12.シャーの激情

「いえ、そんな方は見ておりません」

 居酒屋の娘が、おずおずと答える。綺麗な顔立ちだが、どこか人を拒絶するような空気のジャッキールに少し警戒しているらしい。

 ジャッキールは、短く礼を述べるとそこからすばやく立ち去った。

「そうか、この筋には来ていないようだな」

 ジャッキールは、居酒屋を覗きながら花街を歩いていた。普段こういう場所には寄り付かない彼だが、今日は仕方がない。どこか不穏な空気を持っているおかげで、めったに客引きに捕まらないのはありがたかったが、行けども行けども目的の男の姿が見当たらない。

(おかしいな。奴の懐具合と行動範囲から考えて、このあたりが限度のはず)

 自棄になって廓遊びをするほど、金のある男でもないし、時間的にもこの辺でたむろしている筈だった。

(予想をはずしたか? もっと北の方にいってみようか?)

 ジャッキールが、そう思い始めた時、ふと向こうの方で騒ぎがあるようだった。喧嘩らしいな、といいながら歩いてくる酔っ払いの言葉をききつけて、ジャッキールは慌てて彼らを呼び止めた。

「何か揉め事か?」

「あ、ああ、なんだか知らないが、若い男が数人あそこで喧嘩してるらしいんだよ」

「あの角の向こうか?」

「ああ、そうだよ」

 ジャッキールの風貌に、少しぎょっとしつつも男達がそう答える。ジャッキールは、短く謝辞を告げると、揉め事があるという場所に駆け出した。

 角を曲がると、人だかりが出来ていた。夜であったが、街の明かりで視界は十分に効いた。思いのほか、人が注目しているのは、どうやら相手がそれなりに名うての悪党であり、一人ではないこと。そして、それに対して一人の若造が、意外に押していることが原因のようだった。

「全く、あの馬鹿が」

 ジャッキールは、ため息をつき、人だかりを割って騒ぎの中心へと向かった。

 男達数人に一人が囲まれる形になっている。男達が悪態をつきながら、やや離れつつ、隙をうかがっているのに対し、囲まれている一人の青年は、まだまだ余裕の表情を浮かべていた。おそらく、男達は人数を少し減らしているらしい。すでに戦闘意欲を失ったものがいるようだった。

「どうしたんだよ? それだけか!」

 シャーの方は、ほとんど無傷らしく、おまけに剣も抜いていなかった。男達が短剣を抜いているので、それをあしらう為か、自分も短刀を抜いてはいたが、積極的に使っている気配はない。

「くそっ! コイツ」

 男達には、ややおびえの色が走っていた。

「てめえら、雁首そろえてるわりには大したことないな。そろそろ本気でやろうぜ?」

 シャーは、短剣をぱちりとおさめると、今度は腰の剣に手を伸ばす。男達が身を引いたのがわかる。

「行くぜ!」

 シャーが、剣を抜こうとしたとき、その腕がいきなり強い力で圧迫されたのだった。

「そこまでだ!」

 いきなり腕をつかまれて、シャーは、相手をふりほどこうとした。どうして接近に気づかなかったのだろう、とシャーは思ったが、相手は極力殺気も気配も消していたのだろう。黒服の相手は、闇にまぎれて視界にも入らなかったのだ。

 シャーは、きっと相手をにらんだが、その男の正体を知って驚いた。相手がジャッキールだったのが予想外だったのだろう。ジャッキールは、そんな彼を無視して周りの男達を見た。

「お前達もいい加減にしておけ。遊びでやるとただで済まんぞ」

 いきなり水をさされた形となった男達だが、劣勢だったこと、そして、ジャッキールが、どうもただの人間ではなさそうなことから、及び腰になる。ジャッキールは、腰にいつも大剣を吊るしているので、たとえ軽装だとはいえ、彼に武芸の覚えがあるのは一目でわかった。

