5.奇妙な太刀筋

 ある店のそばにかくれていたリーフィをようやく見つけだし、シャーと彼女は帰途についていた。

 なんだかとても疲れたような気がするのは、逃げたせいだろうか、或いは人ゴミに酔ったのかも知れない。この人気のほとんどない住宅街の裏道を通りながら、シャーはリーフィの方を向いた。

「リーフィちゃん、ごめんね。遅くなって……大丈夫だった?」

「わたしは大丈夫」

 リーフィはそう答え、シャーの方を見やる。少し首を傾げるようにしているのは、おそらくシャーを心配してのことだろう。

「あなたこそ大丈夫だったの? 遅かったから心配したのよ」

「ああ、オレの方はそう簡単にくたばらない体質だから」

 そういって笑うシャーは、相変わらずだが何となく頼りがいがあるように見えてしまう。それは少し不思議だ。リーフィは、僅かに笑い返す。人形のように冷たい無表情な彼女のほほえみはわずかでしかないが、シャーはようやくこの子も人並みに笑うことをわかるようになっていた。

「シャー、何か良い案はあった?」

「うーんうーん、ますますよくわかんなくなった……」

 頼りなげな事を言うシャーだったが、リーフィを見て慌てて言葉を返す。

「あっ、違うんだよ。絶望的とかそういう意味じゃないのよ。今のところナイスな考えが思い浮かばないだけでさ」

「わかっているわ」

 リーフィはそういってうなずく。

「もし、どうにもならないなら、どうにもならなくてもいいわ。ただ、あなたがわたしに手を貸してくれるだけでいいのよ。それでわたしには十分なの」

「そ、そんな哀しい事言わないでよ」

 シャーは、困惑気味に振り返った。

「大丈夫だって。オレが何とかするから。ね、信じてよ」

「大丈夫よ、シャー。そうね、あなたと一緒にいると、何でも信じられる気がするの」

「そんな、……それはそれで照れるなあ」

でれっとした顔で、シャーは片頬をかきやってえへへと笑う。

「リーフィちゃんからそんな事言われるなんて思わなかったよ」

 頼られると嬉しいのか、へらへら笑うシャーの足取りは弾んでいて、本当に道化のような動きになっていた。

 砂漠の街は寒い。先ほど人にあふれたあの場所から抜けてきたのもあり、余計に周りの空気がつめたくなったように感じられる。

 不意にシャーは足を止めた。先を歩くサンダルのシャーが、足を止めるとざりと音が鳴る。後ろを歩いていたリーフィは少し首を傾げた。

「リーフィちゃん。下がっててくれる?」

 シャーはそう言い、リーフィの方を見た。いつもと違うシャーの瞳の光に、リーフィは彼の意図するところを理解する。

「どうやら、ちょっとややこしい事になりそうよ」

 そういうと、シャーはリーフィを後ろにいかせ、その前に立ちはだかるように足を進める。どろりとした闇の中、確かに誰かがそこにいる。

「……いい。そこの家のそばにいて。……けして誰も近づけないようにするから」

「わかったわ。でも、気をつけてね」

「ありがと」

 シャーはリーフィの方を向かずにそういうと、左手で柄を握って鯉口を切った。

 相手は、おそらく一人だ。様子見なのか、あるいは、本当に一人だけなのか。

「おたくさん、どこの何様?」

 シャーはそう訊いたが、相手はだんまりだ。す、とわずかに三白眼の目を細め、シャーは相手を見た。本来、少しだけ青みがかる瞳が、より青さを増しているように思えるのは、夜のこの冷たい空気とわずかな月明かりのせいかもしれない。

 闇にいる相手が、ふと揺らいだ。シャーは、同時に右手で柄を掴んで一気に引き抜くと、それを受けるべく軽く横に薙ごうとした。が――。

「うっ?」

 シャッと銀色の光が走った。だが、それは変則的なもので、すーっとまっすぐに近づいてきてから、急激に曲がったような気がしたのである。シャーは慌てて手を引いたが、間に合わない。刀を握っていた右手の甲から何か赤いものが散った。

 そのまま後退し、シャーは目の前の闇を透かすようにみた。

 おそらく手の傷は気にするほど深いものではない。それよりも、シャーは先ほどの攻撃に警戒をいだいていた。

(なんだ、今の……)

 今の剣の流れは読めなかった。あの刃は独特の曲線を描いてこちらに飛んできたように見えたのだ。

(一瞬見えなかった……)

 刀を下げた右手を伝わって、ひたひた、と砂の上に血が滴る音だけが聞こえてくる。

 再び相手は静けさを決め込んでいる。気配が全く読めない。夜の闇に紛れてしまったようだ。

 それよりも、先ほどの太刀筋だ。あれほど読めない、絡みついてくるような太刀筋は初めてだ。おそらく武器自体が特殊な形状をしているのだろう。

 相手の動きが読めないなど、さといシャーにとってはかなり珍しいことだった。それだけ相手の動きは速い。そして、初めて見る形状の武器にシャーははっきりと焦燥を覚えていた。

