3.宵闇のシャー=ルギィズ

 

 その日、夕暮れが早かった。


 曇ってもいなかったが、何となく暗い夜だった。すでに三日月が高かった。

 リーフィはその日は酒場を休み、夕方人目を忍ぶように歩いていた。顔を隠すようにショールを巻き、そしてその胸元には青いトンボ玉を繋いで作られたペンダントがひっそりと輝きを放っている。

 トンボ玉はガラス製品だ。この地方では、割と需要の多い飾りである。

 それは特に高価なものでもなさそうであったが、それを少し気にしながらリーフィは道を急いでいた。

 今日は、人目をはばからなければならない。誰にも後をつけられていないかどうかも確認し、おまけにそっと腰に短剣をしのばせていた。

 最近はどうも治安がよくない。この前、シャーが真昼間からごろつきに絡まれていたのも、それの現われだ。いくら絡まれやすい顔をしているシャーでも、あんな昼間から絡まれているなどというのは、珍しい。

 ふっとリーフィはため息をつく。

「本当に、あそこにもっていけばいいだけなのかしら」

 そういいながらそっと胸のトンボ玉の首飾りに手をやった。

「それに、私一人で行けなんて……」

 少なくとも今まではそんなことを頼まれる事はなかった。不安に思いながらも、リーフィは仕方がなく足を進める。ため息が少しだけ白かった。砂漠の中の都だけに、夜の冷え込みはきつい。

 ざ、とサンダルが砂を擦る音がし、リーフィは慌てて振り返る。そして、そこにいる人物の影に少しびくりとした。

 そこに立っているのは、長身痩躯のひょろりとした男だった。髪型と、暗い中でも余計青く見えるその着衣、それにその顔つきでリーフィにはそれが誰であるかわかった。

 シャーだ。シャー=ルギィズである。

「リーフィちゃん、こんばんは」

 にっとシャーは笑った。リーフィは少し、どきりとした。それは、いつものシャーとそのときのシャーの表情が少し違ったからである。もちろん、目の錯覚かもしれない。だが、いつもからは考えられないほど、何か生気のようなものが感じられた。

「シャー……」

「こんなくらい夜に夜道を一人歩きなんて、すごく危険だよ?」

 シャーは相好を崩した。いつもなら、「貴方のほうが危険でしょ」と突っ込み返すところだが、静かな迫力がある。三日月に照らされたせいか、彼の瞳は妙に青さが目立った。なにか、悪い事が起きるような気がする、胸騒ぎを起こさせるようなまなざしだ。ある種の魔性を感じさせる、猫のような目だ。

「オレがエスコートしてあげるけど」

「い、いいわ」

 リーフィは愛想笑いを浮かべたが、それはあまりうまくなかった。シャーに対する警戒が、表情に出てしまったという感じである。シャーは警戒されている事をしって、苦笑いした。

