4.あんたの負けだよ
ラゲイラ卿から急に呼び出されたのは、ハダートが例のジェアバード=ジートリューとの”話”をつけて屋敷にいったん戻り、そのまま何やらと理由をつけて帰宅しようとしたときだった。
今まで計画を練っていた主な幹部を招集しての緊急会議が開かれ、その中で時間が差し迫っていることから、どうすればよいかが話し合われた。
(あの三白眼野郎、女に秘密をゲロりやがったな!)
ハダートは、内心あきれ返っていた。
(全く、女絡むとどうしようもねえな、アイツ!!)
ラティーナがラゲイラ卿の手に落ちたのは、確実のようだ。結局彼女は説得されたのか、どうやらシャーから聞き出したシャルル=ダ・フールの寝所につながる道を教えてしまっているらしい。
そして、決行が早められた。
決行は明日の夜。
しかし、運が悪いことに明日の夜なら、七部将の内でも、動けるのはジートリューとゼハーヴしかいない。
残りの将軍はちょうど遠隔地の視察に派遣されているなどして、王都をあけている。
もともと、ラゲイラは、この時期での決行を一人で見越していた気配はあるのだが、そこに来てこの偶然が転がり込んできたのだから、彼はこれを見逃すはずはなかった。
しかし、これではカッファも、すぐには対処を取れないかもしれない。シャルル=ダ・フールの寝室には、そもそも限られた近衛兵しか近づけていない。それだけに守りが手薄だ。
だからこそ、一気に寝室を急襲できれば、暗殺自体はうまくいく可能性が高い。
それにシャルル=ダ・フールに反感を持っている者が、まだ王宮の中にも多くいる。官僚たちの中にも、兵士たちの中にも少なからず存在している。
シャルル=ダ・フールの寝所のある奥の兵士たちの忠誠心は強いが、逆にそれ以外の兵士は信用ならない。
セジェシスの夫人の中にも、まだこの王位継承に納得していないものもいる。あの女狐とうたわれ、内乱のきっかけになった王妃サッピアなどがこれをかぎつけて動かないともかぎらない。彼女は屋敷に幽閉されているが、彼女の息のかかったものは城にうじゃうじゃいる。
「……あの三白眼はどうやら無事らしい。が、アイツの性格じゃ、どうせ連絡取らないんだろうな」
ハダートは紙を切ったばかりの短剣の刃を撫でながら言った。
鳥籠の中では彼のかわいがっているカラスのメーヴェンが、羽にくちばしをつっこんで眠っている。
「そういう奴だ。アレは。こちらが知らせてやらなければ、明日の夜に何が起こるかもしらねえし、ラティーナが今のところ無事なのも知らないだろう」
何か小さな紙に書き込んだハダートは、それを丸めて金属製の筒に入れ、隣にあった花びらを一枚それに差し入れた。ジャスミンの花びらだ。
「さて、お疲れのところ悪いが、朝にでもまたお前に使いに出てもらおうか、メーヴェン」
そう呼びかけて、彼はメーヴェンの鳥かごにそっと布をかけてやった。
「全く俺って奴はどうしてこう親切なんだろうな。……あの馬鹿の為になんでこんな尽力しなきゃならねえんだ。ああ、面倒だ」
ハダートは、深くため息をついた。
「俺なんか、すっかりあいつにいいようにされちまって……。こんな筈じゃあなかったんだがな」
そういいながら、ハダートはわずかに苦笑いした。
「全く、
あの青年は、セジェシスに似ている。と、ハダートは思う。
建国者のセジェシスも、ああして人を魅了する男だった。滅多と人に心を開かないハダート=サダーシュですら、彼に対しては心を開いていた。素直にセジェシス王のことが好きだった。彼でなければ、新しい王権を立てられなかっただろう。それほどまでに、魅力のある男だった。
しかし、ハダートから見ても、彼は玉座に座り続けられるような男ではなかった。
「本人に言ったら、いくら温厚なあれでも怒るだろうけどな」
ふっと言ったとき、ハダートは身をわずかに起こした。そして、すっと部屋の後ろに切れ長の目を送る。
いつの間にか、部屋に忍び込んできたものがいた。
「……ジャッキールさんだな?」
相手は黙っている。それは肯定ととってもいいだろう。しかし、あの殺気を常に放った陰気な男にしては、ここまで気配を消しているとは珍しい。