「そろそろ役人が来る頃だ。貴様らも、無頼の徒といえ、厄介を起こしたくはなかろう!」

 ジャッキールは、そう追い討ちをかける。

 男達は、ずるずると後ずさる。そして、とうとうなにやら覚えておけと捨て台詞を言って早足で逃げていった。野次馬達は、なんだよ、とやや不満そうな空気を漂わせながら、四散をはじめる。せっかく面白くなりそうだったところに、とんだ邪魔者が入ったものだと考えているらしかった。そして、その思いは、シャーも同じである。

「チッ、邪魔しやがって! いいところだったのに!」

 シャーは、荒々しく吐き捨てて、ジャッキールの手を振り払った。

 ジャッキールは、眉根をひそめる。

「何を無益な争いをしているのだ。力が有り余っているなら、別の所で使え。迷惑だぞ」

「アンタに止められる義理はないぜ。昨日、自分だって好き勝手暴れてたじゃねえか! オレだって今日は、目一杯暴れたいんだよ!」

 シャーは、皮肉っぽく言う。

「だったら、そういう時の俺がどれだけ迷惑な存在かわかっているはずだ。そういう風にならんほうがいいとわかっているだろう?」

 ジャッキールは、至極まじめに正論を吐く、が、今のシャーにはそれすら癇に障る。

「いい子ぶりやがって! それとも、何か? アンタが代わりに相手をしてくれるっていうのかよ?」

「俺はやりたくないが、貴様がそのつもりなら仕方がない」

 ジャッキールは、静かに答えたが、シャーの方は収まらない。ははと笑い声を立てて、ジャッキールから距離をとった。

「ふふん、アンタが相手なら不足はないぜ!」

 シャーは、腰を落としてすばやく剣を抜く。ぎらりと夜の街に刃物の光がきらめいた。

 シャーが剣を抜いたことに、不穏な空気を感じてか、周りの連中が悲鳴を上げて飛びずさった。シャーは、すでに殺気を一杯に放ちながら、ジャッキールをにらみ付けていた。

 ジャッキールは苦笑した。

「衆人環視の中でやるのは好みに合わん。場所を変えるぞ」

「おうよ、好きにしな!」

 シャーが答えるや否や、ジャッキールはさっと身を翻して駆け出す。シャーは、一旦剣をおさめて彼に続いて走り出した。

 




 ジャッキールは、華やかな街を抜け、暗い路地裏に入り込む。シャーは、その後を追いかけていた。本気で走れば、シャーの方が足が速いし、ジャッキールが逃げるとは考えてはいなかったが、それにしても彼にしてはよく走る。一体どこでやるつもりなのかとシャーが考え始めた時、ジャッキールはようやく足を止めた。

