7.残された矢

 シャーは、酒場の一席に一人座り込んで、なにやら難しい顔で考え込んでいた。

 この席は、柱と壁に背をつける形になって、酒場の中心からは姿が見えない位置で、いわゆるお一人様の専用席だ。しかし、この席に座ると他の客からも見えないばかりか、店の女の子達からも見えづらくなる。よって、舎弟たちは、まだ騒いでいるようだが、シャーがそこに潜んでいるところにも気づいていないし、もとよりシャーに興味もない店の娘達も、彼に視線を向けることはなかった。

 しかし、今日のシャーは、一目みただけで機嫌が悪いのがわかる険しい顔をしている。普段も、些細な嫉妬心などから、不機嫌な顔のひとつぐらいはするのだが、今日の不機嫌さは質が違う。あからさまにぴりぴりした空気を漂わせているし、場合によると普段とは違う殺気走った表情を見られかねない。

 そういう意味では、ここで胡坐をかいて一人矢とにらめっこしているのは、シャーにとっては都合が良かった。

 すでに昼食の時刻は過ぎかけていたが、シャーは、昼飯を食べる気にはなれなかった。

 あの襲撃の後、シャーとゼダは、ラティーナを伴ってこの酒場に逃げ帰ってきていた。帰り道、彼らを監視しているらしい人物は見なかったし、つけられている様子もなかった。

 ラティーナが標的として狙われたのは間違いなかったが、ラティーナ自身を狙おうとしたのか、それとも、シャーと一緒にいる人物を狙おうとしたのか、シャーはその辺がはっきりしないのが気に食わない。それさえはっきりすれば、相手の狙いもわかろうというものなのだが。

「ずいぶん怖い顔しているのね、シャー」

 不意にリーフィの声が聞こえて、シャーは、はっと顔を上げた。

「オ、オレそんな怖い顔してた?」

 我に返って、少々おどけつつそういってみる。自覚はあったものの、いざそういわれるとちょっと気にしてしまうシャーなのだ。

「ふふ、いつもよりはね」

 リーフィは、そういって微笑むと、シャーの前に温かい茶を置いた。

「ラティーナさんは、もう落ち着いているわよ。お昼ごはんはまだ食べていないけれど、後で私が一緒に付き合って食べることにするから、心配しないで」

「あ、うん、ありがとう」

 リーフィは、シャーの向かいに座った。

 ラティーナは、気の強い娘だが、さすがに命を狙われた衝撃はある。シャーはそれを考慮して、彼女をリーフィの控え室にそっと匿ってもらっていた。リーフィは、その間に彼女となにやら話をして、彼女を落ち着かせてくれたようだ。

「彼女、名のあるお家のお嬢さんなんですってね。ここにいると迷惑がかかるから、お屋敷に帰るっていいだしたけれど、なだめたら落ち着いてくれたわ」

「あ、ああ、それはすまなかったね。リーフィちゃんに、そんなこと説得させちゃってさ」

「ううん、いいの。シャーがいうより、私が言うほうが彼女だってきいてくれるとおもうわ」

「あ、うん」

 シャーは、ひとまずうなずいて、それから、少し気まずそうにきいた。

「リーフィちゃんは、その、事情訊かないの?」

「何の?」

「い、いや、なんで、オレみたいなのが貴族の彼女と知り合いなのかとか、さ」

 シャーは、恐る恐るそんなことをきくが、リーフィはくすりと笑った。

「だって、貴方、不思議なひとだもの。何があってもおかしいとは思わないわ。それに、人っていろんなつながりがあるものだもの。こんな私にだって不相応なお友達はいるのよ。シャーに色んなお友達がいてもおかしくないでしょう。事情なんて、シャーが話したくなった時にお話してくれればそれでいいわ」

