5.水と火

1.戦闘開始

 深夜の廊下は冷たい空気に満ち、そして人気がなかった。

「どこへ連れて行く気?」

 冷たい声にハダートは、苦笑した。すでに廊下をかなり歩いている。深夜の廊下には人気がなく、ひっそりとしていた。ただ、ラゲイラの屋敷の広大さだけがひしひしと伝わってきた。

「気の強いお嬢さんだな、……姫っていうからにはもうちょっとおしとやかなのを想像してたんだがね。こりゃとんだあばずれをひっかけちまったな」

 思いのほかにハダート将軍は口が悪い。この口の悪さには、ラティーナは内心驚いていた。

 ハダート=サダーシュは評判こそ悪いが、物腰のやわらかさではかなり知られていた。それがこんなぞんざいな口調でしゃべる男だったとは。

 では、普段の貴族のような物言いも態度も全て作り物だったということだろうか。だとしたら、シャルル=ダ・フールはとんだ狼を飼っていることになるだろう。

「あたしの家は、あなたとは違って、すでに零落しているわよ」

「おっと、俺の家系なんざあ、自慢できるもんじゃねえさ。その辺のガキより悪いですよ。お姫様」

 ラティーナはキッとハダートを睨みあげた。ハダートは、肩をすくめて「失礼」と短く呟く。

「んでも、どこに連れて行く気といわれても、困るのは俺のほうでねえ。実は目的なんてないも同然なんだよな」

「何ですって!?」

「おやおや、大声出されちゃ困るな。俺はあんまり武芸に自信が無いのでね、人を寄せられるとちょっとまずい」

 ハダートは肩をすくめる。

「どういう意味?」

「早い話がだ……」

 ハダートは人気がないのを確認し、そっとラティーナに囁いた。

「ここからあんたを出してやるよ」

「な、何ですって?」

 怪訝な顔をして、ラティーナが振り向く。ハダートは素早く彼女の縄を解き、マントの中に突っ込んであったショールを彼女の頭からかぶせた。

「ここからは人と会う可能性が高い。なるべく顔を隠せ。見られたときにごまかせないからな」

 ハダートは、整った顔でにやりと笑う。

「見つかったときは、ちょっと不本意かもしれねえが、俺が連れ込んだ女ってことにして外に出してやるよ。色男風に見えるだろう?」

「ちょ、ちょっと、事情を説明して!」

 ラティーナは小声で言いながら、それでも指示通りに顔を隠した。ハダートは、意外としっかりしてるじゃないかと言いたげな目をしつつ、つづけた。

「気まぐれともいえるし、計画的ともいえるかな。何にせよ、まだ俺の口からはいえない」

「あなたは、どっちの味方なの?」

 ラティーナは、鋭く切り込んだ。

「どっちというと?」

 ハダートは、苦笑する。

「シャルル=ダ・フールか、それともラゲイラか。どちら?」

「今のところは、決めかねるな。どちらに付いた方が得かちょっとはかりにかけているところだ。それまでは、どちらの部下にもなるし、どちらの部下にもならねえ。今はあんたを逃がしてるからシャルル陛下寄りかもな」

 ハダートは笑い半分に応えながら、ラティーナを見た。

「おや、あまり驚かないようだな」

「あなたが節操の無い男だってことは、有名な話よ」

 ラティーナはつんとはねっ返した。ハダートは少し心外そうな顔をする。

「この乱世に節操の話なんかされたくないぞ。俺は常に強い方側につくし、面白いほうにもつくんだ。俺が面白くないと判断した時点で、俺が誰かに義理立てする必要なんかないんだからな!」

 ラティーナはまだ、ハダートの方を向かない。ハダートは、少し真面目になってしまった自分にあきれるようにため息をつく。

「まぁいい。どっちにしろ、任務は任務だからな。お役所づとめはつらいぜ」

 ハダートは、ラティーナを先導するように手を振った。

「とりあえず、出口まで先導してやるよ。後は、あんたが勝手に行動すればいい」

 ラティーナはそんな彼の様子を見上げながら、まだ幾分か疑うような視線を向けている。だが、ここで彼を疑っても仕方のない話だった。彼をどう疑ったところで、今、自分の運命がこの男の手に委ねられていることには変わりない。

「それじゃ、あのラゲイラのそばにいた、嫌な感じの奴のことを教えてくれる?」

 ラティーナは話を変えた。

「当然、俺以外ってことだな? じゃあどっちだ?」

 薄ら笑いをうかべながら、ハダートはからかうようにいった。おそらく、ベガードとジャッキールのどちらのことだときいているのだろう。

「ベガードのことは、あたしもしっているわ。あまり、知らないのは冷たい黒い服の……。ええと、ジャッキールっていう名前だったかしら? 彼の事よ」

「あぁね、ジャッキールの事か?」

 ハダートは頷いた。

「すれ違ったり、何度か会ったことはあるけど、あたし、あの男のことはあまり知らない。でも、できる男なんでしょう?」

「もちろん。アイツぐらい危険な奴もいねえだろ。……俺も一番アイツに気を付けてるぐらいさ」

 続けてハダートは言った。

「あの男はラゲイラに雇われてる傭兵さ。隊長格の男で、実質的には兵士共の指揮官だ。しかし、まあ関わらん方がいいな。自分の腕に自信が有り余ってるのに、不幸にもちょっと平和になってしまって、力の発散場所が無いから常に血に飢えている。そのうちそばにいる奴を切り倒しそうなほど危ない男だが、冷静なときのあいつは頭がそこそこキレる。正直、ラゲイラ本人より気を付けた方がいい相手だ」

