覚悟はしていたが、これほど早い呼び出しがあるとは思わなかった。

 香川定吉かがわさだきちに連れられて甲斐雪人かいゆきとが来たのは、第一学習棟の一番手前の教室だった。臨時の捜査本部なのだろうか。だが、中に人は二人しかいなかった。

「いやぁ、どうもどうも」

 場違いに明るい声がその一方から発せられる。

「わたし、日比野、と申します。それからこいつが、加藤」

 日比野ひびのは愛想よく甲斐に近づいてくる。三十の後半か、あるいはもう少し上であろうか。やたらと長丸の顔が印象的だ。眼鏡も丸い。愛想がいいが、甲斐にはその目が笑っているように見えない。

「君が甲斐雪人くんだね。まあ、そう緊張なさらずに。香川先生はもう結構ですから、外で待っていてください」

 香川は何かを言おうとしたが、思いとどまると教室から出て行く。

「どうぞ、甲斐くん、こちらへ。腰掛けてください。加藤、お茶を。それともジュースのほうがよろしいですか?」

 眼鏡が一瞬動き、甲斐の様子をうかがう。甲斐はどちらでも、と答える。

「ではお茶で。警戒しているようですね。それとも、警戒する理由がありますか?」

「どうして僕だけ呼び出したのですか?」

「仕事でしてね。安心してください。呼び出したのはあなただけではありません。あなたには無駄だと思うかもしれませんが、必要であれば、全校生徒の話を聞くことになるでしょう」

「どうして僕だけ呼び出したのですか?」

「うーん、信用してもらえないみたいですね」

「この段階で呼ばれたことに対してです。誰かが僕の名前を出したのでしょう」

「正直に申しますと、結構多くの人が。芹沢雅さんと最近親しい人を聞くと、甲斐雪人、あなたの名前があがるんですよ」

 日比野の目がまっすぐ甲斐を見る。笑いを繕っているが、獲物を狙う雁の目だ。この目に騙されてはいけない。

「親しいのなら」

「われわれからすれば、同義です」

「……分かりました。何を答えればよろしいでしょうか?」

「助かります」

 タイミングを逃していたのか、立ったまま待っていた加藤が手に持っていたお茶をようやく机に置く。

「どうぞおかけください」

「失礼します」

「まずは率直に。あなたが刺したのですか?」

「いいえ。理由がありません。彼女は抵抗したのですか?」

「うーん、この学園の生徒は頭が回るようで、やりにくいですね。質問は後で受けます。芹沢さんに最後に会ったのは?」

「昨日の、集会のときです」

「そこで何を話しましたか?」

「自己紹介をするように」

 それから、と日比野が話を促す。

「ご存知でしょう。彼女が倒れてしまって。僕が駆け付けると、彼女はただの貧血だと教えてくれました」

「教えてくれた?」

「演技だと」

「ほほう」

「前回も、今回も……彼女は誰かに脅されているみたいでした」

「誰に?」

「……犯人に」

「あなたではありませんか?」

「違います」

「一度目が演技で、二度目が事実。一番近くにいたあなたなら、彼女を脅すことができた、違いますか?」

「違います。他の人にも聞いてください」

「あなたは昨夜どこにいましたか?」

 甲斐は答えなられなかった。

「宿舎に戻っていないという証言がありますし、記録にも残っていない。そして今朝、図書棟のほうから現れたとも」

 心臓が早くなるのを感じる。

「まあいいでしょう。黙秘は認めます。ですが、あなたの立場は非常にまずい」

「僕がこのタイミングで呼ばれた理由を理解しました」

「はい。非常に厳しい状況です」

「僕は昨日図書棟にいました」

「それが嘘だと発覚すると、さらに立場を悪化させます」

藤枝ふじえだ先生が、それはありえないと証言するか、もしくはすでにしていると思います」

「どうぞ、続きを」

「図書棟の一階の管理室にはモニターが設置されていて、常に図書棟の中に人がいるか分かるようになっています。鍵を閉めに藤枝先生が来た時、僕は時計塔にいました。図書棟の上に螺旋階段が続いているのですが、その途中です。モニターでトレースされないのだと思います。彼女が見回りのために時計塔に来た時、僕は一階の棚の陰に隠れていました。隠れられる場所はたくさんあります。それから彼女が外に出るとき、僕は再び時計塔にいました。そうすれば、図書棟の中は無人だと、よほど警戒していない限り、藤枝先生は判断するはずです」

「加藤、その方法が可能かどうか、検証を、誰かに」

 加藤はメモをしていた手を止めると、短く返事をして外へ走っていった。日比野は声のトーンを落とし、甲斐に耳打ちをする。

「わたしは甲斐くんがやったと考えていない。嘘の証言はなるべく避けて欲しい」

「どうして嘘だと?」

「長年の勘だよ。それに、非常に優秀だ」

「犯人は誰だと考えているのですか?」

「それはまだ確証はない。だが、これだけははっきりと言える。この事件の本質はにある。それを見誤ってはならない。動機に辿りつけなければ、このような事件は再び繰り返されるでしょう。そして、それは甲斐くん、転校してきたばかりの君が、彼女を刺そうとするほどの動機を持ちうるはずがない。これも、勘だがね」

 甲斐は日比野の眼鏡の奥を見る。するどい眼光が甲斐を睨んだまま、ほとんど動かない。彼も、篠塚桃花しのづかももと同じように動機に着目している。

 再び加藤が戻ってくると、日比野は体勢を戻した。

「今調べてもらっています」

「分かった。甲斐くん、今はまだあなたを束縛する状況ではない。自由に行動してもらってかまわないが、監視はつけさせてもらう」

「分かりました」

「何か問題があったら、こちらまで。大体わたしはここにいる予定です」

 もう一度甲斐は分かりましたと頷くと、席を立ち、教室を出た。

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