15.閃光一閃

 手の中で、ガラス細工の星がちゃらちゃらと軽い音を立てる。

 酒場を出てから、人目につかぬように裏路地をひっそりと進んでいたカッファの足取りが心なしか、来る前より弾んでいることを、後ろから影のように付き従う護衛のルシュールは気づいていた。

「旦那様、本日はご機嫌ですね」

 めったと口をきかないルシュールが、自分から声をかけてくるのは珍しい。カッファは、思わずどきりとして、振り返った。

 宰相となったカッファは、普段、自宅の守りをこのルシュールという古株の警備隊長に任せているが、私用で出かける時の護衛にも彼を使うことが多かった。彼の腕は確実だし、全幅の信頼が置ける相手でもあるし、このルシュールという男は、何よりも口が堅い。特にシャーのことでは、秘密も多いことから、身内の中でももっとも口の堅い男を連れに選ぶのは当然である。

「あ、ああ、まあな。あれも無事であるようだし」

 カッファも素直ではないので、そんな言い方をしてしまう。ルシュールは、例の二人の複雑な親子関係を知っているので、思わずひっそりと笑いながら続けた。

「それはそうと、あの娘、なかなかの美人でございましたな」

「べ、別に、私はあの娘に鼻の下を伸ばしていたわけではないぞ。ちゃんと、あれの近況についてだな」

 カッファは、慌てて申し開きをする。

「しかし、若様もなかなかおやりになる。相変わらず、高嶺の花狙いですね」

「い、いや、あの娘に関しては、多分、我々の思っていたような関係ではない気がするが」

 と、カッファは、リーフィのことを思い出してうなった。

「とはいえ、なかなか賢そうな良い娘のようだ。あの娘が友人なら、殿下もそんな無茶をすまい。私に協力的なようだったから、また、そのうちにあの酒場には訪れることになるだろうから、その時に殿下の様子をそっと尋ねることもできるだろう」

 ルシュールは、にやりとした。

「旦那様が再訪なされるとは、あの娘を随分とお気に召されたようですな」

「い、いや、そういうわけではないのだぞ。今度こそ、勝負で勝たねばならんのでな」

「勝負?」

 ルシュールが聞き返してきて、カッファははっとした。カッファは、負けず嫌いな性格なので、酒場の娘のリーフィに将棋でこてんぱんにされたことをルシュールに告げていないのだ。

「い、いや、なんでもない。気にするな」

「は」

 ルシュールは、相変わらず陰気な笑みを浮かべて軽く返事をしただけだった。

「それより、先ほど、なにやら物騒な雰囲気の男と歩いていたのはサーヴァンの娘ではなかったか?」

 カッファは、不意に先ほどすれ違った男女を思い出して聞いた。

 男の方に見覚えはないが、何か妙な殺気を纏った戦士風の男。そして、もう一人は、服装が違ったので雰囲気が変わってわからなかったが、どうもあのラティーナだったような気がする。それに気づいて、カッファは慌てて顔を背けて逃げるように酒場を去ったのだったが――。ラティーナに、酒場に来たことがばれたら、おそらくシャー本人に伝わってしまうし、そもそも、カッファも意地っ張りなので、心配して様子を見に来たことをラティーナに知られたくないのである。

「そうかもしれませんね。若様のいらっしゃる酒場に向かっておられたわけですし」

「それでは、あの男も殿下の知り合いだろうか。また物騒なのと関わって……」

 カッファは、うんざりしたようにため息をつく。

「まあ、サーヴァンの姫も無事であることが確認できたわけであるし、ともあれ、今回の訪問は実のあるものだった」

「そうでございますな」

 二人は、裏路地を抜けて大通りに向かっていた。古い建物が多く並ぶ通りには、人の気配が少ない。けして見晴らしはよくはなかったが、高い建物が多いのでどうしても見下ろされる形になっている。その道を越えていけば、大通りに出るのだ。

