3.シャー=ルギィズの秘密―2


 シャーの見張りをいいつけられたのは、数名の腕の立ちそうな男たち。そして、体は大きいがあまり役に立ちそうにない気弱そうな感じの男が一人であった。

「ジャッキールさんは、あいつに気をつけろといったけど……」

 男の一人が、のぞき窓から中を覗き込みつつ言った。

 中には、ひょろっこい男が一人、しょぼんとすわっている。

 見るに堪えないぐらい落ち込んでいたり、辺りをののしるのならまだ分かるのだが、彼は、何となく元気は無いものの、時々大あくびをしたり、腹減ったなあと呟いてみたりしている。さらには、のぞき窓からのぞかれているのがわかると、軽く情けない愛想笑いをしたりしている。手が自由なら、きっとひらひらと手を振っただろう。

 あまりにも緊張感が無いし、それに無茶苦茶弱そう。

 気をつけろといわれても、どこに気をつけたらよいものか。

「あれのどこに気をつけりゃあいいんだよ」

「あんなに弱そうなやつ、はじめてみた」

 男たちはあきれたり、苦笑したりとシャーをかわるがわる見てはため息をつく。

「真面目に見張りなんてやってられねーな」

 男たちは、鼻先で笑った。

「おい、お前!」

 顔に傷のある男が、一番の大男を指さした。

「な、なんですか?」

 大男はその体躯に似合わず、どことなく気弱そうな印象だった。おろおろと、仲間の呼び出しに従う。

「てめえが、あいつの見張りをしてろ。オレたちは休んでくる」

「オ、オレ一人で?」

 大男は動揺を隠さない。本当に気弱らしく、男は心配そうな顔をした。

「あ、あいつが抵抗したらどうするんですか?」

「大丈夫だ。そんな奴にはみえねえだろ?」

「けど」

「けども何もねえ!」

 顔に傷のある男が、どんと大男を押した。巨体とはうらはらに、大男は押されてぺたんとしりもちをついた。

「お前はオレたちの命令をきいてりゃいいんだよ!」

「おいおい、落ち着けよ」

 傷のある男は気が短いらしく、他のものがそれをとりなす。

「とにかく、お前が見張ってろ」

 言われて大男はしぶしぶとうなずいた。そんな彼を見て、悪態やせせら笑いなどとともに、男たちはその廊下から出て行った。

 地下にあるこの隠し部屋から、出て行くには廊下から上への狭い石段をあがらなければならない。幾人もの男たちがそこから出て行くのだから、靴音鳴って高々と響いていた。

 大男は立ち上がり、扉ののぞき窓から捕虜を覗き込んだ。言われたとおり、脱走を企てたりしそうな危険人物には見えない。

「腹減ったなあ……。そういえば、今日、夕食抜いてたっけ。急いでたし」

 とらわれの男はぼそりと呟き、頭をしょぼんと垂れる。腹の虫はすでに何度も悲鳴をあげている。

「……腹減った……」

 割と空腹には慣れているが、それでも我慢しろと言われるとつらい。

 先程あっさりやられたのも、そりゃ多少はわざとではあったが、予想外に気絶してしまったりもしたし、もしかしたら空腹だったからじゃないのかとも思う。

 酒は飲んだが、今日は早めに切り上げてきたし、ラティーナに怒られそうだったので、あまり食べられなかった。

 気晴らしに周りをのぞいたところで、辺りは暗くて冷たい石畳である。

 しんしんと身に冷たさが伝わる。寒くて腹が減ってきた。次に来るのは、眠気かな? と思い、シャーはオレも終わりかなあ、などと考える。

「ちぇっ、切ないなあ。こんな寒いとこで。ああ、温かいメシが食いてえな。汁物とか」

 不意にラティーナの顔が思い浮かび、シャーは慌てて首を振った。

 妙に顔が熱くなる。こんな状態なのに、浮かぶラティーナの顔は、一度っきりしか見ていない笑顔だった。

 そうやって笑っている方が、怒っている顔よりも数倍かわいいと思う。けれど、少し怒っている彼女も、なんだか放っておけない感じがするところも。

 本当に彼女は……。

(何考えてんだ……、オレ。)

 シャーは、再び首を振った。

(まずいな。オレ、本格的にあの子に惚れてきてるんじゃないか?)

