。

「なんでしょうか? どうぞお尋ねください」

「さっき、財布失くしたっていってたよな?」

 と、シャーは、特に笑顔もなく尋ねてみる。

「どこかで落としたのかい? それとも、なんかほかに理由が……」

「あ、それは……」

 と、急にリル・カーンが悄然とした。

「その、実は、路上にいた者に盗まれてしまったのです」

「も、もしかして、指輪かなんかも盗られたのか?」

 シャーが慌ててそう尋ねると、リル・カーンはうなずく。

「は、はい。いくつか指輪をつけていたのですが、驚くような手並みをもった盗賊で……」

 と、リル・カーンは、ふと顔を上げた。

「実はそれで困っていたのです。盗まれた一つの指輪は、私の身分証明をするための王家の指輪で……」

「お、おいおい、それ、ヤベエんじゃねえの? それってすんげえ大切なもんなんだろ?」

 シャーは、自分の予想が当たっていたことに内心青ざめる。

「そうなのです。あれは、私の王子としての身分を示すものです。あれは王位継承権を証明するものですから……」

 リル・カーンは言葉を濁す。

「な、なんですと! そのような指輪を盗まれたというのですか!」

 バラズも慌て気味だ。

「私はそのままでも良いのですが……、このことを母に知られたらと思うと」

 と、先程まで自分がいなくなれば、母にとって良い仕置きだといっていたリル・カーンは急に不安げな様子になった。

「母は私よりも指輪の方が大事なような女です。それを失くしたことが分かれば、一体何をしでかすかわかりません。ありもしない陰謀論をでっちあげて行動を起こさないとも限らず……」

 リル・カーンはしょんぼりと首を垂れた。

「それで、実は困っていたのです。私の家出ぐらいであれば、そのうち母も頭を冷やすと思ったのですが、指輪を失くしたことが分かれば……」

 どうやらリル・カーンの言葉に嘘はなさそうだ。バラズも青ざめた顔をして浮足立っている。リル・カーンが語る言葉通り、あの女狐サッピアなら何をしでかすかわからない。ヒステリックになって暴れるだけならまだいいが、リル・カーンの言う通り、それを逆手にとって内乱を起こしかねない女なのだ。ただの家出ならリル・カーンを説得して屋敷に帰せば済むことだが、こうなると話は別。非常に厄介だった。

「どこで盗られたんだよ?」

「それが屋敷からまっすぐに歩いてきたので、あちらの方だとはわかっているのですが……」

 リル・カーンは、申し訳なさそうな顔になった。

「実は、私、自分の足で街を歩いたのは初めてなのです。それなもので、こちらに歩いてきたのも、どのようにして歩いてきたのかわからないので……」

「そ、そりゃ、そーだよなあ」

 シャーは、仕方がないと頭をかきやりつつため息をつく。

(指輪してねえからイヤな予感はしてたけど、マジかよ……)

 シャーは、次から次へと訪れる展開に頭を抱えたくなっていた。隣で同じことを考えているらしいバラズも難しい顔で黙り込んでいる。そんな二人を見やるリル・カーンは、ますますしょげかえってしまって一層小さく見えるのだった。