 そういって、彼は少しおもしろそうに笑った。

「だが面白いことに、ラゲイラは、奴を相当買っているらしい。本当はな、奴のアブナさを嫌って、ラゲイラの背後にいる奴からは、アイツを追放しろとか、殺せとか、そういう風に言われてるらしいんだが……。ラゲイラは、いつまでも奴を飼っているのさ。頭がそこそこキレるだけでなくて、結構義理堅いらしいから余計かもしれんがね」

 ハダートはにやりと笑い、今度はからかうような口ぶりで言った。

「単純な分、ベガードのほうが扱いやすいぞ。あいつは適当におだてておいたから、俺のことは疑っていないだろうからな」

 などと、言いながら、ハダートはにやにやしている。ラティーナは、それから少し考え、そうっときいた。

「……シャルル=ダ・フールのことは、あなたは詳しいわよね? 彼について教えて?」

 ハダートは聞かれて少し考え込み、ごまかすように微笑みながら応えた。

「それはどうだろうなあ。あの人はさっぱりわけのわからない人だからな。俺もよくわからねえのさ」

「どういう意味?」

「どういう意味って? そのまんまの意味だ。あの男は自分の本心を露にするような男じゃないし、そのくせに他人のことは自分の方に引き込むもんだから苦手なんだよな」

 ハダートは苦笑した。

「はっきり言って迷惑なんだが、見殺しにしたら絶対後悔する奴って感じだね」

 ラティーナはハダートの表情が、少し和らいだのを見て内心驚いていた。この節操なしという噂のハダート=サダーシュが、こんな表情をするほど彼は魅力的な人間なのだろうか。

「……なのに、裏切ろうとするの?」

「話はこれで終わりだ。それ以上聞かれると、俺にも守秘義務ってもんがあるんでね」

 ハダートは苦笑いを通り越して、軽くラティーナを睨むようにしていた。これ以上は本当に聞かない方がいいのかもしれない。ラティーナはため息をついて追及を諦めた。

「わかったわ。それ以上は聞かないことにしましょう。でも、あと一つだけ教えて欲しい事が」

「なんだ?」

「シャー=ルギィズっていう男を知ってる?」

 その名をきいて、ハダートは、少しふきだした。

「あはははは、よりにもよってシャー=ルギィズとはなあ! なるほどなるほどな。って、ずいぶん、回りくどい聞き方をするんだな、お嬢さんは」

「ば、馬鹿にしないで!」

 ラティーナは笑われたことに腹を立ててカッとする。

「いやいや、失礼。で、あんたは、一体、あの腐れ三白眼の何が知りたいわけだ?」

 ハダートは、彼を『腐れ三白眼』呼ばわりすることで、彼を知っていることを肯定しながら、先を促す。彼が、シャーを知っていることにやっぱりと思いながら、ラティーナは、少しうつむきながら尋ねた。

「一体、あいつ……、シャルルの何なの? 密偵っていうのは本当? 影武者って言う話は……」

 ハダートは、にんまりと笑った。

「あぁ? いやなあ、あの腐れ三白眼は……」

 言いかけたとき、急に複数の人間の足音が、石造りの廊下に響き渡った。ハダートは口をつぐみ、きっと音のするほうを見た。



 *



 怯えた声が響き、そこから慌てて逃げさる男の不規則な足音が聞こえる。

 青い光に包まれた大広間。

 上には明り取りの天窓がある。やがて、天窓から月光が入る広間に、男が転げ込んできた。

 腰をぬかした男の前に、真っ青なマントがふわりと広がった。青い衣の男は、全く足音を立てない。猫のように静かに、しかし素早く後を追ってきた。

 ゆらりと刀をさげて現れた青い衣の男は、戦意を失った男に一瞥をくれた。月光のせいなのか、それとも元からなのか、どこか青みを帯びた黒の瞳には、感情らしい感情は感じられなかった。そこから彼の本心を読むことは不可能である。

「ラティーナをどこに連れてったんだ?」

 シャーは訊いた。男は首を振る。

「し、知らない。オ、オレは……!」

 がくがくと震えながら首を振る男にシャーは見かけだけ愛想良く笑いながら、切っ先を鋭く突きつけた。

「今言うなら、あんたに危害は加えないさ。……オレは、約束は守る男だかんな」

 そして、彼はわずかに表情を引き締める。いつもは情けない印象のシャーの顔だったが、同じ顔なのにどういうわけか、このときは相手に恐怖を覚えさせるほどの迫力を秘めていた。