「そ、そっか」

 でもね、と、リーフィは続けた。

「差し出がましいことをいうつもりはないのだけれど。私、彼女、しばらく貴方の目の届くところにおいたほうがいいと思うの」

「え? なんで?」

 思わぬ言葉にシャーがリーフィに目を向けると、彼女はくすりと笑った。

「彼女、行動的な人だし、糸の切れた凧みたいなところがあるでしょう? お屋敷にはすぐに帰らないで、一人で調べものをしてしまうんじゃないかしらね」

「う、うん、実はオレもそれを心配してるんだ」

 シャーは、腕を組んでため息をついた。

「あのコ、ちょっと暴走するところがあるからさあ。自分が囮になって、犯人を捜したりしかねないからね。そんなもんで、オレもどうしたものか困ってるんだ」

 しかし、もし、狙撃者がシャーの正体を知って、たまたまラティーナに矢を向けたのなら、シャーと同行するのも危険だ。だが、一人野放しにして暴走されると、シャーとしても守りようがない。それどころか、標的がラティーナ本人だった場合は、非常に無防備な状態を晒すことになってしまう。

「それでね、ちょっと考えたのだけれど」

 リーフィは、ふと、ほんのりといたずらっぽい笑みを浮かべていた。

「私の家でラティーナさんを預かるというのはどうかしら?」

「へ? リーフィちゃんの家で?」

 いきなりそんな思わぬ提案をされて、シャーは、きょとんとするが、リーフィはうなずく。

「私は彼女とは関わりがないもの。強いて言えば、私は貴方の友達の一人で、彼女と酒場で言葉を交わしただけの関係だわ。尾行されなければ、足がつかないし、彼女が一人で行動を起こさないようにいさめることもできるもの。それに、シャーだって彼女を守りやすいでしょう?」

「そ、そりゃあ、そ、それはその」

 それは、シャーとしては、ある意味では願ってもないことではある。彼女を一人にしておきたくはないのだが、シャーが、自分の潜んでいる隠れ家に彼女を連れ込むのは、諸事情から避けたいことではある。屋敷に戻した彼女を宮中に留めおいたり、屋敷に護衛という名目で見張りをつけることもできなくはない。さらに、ハダートなどの親しい将軍に身柄を預けるという手もあるのだが、多忙で連絡の取りづらい彼らに、さすがのシャーも女のことで物事を頼むのは少々気が引ける。 それに、状況のわからない状態で、あまり公に騒ぎ立てるのは、かえってサッピア妃に付け入るスキを与えかねないし、第一、シャーが、そういった強権を発動すれば、あのラティーナが反発をするのは目に見えている。

 そういう意味では、同じ女性のリーフィがやんわりと牽制を効かせてくれるのはありがたいし、自分の目の届くところでもあるので、守りやすくもある。

 しかし。

「で、でも、リーフィちゃんに迷惑じゃない? 巻き込む形になっちゃうし、あ、危ないよ?」

「ふふ、今更そんなことで怖気づいたりしないわ。それに、何かあったら、シャーだって助けてくれるでしょ?」

「そ、そりゃあ、一生懸命護衛させてもらいますよ、そこは!!」

 シャーがあわてていうと、リーフィはくすりと笑った。

「それでは決まりね」

 何か強引にまとめられた気もしなくはないが、色々考えると、確かに今はそれが一番良い判断のような気がする。シャーは、少しほっとして、お茶の入った杯に手を伸ばしながらリーフィにいった。

「ごめんね、リーフィちゃん。色々世話かけて」

「ううん、シャーのお友達なら、私のお友達だもの。気にしないで」

 リーフィは、優しくそういった。

「それに、彼女みたいに同じ年頃の女の子とお話するのも好きなの。お店の女の子じゃない人とおしゃべりするのって、めったにないし、楽しみよ」

「そ、そっか、それなら良かった」

 安心してシャーが微笑みつつ、お茶を飲む。あたたくて、ようやくほっと一息つけそうだ。そんな無防備な状態を晒したシャーに、唐突にリーフィがずばりと訊いてきた。

「ところで、彼女、シャーの好みでしょう?」

 ごほっ、とシャーは飲みかけの茶を吐き出した。そのままげほげほ咳き込むシャーに、おっとりとリーフィは続けて言う。

「可愛い人だし、シャーが彼女を一人でおいておくのが気がかりなの、とってもよくわかるわ」

 鼻に入って苦しみつつも、シャーはあわててリーフィに向き直った。

「な、な、何言い出すの、リーフィちゃん。べ、別に、オレはそういうんじゃなくって……!」

「あらあら、私もシャーと付き合いが長くなってきたから、見てたらわかるわよ」

 リーフィはあくまでいつもどおりの表情だ。相変わらず何を考えているのか読めない。

「シャーって、気が強くて、ちょっと暴走してしまいそうな感じのコが好きなのよね」

(う、うぐ、ず、図星……! むしろ、なぜわかった!)