「さて、ここならいいか」

 ジャッキールの選んだ場所は、昼は市場が開かれている広場である。昼は露天商でごった返す市場も、夜はまったく人気がなく、いっそのこと不気味なほどだ。

 ただ、障害物がないためか、月の光が入りやすく、思ったより夜目がきく場所だった。

「へえ、アンタにしては珍しい場所だな」

 シャーは、息を整えつつきいた。

「珍しい?」

「そうさ。こういう昼間賑やかな場所キライだろ?」

 ジャッキールは、意外にもにやにや笑う。

「俺は、別に自分の好みでこの場所を選んだわけではない」

「じゃあなにさ」

 彼は顔を引きつらせて笑う。

「まだわからんのか? ここはネズミの別荘に程近い場所だ。俺は、貴様を引きずって帰るのが面倒だから近くまでおびき寄せただけの話だ」

 シャーは、少しむっとする。どうやらジャッキールは自分を挑発しているらしい。シャーは、皮肉っぽく笑い返す。

「そりゃあありがたいねえ。俺もアンタをうっかり倒した時に面倒がないほうがいいぜ」

「そうか。お互いの利害が一致したものだな」

 ジャッキールは、平然とそう受け答える。

「それじゃあ、はじめようぜ!」

 シャーは、だっと地面を蹴った。駆け出すうちに右手で柄を握り締め、刃を抜く。走りこむ間にもジャッキールは、彫像のように動かずに仁王立ちのままだ。

 それでも気をつけねばならない。相手はほかならぬジャッキールなのだから。

 シャーは、小手先調べに抜いた剣をそのまま斜めに走らせる。そこで初めて棒立ちのジャッキールの右手が動くのを見た。

 金属的なかたい衝撃を手の平に感じ、シャーは用心して足を踏み込んだ勢いで後退した。

 が、てっきり来ると思っていた追撃が来ない。それどころか、ジャッキールは腰の剣に手も触れていなかったのだ。彼の手には、確かに光るものが握られてはいたものの、それは護身用の短剣で、彼にとっては玩具のようなものだった。

 ぷらぷらと力もいれずに揺れている白刃に、シャーは、頭に血が上るのを感じていた。

 ジャッキールは、短剣を軽く抜いてシャーをあしらっただけだったのである。もちろん、それは彼が本気でないことを意味していた。

「てめえ、ジャッキール!」 

 シャーは、あからさまにいらだった。

「ふざけんなよ!」

 シャーが吼えるが、ジャッキールは、短剣を右手にぶらさげたまま、腕を組んだままニヤニヤしていた。

「オレを相手にその短剣で相手しようってつもりかよ! 抜け!」

 ジャッキールは、あからさまに嘲笑を浮かべた。

「ふっ、何故、俺が酔っ払い風情に剣を抜かねばならんのだ?」

「何だと?」

 シャーは、ひくりと頬を引きつらせた。

「てめえ、馬鹿にするなよ! オレを相手に手を抜くとどうなるかわかってるだろう!」

 ジャッキールは自分の腕ぐらい知っているはずだ。彼のほうが経験も多いし、力も強いが、それでも、シャーとて、こういう場においてジャッキールの命を奪える機会は今まで何度でもあったのである。シャーは、たとえ彼でも本気でかからなければならない危険な相手だったはずであるし、彼自身もそう認めていたのではなかったのか。

「抜け、ジャッキール!」

「普段の貴様ならいざ知らず、今の貴様如きに抜く剣など持ち合わせておらん」

 ジャッキールは、あざ笑うように口の端をゆがめた。

「本来なら素手でやりたいところなのだが、まァ、一応短剣は抜いておいてやる。一応、相手が貴様だから、顔を立ててそう”やってやる”のだ。わかるか?」

 くく、と短く笑って彼は顎をしゃくった。

「正直、貴様みたいな飲んだくれの餓鬼なんぞ、俺が刃を向ける価値もないんだがな?」

 ジャッキールのあからさまな挑発だった。

 普段のシャーならけしてそれに乗ることはなかったかもしれない。ジャッキールの挑発行為は、ただ単に敵を嘲りからかっているのでなく、明らかに攻撃を誘う目的なのだ。特に彼が執拗に挑発を繰り返すのには、意味があるはずだった。

 が、今のシャーは、そんな冷静な彼ではなかった。元から苛立っていたのに、この火に油を注ぐようなジャッキールの言葉をきいて逆上しそうなほどだった。

「ああ、そうかよ!」

 シャーは、怒りに任せて答えた。

「それなら、オレは本気で行くぜ! 死んでも後悔するなよ!」

「貴様にできるものならな。期待しているぞ」

「行くぜ!」

 ジャッキールが言葉をいい終わらないうちに、シャーの足は地を蹴っていた。



  シャーは、ジャッキールに容赦するつもりはなかった。

 ジャッキールの挑発には、素直に腹を立ててもいたし、元から機嫌も悪かった。

 それに相手はジャッキールだ。不死身が売りのジャッキールのこと、多少痛めつけても大丈夫だろう。

 第一、今日はどうやら穏やかでいられるらしいが、ジャッキールには例の病気があるのだ。一旦、戦闘意欲に火がついたらどうなるのかわからない。

 だから、逆にシャーも気兼ねなく喧嘩を売れたのかもしれない。

 シャーは、真っ向からジャッキールに切りかかった。甲高い音と共に短剣がそれを受け止める。シャーの方にも衝撃はあったが、もちろん相手の方にかなり負荷がかかっているはずだった。

