5.シャルル=ダ・フールによる断罪

 街はずれに一台の馬車がとまっていた。

 ジートリュー将軍の兵舎での争いもおさまったらしく、街は一転して静まりかえっていた。それだけでも、彼はすでに何が起こったか悟っていた。

 やがて、一人の男が足音を忍ばせながら駆け寄ってきた。そして、中の男にそっと報告する。

「どうやら、企ては失敗した模様です」

「……でしょうな。この静けさは……」

 ラゲイラはため息をついた。

「ザミル王子はやはり油断をしましたね。すべて、あのハビアスが打った手といってもいい。シャルル=ダ・フールはそれほど悪運の強い男なのでしょう。あれほど甘く見るなと言っておいたのですが。……私もやり方を変えねばなりません……」

 それから、と言いにくそうに伝令の男が言った。

「ジャッキール様が裏切ったとか……、ベガードを殺したとの目撃証言があります。彼の生死行方はともにわかりません」

「ジャッキールさまが?」

 ラゲイラは指を組み替えて、なにやら考えた後、少しため息をついた。

「あの男は、あれで古風で律儀なところがあります。敵に塩を送ったのを誰かに見られたのかも知れません。ベガードもおろかなことを。彼がそうするのはわかっていました。当初、私が彼と結んだ約束の中にも、彼のそういう行動は許すとしていましたからね。けれど、あの男は、こちらが信じている限り、裏切ったりはしなかったでしょう」

 彼は、ぽつりとつぶやいた。

「おそらく、ザミル王子ですね。ベガードに、反逆罪で彼を殺せと命じたのでしょう。……彼は、約束が破られたと思ったのかもしれません」

 ラゲイラは、静かに光る目を返して男を見た。

「もう彼は戻らないでしょう。……よろしい、新しい傭兵を雇いなさい」

「は、はい」

 そして、男は下がっていく。

「やはり、彼は私とは道を異にする運命だったのかもしれません」

 やがて闇に消える男をみながら、ラゲイラは馬車を操る御者に告げた。

「さあ、参りましょう。……ひとまず身を隠さねば、我々が危なくなる」

 御者はうなずくと、馬を鞭打つ。進み始めた風景を見ながら、ラゲイラはこれからのことを考えていた。一体誰を使うか、一体どんな手だてをつかうか。

 遠くの宮殿は、まだ灯がともっているようにみえた。ラゲイラは、そっと宮殿を眺めながら、深いため息をついた。

「あなたとの勝負は長丁場になりそうだ。シャルル=ダ・フール」

 そうぽつりと言い残して、ラゲイラは去っていく。

 からからと回る車輪の音が、寒い真夜中の街に響いていった。


 

 *



「陛下ー! 大丈夫ですかっ!」

 大声がその場の緊張を破る。今にも燃え出すような赤い髪の将軍が武装したまま走り込んできた。

「なんだ、遅かったな。ジェアバード」

 ハダートは、相変わらず壁に寄りかかったまま、嘲笑うように言った。

「で、ラゲイラは捕まえたか? どーせ、逃がしたんだろ」

「やっ、やっかましいわっ! 今、それを言おうとしたのだ!」

 図星を指され、ジェアバードはかっとしたが、ハダートは相変わらず皮肉っぽい口調で続けた。

「大体、お前は粗が多すぎるからなあ。丁寧に探さないからこういうことになるんだ」

「何だと! 状況見て立場を決める貴様と一緒にするな! 私は大変だったんだ!」

 ジェアバードが、その髪の毛に近いほど顔を赤くして、しらけた顔のハダートの胸倉をつかんだ。

「あっ、いいよいいよ。いいから、喧嘩しないでよ」

 いきなりシャーが割り込んできた。先ほどまで、周りが声をかけられないほどだったシャーの顔には、怒りのかけらも残っていない。

「いいからいいから」

 シャーは手を振って、いつものようにへらっと笑った。

「二人とももういいから。どうせあの狸オヤジだろ。……逃げると思ってたよ。多分、ザミル以外にも取り入れそうな王様候補がいるんでしょ。……しばらく地下にもぐるだろうから、平和になっていいじゃない」

「し、しかし……!」

 まだジェアバードが食い下がろうとするのを、ハダートが目でたしなめた。本人がそういうのだから、これ以上追及するなということらしい。それもそうなので、彼は黙ることにする。

「今回は色々ごめんよ、お二人さん。オレ、迷惑かけちゃってさあ。特にハダートちゃん、色々ありがとうねえ~」

 シャーがなれなれしくそういい、ハダートの肩に手をかける。

「これからはせめて、不意打ちでやられて連れ去られるのだけはやめてもらいたいものですよ」

 ため息混じりにハダートは言った。

「あー、ごめんね~。……ついついやられちゃってさあ」

「どうせわざと拉致られたんだろうがよ」

 ハダートは思わず素に戻ってボソリというが、カッファがそれでむっと眉根を寄せる。それを見たジェアバードが慌てて割って入った。

「で、殿下は昔からついついが多いですからなあ。ついとかいって、移動中、姿くらませた時は、我々カッファと共に、どう殴り倒そうかと思ったものですが! これも懐かしいものです!」

