3.微笑むシャルル=ダ・フール

 

 カッファ=アルシールは、難しい判断を迫られていた。

 ハダート=サダーシュからの情報で、彼にも今日何かが仕掛けられることはわかっている。それを手をこまねいてみているほど、カッファはおろかでもなかった。

 とりあえず、寝室のまわりを比較的信頼のおける近衛兵に守らせたが、完全な防備とはいいがたかった。寝室の奥に近づけば近づくほど、よほど信頼のおける兵士に守らせることになるが、それが十人ほどしかいない。

 七部将にはひそやかに連絡をしているが、その半数は今は辺境の視察に出向いており王都にはすぐには戻らない。ハダートの報告ではジェアバード=ジートリューの軍にも、相当数ラゲイラの息のかかった者がいるとみられていることから、戦闘になれば彼の軍は崩れる可能性もある。

 第一、ハダート=サダーシュ自身がひどく曲者だった。主君のシャルル=ダ・フールは、彼の不誠実な一面も、危険と駆け引きを好む一面も好意的に受け止めており、彼とはそれなりの信頼関係を結んではいた。しかし、いざ自分の命運がかかることであれば、保身を図るハダートが寝返る可能性も相当高い。今はまだこちらを有利と見て協力してくれているが、本当にラゲイラが有利にことを進めてしまえば、彼はそちらについてしまうだろう。

「まったく、ろくな奴がいないのだからな」

 宰相カッファ=アルシールは、思わず不満を口に出す。 

 赤い絨毯のひかれた石づくりの回廊をしきりにうろうろしながら、彼は落ち着きなく警備の体制を確認して回っていた。

 セジェシス付きの近衛兵出身である彼は、この警備がいかに甘いかわかっている。

 唯一の救いは、シャルル=ダ・フールは未婚であり、後宮が存在しないことか。ああいった場所があると、なおさら警備しづらいものだ。カッファも近衛兵時代は、いろいろと苦労した。

「カッファ!」

 昔の思い出に逃亡しそうになっていたカッファを、誰かがそう呼ばわった。

 振り返ると、厳しく軍靴の音を響かせながら駆け寄ってくるものがいた。

 白髪混じりの髪を総髪にしている男をみて、カッファは少しほっとした。カッファよりいくらか年上のその男は、七部将の一人であるゼハーヴ将軍だった。

 眉間にしわをよせた、いかにもまじめな顔つきの彼は、威厳と落ち着きを十分に備えていて、名門の香りを漂わせている。

 実際に、彼は前王朝の時代から将軍だった家の出身だ。七部将のまとめ役を務めてもいた。ただ、その兵力はさほど大きくはない。

「これは、ゼハーヴ。どうかな、ラダーナ将軍は間に合いそうか?」

 外遊している七部将の中で、最も早く王都に帰還できる可能性のあるのは、ラダーナ将軍だ。彼はシャルル=ダ・フールに協力的であるので、彼が帰って来てくれれば心強いのだが。

「いや」

 ゼハーヴ将軍は、やや眉をひそめた。

「今夜中には戻れそうにない。私の兵士とジートリューの兵士と、ハダートの所で抑えるしかないのだが、ジートリューはそもそも軍隊を分散して統括しているからな。今夜すぐに動かせるのは、三分の一ほどだろう」

「ああ、わかっている。……全く、将軍の半分が不在の時に行動するとは、ラゲイラめ」

 カッファはため息をつきながら唸った。

「しかし、ラゲイラの背後にいるのは、一体誰なのだ? ハダートの情報は?」

 カッファは腕を組んで唸る。

「それが、連絡を入れてきた今朝の時点ではわからんということだった。今なら或いはわかっているかもしれないが、もう下手に動けない状態のようだし、それに、あの性格だからな、ハダートは」