 シャーは、唸りつつ、首を振った。

「い、いや、でも、その、む、昔、俺が一方的に彼女に好意寄せてただけでだね、別にそれ以上はなにもないから」

「ふふ。そうなの? もしかしたら、まだ期待できるかもしれないじゃないの。諦めるには早いわ」

「い、いやあ、そういうんじゃないんだって」

「うふふ、どうかしら?」

 リーフィはからかうように笑っているが、シャーは、内心かなり焦っていた。

(い、いや、その、今は、オレは、その、リーフィちゃんが……)

 リーフィに対する感情は、シャーにしても好いた惚れたという単純なものではなく、かなり気持ちを図り損ねている部分もある。友情に近い部分もあるし、かといってリーフィを他の男には渡したくないし、それなりに嫉妬もしている。一緒にいて楽しいし、前みたいに彼女とちょっとこじれただけで荒れる程度には、リーフィには執着してはいる。その気持ちがどうなのかと聞かれたら、正直、好きは好きなのだ。

 だから、こんな態度取られるとシャーとしても困る。

(……リーフィちゃんの、この流れる水のような反応……。それどころか、昔の彼女が訪ねてきたんだろ、頑張れよ! みたいなこの反応)

 シャーは、しょんぼりとうつむいた。

(オレとしては、妬けて欲しいんだけどな。むしろ、盛大に妬けてつめたーくあしらって欲しい)

 それはそれで困るくせに、シャーはため息をつく。

 リーフィは、とてもいい娘だが、自分のことには激しく鈍感で、さらにいうと何かと男前な行動が目立って辛い。シャーは、女の子の扱いが特にうまいほうではなかったので仕方がないが、よく考えるとあのゼダをしてもある一定の距離から近づくこともできていないではないか。

(くそう、まさに難攻不落……! 敵は手ごわい!)

 無念さにひっそりと一人で歯噛みしていると、あら、とリーフィが小首をかしげた。誰かが入り口から入ってきたらしい。誰かを確かめる必要はない。リーフィの反応を見ると、どうせ来たのはゼダだ。

「お、こんな狭いところに引っ込んでるのか?」

 まっすぐにリーフィとシャーのところにやってきたゼダは、今日はいつものように態度を取り繕うこともなく、素の彼だった。

「あのねーちゃん、落ち着いたかい?」

「ええ、大丈夫よ」

 シャーの代わりにリーフィが答えたところで、シャーは、ゼダを見上げつつ尋ねた。

「お前のほうは首尾はどうなんだよ。襲ってきたやつのこと、調べにいったんだろ?」

 ゼダは軽く肩をすくめた。

「そんな簡単にわかるわけねーだろ。周辺のヤツにきいてみたけど、不審人物を見たやつはいなかったよ。人通りは少ないとはいえ、複数の人間が武器もってうろついてたら、兵士に見つかって騒ぎになるだろうから、襲ってきた時は一人だったってことで間違いはなかろうよ。とりあえず、情報通の連中にひっそりと調べてもらうように頼んできた。でも、情報がそもそも少ないから、何かつかめるかどうか」

「まあ、そうだな」

「ま、あのねーちゃんが、名家の出ってだけでも襲われる理由にはならぁな。でも、今日のとこは、続けて襲っては来ないだろうよ」

 ゼダは、そこまでいってリーフィのほうを見た。

「で、あのコ、これからどうするって?」

「彼女、しばらく私のところに逗留してもらおうってシャーと話していたところなの。そのほうが、安全そうだしね。私、今日は早く上がらせてもらうようにするから、彼女と先に家に向かおうと思うの。一応、移動したのがわからないように、念のために、彼女には私の服を着て変装してもらうつもりよ」