「やだなぁ。オレみたいなひ弱~な男が、そんな危害加えるわけ無いじゃない」

「何を……、しているの?」

 リーフィに訊かれて、シャーは少しおどけた様子で答えた。

「散歩だよ、散歩。今日もずいぶん飲んじゃったから酔い覚まし~! いんやぁ、月に当てられちゃったってやつ? いいお三日月様ですこと~って! ね、そう思わない?」

 精一杯彼がテンションをあげても、リーフィはにこりともしない。シャーは不意に我にかえったように、リーフィを覗き込んだ。

「どうしたの?元気ないね」

 長身のクセにどういうわけか、下から覗き込んでくるシャーの顔は、本当に心配しているように見えた。

「何でもないのよ。私、もう帰るから」

 リーフィは後ずさる。

「そう? 夜道はホントに危ないんだよ。気をつけてね」

「あ、あなたも……、この前、殴られたばかりなんだから、気をつけなきゃ」

「うん、ありがとー。じゃあ、おやすみ~」

 シャーは手をするりとあげた。リーフィがほっと安堵したが、すぐにシャーは彼女のほうを向いた。

「ああ、そうだ。その首飾り……」

 シャーはそっとリーフィの胸元に輝く首飾りを覗きやる。青いトンボ玉がそこに輝いている。

「きれえだねえ。それ、誰にもらったの?」

 にっこり笑いながらシャーはそう聞いた。リーフィは慌てて後ずさる。

「シャー……!」

 思わず護身用の短剣に手をかけてしまいながら、リーフィは怯えたような顔をした。シャーは警戒されている事すらわかっていないのか、ふっと首をかしげた。

「どしたの?」

「あなた、見たのね?」

「何が?」

 シャーは、心底分からない、といった顔をして見せた。

「オレ、ただそれが綺麗だなあって思っただけだってば。ほら、リーフィちゃんがそんなんが好きなら、今度オレもプレゼントしちゃおうかなあっとかさあ」

「嘘ならやめて頂戴」

 リーフィは静かに言った。

「あなた、あの日、私とあの人が話しているのを立ち聞きしていたんじゃないの?」

「立ち聞きなんて? オレ、そんな無作法な男じゃなくてよ。ひっどいなあ。大体、オレ、あの日、中で飲んでたのよ? どうやって立ち聞けばいいんだい?」

「あなたは、いつもふらりといなくなるわ。傍にいても、いつの間にか……」

「ひどいなあ。信用がないんだねえ、オレ」

 どこまでが本気なのかわからない。だが、すっと足を進めるシャーの表情は、何となくうかがえなかった。ぞっと背筋に寒気が走る。

「ただね、リーフィちゃん」

 リーフィは後ずさりながら、短剣を抜けるように力を込める。

「オレはね、もしかして、あんたのそのトンボ玉の首飾り、それにお手紙が隠されてるんじゃないかなあなんて、ちょっと思ったりしてるんだよねえ」

 ざっと、シャーのサンダルが音を立てた。

「ちいさい紙切れか布なら、ビーズの間にねじ込んで隠せるでしょ? 長い手紙は無理だけど、人名を三人ぐらい書いただけとか、場所の打ち合わせぐらいならできるよね? 違わない?」 

 やや猫背のシャーは、そのままでそろっと近寄ってくる。リーフィはびくりとして壁に背をつけた。

「寄らないで!」

「近頃……」

 リーフィを無視するようにシャーは続けた。

「近頃、この辺り、妙に治安が悪いのわかるよね。オレなんかこの前もかつあげにあっちゃってさあ。でも、奴らが昼間からオレみたいなぶらぶらしてる奴をいじめるってのは、それだけ気が立ってるってことなんだよねぇ」

「何の話……?」

「最近、この近くの二つのやばい組織の連中が喧嘩してるって、知ってる?」

 にっとシャーは笑い、話を続けた。

「元から連中、仲悪い事じゃあ有名だったけど、最近本格的に仲たがいしたんだよねえ。あんたのカレシさんは、そもそもは賞金稼ぎと博徒の二足草鞋。おまけに博打にゃ失敗して借金まみれ、それで仕方なく用心棒やって食いつないでるってハナシ」

 リーフィはただ黙っている。シャーは、月明かりに不気味に笑んだ。

「オレをこてんぱんにしたバレンって奴は、あんたのカレシさんが雇われてるソシキの一員。えーと、確かジェレッカだっけねえ、そういう名前のボスのとこの幹部だろ、あのおっさん」

 ごろつき以下の、ただのふらふらしているだけの遊び人のシャーが、ここまで街の勢力図に詳しいわけがない。彼はそれと関わらないように生きているのではなかったか。今まで何も知らないような顔をしていたのに、どうしてここまで知っているのだろうか。

