2.一張羅の心配

 とある通りのの裏側にある喫茶店チャイハナに入って、ゼダは先にリーフィを座らせた。

 リーフィがつとめている酒場よりも、ずっと綺麗な店には、東方のキラキラした金物の飾りが付けられていて、わずかな風が中に入るだけで、しゃらしゃらと独特の音を立てる。

 どうやらゼダはなじみらしく、手慣れた様子で全て注文してしまうと、先に持ってくるように頼んだ水煙草を用意してもらった。この国でも、出身の違う者たちによりさまざまな名称で呼ばれているその水煙草用のパイプをふかしながら、ゼダはくつろいだ様子ですわっていた。

 普段振る舞っている従順そうな青年の雰囲気は、欠片も残っていないゼダは、その動作一つとっても、乱暴者の遊び人といった印象が強い。一体、これをどうすれば、いつものアレぐらいにまで生気がなくなるのかふしぎになるほどだ。

 シャーの人の変わりようも凄まじいが、この男はまたシャーとは別の意味で不気味なほど人が変わる。シャーよりも、それが不自然な変わり方をするので、この男の方が不気味と言えば不気味かもしれない。

 やがてテーブルの上には、チャイと軽食が運ばれてきた。ゼダは、それに手をつける風もなく、ひたすらに煙草をやっている。リーフィも、まだ一言も言葉を発していない。

「……オレが信用できねえんだろうな?」

 不意にゼダが笑いながら声をかけてきて、リーフィは、彼の方に目をやった。

「そういうわけではないわ」

「ふっ、まあいいさ。オレは確かに、あまり信用ならねえ方に入るからな」

 ゼダは薄ら笑いを浮かべてそう答えると、ふーっと煙を吐いた。

「やれやれ、冴えない男の演技をするってのも結構疲れるぜ。最近はどうにか板についてきたけどな、さっきみたいについつい頭に来ると本性がでちまうぜ。あの三白眼野郎の気が知れないな。……もっとも、あいつぁ、演技なんかしちゃいねぇのかもしれねえが」

 水煙草をやりながら、ゼダは横目でテーブルの上のものを眺めやりながら言った。

「オレのオゴリだ。気にせずにやってくれ。オレは金だけには困ってないからな」

「……そう、ではいただくわ」

 リーフィは、ぱちりと一度瞬きしてからカップに口をつけた。ゼダは芝居だといったが、彼女が見る限り、一体どこまでが芝居でどこまでが本気かはよくわからない。ガラスの容器の中で、泡が浮いていくのを見ながら、リーフィはゼダの真意をはかり損ねていた。

「あなた、こんな所もうろついているの?」

 とりあえずそう訊いてみる。

「うろつくなんざ、あの三白眼と一緒にしてもらいたくねえな」

 水煙草をふかしながら、ゼダは不満そうに言った。

「でも、今日はお連れさんはいないのね」

 リーフィは、少し辺りをうかがいながらいった。ゼダは先程、一人だといったが、ソレには嘘はないらしい。彼の取り巻きがいる気配は全くなかった。ああ、と、ゼダは答える。

「ザフのことかい? ……ああ、普段はあいつに全部任せてるからな。オレは、よほどのことがないと、連中の所にはいかねえのさ。それに、奴等の中でもオレの顔を知っている奴はそういねえ」

 ゼダは、水蒸気の多い煙を吐きながらほおづえをついて、それに、と付け足した。

「オレは、当分女遊びはやめてるのさ。……女と酒はタチの悪い魔物みたいなもんで、はまるとどろどろ取り憑いてきて抜けられねえ。そうこうしている内に、あの三白眼野郎に出し抜かれるのもむかつくからな」

 不敵に笑ったゼダは、リーフィを横目で見ながら、不意に殊勝な顔つきになっていった。

「あのザフって奴は、でも、誤解してやらないでくれよ。あいつは本当は、かなり身持ちが堅い方なんだぜ。……ただ、オレが他の連中を遊ばしたって、オレの成りじゃあいまいち箔がつかねえからな。オレが無理矢理つきあわせて、リーダーやらせてるだけなんだ。それに、あいつは仲間に対する気遣いもできる。わがまま放題のオレとはちがうのさ。だから、オレは、あいつじゃどうにもならねえ時にだけ手を貸すことにしている」