 シャーは両手が使えたら、間違いなく巻き毛の頭をかいていた。それが出来ないのが、不便で辛い。シャーはぼそりと呟いた。

「夢を見るのはやめたほうがいいよ。何度痛い目見たか十分にわかってるだろ。オレみたいな男は、相手にされないよ。だって、あの子は……」

 シャーは呟くと、ひどく寂しそうな顔をした。

 相手は貴族の娘で……、そして、ラハッド王子の……。

(それに、オレは……、あの子にとっちゃあ……ラハッドを……)

 わずかに奥歯を噛みしめて、シャーはその後に続く言葉を考えるのをやめた。

 それを考えてしまうと、シャーは身動きが取れなくなってしまいそうだった。深くため息をつき、彼は暗い石の床を眺めた。

(どうか、オレが何とかするまで無事で……)

 シャーは、誰へともなく祈った。

 その時、きぃ……と扉が開く音がした。シャーは、顔を上げた。そこには、人の良さそうな顔をした大男が、皿を片手に立っていた。

「あ」

 シャーは、驚いたような顔をする。

「あんた、新顔だねえ。どうしたんだ? 見張り、おしつけられたの?」

 大男は、囚人のあまりにの馴れ馴れしさに閉口した。

「いや、その、飯だよ」

 大男がいうと、シャーは飛びあがらんばかりに喜んだ。

「あ、ありがと~。独り言って言って見るもんだね!」

 シャーは、ぱあっと微笑んだ。

「ホント、ありがとな!」

「そんなに感謝するほどの事じゃないだろ?」

 大男はやや困惑気味に答えた。シャーは、すでに皿の到来を今か今かと待ちわびている。

「あんた、意外といいやつだね。こういうときに染みるのは人の情けだよなあ。功徳を積んでると、いつかいい事があるよ」

「だといいけどな」

 大男はそういって、彼の前にスープのようなものを置いた。シャーはそれに飛びつこうとして、ある事に気がついてしょげた。

「あぁ、そっか。手え縛られてたっけ。オレ……いま、食べられないんだけど」

 シャーはとても残念そうな顔をする。情けない顔で、哀願するような目をそうっと上に向ける。

「あのさあ、もしよかったら、今だけ、縄はずしてくれない?」

「いや、それは!」

 さすがの大男も警戒した。

 いかに目の前の男がひょろっこくって、弱そうでもそれだけは危険である。抵抗されたら恐いし、それに上で休んでいる男たちにこっぴどく叱られる。

「だいじょーぶだよ。あんたの方が、オレよりも何倍も体重があるんだし、力もあるんだし!」

 シャーは、妙に力説する。

「オレなんか、腹へって死にそうなんだよ? 頼むよ、お兄さんってば!」

 大男は、困った顔をした。確かにこのまま食べろというのもかわいそうだし、自分が食べさせるのも変である。きっと抵抗もしないだろうし、確かにこの男なら自分でも押さえ込めそうだ。

「……じゃあ、いいけど」

 男がぼそりと呟いた。シャーの顔が喜色に満ちる。

 しかし、大男がシャーの縄を解こうとした時、急に空気を震わせるような声が響き渡った。

「てめえ! 何やってやがる!」

 びくっとシャーと大男は同時に肩をすくめた。

「べ、ベガードさん……! あ、……あのっ……、こ、これは……」

 大男は怯えたような顔をして、後ろにいる彼に負けず劣らず大柄な男を見上げた。

「黙れ!」

 すたすたと中に入ってきたベガードは、大男を殴り飛ばした。そして、シャーにキッと目を向ける。

「あ、あら~、お、お初にお目にかかります~。オレ、シャーっていいます。以後よろしく」

 シャーは怯えたような口調で、しかし幾分かおどけて自己紹介してみる。なるべくご機嫌を取ろうと媚びた笑みを浮かべるが、ベガードの目には明らかな怒りが浮かんでいた。

「てめえのことなんざ、きいてねえだろうが!」

「はい、すみません。オレ口が軽くって。反省してます」

 ベガードはぎらりと大男をにらみつけた。

「何だ? コレは!」

「い、いや、そ、そいつが、何か食べたいっていうから、せ、せめて……と思って」

 震えながら大男が弁明する。それに、もう一発蹴りを入れて、ベガードはヒステリックに怒鳴りつけた。

「それが余計な事だって言うんだ!」

 それから、再びシャーに目を向ける。びくうっとして、シャーはおもねるような口調で言った。

「あ、あのお……、食べるだけならいいでしょうかあ」

「ああ、構わないぜ。ただし……」

 ベガードは狂犬のような目を、シャーに下ろした。

「犬みてえにはいつくばって食え」

「えええ!」

 迫力あるベガードに言われ、シャーは泣きそうな顔で不平を述べる。

「ええ~っ、そんなああ! 待ってくださいよお! 手えぐらい解いてくださいよ! だって、これがッ……ぐぶ……」

 シャーの叫びは途中でとぎれた。叫んだシャーの頭をベガードが踏みつけたからだ。スープが入った器の中に顔ごとつっこみ、シャーは悲鳴を上げる暇すらなかったようだ。それを見ながら、ベガードは、心の怒りがようやく溶けていくのを感じていた。