「なるほど、いざというときの逃げ道のために、危なくなった今はもう連絡などしてこないか」

「とりあえず、用心の為に面会を全て断ることにしているがな。実際問題、あの方には敵が多い。今更誰が黒幕でも驚きはせんがな」

 ハダートを思い浮かべながら苦い表情の二人は、同時にため息をつく。ゼハーヴは、少しだけ考えて申し出た。

「この際、せめてあの方だけでも避難させては……」

「いや、あれであの方もなかなか強情でな。『カッファ、お前が逃げないのに、私が逃げるなど言語道断だ。それに、私には責任がある』などとおっしゃるのだ」

 カッファは主君の口まねをしながら、げんなりとした顔をした。そして、ふつ、と何か火がついたらしく、急にむっとした顔をして、天井をにらむ。

「あの方の立派なお心がけにひきかえ、あの腐れ三白眼は……」

 カッファは、不機嫌に続けた。

「今どこをほっつき歩いているのだか! あの性根、絶対に叩き直してくれる!」

 ゼハーヴにも思い当たりがあるのだろうが、敢えて彼はそれを無視して続ける。

「ハダートなら、その居場所ぐらいはわかっているのではないか? 報告がないようだが」

「ハダートとジートリューの二人はいかん。すぐにアレと結託してかばいだてする」

 ゼハーヴの問いに、カッファは渋い顔をした。

「今、本当にどこにいるやら。陛下自身の身が今、危険な目にさらされているというのに!」

 カッファは言いながらさらに腹が立ってきて、いらいらとしきりに床をつま先で叩いている。何しろ、そうして思い浮かべる顔は、忙しいときに出られると普通の人の十倍は腹が立つ、あのいい加減な三白眼なのだから、ゼハーヴもカッファの気持ちがわからないではない。

「それに加えて、名乗る名前がシャー=ルギィズだと……。……まったく、なにを好きこのんで、私の妻の旧姓など」

 カッファは、相変わらず天井を眺めながらつぶやく。

「相変わらず、なにを考えているのかわからんよ」

 少し唸った後、ゼハーヴが、さっと身を翻した。

「仕方があるまい。では、私は持ち場に戻る。何かあったらすぐに呼んでくれ」

「ああ、そうしよう」

 カッファはそういい、ゼハーヴとわかれて、回廊を引き返し始めた。とにかく出来る限りのことをやればいい。

 それでダメなら、せめてあの三白眼が無事であれば、それでいいと思おう。そうカッファはどこかで思っていた。

 

  *


 カッファ=アルシールがちょうどシャルル=ダ・フールの居室の周辺の警備を固めている頃、シャルル=ダ・フール本人は、起きあがって本を読んでいた。

 王の居室と言うには割合に質素なその部屋には、病弱な彼が普段からその身を休めている寝台がある。天蓋の薄布がさーっと垂れており、彼はそれごしによく人と話をするものだった。

「陛下」

 呼ばれて、シャルル=ダ・フールは、本を読む手を休めて前を見た。顔なじみの女官が、そこに控えていた。

「何用だ?」

「お会いしたいという方がいらっしゃいますが……、どういたしましょう?」

 そういわれて、シャルルは首をわずかに傾げた。確か、面会は謝絶している。

「どういうことだい。私は今日は誰にも会わない予定だが。しかも、こんな夜に」

 彼は薄い天蓋ごしに女官を見て、目を瞬かせる。その穏やかな眼差しに、怪訝そうな色が見える。

「カッファには通したのか?」

「それが、どうやら、宰相殿には何も報告せずにお会いしたいとの事でございます。極秘にお話がしたいと」

 ふむ、と彼はうなった。

「誰だ? そのような無理が通せると言うことは、まず相手は王族だろうな」

「はい、陛下」

 女官は、そっと小声で言った。

「陛下、相手は弟君のザミル=リヴィート様でございます」

「ザミル?」

 シャルル=だ。フールは、そう反芻した。その顔には更に怪訝な色がにじんでいる。

「ザミルが今頃何だというのだ?」

「なにやら危急の用とのことです。あとは極秘とのことで、到底聞き出すことはできそうにありませんでした」

 シャルル=ダ・フールは、軽く顎に手をあてた。

「そうか」

 少し考えてから、彼は大きくうなずいた。

「よし、私が直接会って話をすることにしよう。……ザミルには、部屋で待たせておいてくれ」

「かしこまりました」

 女官がそういい、すーっと去っていく。

 彼女が部屋から出てから、シャルル=ダ・フールは天蓋の外に出た。暖かい上着を着て、彼は一応傍にあった剣を帯刀した。弟の王子と会うのに、不作法な格好で会うわけにはいかないし、また、身を守る意味を含めてのことである。

 シャルル=ダ・フール本人にも、今夜怪しげな動きがあることは知らされていた。

 となると、今ザミルが会いに来る理由は、まさに二つに一つ。

 当人がこの事件の黒幕であって自分を害するために来たのか。それとも、事件を知って逃げるように報告に来たのか。

「ザミルが何かしら関わっているというのか?」

 シャルルは顎を軽く撫でる。

「しかし、あのザミルが?」

 相手は仮にも弟だ。しかも、セジェシスは、妻に序列などつけなかったが、それでももっとも有力者だった夫人がザミルとラハッドの母だった。彼女はもとより高貴な家柄出身の人物でもあるし、またシャルル=ダ・フールにも優しく接した少ない王妃の一人だった。それをないがしろにするわけにもいかないし、まして証拠もないのに疑うこともできない。