「随分、あの人を信頼しているのね」

「……オレのような男が、仲間を信頼するなんて、ってところだろうな」

 ゼダは、リーフィの言葉をどうとったのか、天井に視線を向けながら少し懐かしそうな口振りになった。

「ザフの奴は、オレがガキのころから側にいた。……正直、オヤジの隠し子のオレは肩身が狭くてな、よく正妻にいじめられてたんだが、その時かばってくれたのはザフのオヤジとあいつだけだったのさ。お袋は、そのころにはとっくにしんじまってたし。ザフのオヤジは昔、剣士として働いてたことがあるらしくてな、それでオレにも剣を教えてくれたのさ。それで、オレとザフは同じ剣を使ってるわけだ……」

 ゼダは笑い声を漏らしながらつけくわえた。

「もっとも、あいつは護身用になればと教えただけで、オレがここまで悪事にソレを使うようになるとは、思っちゃいなかったようだがな」

 悪いことをしたぜ、とゼダは苦笑しながら言って、ふと目をリーフィの方に向けた。シャーほどではないが、軽く癖のついた髪の毛は、この周辺では多い巻き毛だ。それを軽くかきやって、ゼダは投げやりに笑った。

「おっと、オレの湿っぽい身の上なんざあどうでもいいよな。悪いね」

「いいえ」

 リーフィの答えを待つまでもなく、ゼダは前のめりになって机の上に肘をつき、下からリーフィをのぞきやるようにしていった。

「ソレより、あんたも大変そうだな。……ま、オレがいってもどうにもなんねえが、一人歩きはしばらくやめときな。特に夜はな」

 ゼダは続けてリーフィの顔色をうかがいながら、わずかに目を細めた。

「この際、あの三白眼野郎にでもいいから護衛を頼むことだね」

「そうね、さすがに不用心だったわ……」

 リーフィは、無表情ながらに反省するような素振りを見せる。ゼダは、少しためらいながら、煙草を一息吸って煙を吐く。そうして、視線を逸らしながら訊いた。

「さっきの、アンタの旦那か?」

 そういって、リーフィの表情を見るまでもなく、ゼダにしてはやや慌てて二の句を継ぐ。

「……て、筈もねえわな……いや、悪ィ。他人の事情を詮索するつもりはねえんだ……。許してやってくれ」

「気を遣わないで。……そうね、昔、少しつきあっていたことがあるの」

 リーフィは、少し困惑している様子のゼダにそういった。表情は変わっていないが、リーフィが少しうつむいているのをみて、ゼダは声を落とす。

「そうかい、悪いことをきいちまってすまねえ」

 ゼダはそれ以上何も言わず、ほおづえをついてひたすら煙草をふかしていた。水煙草の音と風に揺れる金属の飾りのしゃらしゃらという音だけが、しばらく喫茶店チャイハナに聞こえていた。






「このォー! てめえ、どこでひっかけたんだよォー!」

「っつーか、その娘、引っかけた場所、オレにも教えろってば!」

 男達が、笑いながら一人の男を突っつき回していた。とろけそうに幸せな顔をして、仲間の乱暴な祝福を受けている男のそばには、若くて美しい娘が座っている。

(うん、これなら、オレのお役目もどうにかこうにか成功ね)

 シャーは、その様子をみながら、ほっと一息ついて、ようやく遠慮なく酒にありついていた。場はとりあえずこれ以上ないほど盛り上がってはいた。

 シャーの役割は、一番最初にどう空気を盛り上げるかということだ。最初に「おお、きれえな女の子じゃない! お前、隅におけないねえ!」から始まって、「じゃあ、自己紹介となれそめ語ってみてよ! ていうかね、オレの後学と研究のためにおねがーい!」などといって、照れる二人からなれそめを聞き出し、あとはできあがった流れを保つことが出来れば、シャーの任務は無事終了なのだった。大体予想がつくことであるが、一度盛り上がった空気というのは、よほどの事がない限り持続するものである。