「あなた、一体、何者なの」

 リーフィに訊かれ、シャーは事のほか優しく微笑んだ。それが、青く薄暗いこの空のした、あまりにも得体のしれないものに見えた。

「ただの酔っ払いのシャー=ルギィズだよ。それ以上でもそれ以下でもないってやつ?」

「じゃあ、どうして私にそんな話をするの?」

 冷静な物言いだが、リーフィはかなり動揺していた。シャーは首を振る。

「ただね、オレはリーフィちゃんがこれ以上巻き込まれるのをみてられないだけだよ。安心して。あんたに危害は加えたりしないからさっ。オレは紳士だからねえ」

 いまいち信用のならない台詞だ。リーフィは未だに短剣の柄を握っている。シャーは、それに気づいてはいるらしいが、その事に対して言及しなかった。

「リーフィちゃん、ホントはわかってるんじゃないのかい?」

 シャーは言った。その口調はすこしだけ哀しげだった。

「あんたのカレシさんのベリレルが何しようとしてるかさ」

 と、シャーは不意に身体を反らせた。

 思い切り反らせたそこを石が通り過ぎていく。そのままリーフィをそっと後ろに追いやりながら、彼はざっと彼女を背でかばうように足をやった。

「ふふん、今頃かぎ付けてきたんだな。ちょっと遅いんじゃないの」

 その行動にもリーフィは驚いたのだが、前から現れた男たちの正体も彼女を驚かせずにはいられないものだった。

「バレン!」

 リーフィは前から現れた男の顔を見て叫ぶ。そこにいる巨漢は、シャーをこの前恐喝していた、あの男である。

「リーフィ。てめえがベリレルからの手紙を預かってんのはわかってるんだぜ!」

 バレンはそういいながら、のっそりと近づいてくる。他に十人ほどの男が後ろからついてきていた。

「大人しく出せば、お前だけは許してやってもいい」

 と、いいながらバレンは少し下卑た笑みを浮かべた。

「お前は結構上玉だからな」

「いやな奴だねえ、セクハラ発言はご遠慮願いますよ、旦那」

 リーフィが何か答える前に、シャーがバレンをさえぎった。そのままにんまりと微笑むが、バレンは最初、彼が誰だかわからなかったようだ。慌てて彼らがざっと体勢を整えたのがわかった。

「あんたの口からきくと、みょーに気持ち悪くってさあ。お願いだから、そういう気持ちの悪い事いわないでくれる?」

 その物言いで気づいたのか、それとも薄い明りで正体がわかったのか、バレンはその男が誰であるかわかったようだった。そのせいか、彼らの間の緊張がふっと緩む。今まで相手が、リーフィの用心棒ではないかと緊張していたのだった。

「なんだ、この前のへたれ野郎か? 生意気なこといいやがって! 今度は怪我じゃすまねえぞ。さっさと帰りな!」

「オレもそうしたいのは山々なんだけど~、女の子を置いてかえるなんて、ちょっとあんた達、かっこ悪いとおもわないかい?」

 シャーは倒れそうなほど、そっくりかえっていった。

「というわけで、今日は頑張ってかばってみます! ねー、リーフィちゃん、オレ、ちょっとかっこよくなあい? かっこよかったら、後で褒めてね」

「な、何を言ってるの?」

 さっきとは随分と態度が違う。だが、相変わらずシャーの目は普段と違っているのだった。それが少しだけ不気味で、本心がわからなくて、リーフィは何となく不穏に感じた。

 だが、バレンはそれに気づいていない。シャーの変貌にどうして気づいていないのか、寧ろリーフィは謎だった。

「それにさあ、今更リーフィちゃんをいじめたって、あのベリレルさんは出てこないと思うよ、バレンさん」

 シャーは笑みを刻みながら、ふざけた口調で言った。

「それにねぇ、もう手遅れだよ。今更躍起になったって、あんた達、すでに罠にはまっちゃったあとだもんねぇ。してやられたんだろ、あいつにさあ」

 何もかも見透かしたような物言いに、バレンははっとした。ちらと、シャーは視線を投げる。夜目にもはっきり見える彼の目に、何か危険な光があった。

「ど、どういう意味だ!」

 バレンはやや焦る。シャーは軽く肩をすくめる。

「ベリレルが、あんたんとこの親分のライバルのヤクザと通じてたんだろ。情報丸々流されちゃって、おまけにベリレルと一緒に組んでた奴が何人か不慮の死を遂げちまってよ。つまりは色々と血の惨劇が起きたってわけだな。それでオヤブンが切れちゃった。だけど、肝心のベリレルさんは、そのときはもう見当たらないとこういう……。そりゃ、あんたらも困ったよなァ?」

 シャーのおどけた口調と、彼の雰囲気が異様にアンバランスだった。シャーはまだにやついた顔のままだ。

「それで慌てて追いかけて周囲を探ってみたら、なんとベリレルさんはリーフィちゃんに最後の密書を届けさせるように頼んでいたらしい。それには、どこどこで誰を殺ったかっていう情報が書かれてるはずだ。だとしたら、ベリレルの裏切りをちゃんと実証できる。そうすりゃ、あんた達も心置きなくあっちのソシキと戦争始められるよなあ。大義名分がたたなきゃ、ただいわれのねえ喧嘩を売ったも同然だからな」

