ひいらぎのルール

@daith

第1話

ある朝起きるとひいらぎはいつもと違う朝なのに気がついた。

何もかも一見いつもと同じ様に見えるのだが、ひいらぎの部屋のドアにしろ、かわいらしい壁紙にしろ、ほんの少しだけではあるが、不安を吸い込んだ様な、グリーンがかった顔をしている。

ひいらぎがいつも大切にしている薄いグリーンの手袋(ひいらぎのお母さんがひいらぎのために作ってくれたもので、ひいらぎは実はそれを自分のトレードマークにしている)においては、おそらく誰か見ても分からなかっただろうが、特に不安そうなグリーンを帯びていて、今にも泣き出しそうなしわが頼りなさそうに、いつもの手袋掛けに掛かっている。



ひいらぎは不安になってしまった。

なにが起こっているかは分からないけれど、なにかが起こっている。

おそるおそる部屋のドアを開け、階段をそろりそろりと下りて、キッチンを覗いてみた。

特に変わった様子は見つからなかったが、キッチンもひいらぎの部屋のもの同様、薄いグリーン掛かっていて、ご丁寧なことにキッチンペーパーまで薄いグリーンだった。

ひいらぎはキッチンペーパーがもともと何色だったか知らなかったので、本当に不安で薄いグリーンになったのかは分からなかったのだが、不安で薄いグリーンになったということにしておいた。そのほうが一貫性があるし、問題も理解しやすいように思えた。


ひいらぎは家の中に誰もいないことに気が付いた。

お父さんはいつも朝早く仕事に行くので(お父さんは朝の仕事をしていた。具体的にどんな仕事か見た事はなかったけれど、朝の手伝いと言うか、管理というか、そんなような仕事だとお父さんはひいらぎにいつも言っていた。ひいらぎはお父さんの仕事が大好きだったし、お父さんが朝の仕事をしているのが自慢だった。実際、学校の友達達にいつもうらやましがられていた。)お父さんがいないのはいつものことだが、お母さんもいないことはあまりない。

ひいらぎは注意深くあたりを観察した。

いつもあるところにないもの、いつもないところにあるもの、少しだけ減っているもの、少しだけ増えているもの、そんなルールを作って1つずつ確認していった。


ひいらぎは昔から自分でルールを作ってその通りに行動するのが得意だった。

それは誰に教わったものでもなく、(実際ひいらぎのお母さんはそういうことがとても不得意だった。)小さい頃からこっそりと誰にも言わずやってきたことで、そのルールのおかげで人が出来ないことを難無くこなしてきたし、なによりお母さんがびっくりする顔が好きだったから、ルール作りははどんどんうまくなったし、今ではすごく複雑に見えることも、どんなルールが適しているか少し考えれば分かるようになった。

