退屈とは愚かなことだ。

 若者は勤勉であれ。

 退屈の極致は、最後の瞬間に訪れる。

 それまでは勤勉であれ。


 この四行は、学園集会の校長の演説をまとめたものである。頭の薄くなった校長は、たったこれだけの内容を伝えるのに三十分以上の時間を費やしている。激しく無駄である。この時間をこそ有効に活用すべきだと思うのだが、と甲斐雪人かいゆきとがあたりを見渡すと、なるほど、この時間を睡眠時間に当てている生徒が多い。確かに最も有効な時間の利用方法かもしれない。授業から推察し、厳粛な学園集会を期待、想像していたこともあり、前の学校と大して変わらない雰囲気に、むしろ甲斐は気が休まった。

 体育館は外から見るとオムライスのように見えたが、内部はそれほど鋭角ではない。やわらかい曲線で構成されている。甲斐の位置は正面からやや右に外れていたが、上を見ると、天井は中心に近いほど高くなっている。横にバスケットのコートが二面作れるほどの広さもある。壇が前方にあり、その中央付近にマイクを片手にまだ校長の演説が続いている。

 生徒の数はおよそ三百名ほどだろうか。体育館の前方に規則正しく並べられた椅子に一様に座っている。船をこいでいる頭も少なくはない……これは先ほども述べたが、その率は時間とともに上がっている。後方には職員が、やはり並べられた椅子に座っている。生徒のそれに比べ左右にゆとりがありうらやましい。体育館の全面を利用すれば、もっと余裕を持って座れるのに、と思うのだが、思ったところで甲斐はそんなことを意見できるような立場にない。

 甲斐は退屈に任せて観察を続ける。まったく校長の演説の価値が伝わらってこない。先生の中には立っている者もいる。ずっと座っていることが苦痛なのだろう。真似をしたいくらいだが、静寂さは際立っている。

 咳払いが聞こえ前方を向くと、ようやく校長の演説が終わったようだ。あの位置からなら生徒の様子がよく見えそうなものだが、満足そうな表情に、眠っている生徒の姿は映っていないのかもしれない。もしかしたら、校長が演説をしたいがための学園集会の可能性もあるだろうか。

 校長が壇を降りると、代わりに生徒が一人その壇上に立った。

 芹沢雅せりさわみやびである。

 着ているものは周りの女子生徒と同じセーラー服だというのに、彼女が着るとドレスのように見えてくる。彼女が壇上の中央に立ち、さっとスカートを抑えながら一礼をすると、拍手が沸き起こった。

「雅おねーさまー」

 などという黄色い声も聞こえる……しかも女性の声だ。そちらを向こうと甲斐が体を捻ろうとすると、近くに座っていた夢宮さやかも負けじと黄色の声援を送る。

「皆様、どうぞお静かにお願いします」

 芹沢のまるでハープを奏でたかのような声で、体育館はすっと静かになった。

「先生方も、どうか、怒らないでください。平素の中での数少ない機会ですから、そのための学園集会ですもの」

 すごい人気だ。カリスマという意味ではこの学園の先生たちとは比べものにならない。気がつくと船をこいでいた頭はすでに一つも見当たらない。どうして彼女にそこまでの人気があるのか、甲斐には分からない。もちろん、わずか二日目にして甲斐も彼女の所作や仕草につい見とれてしまうことが何度もあったが。

「本日は、皆様、こんなにも急に学園集会を開いていただきまして、わたくし、大変恐縮に思っております。ええ、もともとわたくしのわがままでもありますから。ですが、これも学園の創立祭が近いというのも理由なのでして……」

 芹沢の会話の節々に歓声があがる。甲斐が反則だと以前に感じたそぶりも時折見受けられるが、それにしてもこの状況は信じられない。確かに、存在感がある。校長とは天と地ほどの差だ。校長よりも一回り小さいはずなのに、大きく見える。ただ立っているだけだというのに、まるで後光でも射しているかのようだ。

「それから、皆様。先ほどの態度はとてもよくなくてよ」

 会場が鎮まる。

「わたくしたちの校長の話を、あろうことが眠って過ごすなんて、愚かなことこの上ありませんわ」

 前を向くと夢宮があたまをふるふると振っている。甲斐は断言するが、確実に彼女は居眠りをしていた。

「退屈を弄んではいけません。わたくしたちは最後のその時まで、常に学び続けなければならないのです。そのために皆様は、今最適な場所にあるのです」

 校長の演説をわずか十秒でまとめてくれた、さすがである。

「それから、本日このような集会を持ちましたのは、もう一つ理由があります。もうご存知の方もあるでしょうが、これは学園集会によって全学園の生徒に知らしめるべき誉れであるとわたくしは考えるわけで……」

 不意に芹沢の言葉が止まる。どうしたのだろうと思っていると、近くに座っていた神田隆志と視線があい、顎で合図をする……?

「なぁに?」

 場違いな口調で芹沢が首を傾ける。声のトーンとは違い、甲斐の位置からでも、芹沢の表情は凍って見えた。様子がおかしいのではないかと周囲が気がつくのに、さらに数秒を要した。

 ガタンと音を立てて、芹沢はマイクを倒し悲鳴を上げる。

「お姉さま!」

 叫び声は夢宮だけのものではなかった。

 体育館のそこかしこで悲鳴が聞こえる中、芹沢の悲鳴は異質なものに思えた。おびえ、震え、その場に両肘をつく。両手で頭を抑え、そのまま意識を失ってしまうのではないかと思えた。壇上に先生たちが上がるのにさらに数秒。

 数分後、学園集会は中止になった。

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