 カッファの顔は、それほど、一般市民には知られてないのだが、あまり目撃されるのも困るので、なるべく人目は避けていた。それに、そもそも、シャーの潜伏するカタスレニア地区は、大通りから外れた場所にあるので、比較的寂しい道を歩いていく必要もあるのだが。

 しかし。

 不意にルシュールが、立ち止まって剣に手を伸ばした。かたん、という音でカッファが驚いて足を止める。 

「どうした? ルシュール」

「いえ。少し不穏な気配を感じましたので」

 ルシュールは、眉根を寄せ、周囲をさっと見回す。だが、どうやら異変はない。カッファも、元々は武官であり、前王の護衛兵を勤めていたこともあるので、ある程度の勘は働くが、怪しげな人影は見当たらなかった。

「考えすぎではないか」

「そうだとよいのですが」

 ルシュールは、まだ警戒しているようだが、カッファはとりあえず進むことにしたが、ふと手の中の星のガラス細工が指の間からこぼれてしまった。星のお守りは、地面で二、三度はねて、カッファの前方の足元に転がった。

「おっと、いかん」

 せっかくもらったものだ。失くすわけにはいかん。と、カッファが慌てて屈んで手を伸ばそうとした。

 その時。

 少し離れた右方向にある、古く最も高い建物の屋上に、ルシュールは人影を見た。

「旦那様!」

 風を鋭く切り裂く音が聞こえ、ルシュールは彼には珍しく慌てて主を呼ばわった。


 *


 シャーとゼダは、不機嫌そうにメハルと向かいあわせに座っていた。ゼダなどは不貞腐れて、煙管をくわえていつものようにぷかぷかやっているし、シャーは、メハルと目を合わせないようにして足を組んで酒を口に含んでいる。

 そんな態度の悪い二人に、メハル隊長は、ちっと舌打ちした。

「あぁ? んじゃ、お前等、何か? その、女の子が街角で弓矢で狙われたって言うんで、調べてたってのか。で、調べたついでに弓に興味が湧いてきたんで、遊んでたってそういうことか?」

「遊んでねーよ、調査の一環だよ」

 ゼダが、ぶっきらぼうに返答する。

「何が調査だ」

「おめーらがちゃんと調べねえからだろ。オレぁ、役人に女の子が狙われたって伝えたのに、忙しくてそんな悪戯にゃ構ってられねーとかいって、ろくろく調べもしやがらねえし。しょうがねえから、俺等が調べてるんだよ」

「当たり前だろ。こちとら色々忙しいんだ。お前等の悪戯に構ってられねえっての」

「悪戯で済む問題かよ。女の子が狙われたんだぞ。こんなご時世にそんな悪戯する馬鹿がいるかよ」

 ゼダがやや熱くメハルに食って掛かっていた。

「模倣犯ってのもいるだろが。第一、その話、俺は初耳だぜ。まあ、参考までに後で調べてやるけどな、何せ今は忙しいんだ。怪我人も出てねえみたいだし、直接、例の事件と関係がなきゃ関わってられねーんだ」

「忙しい忙しいって言ってよお」

 シャーが、鬱陶しそうに口を開く。

「その割には、何かとオレたちに絡んでくるじゃないの、メハルさんよ。なんか、オレ達に話があるのかよ?」

 シャーは、珍しく最初から絡み口調だった。まあ、メハルには、どうせ実力を見抜かれているのだ。今更猫をかぶるつもりもない。

「当たり前だろうが。てめえら、人の行く先々でちょろちょろしやがって! 何かと動きが怪しいから目につくだろうが。また問題起こしたりしてないだろうな」

「オレ達がいつ問題おこしたってんだよ?」

 ゼダが顔を膨らせる。メハルは、ぎろりとゼダを睨んだ。

「叩いてねえだけで、叩けば埃がわんさと出てくるだろうが、お前等なんて。大体、俺を舐めるなよ。テメエの正体など、俺にはとうにお見通しなんだぞ。前の通り魔騒ぎの時、お前は容疑者の一人だったんだからな。みっちり調べさせてもらったぜ。まさか、あの悪徳商人のお坊ちゃんが、こんなガキみてえなツラした野郎だとは思わなかったがな」