6つめのルールに従って花瓶をチェックしているときに、ひいらぎは違いを見つけた。

他の花瓶に比べて水の量が少ない。

その花瓶にいけてある花は少し特別な花で、少し特別な水でないと生きていけない。

その花の水だけ少なくなるわけがないし、これが原因だとしたらお母さんは見つけられるわけがない。多分お母さんは違う事を原因だと思ってどこかに行ったんだ。

ひいらぎは急いで「水を買いに行きます」とだけメモを残して、身支度をし(もちろんトレードマークである手袋をして)、買物に出かけた。



外はひんやりとしていたが、いつもと同じ街並みだった。

朝はもうとうに行ってしまったらしく、道はすっかり乾ききっていた。

ひいらぎの行く先にはひいらぎの影が伸び、それは心なしか伸びたり縮んだりしているように見えた。

石畳の隙間に少しづつ影が吸い取られて、その代わりに何か違うものが出てきて、そのうちまったくひいらぎの影ではない何かになってしまうような気がした。

それは増えたり減ったりしながら、いつの間にかひいらぎの影に成り代わってにやりと笑う。

そしてある日ひいらぎに言う。

「君が捨てたんじゃないか。」

ひいらぎは歩みを止めた。

そしてゆっくりと後ろを振り返った。

しかしそこには影のかけらは無く、乾いた石畳が沈黙していた。

「急がなくちゃ。」

ひいらぎはゆっくりとかけ出した。

隙間に影が吸い取られないように注意を払いながら、たまに右足の次にまた右足を出したり、左足の次に左足を出したりした。

たまに小さくジャンプしたり、2回続けてはねてみたりした。

ゆっくりとひいらぎの影は左右に揺れたり、はねたりしていたが、そのうち落ち着きを取り戻したようだった。

だんだんと輪郭がはっきりしてきたし、なんだかしっくりと体になじむようなそんな感じがした。


町外れまで来ると石畳は終わり、竹林が見えてきた。

鮮やかな朱の竹が、奇妙な間隔で伸びている。

その奥へと石で出来たゆるやかな階段が伸びている。

ひいらぎは階段の前で一度辺りをみまわした。

風が竹を揺さぶる音がしゃりしゃりとしていたが、それ以外には音はしなかった。

ひいらぎはゆっくりと階段をのぼっていった。

緩やかな上りが終わるとすぐに下り始め、最初は2歩で一段ずつでちょうどよかったのだが、少し段が狭くなっているのか、2歩だと少し多くて一歩だとだいぶ少なく、そのうち一歩で少し少なくなってきて、ひいらぎは少し小走りになって、最後には結構な勢いで段を飛び抜かして、すとんと飛び降りるはめになった。

降りた先はきれいにまるく平らになっていて、そのまわりにきれいに丸く等間隔に6本の太くて立派な竹が天井を包み込むように伸びていた。

地面は硬く、ぴかぴかに土を固めてあって、まわりには竹の手前で一段だんになっていて、きれいにまるく、固めてあった。

そしてまんなかに小さな井戸がひいらぎの腰の高さくらいまで頭をつき出していた。


「ひいらぎかい?」

太く短いうすいオレンジ色の声がひいらぎの後ろから聞こえた。


そこには見たことも無いような大男が座っていた。

座っているにかもかかわらず、目線はひいらぎより高かったし、大男独特のオーラが(実際ひいらぎはあまり背の大きな人に会ったことはなかった。ひいらぎのお父さんもあまり背は大きい方ではなかったし、あえて大きいと言うのならひいらぎの学校の先生くらいだったが、この男の人は明らかに違っていた。)深々(しんしん)と出ていたから、ひいらぎはこの人が立ったらどのくらい大きいのだろうと想像しながら、じっとそのくぼみの奥にある目を右と左交互に見つめてしまった。

「ひいらぎだろう?大きくなったね。」

ひいらぎはふと我に返った。

実はひいらぎはここに来るのは初めてだった。

ひいらぎのお母さんに特別な水でしか育たない草木の話しや、その水がここにしか売ってない事や、ここに来るときにいつもお母さん一人で来る理由(その理由はお母さんの事を思って誰にも言うことは出来ないが。)は聞いていたが、今までここに来たことは無い。

会ったことがあるとすればどこか違う所で会ったのだろうか。

でもどこで会ったとしてもこの人のことを私忘れたりしないわ。

こんなに大きな人。

ひいらぎはゆっくりとそしてこっそりと心の中で微笑んだ。


「私のことを知ってるの?」

大男は複雑な笑みを浮かべている。

多分この笑みは彼の癖なのだろう。

嬉しいのか、困っているのか分からない。

でも彼のうすいオレンジ色の声はひいらぎに安心感を与えていた。

「昔、君はここに来たことがあるよ。

わたしはよく覚えている。

すごく小さかったから君は覚えてないかもしれないが、わたしは君の声の色をよく憶えている。

お母さんと一緒に来たのを憶えていないかい?」


「憶えてないわ。そんな話聞いたことないもの。」


ひいらぎがそう言うあいだ、大男はずっとうなずいていた。

そんなにうなずいたら首が取れてしまうんじゃないかとひいらぎは少し不安になった。


「もう大きくなったから、井戸の上に立ってみるかい?」


大男は今度はやさしい笑みを浮かべてそう言った。

ひいらぎはすぐには意味がよく分からなかった。

井戸の上に立つ?

それってすごく危険なことじゃない?

