芹沢雅せりさわみやびが女神像に吊されて、胸を刺された。

 宿舎の入り口近くに設けられた休憩スペースに甲斐雪人かいゆきとはいる。長いソファー上の椅子に深く腰掛け、隣には神田隆志かんだたかし夢宮ゆめみやさやかがいた。夢宮の取り乱しようは尋常ではなかったが、ようやく神田が抑えたところである。

 甲斐は最初に芹沢に会ったときを思い出していた。純正芹沢学園高等部の正門。すらっと長身の彼女が、甲斐に小首を傾げる。反則だと、甲斐は何度も思った。その魅力に誰もが憧れる。頭もよく、羨望の対象であり、それなのに気さくに彼女は話しかけてくれた。その仕草一つ一つが思い出される。

「許せない」

 すでに涙が流れていないようだが、夢宮の瞳は真っ赤だ。その肩を神田が軽く抱きよせている。

 篠塚桃花しのづかももは、この未来を予測していたのだろうか。甲斐には、まったく考えもつかなかった。けれど、自分がもっとしっかりしていれば、芹沢を救えていたのでは、と思う。誰かが彼女を脅していたのは確かなのだし、学園集会での彼女の言葉を考えてみれば、その誰かの要求を呑もうとしていたのも明らかなことだった。それに、甲斐が転校してまだ間もないというのに、篠塚が言うからくりの中に、甲斐の歯車も深く、密接にかかわっているような気がする。他の生徒たちよりも、このわずか十日ほどの間に、どれだけの会話を彼女としただろうか。甲斐は首を振り、再び思う。芹沢を救えていたのでは、救えなかったのは、甲斐が悪いのでは、と。

「責任を、そんなに感じるなよ」

 甲斐の複雑な表情に気がついたのか、神田が甲斐の肩を軽く叩く。

「責任じゃない。僕も、許せない」

「俺だって許せないさ。一体誰が?」

「二人は、彼女を見たのか? つまり、その姿を」

 神田は首を振る。けれど、夢宮はからだをびくびくと震わせているだけだ。

「わたしも、クラブのグラウンドに行く途中で、人だかりを見つけて。その間から、女神の、赤い!」

 夢宮はまた思い出したのか、顔を強張らせた。

「一体誰が……」

 甲斐は俯くと、こぶしを握り締める。篠塚は、方法よりも動機が大事だと言っていた。けれど、甲斐にはどちらも分からない。そもそも「誰が」彼女を脅していたのかさえ、分かっていない。もちろん、今回の件に関して言えば、手段は単純だ。深夜、すでに多くのものが寝静まったであろう時間に彼女を呼び出して、刺した。問題は、あの学園集会での話だ。あの状況で、はたして、そのようなことが可能なのか。

 二回目の学園集会のとき、甲斐は壇上にいた。そこから体育館を一望した。外からオムレツのような形をした体育館だが、甲斐の位置からは扇のような形に思えた。もちろん、遠近感の錯覚なのだろう。あの位置から、視覚的な方法で意思を伝えるのは難しいだろうし、甲斐はそんなものなど見えなかった。味覚や嗅覚、触角ではさらに困難なように思える。だとしたら、やはり聴覚か。彼女はまるで誰かと会話をしているようだった。もしかしたら、あの時イヤホンでもしていただろうか。けれど、駆け寄ったとき、そんなものは見当たらなかった。

「昨日の集会のとき……」

「ああ、そういえばあの時、マイク……」

 甲斐が二回目の全校集荷のことを思い出していると、神田も同じように、はと気がついた表情をして、甲斐を振り返った。

「甲斐!」

 が、それを遮るように、宿舎の入り口から甲斐を呼ぶ声が響く。顔を上げると、香川定吉かがわさだきちが大きな手を振っている。

「はいっ」

 甲斐も手を上げて返事をする。

「おお、いたか」

 大股でまっすぐ甲斐のところまで来ると、さっと屈みこみ小さな声で言った。

「警察がお前をご指名だ」

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