1-2 退廃の地では
退廃の地では
そこはかつて、街の中心で、人々が集う広場であった。
今では木の箱がポツンと置かれたのみのその広場は、あの事件が起きてから人っ子一人よりつかない領域を形成した。
「もうこんなに人が来ているのか……」
今日は幸運なことに雨が休みを取ったらしい。ここ最近は曇りのことが多く、水には困らなかったが、幾分か体調は崩した。
そんな天候の中、この広場も今日だけは異例だ。人のボソボソという話し声は、二人ないしは三人で形成された知り合いどうしのグループ間でのみ放たれ、どこか人を遠ざけるような雰囲気を醸し出していた。
どうして人がこの退廃した地にわざわざ集まっているのかといえば……。
「諸君ら」
木箱にトンと軽やかに飛び乗る男。
いつの間にそこに現れたのか気づかなかったが、ここにいる全ての人間がこの男を目当てに訪れた。
「ここに来てくれて感謝しよう。そして、これだけの人が生き残ってくれていたこと、他人事ながらも喜ばしく思うよ」
「副隊長。枕は良いのでさっさと本題に……」
「分かっているって……! そう急かすな、せっかくそれなりに渋い口調で、猫を被って、威厳を最大限作り上げていたんだから……!」
「早くしないと鼻のいい輩が寄ってきます」
「あーはいはい……!」
オホンと一息整えて。
「早速本題だ。君達はアイギスの匣の解放に向けて人間が立ち上がる為にここに集ってくれたはずだ。しかし敵は、事件が起こる前から戦闘を主として過ごしてきた我々ですら手を焼くような強大な相手ばかりだ」
副隊長と呼ばれていた髭面の男は、後ろにいた部下らしき男から大きな麻袋を受け取り、それを突き出すように示す。
「この一年で人間という種族はその数を七割以上減らした。しかし、その死のおかげで唯一得た物がこれだ」
麻袋に手を入れ、一つ取り出す。
「あれが噂の魔素玉……か?」
正直なことを言えば、想像していたよりも数段チープで、以下にもそのへんに転がっていそうな石ころのような見た目をしている。
「この魔素玉は、敵の魔獣なら必ず持っているものだ。それを人工的に作り出し、我々が敵と戦うために利用する」
歪な形のそれは、一色の輝きを放つ訳ではなく、折り重なった層状のもののようで、複雑な煌めきを空気に映していた。
「これを作り上げるまでに、一年もの歳月がかかってしまったのだ。今回の作戦は失敗する訳にはいかない。今まで俺たちのように、アイギスの匣を開放すべく立ち上がった同志の命をムダにしないためにも、ここで、俺たちが、確実に終止符を打たねばならん」
後ろにたっている男はフードを被っているが、それでも分かる表情の苛付きには疑問すら覚える程だが、髭の言う通り、ここで終わらせるために一人でここまで来たのだ。家族を守りたくてここまで来たのに、何も出来ずに逃げ帰るなど出来るものか。
「だからこそ、死んではいけない! どれほど深い傷を負っても、死んではいけない。それでは目的から大きく外れてしまっているのだ。それをよく覚えておいてほしい」
そう言い終わると、髭は木箱から降りて広場全体に散らばる開放戦参加者一人ひとりに手渡しで、なにか会話を交わしながら魔素玉を与えていく。
言ってしまえば、誰もが敵に対抗するために、あの魔素玉が欲しいがためにこの地にまできたのだ。それほど喉から手が出る程に欲しいものだ。
そして、隊員が何やら忙しなく動き出した頃、俺のところまで回ってきた。
「ん……。君は随分若いな……。まだ二十手前だろう?」
「え、ええ。まだ十七です。参加するのは駄目ですか?」
「ああ、いやいや。そうではないよ! むしろ感謝するさ、力のある若者がこの作戦に参加してくれるんだ、心強い限りだ」
なら何故? と問いかけたかったが、その答えは続けざまに髭が言う。
「ただ、この作戦は命を懸けて戦うことになる。本音を言えば、まだまだ先のある君のような人はそんな危険を犯すよりも、その後のことの中心に立って欲しいと思うところがあってな……」
「そうですか……。しかしそれで、わたしが死んだら私は家族も守れず、戦うことも出来ない。肉体どころか存在まで屍に成り下がってしまうのは嫌なんです」
髭は明確な決意表明を目の前にしても一瞬戸惑った。見た目から察するに四十から五十と言ったところか、俺と同い年くらいの子供でもいるのか。
「そうだな。頼むぞ少年! いつだって君のことは期待しているよ」
そう言ってポンポンと肩を叩いて、ぶら下がる掌に魔素玉を握らせ、その上から強く握り締めた。
握らされた魔素玉を見ると、それは比較的綺麗な球状で、先程現物の一つとして見せられたものと同一のものと思えないようなものだった。
髭は、二十人に満たない全員に魔素玉を渡し終える。
「みんなに魔素玉は行っただろう。それは大事に使ってくれ。こちらも十分とは言えない数しか確保出来ていなくてな、ここぞという時に使ってくれると助かるよ」
男は麻袋と羊皮紙を持ち替える。
「さて、もう一つ我々からの希望だ。ここにいる君たちを、いくつかの小隊に分けようと思う」
小隊……?