「ふーん、そりゃあお見それしたね。ザフでなくて、オレが本物だって知ってるわけかい」

 ゼダは、別に態度を改めずに、生意気な様子で煙草をふかしていた。

「金でもみ消そうが、お前の素行不良についてはつかんでるんだぜ。大人しく質問に答えやがれ」

「あー、そうかいそうかい。んじゃ、しょっぴいてみろよ、色々揉めて面倒なことになるぜ」

 いっそ、喧嘩をうる体でゼダは身を乗り出す。

「おいおい、やめとけって!」

 さすがにシャーが、慌ててゼダを抑えにはいるが、シャーとて不満は不満なのだ。

「何さ、忙しいっていう中、オレ達を無理に捕まえたってことは、アンタ、オレ達のこと、例の事件に絡んでるとか疑ってるワケ? そりゃあ、お門違いもはなはだしいってもんだぞ。第一、弓の腕前見てたんだろ? オレ達じゃ、少なくとも狙撃は無理だよ」

 メハルは、ふむ、とうなって二人を見比べていたが、やがて、ゼダのほうを見やった。

「よし、まあ、お前はいいか。あっち行ってろ。こっちの三白眼に聞きたいことがある」

「はん、偉そうにしやがって」

 ゼダは、気に食わない様子で立ち上がって、メハルを睨みつけた。

「用がないなら呼び止めんなよな。それに、ここは、そもそもオレの店なんだぜ。あんまりでけえ顔すんなよな。あ、ツラがでかいのは生まれつきか?」

「おい、口答えしてっと、マジでしょっぴくぞ、コラァ!」

 メハルが恫喝するが、ゼダは、舌打ちして詰まらなさそうに矢場のほうに向かっていった。一人で矢の練習でもするつもりだろうか。

 いつの間にか、酒場には人気がなくなっていてゼダとシャーの二人だけだ。それもそうだろう。メハルのようなややこしい役人がいるのだ。疑われると困る。

(ああ、こりゃあ本格的に営業妨害だよなぁ)

 シャーは、うんざりとしながらゼダを見送り、ため息をついた。

「オレだけ残した理由はなんだよ? あいつが、カドゥサの御曹司だって知ってるなら、あいつの方が陰謀に絡みそうな出自じゃないか」

「アイツも絡んでるかもしれねえが、お前の方が更に怪しいからだよ」

 メハルは、きっぱりという。

「あの事件のあった夜、お前等どこにいた?」

「酒場で酒飲んでたよ。後は家かえって寝てた」

「嘘つくなよ。あの時、乱闘騒ぎがあってな。お前等に似たやつが逃げるのが目撃されてるんだよ」

「オレ達とは限らないじゃん。ま、仮にオレ達だったとして、その時間にそこにいたってことは、逆に事件に絡んでないってことだろう? 騒ぎのあった場所は、事件の起こった神殿から遠く離れているんだからさ。第一、アイツと違ってオレにゃ、事件に絡んで得する要素がなにもないじゃんか」