 リーフィが、うっとりと嬉しそうに言った。

「どんな服着てもらおうかしらねえ。彼女に似合いそうな可愛い服、お店のほうにおいてたかしら……」

 リーフィにとっては、珍しい表情だ。なるほど、同年代の女性と話をするのが楽しみだというのは、本当らしい。おそらくリーフィのほうが少し年上のようなのだが、すでにラティーナを暴走しがちな妹のような視線でみているのかもしれなかった。

 と、不意にリーフィは、シャーとゼダをそれぞれ見やって、こういいだした。

「それじゃあ、私、彼女と一緒に晩御飯でも作っているわね。それまでどこかで遊んでらっしゃいな」

「えっ?」

 晩御飯はリーフィの家で、というのは、シャーにもゼダにも願ってもないことなのだが、それまで遊んで来いといわれて、少なくともシャーのほうが驚いた。

「で、でも、リーフィちゃん今から家に向かうんでしょ? 女の子二人だと、何かあったときに危ないじゃないの、オレでもゼダでも一緒にいたほうが……」

「大丈夫よ。今日は続けて襲ってこないだろうって、ゼダも言っていたでしょ?」

 それに、とリーフィは続ける。

「心配ないわ。何かあったときは、ジャッキールさんにお願いできるから」

「へ? ダンナ?」

 ここで思わぬ名前がでてきたので、少なからずシャーは驚く。

「ジャッキールさんが何かの時に守ってくれるって前提があるなら、シャーだって安心でしょ?」

「そ、そりゃあまあそうなんだけど。リ、リーフィちゃん、ダンナの居場所知ってるの?」

「ええ。何かあったときの為にって、家の住所を教えてもらってるの。よく知っている場所だし、ここから遠くないのよ」

「えええ! マジで!」

 シャーは、やや大げさに驚く。リーフィに対して住所を教えるというだけでも、抜け駆けも甚だしいのだが、そもそもジャッキールが、どこに住んでいるのかは、シャーも実は知らないのだ。王都のどこか、しかも、割と自分達の生活圏内だろうなとは思っていたが、シャーとゼダがこの前、しつこく聞いてみたものの、ジャッキールは肝心なところで話をはぐらかして教えてくれなかった。

 まあ、彼らに知らせれば、何かとしょうもないことに巻き込まれるのが目に見えているし、からかいにきて日常生活を破壊されるのがわかっているから、ジャッキールとしては避けたいところだったのだろう。

(あのオヤジ、オレ達には居場所教えなかったくせに、リーフィちゃんに教えておくとか、侮れねえな!!)

 腹立たしいが、ジャッキールの居場所がわかったのは良いことだ。色々聞きたいこともあったところだし。ここは、リーフィから住所を聞き出して急襲するに限る。

「私の家から遠いところではないし、何かあったらすぐにお願いできるから大丈夫よ」

 シャーの内心を知ってか知らずか、リーフィは、のんびりとそんなことをいう。

「だから、大丈夫よ。そんな心配しなくても」

「ま、まあ、そうなんだけども、いや、一瞬でも女の子だけになるのは……」

 と、シャーが渋っていると、不意にゼダがシャーの腕をつかんで引き上げた。

「まーまー、いーじゃねえか。相手の目的はわかんねえが、今日の感じだと連続して襲ってこねえよ。あれだって、本気で殺すつもりなら、姿現して飛び掛ってきただろうしさ。リーフィの言うとおり心配ねえってば」

「お、お前な、何楽観的なこと……」

 ゼダに腕を引っ張られて、思わず引き出された感じのシャーは、まだ不満顔だが、ゼダはそのままやや強引にシャーを裏口のほうに押していった。

「女の子は女の子同士話したいってんだから、オレ達がいるのも野暮だろうが。オレたちはオレ達で男らしく遊びに行こうぜ」

「な、ちょっ、どこつれてくんだよ! ちょ、リーフィちゃん!」

「シャー、心配しないでいってらっしゃいね」

「ええ? ちょっと、ちょっと待って!」

「んじゃ、リーフィ、後でな」

 リーフィがあっさりとした態度で手を振ってくる。シャーがあっけに取られている間に、ゼダはシャーを裏口から外に押し出していた。 

「二人とも、晩御飯の時間には帰っていらっしゃいね」

 まだ状況があまり理解できていないシャーの背中に、リーフィの無情な声が降りかかってきた。

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