 やはり思ったとおり、ジャッキールの奴はこの男をひどく買いかぶってやがる。こんな臆病な男のどこを恐れたらいいというのか。

「惨めな野郎だぜ」

 シャーは情けなくふがふが言っていたが、彼が足をどけてようやく彼は顔を上げた。

「てめえにはそれが似合いだ。顔を見ているのもうざったいぜ」

「す、すみばぜん! ごんな顔で……」

 口にまだ食べ物が入っているせいか、シャーは回らない舌でいう。

「そのままでよければ食えよ。食えないのか?」

「え、いいんでずかっ! ではいだだかせてもらいます!」

 彼におもねるためか、それともそれが美味だったせいか、シャーは、喜びに満ちた声を上げる。それから、シャーはいきなり自分で皿に食らいついた。がつがつとそれを貪り食う。その姿からはプライドのかけらも感じられず、到底ジャッキールのいうような恐ろしい男の影は見あたらない。

「意地汚い奴だ」

 ベガードは気が済んだのか、もう一度大男を怒鳴りつけるとそのまま扉から出て行った。

 ぴた、とシャーは食べるのをやめる。もっとも、そのときには、皿は何も残っていない状態ではあったが。

「あの人、すっげえ恐い人だな」

 シャーは、大男に話しかけた。

「あんたも、上司に恵まれてないなあ」

 大男は、無言で返事をしなかった。彼は立ち上がり、シャーの近くに布を落とした。

「それをやるよ。顔がひどいことになってるぞ」

「ああ、ありがとう! あんた、気がつくね!」

 シャーは、にっこりと大男に微笑みかける。

「オレだったら、あんたみたいないい奴、ぞんざいに扱わないけどなあ」

 シャーは、さっきの後なので、さすがに顔を拭いてちょうだいとも、縄を解けとも言わず、布に顔を押してつけて、器用にスープまみれの顔を拭いた。

「結構、苦労してるんだねえ」

 縛られて石畳をごろごろ転がっている男にはあまり言われたくない。大男は、ため息とともにそう思う。彼は扉から出て行こうと、シャーから目をそらした。

「あの、ついでにもう一つだけ、お願い聞いてくれない?」

「縄を解くとかはダメだ」

 きっぱり大男に言われ、シャーは心外そうな顔をした。

「違うよ。ちょっとサンダル脱がして欲しいだけだって……」

 シャーはそういって、右足を左足でこすっている。彼の足にはサンダルがぴったりとはまっている。

「実はさ、足が痒くて仕方なかったりするんだよ。右の皮ひもが、ちょうど足に当たっちゃってさあ。足ぐらいいいだろ? なあってば」

 そういって、頼み込むよう見上げてくるシャーの顔は、何とも哀れを誘った。大男は、きっと明日の今頃にはこの男は殺されて、もしかしたらどこかに吊るされているかもしれないと思った。そう思うと、サンダルが脱げなくて苦しんでいる彼の、サンダルを脱がして欲しいというささやかな願いぐらいきいてやってもいいような気がした。

「し、しかたないなあ」

 大男は頭をかくと、親切にもシャーの足からサンダルを脱がしてやった。ぽんと、そこにサンダルを投げ捨てて彼は言う。

「もし、履きたくなったら、また手伝ってやるから」

「あ、ありがとう。あんた、本当にいい奴だね。やっぱ、この世って捨てたもんじゃないんだよね。オレ、すっげー幸せ者だよ。うん」

 シャーは、感激して瞳をわずかに潤ませる。

「そんなに感激されても困るけど」

 大男は気弱そうな微笑を浮かべた。それから、扉をしめてがちゃりと鍵をかける。

「大人しくしてるんだぞ」

「はーい」

 シャーは無抵抗に答えると、左足で右足をかいていたのだが、大男の視線が消えたのを、確認してからそれをぱったりとやめた。

 シャーは、さっとサンダルを右足で自分の背後に引き寄せた。縛られた右手を、そうっと伸ばし彼はサンダルを確認する。

 そして、シャーは、サンダルの幅広の革紐の間に指を差し入れた。冷たい硬い感触がする。彼はそこに隠したものが、誰にも気づかれていなかったことに安堵し、同時に先ほどの大男にさらに感謝した。

(ほんとに、あんたには感謝してもたりないよ)

 シャーは、人知れずにやりとした。

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