 メハルはにやりとした。

「おいおい、今更、何もできねえ雑魚のフリはするなよ、三白眼野郎。お前の腕前は、大体予想がついてるんだ」

「別に、今更アンタに隠すつもりはねえよ。隠すつもりなら、もっと殊勝な態度とってるぜ」

 シャーは、そういって腕を組んだ。

「でも、別にオレは、どこにも雇われてねえし、暗殺事件なんかに関わるわけないじゃねえか。弓の腕だって、あれぐらいのヘッポコじゃ、要人暗殺なんて土台無理だよ」

「お前がタダの野良猫じゃねえってことは、調査済みだよ」

「何がさ」

「お前、あのハダート=サダーシュ将軍と面識があるよな」

「さぁて、どうだろうね。ありゃ、単に顔が広いだけ。あんまり広いんで、オレが引っかかってるだけだよ」

 そういえば、ジャッキールが絡んだ通り魔事件のときに、メハル隊長はハダートに使われていたらしい。しかも、元々はジェアバード=ジートリュー将軍の部下でもある。彼らが自分の正体までは言うまいが、話題には出たのかもしれないし、勘の鋭いメハルのこと、なにかしら気づくことがあったのだろう。

「お前のことは、あれこれ調べさせてもらった。が、結局正体についてはつかめずじまいだ。でも、お前の名前について考えると、何人か気になる情報がある。ルギィズの姓をあえてお前が名乗っているだけにな」

「偽名ってこともあるじゃん。それがオレと何の関係あんのさ。ルギィズ一族は、もともとザファルバーンの豪族だった。その後没落してほうぼうに飛び散った。結果、ヤクザのシャー・レンク・ルギィズや没落貴族、オレみたいな物乞い野郎まで色んな身分のヤツがルギィズの姓を名乗るようになってる。姓があるからって、身分は関係ねえよ。そんなことは、アンタならわかってるんだろう?」

「もちろんそうだろうよ。だが、同じシャーの名前を持つルギィズに関連するヤツを調べていくとな、面白いことがあるんだよな。戸籍を辿ってみるとなかなか面白いぜ」

「職権濫用だな」

「必要な調査だろ。お前なんざ、超一級の不審者なんだよ。ただふらふらしてる遊び人のように見えて、何を考えてるのやらわからねえし、それなりに腕も立つ。おまけに、妙なところとつながりをもってるときた。調べない理由がねえだろう」

 メハルは、そういいきる。

「まず、シャー・レンク・ルギィズ。この街の影の有力者だが、あいつには複数息子がいるらしいし、年齢も同じぐらいだろう。親父と同じ名前を名乗っているヤツがいても不思議じゃない。それから、複数人、ルギィズの姓を持つ没落貴族が存在している。お前と同じ年頃の息子がいるのも何人もいるし、中にはお前と同じ名前のもいる、内乱に加担して落ちぶれたのも、元から落ちぶれてたのもいる。没落貴族の身分なら、なんらかの伝手で将軍達と繋がることもあるだろうし、お前の妙な生活にも納得がいくといわけよ。そういや、同じ名前の男の一人に、一つ面白いのがいてな。今の宰相殿のヨメがな、ルギィズ一族の出なんだ」

 メハルは、ふっと唇をゆがめた。

「宰相のカッファ=アルシールと妻の間には、娘が一人いるんだが、戸籍調べると、実はその上に養子が一人いてな。そいつの名前が、お前と同じなんだよ」

 シャーは、返事をしない。メハルは、にんまりとした。

「ところが、アルシール家には、長男がいるそぶりはない。いや、正確には、昔はそれらしいのがいたけれど、飛び出したとも言われているが、漠然とした噂に過ぎなかった。あの家の使用人は口が堅いし、宰相家の噂なんて立てられないから、それ以上の情報はつかめなかった。だが、宰相家ゆかりの人間なら、将軍達とも面識あって当然だろうな」

「そっちと絡めるとか、いきなり飛躍するねえ」

 シャーは、苦笑したが、内心、やばいトコロ突きやがる、と毒づいたものだ。

「なかなか面白い説だな。そこまで調べてきたのは、アンタが初めてだよ。褒めてやるぜ。でも、全部アンタの妄想だよ。第一、自分でも言ってた通り、没落貴族のルギィズ出身なら、将軍達と繋がることは可能なんだろ? なんとでもしようのある話じゃないか。第一、ちょっとでも従軍してりゃ、将軍と関わる可能性はあるさ」