「だけど、言わないなら、……オレにもそれなりに考えがあるぜ?」

「ひっ!」

 男は身をすくめた。そして、震える唇でようやく言葉をつむぎだす。

「あ、あの娘は!」

 彼がそういいかけたとき、いきなり風を切る音がした。シャーは、サッと身を引いた。近くで悲鳴があがり、何かが倒れた。先程いた男の影が見えなくなり、その後ろに黒いマントをきた男の影がみえた。

「おいおい、ひでえことするな。味方を斬っちまってもいいのかよ?」

 シャーはあきれたように言った。

「それとも、脅されて口を割った奴は裏切り者だってことか? ……アンタ、どこぞの飼い犬みてえに、案外義理堅いのかい?」

 だが、相手は答えない。シャーはにやりとした。無言の相手の正体を見破ったのだ。

「さっきはどうもお世話様だったぜ。おっさん」

 闇の中に立っているのはジャッキールだ。前髪のおりた顔は、視線が探れないが、それでも、彼が薄い唇にわずかに微笑を浮かべているのはわかった。ジャッキールは刃をぬぐった。

 その剣は、幅広の重量のある両手剣。この周囲ではあまり使われない西渡り風の剣だ。

「やはりな。……お前なら何か行動を起こすと思っていた」

 シャーは、肩を軽くすくめた。

「へっへえ。そんじゃ、あんた、わざとオレを挑発したってことかい? じゃ、オレは、あんたの作戦にのっちゃったってわけだ」

 シャーがそういい終わると同時に、ひゅっと音がした。

 闇の中、シャーは反射的に身をそらした。ジャッキールの剣が、シャーの髪を掠め、黒い髪の毛が、何本か宙を舞う。

 優雅に孤を描きながらも、相手をひっかけるように不規則に曲がる太刀筋。その独特の癖に覚えがある。

「ああ、そうか! 思い出したよ。あんた」

 シャーは、不意に笑った。

「オレはあったま悪ぃから、人の顔はあんまり覚えないんだけど、太刀筋だけは覚える方なんだ。あんた、ビシェッツの戦場で会ったよな?」

 ジャッキールは満足そうに笑った。

「上出来だな、シャー=ルギィズ。いや、青兜アズラーッド・カルバーン! ジャッキールだ。今度は名前も覚えていてもらおう!」

 ダッとジャッキールが走りこみ、真上からシャーに鉄の刃を振り下ろす。

「オレに名前を覚えてもらおうって思ったら」

 声とともにジャッキールの剣は、力の加わる方向を大きく変えられて弾き飛ばされる。剣がはじきあった途端、ばっと暗闇に火花が散る。

「苦労するぜ、おっさん!」

 しゅっと忍び込むように突いてきたシャーの刀を紙一重でかわす。

 血の気が引くような戦慄。

 ジャッキールのような男には、それが時にたまらなく楽しく、背筋の凍るような喜びであるらしい。ジャッキールの上げた声はほとんど歓声だった。

「やるな!」

「それを期待してたんじゃないのかよ?」

「さあ。どうだかな!」

 シャーは返ってきたジャッキールの剣を受け止めた。ひたすらその一撃は重い。

(やっぱりな! 本気じゃねえのにこの重さか!)

 かすかに手が痺れる。

 背の高いジャッキールから繰り出される攻撃は、随分な重さがある。そして、先ほどからの攻撃から感じる、軌道の正確さ。

(コイツ、やっぱり、ただものじゃねえよ!)

 厄介な相手であることは確かだ。

 そういえば、かつて戦ったときもそうだった。あの時は、結局邪魔が入ったりなどして勝負がつかなかったものだったが、勝敗を決めるところまでいかなくてよかったものだ。

 しかし、今回はそうはいかない。

「はッ、ははははは」

 唐突にジャッキールの笑い声が聞こえた。もはや感情を抑えきれなくなったといわんばかりの笑い声だった。

 冷静な彼にしては、どこかタガが外れたかのような、それは愉悦に満ちたものでもあった。

 鋭い突きが闇の中から飛んでくるのを、シャーは間一髪避ける。

「上出来だ! ……俺の期待通りだ、青兜アズラーッド・カルバーン!」

 ジャッキールは目を細めながら笑い声をあげていた。

「せいぜい楽しもうではないか!」

(ちッ、遊んでやがる!)

 これはどうも厄介な相手だ。

 もちろん、シャーとて、最初からこの男が一番面倒な相手だとは知ってはいたが、それにしても――。

 だん、とジャッキールが踏み込みながら重い一撃をくれる。まともに受けてはかなわないと、シャーは、相手の力を横に流しながらさっと身をひき、そのまま闇の中に消えた。ジャッキールもその場から離れる。

 二人は、天窓の光の下から姿を完全に闇の中に消した。

 闇と光。

 月の光が天窓から降り注ぐ中、時に陰の中に、時に光の中に姿を現す鉄の光に注意し、彼らはお互いの出方を探る。

 静けさ。そして、一瞬の間に火花と鉄の音が響く。沈黙とぶつかりあう時の鉄の悲鳴が、交互にその空間に流れる。闇の中、ほとんど姿を見せない彼らの存在をはっきり示すのは、おそらく音だけだった。

 周りに集まった部下達は、彼らの様子を半ば呆然と見ながら手が出せないままでいた。

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