 ジェアバードが慌ててそういう。

「ちょっとちょっと、それは忘れちゃってよ~!」

 シャーは言いながら、ジェアバードの肩を楽しげに叩く。どうやらカッファに追及されずに済みそうだ。

「シャルル。大丈夫だったかい」

 レビの声が聞こえた。シャーは笑いながら、彼のほうを向く。

「いや、オレの方は元から丈夫ですからね。……それよりも、大丈夫ですか? 身体の方は……」

 そこまで言いかけ、シャーはふと笑いを止め口を止めた。

 彼の横にいるラティーナがふらりと一歩足を踏み出したからだ。

 彼女は、シャーと彼らが表面上明るく話し始めたころも、ずっと思いつめた顔をして黙り込んでいた。その手に短剣がまだ握られているままで、きっとシャーの感じた不穏な気配は間違いではない。

「ラティーナちゃん」

 突然呼びかけられ、呆然としていたラティーナは、はっと彼のほうに目を向けた。

 シャーが一体何を言い出すのかと、この場にいたものが緊張する。彼は静かに続けた。

「ラハッドが死んだのは、確かにオレのせいだよ」

 シャー、シャルル=ダ・フールは、ラティーナにゆっくりと近寄った。彼女も別に逃げない。その場にたたずんで、彼を大きな目で見上げる。

「オレが、良かれと思ってした事が裏目に出たんだ。オレさえ、国にいればあんなことはさせなかった」

 ラティーナの右手をつかむ。さすがにびくりとしたラティーナだったが、シャーはその右手に握られている短剣をしっかり彼女に握らせるようにした。そのまま、寂しげな顔でラティーナの顔を見て、彼はいった。

「……あんたの気の済むようにしていいよ」

「いけませんぞ殿下! そんな……」

 カッファの声が飛んだ。シャーは、毅然とした声で後ろに叫ぶ。

「オレの好きにやらせてくれ!」

 それからシャーは、ラティーナに向き直った。

「……判断はあんたに任せるよ……」

 そして、シャーは、いつもの顔に戻ると、少し情けないような笑みを浮かべた。

「ごめんよ、ラティーナちゃん……。オレはやっぱりあんたを騙したんだよ。でも、一つだけ信じて。……オレは、ただ、あんたの力になりたかった。だから、オレはあんたに手を貸したんだ。それだけは嘘じゃないよ」

 ラティーナの表情はほとんど無表情に近く、その考えを読むことはできない。シャーは、部屋の炎の揺らぎを受けて時々赤くちらちらと瞬く目をしていった。猫の目のような、独特の透明感がある大きな目に、少しだけ哀しみのようなものがかいま見えた。

 沈黙が流れ、カッファを初め、周りはこの緊迫した空気に息を呑む。本来ならば、そのような危険なことを止めなければならなかったのだが、シャーの迫力に押されて、彼らは口を出すこともできなかった。

 しばらくしてから、ようやくラティーナは顔を上げた。

「もういいわ」

 そういって、ラティーナはふっと微笑んだ。

「あんたをどうこうしたって、あの人、帰ってこないじゃない。それに、あなたのせいじゃないわ」

 シャーは、無表情にそれをきいていた。

「……いいのよ、シャー。あんたのせいじゃないんだもの」

「……いいの?」

 シャーは、それだけを答えて、ラティーナの哀しげで綺麗な顔を見つめていた。その口が、更に続きをつむぐ。

「一つだけ、お願いがあるの」

 ラティーナは、そっとシャーにささやいた。小声で彼も返す。

「なに?」

「自分をそう責めないで。あなたは、そんな自分勝手な人じゃないわ」

「で、でも、オレ……」

「あなたのせいじゃないわ。……あなたはできる限りやったんだもの。……悪いのは、あなたの事も知らずに、あなたを疑ったあたしよ……。それに、貴方は嘘をつかなかったわ。確かにあなたは、シャルル=ダ・フールの密偵でも、影武者でもなかった。あなたが、シャルル=ダ・フール本人だったんだものね」

 ラティーナはふわりと微笑んだ。

「……あたしにあなたを裁く権利は無いわ。……でも、あなたはあたしを裁かなきゃ……。そうでしょ、そうじゃないと、部下に示しがつかないわ。あたしは、国王であるあなたをそそのかされたとはいえ、疑って殺そうとしたの。……だから、許されるべきではないのよ」

