2.シャー=ルギィズの秘密ー1
狭い部屋には、机とそしていくつかの椅子が並べられていた。
それが、ぼんやりとした灯りで照らし出されている。じりじり……と音を立てるろうそくが、その場の静寂を伝えていた。
「どうして、一人で行動をしたんだ!」
突然、怒鳴り声が静寂を破った。
ろうそくの炎が揺れて、ジジジと音を立て、そうして再び静寂が訪れる。もう一度口を開こうとした少し眉の太い、大柄の男を、横にいた太った男が手でそれを制した。ラティーナは、その男をきっと大きな目でにらみつけた。
「あたしに情報をくれたのは、あなたでしょう! ラゲイラ卿」
大声で怒鳴った男の横には、太った男が座っていた。その雰囲気は穏やかではあるが、目の光は剣呑である。
「だから、あたしは自分で!」
ラティーナは、ラゲイラに食って掛かった。
「ラティーナ姫」
ラゲイラは、ふっと微笑んだ。
「私は何も、一人で行動しろといった覚えはありません。足並みを乱すような真似はやめてほしいと何度も頼みましたが、あなたは守ってくださらなかった」
「それで、あたしを殺そうとしたの?」
「ただの脅しですよ。……そして、後ろにいる男の正体を見極めたくてやったのです」
ラゲイラは冷たくいった。
「後ろにいる男? もしかして、シャーのこと?」
ラティーナの問いかけには直接答えず、ラゲイラは目を伏せた。
「あなたは、あの男の正体を知っているのですか?」
「しょ、正体ですって……」
唐突に訊かれて、ラティーナは一瞬詰まる。確かに正体がどうだときかれたら、何も知らないラティーナには答えられない。
シャーとは、数日前に出会ったばかり。ただの酔っぱらいの浮浪者みたいな男だったが、それだけに彼の出自は謎に包まれてもいた。
「で、でも、シャーは関係ないでしょ。確かに、ザミル王子があの人なら道を知っているかもしれないといっていたわ。で、でも、シャーはそんな大それた人間じゃ……」
ラティーナは、動揺を隠しながら言った。
「そ、それに、あたし、彼をあんな風に手荒に扱うなんてきいてなかった! 皆で説得しようって言っていたはずなのに。確かにあたしは先にシャーにある程度の情報を打ち明けたわ。でも、彼は協力するっていってくれたし、それなのにどうして! ザミル王子から何も聞いていなかったの? あなたの独断ね!」
まくしたてるように言って、ラティーナは息をついた。
ラゲイラは彫像のように動かず、それをきいていた。やがて指を組みかえると、ラゲイラは射るような目でラティーナを見た。
「あの男に、すべてを話したのですか?」
「仲間のことや王子のことについては話してないわ。でも、大丈夫よ。お願い、殺すなんてことやめて! 命だけはたすけてあげて!」
必死の彼女の懇願に、ラゲイラはため息をつく。
「きっと教えてくれるわ。地下道の入り口だってきっと!」
「何もわかっていらっしゃらないようですな?」
ラゲイラは首を振る。そして、指を組みなおし、ラティーナに告げた。
「あの男は、シャルル=ダ・フールの
「嘘!」
ラティーナは、即座に否定した。
「そんなはずないわ! あんな奴が!」
「まだ、おわかりになっていないようですな?」
ラゲイラはにやりとする。
「あの男は、私の事を知っていましたよ。それに、あの男は、おそらく、昔シャルル=ダ・フールの影武者をつとめていたシャルル=ダ・フール付きの戦士。おそらく、今の宰相カッファ=アルシールと深くつながりのある人物です」
「そんな! だって、あいつは……!」
ラティーナは言いながら、確かにシャーの動きが不審なのを思い出して絶句する。
誰も知らないシャーの出自。わざと弱い振りをするシャー。彼の不穏な気配。
そして、何故か、……シャルル=ダ・フールをかばい立てするシャー。
「……思い当たる節がおありのようだ」
ラゲイラは、軽く笑った。
「嘘……」
ラティーナはぼそりと呟いた。
「さて、今後、あなたをどうするかは、あなたが大人しくしてくれるかどうかにかかっています。一度頭を冷やして、よーく考えてごらんなさい」
ラゲイラは言うと、席を立った。
「待って!」
ラティーナの声が後ろから追ってきたが、ラゲイラは振り返らなかった。