「な、なんだとおっ!」

 バレンの焦りは、シャーの読みが正しいことを示している。

「ご、ごちゃごちゃいってるんじゃねえ! とっととそこをどけ!」

 バレンは眉を吊り上げて、強面を更にこわばらせた。シャーはふんと笑う。

「ダメダメ。だから言ってるじゃないの。オレだって、時々いいカッコしたくなるんだもん」

 ふっと歪んだ笑みがシャーの口元を彩った。少なくとも、リーフィはあんな笑みを浮かべる彼を見た事がなかった。寒気のようなものが背筋を走る。

「それに、この街中で抗争なんか始められてみろ。ここを根城にごろごろしてるオレが一番迷惑こうむるんだよね。のんびりたかって飲んで遊んでられないじゃない」

 すっと足を進める。サンダルが砂を噛んでじゃりり、と音を鳴らした。自然と右足が前に出、そっと左足を後ろにやる。そのまま腰の刀の柄に手を添える。

 ぐっとシャーの声が低くなった。

「リーフィは渡せないぜ。あんた達こそかえらねえなら、力ずくで帰してやるさ」

「生意気言うな!」

 聞いていたバレンの後ろの男が、さすがにこの言葉に怒ったようだった。怒りの声をあげてそのまま持っていた曲刀を抜く。そのまま、彼のほうに向かって走ってくる。ひょろっとしたシャーの風体に侮ったのか、かなり油断した動きだった。

「全く、面倒だよなあ」

 そういい、すっとサンダルの足を浮かせる。そのまま、シャーは水平に飛んだ。飛び掛ってきた男の下にもぐりこむような姿勢で、引き付けた刀を鞘ごと引き抜き、横に流した。

「がっ!」

 頭上でうめき声がした。そのまま倒れ掛かってくる男をよけるように、シャーは半歩ほど横に飛んだ。男は、彼が避けたちょうどその横に倒れこんで、かすかにうめいている。

「こ、この野郎!」

 シャーはまだ剣を抜いていない。今のは鞘をつかって打撃しただけだ。

 シャーの笑みは少しだけ青く歪んでいる。その笑みを浮かべたまま、とうとうシャーは、鞘に手をかけた。しゃん、と音が鳴った。

「ここからは命のやり取りだ! 臆病者は帰んな! ただですむと思うなよ!」

 しんと世界は静まっている。独特の緊張感に支配された世界の中で、シャーは鞘を握るとそのまましゃっと中身を滑らせた。青みを帯びた刃が、清涼な三日月の光にさっと照りかえった。

「野郎!」

 その光に刺激されたのか、男が一人気合の声をあげて飛び掛ってきた。シャーは抜いた鞘を腰に落とし差すとそのまま向かってくる相手のほうに走った。大またで飛ぶように二、三歩。相手の刀が頭の上から降りてくる。

 冷静に見つめていたシャーは、右手に下げていた刀を斜めに切り上げた。かーん、と音が鳴り、勢いつけて飛び掛ってきていた男の刀がはじき返される。勢いをつけたのがわるかった。完全に伸び上がって頭の上に両手が上がってしまった男の胴はがら空きだ。

「しまっ……!」

 男の舌打ちとシャーの笑みは同時だった。シャーは男の腹部に膝蹴りを思い切り食らわした。

 飛ばされて腹を抱えこんで苦しんでいる男にめもくれず、シャーはその横をすたすたと通り、宣言した。

「次は誰だ? ……相手してやるぜ」

 その顔は挑発的な笑みに歪んでいる。ぞくりとするような、冷たい光を青い目に宿し、三日月の薄い光がその冷たさを増させている。

「くそっ!」

 恐怖を感じないわけではない。だが、相手はあのシャー=ルギィズなのだ。酒場で飲んだくれては、踊る事ぐらいしか能のないごろつき以下のシャー=ルギィズ。金を巻き上げられては、ぎゃあぎゃあわめいていたどうしようもない屑野郎のはずである。

 その男に挑発されて、平気でいられるわけもなかった。

「なめんな!」

「地獄に送ってやる!」

 口々にいい、三人の男たちが飛び掛ってきた。シャーは軽く肩をすくめた。

「あ~ぁ、おんなじような台詞ばっかじゃないの。詰まんない子たちだことぉ」

 でも、と、心の中でいい、シャーは刀を胸の前にあげる。

「どうせお互いロクでもねえ道に生きるもの同士だ。手が滑っても恨むんじゃねえぜ」

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