 シャーは、腕組みしたままメハルにそう答え、ちょっと意地悪く微笑んだ。

「そういう危ない話でカマかけるの、やめといたほうがいいんじゃない? 命がいくつあってもたりないよ?」

「悪ぃが、危ない話のが燃えるタチなんでね」

「因果だねぇ」

 シャーは、あきれ気味にため息をつく。

「違うけど、仮にオレがその宰相んとこの長男だとすりゃ、別に、この件に関連して怪しまれることないだろ。放蕩息子だから、宰相とその国王に嫉妬して敵意抱いたんじゃないかって思ってるのかもしれないけど、そういう状態なら王都に残ってやしねえし、こんな生活してないだろうさ。ほかの反対勢力の貴族のところにでも居候したほうが、よっぽどためになるだろうからさ」

 メハルは、シャーの一挙一動を見逃すまいと、じっと彼を凝視している。

「で、それは別としても、オレもアイツも今回の事件には関係ねえよ。あの日の夜、路地裏で暴れてたのは確かだが、別に事件と関連した話じゃない」

 しばらくシャーの反応をうかがっていたメハルは、ひとまず唸って腕組みをといた。

「そうか。まあ、それならいいんだが」

 といいつつも、メハルは、まだシャーについて、不信感を抱いている様子だ。シャーは、ごまかすように笑顔になる。

「まぁいいじゃんか。第一、犯人なら、こんなこと調べてねえって。そうそう、アンタ、この矢に見覚えない?」

「矢?」

 シャーは、いきなり例の矢を腰から引き抜いてメハルに見せた。

「なんだこりゃ?」

「さっき言ってた女の子が襲われたときの矢さ」

 ふむ、とメハルは、軽く唸って、矢を手にとってじっと見た。

「こいつぁ、王都付近の工房で作られてる一般的な矢だ。木の材質や、羽、何より鏃の形からして間違いねえな。特に城の兵士の中で流通してるが、一般人でも簡単に手に入る。そう高価なもんじゃねえんだ」

「へえ、すぐわかるんだな」

「今回の事件のことで、一通り調べたからな。だが、こいつの一件と暗殺未遂事件と矢でつながるとは思えねえな。あっちの事件の矢は、もっといい羽使ってたぜ」

「だよねえ、それもそうか」

 シャーは、ため息をついて、矢を取り戻したとき、不意に、大声が聞こえた。

「おおー、今のはいいぞ! 今の調子でもう一度やってみろ」

 メハルが、がたっと席を立った。メハルの視線の先は矢場のほうだった。そこには、ゼダと、そしていつの間に入ってきたのか黒衣の大男が立っていた。

 いつの間にか、ザハークが店に入ってきていたのだ。

「よし、こんな感じだよな」

 ゼダが、もう一度いわれたとおりに矢をつがえて放つと、矢は的の中心近くに刺さった。おー、と、ザハークが、陽気な歓声を上げる。

「ふむ、半日でそんなに上達したか。うむ、なかなか貴様見所があるぞ、鼠小僧」

「いや、アンタの教え方がうまいからだぜ」

 ゼダは、ほめられて、珍しくうれしいらしく、素直にザハークをほめ返している。

「あら、蛇王さん、いつの間に入ってきたんだ?」

 厄介な相手に、かなり厄介なところに踏み込まれた話をされていて、シャーもそれなりに緊張していたのだろう。ザハークがやってきたことに気づかなかった。いや、ザハークが声を上げたのは、先ほどがはじめてだったのだろう。基本的に騒がしいザハークだが、ゼダの弓の練習を真剣に見守っていたということらしい。

「なんだ、アイツ」

 メハルは、警戒した様子でザハークのほうを見やった。

「アイツ、リオルダーナ人か?」

(あ、やべえ。蛇王さん、どう見ても不審者じゃん)