(どうする? あれは読めないぜ……)

 シャーは、相手の次の攻撃に焦り、軽く牽制に刀を引く。相手は攻撃してこない。だが、確かにそこに「いる」。隠しようのない殺気を抱いたまま、相手はこの付近で自分を狙って剣を抱いている。

 シャーは不意に自嘲した。敵の攻撃に怯えている自分に気がついて、馬鹿馬鹿しくなったのだ。

(焦ったっていいことは何もないぜ。どうせ痛い目見るのは同じなんだ。問題は程度だろ)

 自分に言い聞かせるようにいって、シャーは周囲に素早く目を配った。

(こりゃ、マジで無傷じゃすまねぇかもなあ。……死ななければよしとしようぜ、シャー=ルギィズ!)

 シャーは、苦笑いをしながら素早く覚悟を決めた。一度覚悟さえ決めてしまえば、後はどんな行動でも取れる。

 ふと向こうで砂の音がした。シャーは、唇をゆがめると、ざっと音がした地点に向けて地面を蹴った。サンダルが砂を噛んで音を立てる。

「いくぜ!」

 闇の中、一瞬だけ相手の姿を掴んだ。シャーは横になぎ払うとみせかけて、そのままそこに突きかける。それを紙一重でかわしたらしい相手の曲がった刃物が月光の光を受けて一瞬だけ、ぎらりと恐ろしい光を放った。それが、独特の軌道を描きながらこちらに向かってくる。

「くそっ!」

 シャーは反射的に体をのけぞらせた。刃が上等な上着の脇腹の部分の布に掠って、それが無惨に引き裂かれていく。かろうじてその一撃をかわして、体を斜めに倒しながらシャーは体勢を整える準備をする。と、刃の銀色が向こうに流れていくのが見えた。そして、その一瞬に見えたのだ。剣を振るったせいでできた相手の隙が。

「そこだ!」

ヒュッと空気を切り裂く音がする。相手もそれに気づいたのか、防御態勢をとろうとする。だが、シャーの突きの方がわずかにはやかった。服を擦るような音がし、相手がきびすを返したのがわかった。

 相手の足音が微かに聞こえる。再びかかってくるのかと思ったが、反撃する気はないらしい。

(逃がした?)

 シャーは、少し上がった息を整えながら、相手の様子を探っていた。

(……いや……)

 少し刃を見て、そしてシャーはポツリと言った。刃先に、かすかに自分のものではない血がついているのが見える。

「手応えあり……か」

 シャーは静かにいい、刃についたわずかな血糊を引き裂かれた上着の切れ端でぬぐった。

「シャー。大丈夫?」

 戦いが終わったのを知ってか、リーフィが駆け寄ってきた。そして、ふとシャーの様子を見て、心配そうに眉をひそめる。

「リーフィちゃん。大丈夫だった?」

 シャーは刀を直しながら先ほどまでの態度が嘘のように、けろりとした表情を見せた。

「わたしの方は大丈夫よ、でも、シャー、あなた、手が……」

「え? あぁ、これ。大丈夫。ちょっと血が出てるだけだから」

 そういってシャーは、右手の甲を見せた。本人は「ちょっと」などといっているが、右手はほとんどそれで赤く染まっていて、気の弱いものなら思わず卒倒しかねない。普段なら、こんな流血をみれば一番失神しそうなシャーであるが、彼自身は慣れているのかもしれない。シャーはにこりと笑い、何でもないようにそういうと、手を振りながら笑っていった。

「酒でも引っかけておけばそのうち止まるよ。それより……」

 シャーは申し訳なさそうな顔をして、ちぎれた上着を見せた。

「ごめん。これ、破いちゃった。借りてきてくれたのに。まずいよね?」

「いいのよ。もともと相手がくれるっていったのに、悪いから借りるだけにしておくってわたしがいっただけのものなの。だから、やっぱりいただいておくわって言っておくから」

「ホント? ごめんね」

「シャー、それより、これを使って」

 リーフィはスカーフをはずしてシャーに渡した。

「えっ、悪いよ」

「いいから。助けてもらっているんだもの。これぐらいいいじゃない」

 リーフィにそう言われて、シャーは申し訳なさそうにしながらもスカーフを受け取った。

「ありがと」

 シャーは微笑むと、スカーフを右手に巻いて口と左手で器用に結んだ。すこしきつめに結んでおき、シャーはリーフィに笑いかけた。

「でも、さっきので一つ分かったことがあるんだ」

「え? 何が?」

 リーフィはきょとんとして聞き返す。シャーは少しだけ歪んだ笑みを浮かべた。

「このハナシ、もしかしたら切った張ったで片づくかもしれないよ。オレが、勝てればのハナシだけどね」

 そういうシャーは、ふいに空に目をやる。いつの間にか雲行きが怪しくなってきているようだ。ここのところ、割合に晴れていたが、まだ雨の気配は残っているようでもある。

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