「えっ……それは……」

 意外な言葉に、シャーは目を丸くした。

「さあ、……あたしの罪を断じて……。あなたの自由に。覚悟はできてるわ」

 そういって笑うラティーナの顔は、ひどくはかなげで、シャーは彼女がどこかに消えてしまうのではないかと思った。

「……ラティーナちゃ……」

 言いかけて、彼は止める。ラティーナの目が、違うといっていた。

 シャーはそれを茫然と見ていたが、やがて目を閉じた。それから意を決して顔をあげ、ラティーナの手から短剣を取り上げた。軽く唇を噛み、シャーははっきりと言った。ただ、その声はいつもの声とはまるで違い、無感情な機械のようだった。

「サーヴァンの姫君、私は汝の罪を裁く」

「はい」

 ラティーナは、返事をして、その場にひざまずいた。シャーの顔が、わずかに歪んだが、ラティーナはそれに気づいていないようだった。

「この国の法律では、人を殺した者は重罪である。特に、臣下が国王を暗殺しようとするなどと、これ以上ない謀反であり、大罪だ。いかな事情があったといっても、死罪は免れ得ない」

 シャーは型どおりの文句を告げながら、足下に跪くラティーナを見つめていた。その目がひどく辛そうなのを見て、カッファは少しだけ目をそらす。

「……だから、私はお前に…………」

 そこまで、シャーは言いかけて、ふと顔をしかめた。そして、そっと自分もしゃがみこみ、小声でそっとラティーナにささやいた。

「ねえ、……一度だけシャーとして言わせてよ」

 ラティーナが顔をあげると、彼の目が寂しそうに彼女見ていた。

「お願いだから、ラハッドの後追うとか、この事件の責任をとるとか、それで死ぬとかそういうことはやめてよね。あんた美人だもん。……きっと、その内、またいい人が現れるかもしれないしさ。第一、そんな事したら、オレの方がラティーナちゃんの後追って、このオレの周りの馬鹿な奴らに迷惑かけまくってやるんだから」

「シャー、何を…………」

 ラティーナは、少し驚いたようにシャーの少しだけ青い目をみていた。

「ねえ、わかるだろ。あんたを殺す命令をするくらいなら、オレはここで自殺しちゃうからってこと。……ね、オレのためを思って、オレがこれから何言っても、ありがとうといってよ。……何も反論をしないで。お願いだから」

 ラティーナは、少しだけ目を潤ませた。

 だが、それでも必死でこの気の強い貴族の娘は平静を装おうとしている。シャーにはそれが一番辛かった。

「……わかったら、オレの台詞の後に、返事をして……」

 周りにわからないように、そうっと笑い、シャーは立ち上がると口調を変えて周りのものに聞こえるように言った。

「しかし、この姫君は、……私の弟のラハッドの婚約者だった人だ。ラハッドの死には兄たる私にも責任の一端がある。この姫がザミルとラゲイラに騙され、私の命を狙ったのであるなら、それは仕方のないこと。それにこれ以上、血を流すのはラハッドの望みではない。だから、この姫の罪は問わぬ。もし、異論があるのなら、前に出ろ」

 部屋は静かだった。シャーは深くため息をつき、寂しげな目でラティーナの方を見た。

「ということだ。そなたの罪は問わぬ。さがってよい」

 ラティーナは、うつむいた。というのも、シャーに半泣きの顔を見せたくなかったからだろう。

「寛大なご配慮ありがとうございます、陛下」

 そういって、ラティーナはシャーのそばに近づき、そして彼の手を取った。シャーはびくりとしたが、ラティーナは構わなかった。

「ありがとうございます。陛下。これからはあなた様に永遠の忠誠を――」

 シャーの手に軽く口付け、ラティーナは引き下がる。それはこの国の貴族の定型の挨拶でしかない。もう、シャーとラティーナとしての会話はではない。

(ああ……)

 シャーは心の中で嘆息をつき、天井に描かれた煌びやかな絵画を見た。

 ラティーナは「陛下」といった。それは、別れの言葉でもあるのだ。ラティーナは、もう彼をただのシャーとは見ない。彼とラティーナの関係は、彼女が口にしたとおり王と臣下。もう対等な立場で二度と話もできないだろう。

 彼の恋もそして、これで終わりを告げた。

(オレは、……なぜこのコを好きになってしまったんだろう)

 いつものように好きだよ、と口にできていればまだいい。だが、今回は口にすることさえできなかった。いや、最初から好きになどなってはいけなかった。ラティーナはラハッドの恋人だから――

「……どうか、これからは幸せな半生を――」

 シャーはそう応えて、下がっていくラティーナを見なかった。さようなら、と心の中で呟きながら、シャーは溢れる涙を隠した。

 その彼の気持ちに気づいていたのは、勘のいいハダートと、カッファだけだった。

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