 そのまま体を預けるように押し込んで、シャーは、足をジャッキールの足にかけた、が、さすがにそれには引っかからない。諦めてさっと距離をとり、シャーはすばやく相手に突きかけた。 

 すばやく連続的に突きを食らわしてやるが、ジャッキールもさすがのもので、それを短剣を使ってうまく受け流してかわす。

 今日の彼は冷静な分、防御の動作が丁寧で細やかだ。血が上っている時は、防御もほどほどに即座に攻撃に続けてくるのだが、今日はそういうことはない。

(そんな小手先いつまで続くかな?)

 シャーは、ふと剣を引き、体重を乗せながら、気合の声と共に踏み込んだ。ジャッキールは、舌打ちし、体勢を整える。彼にはそれが今までよりかなり重い一撃であることがわかっていた。

 ギィンと重い音が響く。ジャッキールは、短剣の鍔の部分を使って片手で受け止めていた。シャーの指にも、しびれるような衝撃が伝わる。

 はははは、とシャーは笑い出した。

「はっはー、それを片手で止めるとはね! やるな、ダンナ!」

 シャーは、にっと白い歯を見せた。

「だけど、いつまで続くかな! いい加減、まじめに攻撃してこいよ!」

 ギリ、と刃の接触面に火花が散り、すべるようにかすかに動く。シャーは、このまま押し切ろうとそのまま力を入れる。ジャッキールがわずかに歯噛みしたのが見えた。いくら彼でも、片手では押し切られてしまう。

 と、厳しい表情だったジャッキールの口元が歪む。つい、と力をわずかに斜めに流す。そのせいで、刃先が滑る。シャーのバランスがかすかに崩れた所で、ジャッキールはそのまま斜めに体を逃して彼から離れた。

 が、シャーもそれぐらいで体勢が崩れるほどは甘くない。そのぐらい想定内だ。そのままジャッキールに執拗に追いすがる。

「てえっ!」 

 シャーは、わざと大振り気味に斜めに切り下ろす、が、ジャッキールは身を翻して避ける。いつもの彼なら、その隙を突いて攻撃をしかけてくるはずだが、今日はそうしない。積極的に攻撃しないようにしているのかもしれない。それとも、武器が短剣であるので、シャーの懐深くに飛び込まなくてはならないので、浅い攻撃を避けているのかもしれない。

 シャーは、常にある一定の間合いを取っているので、短剣で攻撃しても当たらない。逆に、シャーの刀はそれなりの長さがあるため、一方的に攻撃を仕掛けることができるのだった。

 そのまま、斜めに二、三度振り回してやると、ジャッキールは、短剣でそれを受け流して弾くだけだ。彼としては距離を詰めたいはずだが、シャーはそれを許さない。逆にシャーから距離を詰めた時は、力で押さえ込んで簡単に武器を使わせないようにしていた。

「どうした、ジャッキール!」

 一方的に攻撃を仕掛けているシャーは、彼を煽るように嘲った。

「短剣だけで十分じゃなかったのかよ!」

 シャーは、思わずにやりとしながら、連続して攻撃を叩き込む。下から跳ね上げた一撃をかろうじて受け流したジャッキールが、唸るように呟いたのをきいた。

「いきがるな、小僧!」

 ジャッキールは、わずかに表情をゆがめていた。

「俺に剣を抜かせると、冗談で済まんことは貴様もわかっているだろう」

「だから、そういう状況にしたいんじゃねえか!」

 ジャッキールが何を考えているのか、シャーには皆目わからなかったが、彼の攻撃が消極的な事も気に食わなかった。

(絶対に、剣を抜かせてやる!)