「先にも話したように敵は限りなく強大なのだ。この街を見てわかるように、な」
その言葉を遮るようにボソリと男が呟く。
「小隊なら、元々知り合いの数人で組んだらダメか?」
「いや、それで構わない。ただ、出来るなら最低でも四人の小隊を、上限は六人で組んで欲しい。勿論多ければ多いほどいい訳では無いからな。動きが制約されてしまう。しかし、最低値に関しては今まで我々が倒してきた経験上それ以下だと、かなりの熟練者出ないと厳しいのだ」
「そうか……。了解したよ」
「ありがとう。それじゃあ小隊についてだが、できるならこちらで決めさせてもらいたい。知り合いはそれで固まっていてくれれば、考慮する」
そう言って再び木箱からストンと飛び降りると、機敏な動きで小隊を決定していく。
しかしそう上手くは行かないのが相場だ。
「むう、一人足りないか……」
できたグループは六人が一つ、五人が一つ、四人が一つ、そして余り物三人という組み合わせだ。五人、六人がそれぞれ大所帯での参加であったため、組み合わせが上手くわけられないのだ。
「誰か一人こちらに移動するというのは可能か?」
しかしその提案に乗るものは当然いない。何故なら、理由は至極単純明快、命をかけるのに、力量も知らない、性格もわからない、そんな相手に預けられるわけがない。
「そうだな……。なら君たち三人は暫くの間我々とともに行動をしよう。それならばお互いのことを知る期間もできて安心出来るだろう」
そうとひとりで決めてから、行動は早かった。
「よし、これで用件は済んだ! 各自アイギスの匣を目指して頑張ってくれ! 解散だ!」
その言葉を川切れに、足早にその場を立ち去る面々。しかし、自動的に髭たちと行動することになったため、その場で準備ができるまで待っていると、フードが取れるほどの勢いで、こちらに駆け寄ってくる影。
「副隊長……! やはり餓狼種がこちらを嗅ぎつけて向かっていると……」
餓狼種とは、狼の形を模す四足歩行の肉食魔獣を総じて言う。その気性は荒く、腹がすいていれば直近の人間だろうが動物だろうが、はたまた同じ魔獣であろうが骨まで喰らい尽くす程獰猛な魔獣である。
「そいつらは全員……」
「ええ。まだ若年段階にあるかと」
「そうか。餓狼種なら逃げても仕方がない。サッサと迎え撃つ準備をするぞ」
唐突な戦闘宣告にあっけらかんとしてしまう。
「済まないな。我々と行動すると言うのはこのようなネガティブ要素まで持ち合わせてしまっている。餓狼種なら群れで、死を恐れず襲いかかってくる。一頭くらいは倒してくれ」
そう言い終わるとほぼ同時に、空高く跳ね上がる敵影は一瞬で視界外へと抜ける。
「来るぞ! 全員構えろお!」
跳ね上がった敵影の方角からは、敵情視察をしていたと思われる二人がこちらへ全速力で逃げてくる様子が見て取れた。
更には、どこからか気配なくか現れた餓狼種数頭に、編成したての小隊の背後を取られ、逃げ道が完全に断たれた。
「一隊は観測者のカバー! 二隊は上だ!」
髭とともに出向いていた人数は、観測者も含めれば十二人。ちょうど小隊二つ分だ。
大きな盾を持つものは、攻撃対象と餓狼種の間に立ち、常に囮になるように動き、側方からも上方からも迫りくる魔獣をその盾で打ち返している。そこで一瞬の隙を突き、様々な攻撃法を用いて餓狼種を討伐していく。