「仕方ない。会って確かめておくか。……カッファには悪いが、これも私のつとめだからな」

 そういうと、彼は水差しの水を少しだけ飲んだ。そして、面会に赴くため、隣室へと足を運んだ。



 シャルル=ダ・フールからの伝言を持って、女官はそのまま外に出た。

 ザミルの待っている面会者の控室は、廊下を隔てた少し離れたところにある。

 室内に入る際、そこで待っているザミルを見て、軽くお辞儀をした。ザミルは女官連れだ。さすがのザミルでも、ここに護身の兵士を連れて行くわけには行かない。その代わりに、女官を連れてくることは許されている。

「兄上様からお許しが出ました。ご面会なさるとおっしゃっておられます。いましばらく、こちらで、お待ち下さい」

 女官はザミルにそう伝えてかしこまった。

 城内に入ったのは、ザミルとラティーナの二人。ラゲイラは城に入る直前に別れ、外で待機していた。

 ラゲイラが一緒にいれば何かと目につく。王族という身分を押し出すことと、評判の良さからザミルはこの控室まで、カッファの敷いた警備の目をかいくぐってこられたのだ。

「どうするつもり?」

 付き添いのラティーナは、ザミルの女官という設定である。顔を半分隠し、女官の服装をした彼女は、ザミルを睨むようにして訊いた。

「会ってからのお楽しみだな」

 ザミルは小声でそう言い返し、黙った。ラハッドと同じ様な顔立ちなのに、どうしてここまで冷たい顔になるのだろう。ラティーナは、それを憎々しげに睨んだ後、目をそらした。いつまでも見ていたいものではない。

「ザミル様」

 ふと、別の女官が彼に近寄ってきた。

 まわりを伺いながら現れた彼女は、そっとザミルの方に近寄ってくる。軽く巻いた黒髪の色黒の美人で、暗い夜の宮殿では少しなまめかしい印象すらある。

「お久しぶりでございます」

「ああ、お前か」

 ザミルは顔なじみらしく、すっと視線をあげただけであった。

「少しお耳に入れておきたいことがあるのですが」

「そうか。話せ」

 ラティーナは不意に気づいた。この女官、ザミルの間者だ。ザミルがいつの間にこの女官に近づいたのかは分からないが、シャルル=ダ・フールのまわりにも、すでにザミルの手が回っているというではないだろうか。

 女官はちらちらと辺りを気にしながら、小声で続けた。

「ここでは……人目があるやもしれません。他の女官がいつ戻ってくるか。雑談程度ならよいのですが、ここでもしきかれでもしたら」

「そうだな。……わかった場所を移そう」

 ザミルはすっと立ち上がり、そして、ラティーナの方に目をやった。

「もし呼びに来たら、私は少し用で席を外したが、すぐ戻るといえ」

 そして、ふっとあざ笑うような笑みを浮かべる。

「まさかとは思うが、一人で行動しても無駄だぞ。妙な了見など起こすな」

 ラティーナは無言で相手を睨んだ。行動したくても、そんなことが許される状況ではない。それがわかっていたからだろう。それにすんなりとここまで入り込んだことから、彼には少しの油断もあった。

 ザミルはラティーナをそこに置いて、女官と早足にどこかにいってしまった。

(……あなたの思うとおりに全てが進むと思わないで!)

 ラティーナはぐっと拳を握りしめた。そのままそっと立ち上がる。

 そうだ、どうせ一人ではどうにもならない。

 どこにシャルルの部屋があるのかも知らないし、このまま歩いても女官や近衛兵に止められるかも知れない。だが、ラティーナは、そもそも捨て身だったのだ。

(あなたが思っているほど、あたしは甘くないわ!)