 こうなったら彼も意地だ。いやでも本気にさせてやる。

 そして、そろそろこの戦いが、かなりまどろっこしくなってきてもいた。早いことジャッキールに剣を抜かせて、勝負に持ち込んでやろう。

 シャーは、下段に構えながら、隙をうかがいながら歩き回る。ジャッキールはというと、いつの間にか露天商の使う天幕を背にしている。

 それは、ジャッキールが防戦に徹することを示すものでもあるのだった。彼も自分が不利であることはわかっているらしい。

「チッ、ダンナにしちゃあ用心するねえ!」

 シャーは、笑いかけた。

「いつまで意地張ってるつもりかしらねえが、オレは容赦しないからそのつもりでな!」

「調子に乗るな」

 ジャッキールが、不機嫌そうな声で応じる。

「酔っ払いの貴様など隙だらけだ!」

「それじゃあ、たまにはてめえから攻撃してみろよ! ジャッキールッ!」

 シャーは、再び先制攻撃に出る。下段に構えてのまま突撃して、下から上へと切り上げる。ジャッキールは、身を引いてそれをよけるが、かすかにそれが右腕をかすった。

 が、シャーは宣言どおりに容赦しない。切り上げた剣に両手を添えて、まっすぐに切り下ろす。ジャッキールがかろうじて正面から受け止めるが、シャーは競り合うのを嫌って自分から身を引いた。が、彼の攻撃は緩まない。そのまま胴めがけて切り上げる。

 火花が散る。ジャッキールはどうにか短剣を引き下げてきて、その一撃を受け止めていた。その左手が、左腰の長剣、彼の恋人とも言える魔剣フェブリスの柄にかかっていた。

 ジャッキールはそのまま落ち着いてシャーの剣を払う。シャーも一旦引き下がり、再び彼らの間には、五メートルほどの距離ができる。

「さあ、抜けよ! ジャッキール!」

 シャーは、剣を構えたまま言った。

「短剣のアンタをぶっ倒しても、何の自慢にもならねえからよ!」

 ジャッキールは、いまだに左の腰に手を置いていたが、それをすっとはずす。

 ジャッキールは険しい顔をしていた。舌打ちをして、彼は右手の剣を確かめる。先ほどかすった二の腕に、じんわりと血が滲んでいた。

「貴様……!」

 ジャッキールは、かすかに唸る。

「抜かないなら、どうなってもしらねえぞ!」

 そんな彼などお構いなしに、シャーは追撃に出た。

「いい加減にしろよ! この……!」

 ジャッキールは、そう吐き捨てて、ぐっと攻撃に向かうシャーを睨んだ。その瞬間、ジャッキールの瞳に一瞬ぎらぎらとした殺意が煌いた。

 彼のそれは、危険信号でもある。いわば、普段の彼が、戦鬼としての彼に変貌することを示すものだ。その目の光が灯るとジャッキールは、行動が途端に豹変するのである。

 今まで几帳面なほど丁寧にシャーの攻撃を受け流し、避けていた彼は、唐突に攻撃に転じた。シャーが攻撃を仕掛けているというのに、彼は行動に移ったのである。

 シャーも、そのことに気づいた、が、遅かった。しかも、その次の瞬間、ジャッキールの取った攻撃は、シャーの予想もつかないものだったのである。

 ジャッキールは、いきなり握っていた短剣を投げた。シャーは、はっとして攻撃を止めて守りに入った。

 が、実際はそれは近くの地面に向けて投げられたものであった。その手の動きで、シャーは自分に向けて投げつけてきたのだと誤解したのである。そして、当の素手のジャッキールはその懐に飛び込むように走りこんできた。