 だから、一番最初にテンションをあげきったシャーは、周りの空気があとは自動加熱していくのを見守るだけだった。

 綺麗な恋人を連れてきた男は、周りに突っつかれながら、あまりにも幸せそうだ。ここまで来ると、もうシャーが手を下す必要はない。勝手にまわりが盛り上がってくれるだろう。

 シャーは、とりあえずお役目を果たした安堵感もあって、ため息をつきつつ、酒を口に含みつつ何かをつまんでいた。だが、その顔は、意外にもあまり楽しそうではない。というよりは、何か心配事があってそわそわしているようだった。

「兄貴、珍しいですね」

 不意に頭の上の方で酒を飲んでいたカッチェラが声をかけてきた。心配そうというよりは、本当に怪訝そうな顔でシャーをのぞき込んでくる。

「浮かない顔じゃないですか? 酒も飯もうまいっていうのに、兄貴がそんな面してるのは珍しいですよ?」

「え? オレ、浮かない顔してたあ?」

 シャーは、慌ててカッチェラの方を向いた。

「なんか、アレっすか? あいつが美人の恋人連れてきたから、妬けてるんでしょお?」

 隣のヒゲ男が、にやにやしながらシャーを小突いてきた。シャーは慌てて首を振る。

「い、いやっ、あのねえ、そうじゃないのよ? オレは、今回はフツーにホッとしてるだけだから」

「ええ? そうですかあ?」

 疑惑の眼差しで見られ、シャーは、違うってば、と言い返す。

「んー、ただ、ちょーっとねえ、こう、何かいやーな予感がするわけよ。何ていうか、ちょっと妙な感じがさ、いや、オレ個人の問題なわけだけど」

「妙な感じ?」

 シャーは考え込むような顔をして、眉をひそめる。

「何か、家においてきた一張羅を盗まれているような、いや囓られているような、いや、オレの一張羅は今着てる奴なんだけどさあ、たとえ話でいうとそういう感覚が背中からぞわぞわと。なんだろうねえ、何か囓られているような気がするんだよね」

 シャーは、何となく落ち着きなさげにそわそわとしながらいった。

「兄貴の家、ネズミがいるんすかねえ? あいつら、なにか置いておくと全部くっちまいますよ」

 横にいた一人が心配そうにいった。

「そうですよ、兄貴、食料をちゃんと保管しておかないと大変なことになります!」

「そんな心配いらないってば。オレ、家に食料ないもん」

 いきなりそういったアティクに、シャーは笑い事ではないくせに、笑いながら首を振る。しかし、実際にシャーのことを本気で心配しているのは彼ぐらいなもので、横にいる男達は実際はにやにやしている。

「いやあ、兄貴が保管しとかなきゃならねえのは、食料じゃないだろ? 満足に飯が食えないのは、ネズミに囓られてるからだったんですね」

「え? 何が?」

 意味がわからず、シャーはゆっくりと首をかしげてみせた。

「だって、ネズミが兄貴の金まで食ってるんでしょう?」

 ぽん、とシャーは手を打った。

「あ、なるほど。それで、オレは毎度無一文なのね。ソレ、なかなか上手いじゃない! 一本取られたや!」

 わはははは、と笑い声があがる。とんでもないことをいわれているにもかかわらず、あまりシャーは、相変わらず気に留めない。同じように笑い飛ばしながら、酒を飲む。

 再び、シャーの周りが静かになるまでには結構時間がかかった。彼らの関心が、また恋人達に向くようになってから、シャーは再び何か考え込むような顔をしながら、酒に唇を浸す。

「ネズミねえ……」

 シャーは複雑そうな面もちで、むうと唸る。

「なあんか、嫌な響きだこと」

 シャーは、少しだけ眉をひそめた。甘くて苦い葡萄酒を飲みながら、何となくシャーは、不穏な空気を感じていた。

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