後をついて、彼女を怒鳴りつけた部下がゆっくりと後ろを追っていく。すでに部屋を出たラゲイラを諦め、ラティーナは男に訊いた。
「待って! シャーはどうするの?」
ラティーナが咄嗟に立ち上がる。
「あんたも知ってるんでしょ? あいつをどうするの!」
「なんだ、気になるのか?」
男は少し下卑た笑みを見せた。
「オレの部下が聞き出すことになってるぜ」
にやりとし、男は告げた。
「嫌だといったら、死ぬまで苦しませてな……!」
「拷問する気なのね!」
ラティーナはにらむように男を見上げた。
「当たり前だ。あいつは、シャルル=ダ・フールの影武者。当然、入り口を知ってるだろうからな」
といいながら、ふと彼は訊いた
「会いたいのか? あの男に……」
ラティーナは黙って立っている。複雑な感情が顔に見えていた。男は残虐な笑みを浮かべた。
「会いたいというなら、明日会わせてあげようか。ただな、多分五体満足というわけにはいかねえだろうが……。もしかしたらもう首だけになってるかもしれねえぜえ」
「やめて!」
ラティーナは顔を覆った。
「ラゲイラ様が甘いから、お前は助かってるんだ。その分の咎もあの男に受けてもらうぜ。……もしかしたら今もう吊るされてるかも知れねえな」
「やめてっていってるでしょ!」
ラティーナは、きっと男をにらみつけた。が、その目は少し潤んでいる。
「ベガード」
急に少しこもるような声が飛んできた。
その声はラゲイラのものではなかった。
いつの間にか、誰かが入口に立っていた。
ラティーナが目を向けると、そこにいたのは先ほど、シャーを蹴り倒したあの男だった。ベガードとよばれた眉の太い男は、きっと入り口をにらんだ。
刃物を思わすような姿の黒衣の男。ラティーナは彼がラゲイラ卿に雇われた傭兵で、隊長職を与えられているジャッキールという人物であることを思い出していた。彼はその酷薄そうで危険そうな雰囲気で、部下たちにも恐れられている存在である。
どことなく陰気な印象のジャッキールは、そこに立つだけでも十分不気味な存在だった。
「チッ、テメエ!」
べガードが歯噛みした。
ベガードとジャッキールは、お互いラゲイラに仕えてはいるが立場が違った。
ジャッキールは流れの傭兵であり、ベガードは一応ラゲイラに元から仕えていた戦士だ。
だが、ラゲイラは新参者のジャッキールを、”ジャッキール様”と敬称つきで呼び、重要な地位につけたほか、彼のことを客人扱いし特別待遇で迎えていた。
古参のベガード達にしてみれば、気に食わないことこの上ない。そうした事情もあって、ジャッキールは彼らから恨まれているようだった。
「ジャッキール! なんだ!」
「貴様の弱いものいじめがあまりにもひどいのでな、少し忠告をしにきたまでだ」
べガードが嚙みつきそうに尋ねると、ジャッキールは冷たい口調で答えた。
「何だと?」
「大の男がまだ年端も行かぬ娘に、そのような態度とは……。格が落ちるのではないか?」
ジャッキールが薄ら笑いを浮かべるのを見て、ベガードが、目をいからせて一歩彼のほうに体を近づけた。
「貴様! 流れ傭兵の分際で!」
「ふん、元を正せば貴様も似たようなものだろう?」
ジャッキールが薄い笑みを浮かべる。
ベガードが何か吠えようとしたが、ジャッキールはふいと体を後ろに向け、顔だけを半分ベガードに向けながら、静かに言った。
「これは親切心からの忠告だがな」
「な、何がよ!」
静かなジャッキールに不気味さを感じ、ベガードは腰の刀に手を伸ばした。それをあざ笑うかのような目で見ながら、ジャッキールは言った。
「死にたくないのなら、あの男を甘く見ないことだ」
「何!」
意外なことであり、しかも、おかしなことだった。ベガードは、あざ笑った。
「あの臆病者が怖いのか! ジャッキール、てめえも落ちたもんだな」
「何とでも言え。ただ、あの男を過小評価するのは危険だぞ」
ジャッキールは含み笑いをしてそういい、そのまま部屋の外にでようとする。
「忠告をきかぬようなら、貴様のような愚か者と話すこともこれまでだな」
にたり、と笑うジャッキールに、ベガードは不快を覚えた。思わず腰の刀を握る手に力がこもる。
「な、何だとぉ!」