 ラティーナはそう強く思い、隠し持った短剣を握った。ふらふらとわずかに歩き出す。

 シャルル=ダ・フールの部屋がどこにあるのかもわからないが、何もしないでザミルの言うままになるのは嫌だった。ザミルに仕組まれたからシャルルを殺すのではない。自分は自分の意志で、ラハッドを死に追いやったあの男に鉄槌を下すのだ。それが終われば死んでも構わない。

 付近は異様なほど静まり返っていた。報告は入っているはずなのに、シャルルの居室の付近は驚くほど人がいない。

 近衛兵が何人か定期的に歩き回っているようだったが、人数が少ないのでそれをやり過ごし、隠れながら廊下を進むことは彼女でも難しくなかった。

 宮城の警備はかなり厳しいものだったのだが、それは王の居室に近づくまでであり、いったん、はいってしまうと極端に数が減る。それはいったい何を意味しているのだろう。

 ふと半開きの扉が目に入った。

 そこにそっと近づいて、そして扉の内を覗くと、部屋の中に、青いタペストリーがかかっていた。

 そこには、紋章らしいものがかたどってある。剣と孔雀の羽を重ね合わせた青い色の旗は、おそらくシャルル=ダ・フール自身の紋章だ。

 そういえば、あの出陣式の時、黄色い街にあの旗がたくさん掲げられていた。それは、しかし、美しい光景だったような気がした。

 ふと近衛兵の近づいてくる足音がして、ラティーナはあわてて部屋の中に入った。足音を忍ばせて、そっと内側に片足を入れる。絨毯で足音は消される。そっと中をうかがうが、人の姿はなさそうだった。

 ラティーナは、何となく安堵して胸をなで下ろした。と、その時。

「ああ、セイルかい? ザミルは呼んできてくれたかな?」

 ふいに声がした。

 椅子に誰かが座っている。頭には水色の布を巻き、青い上着を着ているのがここからでもわかる。どこか頼りなげな痩せた印象の体型の男のようだ。しかし、随分優しい声だった。

(まさか……)

 ラティーナは、一瞬顔の血の気が全て引いたような気がした。ふっとめまいのように、目の前がぐるりと回る。

「そろそろ呼んできてくれてもいいよ。……私が話をしよう」

 声はもう一度聞こえた。その声の語った内容で、彼女はその男が誰であるか、はっきりと悟る。

(まさか、こいつが……シャルル=ダ・フール!)

 思わず短剣を取り落としそうになる。指先がかたかたと震えて、上手く動かない。顔色も真っ青なままで、唇はまっしろになっていた。

 それでも、彼女が足をふらりと進めたのは、それほど決意が固かったからだろう。

「カッファも彼も怒るかも知れないが、けれど、私が話をつけた方が早いのではないかと思うんだよ」

 彼は振り返りもしていない。ただ、ラティーナをセイルという部下と間違えているらしく、そうぺらぺらと話している。

(こいつが……)

「だから、今回は私に任せて欲しいんだ」

(ラハッドを……)

 ラティーナの目に、優しかったラハッドの顔が思い浮かんだ。

「決めつけはよくないし、ひとまずは話し合ってみないとならないだろう?」

(殺しさえしなければ……)

 あの時のラハッドの白い顔が、口許の赤い血が、あの時の張り裂けそうな感情が、全部いっしょくたになって押し寄せてきた。

 ラティーナは、そのまま足を進めた。いつの間にか指のふるえは止まっていた。手に銀色に輝く短剣をかざしながら、彼女はつかつかと進んだ。

 シャルル=ダ・フールは後ろを向いたままだ。顔は見ないでおいたほうがいい。シャーがその影武者を勤めていたぐらいだから、きっと顔は似ているのだ。シャーを思い出せば殺せない。

「どうしたんだい? 返事をしないなんて、おしゃべりな君らしくないな、セイル」

 シャルルは、怪訝に思っているらしいがそれでも振り返ろうとしなかった。

(あたしはラハッドと幸せに生きられたのに!)

 ラティーナは短剣に渾身の力を込めた。

(全部お前が悪いんだ!)

 ラティーナは、かかげた短剣を振り下ろした。

 と、その時、不意にシャルル=ダ・フールがこちらを振り返ったのだ。

 ラティーナは、びくりとした。しかし、何があっても短剣を下ろす手は止めない気だった。なのに、ラティーナは一瞬、驚いて、短剣を下ろす手を止めてしまった。

「あ、あなた……ど、どうして?」

 ラティーナは、その顔をはっきりと見てしまっていた。

 シャルル=ダ・フールとおぼしき人物は、さすがに面食らった様子だったが、ラティーナを見て、そうか。と軽くうなずいた。

「もしかして、君がサーヴァンの姫君かな?」

 彼は、にっこりほほえんで、短剣をかまえたままのラティーナの方を見た。驚いて口を開いたままの彼女に、シャルル=ダ・フールはその短剣を見ながらおっとりと言った。

「そうか。サーヴァンの姫君。見たところ、まず、君の誤解を解かなければならないようだ」

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