「ま、まあ、いーや」

 シャーは、少し明るく言った。

「後でその話は何とかするとして、メシでも先に食ってなよ。腹減ってるんだろ?」

 そう優しく言ってやると、リル・カーンが顔を上げて彼を見上げた。シャーはにっと笑ってつづける。

「オレもリーフィちゃんもこっちのジジイも協力してやるってさ。とりあえず、心配するなよ。王都は広いが、意外と世間は狭いもんさ。探せば見つかるって」

 自分でも少し不思議に感じていたが、シャーは自然とそんなことを彼に言って肩に手を置いた。

「は、はい、ありがとうございます」

 リル・カーンは少し元気を取り戻したらしく、シャーを見上げてにっこりとほほ笑んだ。

 シャーもつられて思わず笑うが、急にバラズに服を引っ張られた。バランスを崩してしまいそうになりつつ振り返ると、バラズが彼を睨みあげていた。

「ちょ、な、なんだよ、爺さん」

「おぬし、なんという無責任なことを! ちょっとこっちへ来い!」

 バラズはシャーを睨みつつ、小声で囁き、

「あ、リル様はお食事を続けてください。私はこやつめと話がありますので……」

 とリル・カーンに一声かける。リル・カーンは、怪訝そうではあったが素直にうなずいた。

 バラズは、そのまま彼を部屋の片隅に引きずり込んだ。

「な、なんだよ」

 とシャーは不満げだ。バラズは小声で言った。

「なんだよではない。おぬし、オレが何とかするみたいなことをよくもいえたものだな。おまけにリーフィや私をしっかり巻き込みおって……」

「それは、なんかあの坊主がかわいそうだし、とりあえず、そういうしかないじゃんか? あんまり心配させると、メシも喉通らなさそうでよー。流石のオレも気が咎めたってーの」

 シャーは眉根を寄せつつ、ちらりとリル・カーンを見やった。素直なリル・カーンは、上品に口をあけてパンを口に少しずつ入れつつ、味覚を楽しんでいた。

「しかし、指輪の行方がわからないとなると、コトはおぬしが思っているより厄介なのだぞ? おぬしは知らんだろうが、あの殿下の母上様はとても恐ろしい女なのだ」

(んなこと百も承知だってえの)

 ため息をつくバラズにシャーは思わずそう突っ込みたくなりながら、自分もため息をついた。

「でも、あのままほっとくのもヤバイだろ。アンタ、世話係の爺やと知り合いなんだろ、とりあえず、連絡して教えてやったらどうなんだ」

「そ、そんなこと、お前さんに言われなくったってリル様のお許しが出たらするさ」

「ついでに爺さんのお力であのババ……、いや、母上様にうまいこと伝えてもらうってことはできないワケ? 親しいってことは、そっちとも親しいんでしょ」

「ば、馬鹿いうんじゃないよ。何も知らないから、お前はそんなことを言うのだろうが」

 と、バラズは慌てて答え、ちょっと声を潜める。

「わ、私は後見人のナズィルとは確かに親交があるが、母上様とは全く面識もないのだ。そんなに身分高くなかったし、第一、私は、その、内乱時には今の王様を支持していたものだからだな……。実は母上様からすれば敵対勢力の一員なのだ」

「え、でも、なんか教えてやってたんだろ?」

「リル様と母上様は、住む屋敷の棟が違うであろうが。私はナズィルに面会に行ったついでに、殿下ともお会いしたのだが、母上様は私と殿下の関係なんて知らないよ。面と向かって口を利けるような間柄ではないの」

 まあ、と彼は首を振った。

「とりあえず、ナズィルには連絡するけどね。ただ、あのまま帰すと厄介だから、どうしたものか……」

「とりあえず、偽の指輪でも嵌めさせときゃどうだよ?」

 シャーがいいことを思いついたと言わんばかりに尋ねるが、バラズはイマイチな顔だ。

「時間稼ぎにはなるかもしれないが、あの母上様だ。バレると入れ知恵した我々を含めて、余計にコトが荒立つと思うのだが」

「う、……それもそうかぁ」

 シャーもサッピアの性格はよく知っている。

「んじゃ、とりあえず何とかさんに連絡してよ、爺さんがしばらく預かって、その間に探すなりなんなりするとか……」

「そんな無理なことを。あばら家なうちで我慢していただけたとしても、うちだと何かあったときに守ってくれる人もいないし……。第一、どこを探すっていうんだね?」

 シャーが無責任にそうふると、バラズは狼狽してぶつくさいいはじめる。

「ま、そりゃ、蛇の道は蛇……って、ん?」

 その時、ふと、窓の外からのんきにおーいと誰かを呼ばわる声が聞こえた。

「おーい、聞こえねえのか? いるんだろ? 三白眼野郎ってばー!」

 そういえば先程から何か声が聞こえると思ってはいた。聞き覚えのある声だ。

「ちっ、忙しい時に何だよ?」

 シャーは鬱陶しそうに吐き捨てた。この声はよりによってあのネズミのやつだ。

 無視してやろうかと思ったのだが、リル・カーンがいる今、ゼダに中に踏み込まれても面倒だ。事情を根掘り葉掘り聞かれて説明するのが面倒臭い。

 シャーは、裏口に出て相手をすることにした。


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