「は、馬鹿な! 貴様、ここで斬り合いでもする気か?」
ジャッキールは冷笑した。
「入り口に立っている私に切りかかろうとすると、貴様の剣がこの入り口の天井にひっかかるがな。その間に私がどれほど動けるか、貴様、わかっているのか?」
ジャッキールは、いつの間にやら長剣ではなく、そろそろと腰に吊るした短剣に手をかけていた。
「それでもやるというなら、受けて立つがな……。それにしても、女の前で、血を流すなど随分無粋だ。さて、どうする?」
ベガードの刀は両手持ちのものでずいぶんと大振りのものであり、今は短剣を持ち合わせていない。それに対しジャッキールは短剣で渡り合うつもりのようだ。ベガードが不利なのは目に見えている。
「くっ!」
仕方なくベガードが、手を引いた。ふ、とジャッキールが嘲笑を口の端にのせた。そして、冷血動物のような目をラティーナに向けた。這うような視線に、ぎくりとラティーナはおびえるが、彼の視線はすぐに入り口のほうに戻された。
「騒がせたな、娘」
そういうと、ジャッキールは、黒いマントを翻しながら部屋から去った。
舌打ちしながらも、脂汗を流しているベガードは、その場にしばらく突っ立ったまま動かない。
「くそ! あの野郎!」
ベガードはそう吐き捨て、ようやく足を動かした。
「ジャッキール!」
すでに廊下に去った彼に、ベガードは今更大声で吠えつけた。
「テメエ、ラゲイラ様にどう取り入ったから知らねえが、お前みたいな男、本当は信用されてねえんだ。そこのところ吐きちがえてるんじゃねえぞ!」
そして、いらだたしげに他の部下にラティーナを連れて行くように言いつけると、彼はぐっと歯をかみ締めながら呟いた。
「お前が買ってるあの臆病者。……今からばらばらにしてやる! その時の顔が見ものだぜ」
くっくっと、半ば狂気じみた笑みを浮かべながら、ベガードは部屋を出て行った。もはや、ラティーナに興味などないというようにである。
「シャー……」
複雑な思いを抱えながら、ラティーナは呟いた。あの、どこか憎めない顔が、苦痛にゆがむのを想像すると、なんともやりきれない気持ちになった。
たとえ、彼が敵だったとしても。
*
ラゲイラ邸に最近泊まり込みで入り浸りのハダートにも、この報はもたらされていた。
彼もラゲイラの手先として、今後の作戦について役割の割り振りがされているし、事情を知らなければいけない立場でもあった。
ハダートは知らせを聞いたとき、顔には出さなかったが、内心青くなっていた。まさか、こんな時、こんな風に飛び込んでくるなど思いも寄らなかったのである。
よりによって、”アレ”が!
「あ~あ、どうしようもねぇなあ、ったく笑えねえ笑えねえ!」
ハダートは、苦笑いともなんともつかない笑みを浮かべながら、ため息をついた。
「いい加減、立場をわきまえるってことを覚えねえのかねえ、あの三白眼野郎は」
顔に似合わない荒っぽい言葉遣いで、ハダートは頭を軽く抱える。
何度かため息をついた後、仕方なく、彼は出した紙切れに素早く筆を走らせる。すべて書き終わると、それをくるくると巻いて金属の筒に入れた。
そうして、鳥かごの中に入れている黒いカラスを見た。
「さあて、出番だぞ。お前にちょっと役に立ってもらおうな。俺のかわいいメーヴェン」
ハダートは言うと、カラスを鳥かごから出して手に乗せ、足に紙切れをくくりつけて、窓際にたった。
「普通の鳥なら困る夜でも、賢いお前ならどこに行けばいいかわかっているだろう? さぁ、ジェアバードの所に行け。奴によろしくな」
小声でささやき、カラスをのせた手を上に跳ね上げる。
カラスは一声鳴くと、ざっと空に舞い上がった。
「……まったく、なに考えているんだか……」
ハダートは、ぶつぶつといいながらも、不意に思わず微笑んでしまう自分に気づいた。そんな自分にも苦笑しながら、ハダートは言った。
「ホンと、どうしょうもない奴だよ。”アレ”は」
そのアレが今から何を起こすか、不安も大きかった。しかし、不謹慎なことに、ひそかにハダートは楽しみにも思っていたのだった。
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