 シャーはふとそう思ったが、メハルに見つかった以上は仕方がない。以前は敵国だったリオルダーナ人は、現在でも国内には余り入ってきていないので、それなりに目立つ存在だ。ザハークには、はっきりとリオルダーナ訛りがあるので、特にかつて従軍していた人間には、すぐにわかる。

「しかし、遅かったな、蛇王さん。オレ達、待ちくたびれてたぜ」

「はっはっは、すまんな。野暮用が意外に手間取ったのだ。許せ」

 メハルは、立ち上がってつかつかとザハークのほうに向かった。ザハークはコーヒーを飲んで、何かゼダと談笑していたが、メハルのほうに気づいたのか、ちらりと視線をやる。

「おい、お前、流れ者か?」

「まあ、気楽に旅をしているからな。そう見えるならそうだろうな」

「ふざけるな!」

 ザハークは、コーヒーをすすりながらのんびりとそう答える。が、メハルのほうはすでに喧嘩腰だ。リオルダーナとは長い間戦争状態にあったこともあり、メハルのように戦場に立ったものの中には、リオルダーナ人に対する嫌悪感の強い人間も多い。メハルの態度には、そういう隣国との複雑な感情が絡んでいるらしかった。

 おまけにザハークは、今日は武器を提げている。見れば、腰に大振りの新月刀を差していた。随分高価なものらしく、柄の部分に三日月の形を象った装飾があり、そこに紅い宝玉が入れられている。

「それは……? ずいぶんと物騒なものを持っているな」

「商売道具だからな。本当は、もっといろいろ武器を持っているのだが、宿においていて持ち歩いていないのだ」

 と、ザハークは、のんびりと答える。

「本当はこれも重いし、置いていきたかったのだが、昨日、置いていったところ、盗まれたらどうするのだ、と夢の中で、剣に取り憑いている女に怒られたのだ。知っているか、名剣には魔物が取り憑く」

「何を意味をわからねえ」

 ザハークの返答に、メハルはいらだった様子になった。

「お前、名前は?」

「言ってもいいが、あまりめでたい名前ではないからな。こいつらには、蛇王さんと呼ばれているぞ」

「いつからここにいる?」

「それほど長くいるわけではない。仕事を探しにきたのだが、意外とすみやすいので、しばらく観光でもしようかと思っているぞ。どうせ、王都の門が閉鎖されていて、外に出ることもできんからな」

 ザハークは、コーヒーを飲んでしまうと、近くの棚の上において、メハルに向き直る。

「先週はどこにいた? 誰に雇われている?」

「特に誰に雇われているわけではない。ここいらで仕事を探してぶらついていたところだ」

「何を? まともに答えろ!」

 とうとうメハルが、思わず腰の短剣に手を伸ばす。脅すつもりで抜こうとしたのかもしれないが、と、ふと、ザハークが、目を見開き、さっと体を開いた。すばやく彼の手が新月刀の柄にかかるのをシャーは見た。

 甲高い金属の音が鳴り響き、ザハークはメハルの短剣を叩き落していた。一瞬のことだ。

(速い……!)

 シャーは、一連の動きに息を飲んでいた。

 ザハークは、その巨体と雑な性格からは想像できないような、流れるような動きで剣を抜いて、正確にメハルの短剣の柄に当てて弾き飛ばしたのだ。それも、メハルは短剣だったため、長剣のザハークより鞘から早く抜けたはずだ。ザハークは、それよりもすばやく剣を抜いたということだった。

「ちっ、てめえっ!」

 メハルは、あわてて後退し、長剣の柄に手をかけたが、ザハークのほうは落ち着いたものだ。右手に剣をぶら下げてはいたが、叩き落した短剣を拾い上げて、柄のほうをメハルに向けて差し出す。