 ジャッキールの投げた白刃が、地面に突き刺さったのをシャーは目で確認し、彼の意図を理解した。が、そのことに気づいて攻撃をしかけようとしたときには遅かった。

 いきなりジャッキールの右手が視界に飛び込んできた。

「やべ……!」

 そのまま、があっと首をつかまれた。喉がぐっと絞まり、彼にそんな強引な攻撃をされると思わなかったシャーに、抵抗の機会は与えられなかった。

「くそ餓鬼がああっ!」

 ジャッキールは、咆哮と共に、シャーを振り回して地面に投げ飛ばした。容赦なく、ドンと思い切り地面に叩きつけられたシャーには、受身を取る暇も与えられなかった。

 衝撃をもろに腰に受けて、シャーは悶絶する。一瞬呼吸ができなくなり、思わず剣を握っていた指が離れてしまう。

 ジャッキールは、そんな彼を見下ろしていた。が、それ以上の攻撃を加えることはなかった。先ほど、危うげな光を灯したその瞳も、今は普段の穏やかな彼のものに戻っている。しかし、さすがの彼も荒い息をつき、肩が上下に動いていた。

「この、馬鹿がッ!」

 ジャッキールは息を整えつつ、そう彼を叱責した。 

「飲んだくれて、みっともない八つ当たりなどしている場合か!」

「う、……うる、せえ、な……」

 シャーは、咳き込みながら起き上がる。

「あんたにゃ、関係、ねえだろ! 何をしようが、オレの勝手じゃねえかよ!」

 シャーは、起き上がって剣を握りなおした。

 勝負はすでについている。しかし、シャーは、ありったけの怒りと憎悪を込めてジャッキールを睨みあげた。

 だが、常人なら卒倒しかねないその凶悪な視線にも、ジャッキールはびくともしなかった。ただ、静かに目を細めただけである。

「別に貴様がどうしようと貴様の自由だ。だが、自棄になったところで、物事は何も解決しない。それぐらいわかるだろう?」

 ジャッキールは、静かに言った。

「第一、貴様が自棄になって暴れても、あの娘が救われるわけではないだろうが」

 シャーは、はっとする。

「……ど、どうしてそのことを……! だ、大体、なんでアンタがここにいるんだよ!」

 ジャッキールは、ため息をつく。

「こうなるとは思っていたからな。時間を見計らって出てきたまでだ。まさかここまで荒れているとは思わなかったがな」 

 シャーは、ぎりと歯をかみしめた。

「ッ、てめえ! オレがこうなるってことを見越して、あの子の家にいけって言ったのか? わかってたんだろう!」

 シャーは、ジャッキールにつかみかかろうとするが、ジャッキールにあっさりと払いのけられた。彼は眉根をひそめた。

「わからん奴だな。俺がそういう風に予想したのは、貴様の態度があまりにもおかしかったからだ。……お前が誰かに嫉妬しているのは、傍目にもよくわかったからな」

「そこまでわかっていて……!」

「それならどうした? あの娘とぎくしゃくしたまま、毎日過ごしたほうがよかったか?」

 シャーの言葉を封じ込んで、ジャッキールは、その胸倉をつかんで引き起こした。

「このまま誤魔化し続けることができるとでも思っているのか?」

 シャーは、彼を睨みつけたが、ジャッキールは目を逸らさない。シャーの燃えるような怒りに満ちた目と裏腹に、ジャッキールの瞳は冷徹なほど静かで冷たかった。狂気に堕ちていない彼の瞳は、波紋一つ立てないような揺るがなさを持っていた。それは、彼の持つ確信がそうさせるのかもしれなかった。

 シャーは、歯噛みした。

 その目を見ているうちに、シャーは今日の彼には勝てないことを知った。ジャッキールには、すべてを読まれている。そんな気がした。自分の心を焦がしていたなにものかの感情すらも――。

「来い!」

 ジャッキールは一言いうと、シャーをひきずるように胸倉をつかんだまま歩き出した。

 

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