井戸の中に落ちてしまったら私どうなってしまうんだろう。

多分井戸の水はすごく冷たくて、びっくりするんだろうな。

なんて事を考えていると、大男はすっくりと立ち上がり、井戸の裏から3つに分かれた蓋を寥々と取り出し、燦々と井戸の上に並べた。

そしてこちらを見てまた複雑な笑みを浮かべている。

ひいらぎはにっこりと笑って大男の手を借り、井戸の上に上った。

周りには6本の大きな竹が聳え、その後ろには少し大きかったり少し小さかったりする美しい朱竹が、重なり合って深い陰影を付け合っている。


「くるりとまわりを見てごらん。」


ひいらぎはゆっくりとまわりを見回した。

何も見逃すまいと少しずつ回転しながら、1分くらいかけてようやくもとの位置に戻った。


「何が見えた?」


大男は心配そうな顔をしている。


「朱い竹しか見えないわ。」


そう言ってひいらぎは大男ががっかりするかもしれないと思った。

しかし大男は、ほっとした笑顔で、またたくさんうなずいた。

今度こそ首が取れてしまうと思うくらいに。



「外が見えるかい?」


ひいらぎは注意深く観察した。

しかし竹と竹の隙間から外を見ることは出来なかった。


「いいえ。」


「見えない竹はあるかい?」


大男は真剣な顔でこちらを見ている。

見えない竹?

見えない竹は見えないからあるかどうか分からないじゃない!

ひいらぎはそう思ったのだが、もう一度注意深く観察することにした。

自分で3つのルールを作って最初からゆっくりと時間をかけて。


ルールその1、一つ一つの竹に他の竹の影がどのくらいあたっているか。

ルールその2、近い竹から次に見える竹までの距離がどのくらいあるのか。

ルールその3、一番近い竹同士の間に何本の竹が見えるのか。


ひいらぎは一回りするのに時間が掛かったが、1つの結論に達した。

見えてない竹は無い!ほんの少しだけしか見えない竹はあるけれど、まったく見えない竹は無い。

それがひいらぎに分かったことだった。

それが分かって大男に目をやると、彼はいつの間にか立ち上がっていて、しきりにうなずいていた。

大男の顔はひいらぎの顔と同じくらいの高さにあって、ひいらぎは少し嬉しくなってしまった。


「見えない竹はないわ。」


「君の抱えた問題はそう大きな問題ではないようだ。 何も心配することは無い。君は愛されているよ。」


大男はまぶしそうに目を細めてそう言った。


「どうして?」


「ここの竹は振動によって少しずつ位置を変える。

君が階段を歩いてきたときから 少しずつ竹は移動していた。

ある竹は君の不安に反応して移動したし、 ある竹は君の元気に反応して移動した。

竹の位置は君の周りの状態だ。

それはあまり急激に変化するものではないし、その変化は自分では分からないものだが、確実に変化している。

人によっては隙間から外が見える人もいるし、見えない竹がある人もいる。

それに見えない竹に気がつかない人もいる。

見えない竹はないと分かった君は注意深くいられている証拠だ。

注意深くいられるかは大切なことだ。

すべての竹が君のためにうまく機能している。

少ししか見えない竹にも重要な役割があるって事だ。

それはそうあることじゃない。」


大男はもうほとんど目をつぶっていた。

それほどまぶしい事はないと思うのだが、彼にとってはもう一大事のようだった。

目をつぶってしかもうなずきながら話すものだからひいらぎは注意深く聞かなければならなかった。


「私からは外がよく見える。

とてもまぶしい世界だ。

君に外が見えないって事は 君はいろいろな物に守られているってことだ。

それは君がいるべき所にいるって事なんだよ。

さあ、井戸から降りて水を汲もう。」


ひいらぎはするりと井戸から降り、大男の様子を見ていた。

大男は再び寥々と蓋をはずし、小さな赤い水筒を取り出し、侃々と水を汲んだ。

どうしてこの人のすることはいちいち儀式みたいなんだろう?

なにかすごく複雑で大変なことをしているように見える。

濛々と水筒の蓋を閉め、ひいらぎに手渡した。


「気をつけて帰るんだよ。またおいで。」


「いろいろとありがとう。」


大男はうんうんとうなずいてひいらぎを見送った。

ひいらぎは階段を歩きながら手袋の色がもとに戻りつつあるのに気がついた。

このこともあの竹たちは知っていたんだろうか。

そう考えると不思議な感じがした。

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