「いきなり忍び込むとは無作法な。……といえ、無作法はお互いか」
黒服の男は、静かな殺気をたたえながらたたずんでいたが、見慣れた姿とは違った。髪の毛を短く刈り込んだ姿はハダートも初めてみるものだ。一瞬誰だかわからないほどだ。
陰気さは少し減ったかもしれないが、その分冷たく輝く瞳があらわになっていた。顔立ちがはっきりしたことで、結果的にストイックで潔癖な武官らしさが際立っている。
「なんだ、あんた、責任を取って頭丸めたの? いや、そこまで短くもないか」
ジャッキールは、その言葉に返答しない。
「俺がここに来たのは、貴様に聞きたいことがあったからだ。あの娘を逃がしたのは、貴様だな」
いきなり切り出した彼に、ハダートは肩をすくめる。
「……さぁ、どうしてわかった?」
ハダートは薄笑いを浮かべながら訊いた。口調は丁寧とはほど遠く、すでに普段の彼のものに戻っている。ハダートはジャッキールに対して、ごまかすつもりはないらしかった。
「勘だとでも言っておこうか」
ちらと、ジャッキールの腰の剣が目に入る。
「そうか、俺をお斬りになるつもりかい?」
ハダートは、口だけは笑みながらいった。
「それとも、ラゲイラに言うか?」
そういうと、ジャッキールはかすかに笑う。
「俺の勘だけのことだ。証拠もなにもない。ましてや、貴様は口を割らんだろう。ラゲイラ卿も今は俺を相手にもしないだろう。貴様を斬りたいのはやまやまだが、……今夜は、俺はこれ以上殺生をしたい気分でもない」
ジャッキールは意味ありげに笑った。
「俺もこういう気分のときは、無用の流血は避けたいのだ」
「それはありがたいね。……じゃあ、なんだい」
ハダートは、相手を探るような目をしながら抑えた声で言った。ジャッキールは薄ら笑いを浮かべた。
「俺は皮肉をいいにきただけだ、ハダート=サダーシュ」
ジャッキールは冷たく言う。
「貴様が、想像以上に、芝居がうまいもので、感心してな」
「あんたがうまいとおもったのなら、俺も一流役者だな」
ハダートはそんなことを言いながら、一人で机においてあった酒をあおった。ふっと息を吐きながら、ジャッキールを眺める。
印象も結構違う様子だが、それ以前に、今のジャッキールはやはり、少し雰囲気が違う。どことなく沈んでいるのだ。
その原因について、ハダートは思い当たることがあり、思わずにやりとした。
「それにしても、昨日に比べて、やけに大人しいな。あれに負けたのが悔しいのかい?」
ぴく、とジャッキールは、神経質そうに眉をひそめた。それを見て、ハダートはゆったりと笑った。
「剣で負けたなら、まだあんたには救いがあるが、もしそうじゃないなら大変だぜ。あれは、人の心をつかむことにかけちゃ、天才的だからな。そうだな、人の心に土足で上がりこんで、そのまま茶でも飲まれてる気分になる」
「なんだそれは」
「実際、そういう気分はしなかったか? しなかったらいいんだが……」
ハダートは、頭の後ろで手を組んだ。黙っているジャッキールは、闇にまぎれるようにそこにいる。
「あの三白眼に負けるっていうのは、剣で負けるんじゃあない。俺は面白いことしかしない主義だが、そうだな、アレを面白いと思った時点で俺は負けちまった。以降はアイツの飼い犬みたいなもんさ」
「馬鹿馬鹿しい……」
ジャッキールがきびすを返すのがわかった。
「気をつけな」
と、ハダートは面白そうに言った。
「迷った時点で、半分負けたも同然だ。……せいぜい、アレを逃がさないように気を張ることだね」
「貴様に言われるまでもないわ!」
きっとジャッキールの冷たい目が、ハダートに向けられた。だが、ハダートは目をそらしもしなかった。
そのまま、ジャッキールは黒いマントを揺らしながら歩き出す。やがて闇にまぎれて見えなくなった彼を見て、ハダートは面白そうに呟いた。
「……それが負けだって言うのさ」
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