「屋内で抜刀するとは、あまり穏やかではないぞ。思わず払いのけてしまった」

 ザハークは、すでにゆるりと剣を鞘に戻し、敵意のないことを示していた。

「これは返しておこう」

 ばっとメハルは、苛立ち紛れにそれを受け取る。メハルは、続けて何か言い出そうと口を開きかけたが、その前に、ばんと扉が開かれて、兵士が二人ほど入ってきた。

「あ、メハル隊長! こんなとこいたんスか!!」

 どやどやと入ってきた兵士たちは、ややあわてた様子だった。

「まったく、大変なときに油売って……、随分と探してたんスよ?」

「何だその言い方は! 俺は、捜査してたんだ、捜査! おめえらこそ、役にたたねえ話ばっかり持ってきやがって!」

 メハルは、いろいろと腹立たしいことが続いているせいか、八つ当たり気味に部下に怒鳴り散らすが、部下も慣れっこらしい。特に表情も変えない。

「そんなことより、大変なんですよ! 早く来てください!」

「大変って何だよ?」

「いや、そのですね、あの……」

 兵士の一人がメハルを呼び寄せて、耳元でごにょごにょとささやく。

「何?」

 メハルは、がばっと部下に食いつく。

「どういうことだ。誰が狙われたって?」

「いや、その、身分の高そうな男でして、未確認情報なんですけど、もしかしたら――」

 もう一度ごにょごにょと耳打ちされて、メハルは、はっと顔色を変える。

「一大事じゃねえか! 何で早く知らせねえ!!」

「だ、だから、隊長が見当たらなくって……」

「いいからすぐ現場にいくぞ!」

 メハルはそういうと、部下を置き去りにしながら外に走り出していった。続けて、部下の兵士たちが、あわてて隊長についていく。

「なんだ、あいつら。ったく、役人は、自分勝手で困るぜ」

 ゼダが、その様子を見ながら、うんざりしたようにつぶやく。

「蛇王さんも、巻き込まれて大変だったな」

「まー、俺は、なんだかんだで不審者だから仕方がないな」

 ザハークは、心が広いのか、そんなことをいう。

「しかし、やつら、何をあせってるのかねえ。またなんかあったのかな」

 ゼダが、眉根を寄せる。

「お前、何が起こったと思う?」

 いきなり、そう話を振られて、シャーは、はっと我に返った。

「え、え? な、何だって?」

「いや、あいつら、何焦ってんだろうなってさ? 何ぼーっとしてんだよ、お前」

「あ、ああ、いや、別に、その……」

 シャーは、そう答えながら、なんとなく上の空だった。今は、メハルのことなどどうでもいい。それより気になるのは、もっぱらザハークのことだ。

 先ほどのザハークの手並み。ゼダは気づいていないのだろうか。

 あの、体を開いて腰を落とし、ゆるやかに弧を描くようにして剣を抜いた、あの滑らかですばやい動き。流れる水のようでいて、それでいて、メハルの一瞬のスキをついて鋭く打ち込んでいた。

 メハルは、ああ見えてかなりの腕を持つ男だ。シャーといえど、油断できる相手ではなかった。それに対して、ああも簡単にあしらうとは、只者ではない。

 サギッタリウスは、優秀な戦士であるとジャッキールは言った。自分と戦っても決着がつかなかったほどなのだと。

 もし、蛇王さんが、サギッタリウスだったとしたら――。

 不意にそんなことが脳裏に浮かぶ。

(オレは、勝てるだろうか……)

 サギッタリウスは、かつて自分を射抜いた相手だ。しかし、弓の腕だけならまだ対処しようがある。だが、剣技においても、目の前のザハークのように優れた男だとしたら――。

「どうした?」

 不意にザハークに声をかけられ、シャーは、はっと顔を上げた。ちょうどザハークと目があったが、彼はきょとんとした様子で悪意もなさそうな表情だった。

「待たせてしまって悪かったが、俺も腹は減ったぞ。うるさいやつもいなくなったことだし、メシでも食わんか」

 ザハークは、にかっと無邪気な笑みを浮かべた。

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