しかしながら、「餓狼種なら」というだけあって、魔素玉の力に頼ることはなく各自己の剣技のみで撃破していく。
そんな光景を見届ける暇なく、髭はこちらへ振り向く。
「あちらは任せておけばこちらに来ることはない。私たちは後ろを取り囲む奴らだ。しかし、先程は済まなかったな、一頭くらいなどと言ってしまって……」
左腰に剥き出しで下げられた剣を、ジャリンと不愉快な金属音をたてて引き抜く。
「どうやらそれ以上倒さないと、命がないようだ」
本格的な複数人での戦闘は初めてだ。
三人とも名前も知らないままお互いの命を預ける。
身長大の背高という、一般的な狼に比べれば大柄な魔獣は、「グルルルル……」と喉を呻らせて威嚇をし、こちらを睨みつける。
「来るぞ! 脇から来るのは私が押し退ける! 三人で一体を囲んで仕留めろ」
低い姿勢で静止していた一頭の餓狼種・マルコシアスは、直線距離で一番近かった俺に超加速して噛み付こうとする。
「ッグ……!」
その目の追いつかない行動に、咄嗟に手に持っていた剣を身体の前に持ってくるので精いっぱいだった。
マルコシアスの顔側面に刀身を叩きつけるようにしてぶつけたそれは、相手からすればなんの効果もない攻撃だ。瞬時に動と静を切り替えられるマルコシアスにとっては、スローな動きをする金属に頬ずりをしているに違いない。何度かの加速と静止を繰り返し、敵の目が追いつかないうちに仕留めるのが奴らの手法である。
再度噛みつきに、一撃必殺とばかりに首筋を狙うそれは、中段で横に構えた刀身を、相手を削ぐように斬りかかりいなす。
「……ッ!」
その直後、小隊のメンバーとなった一人の男が、振り向きざまに一瞬の静止をすると踏んで斬りかかった。しかし、そのまま空を斬り、さらには地面をも斬ってしまう。
その状況が何度も繰り返される。三人に代わる代わる襲いかかる狼は、しかし、容易にいなせ、徐々に目が慣れてきた。
そんな中で、たった数撃しか剣を閃かせていないが、決して強くはないそう感じる相手なのだ。
距離が空いていた三人は、一度近づいて短く言葉を切る。目を合わせてやるしかないとばかりに作戦を端的に伝える。
「俺がいなす。その直後は頼むぞ」
「それならおれが、もう一度囮になる」
「分かった」
一息吐く。
相手と同速に、その思いを込め一気に距離を詰める。マルコシアスもそれに呼応するかのように、直線的に距離を詰めてくる。
「斬る」
つもりでいなすのだ。目が慣れて、身体も付いてくるようになり、何度目か分からないこのルーチンワークは上手くなりすぎていた。
着地後の一瞬の静止。その瞬間に敢えて止めを狙わず、広範囲かつ相手にとって僅かながら逃げる空白が存在するように、斜めから大振りに攻撃する。
「ッァァアアア!」
敵は低い姿勢で、一番逃走確度の高い方へと本能的に逃げ出す。それが今までの相手にとっての無意識なルーチンとなっていた。
力を入れないで下から上へ振り上げるように正中線に斬り掛かる。
敵の速度と剣の速度が相まって、潰れることなくマルコシアスの肉体は剣を吸い込み、真っ二つに斬られた肉片は身体の両脇に分かれ、後方に吹き飛んでいった。
湧き出る喜びから、三人で思わず向き合ってほほ笑む。
三人の初の連携プレーは功を奏し、敵対していた餓狼種一体の討伐を為し遂げた。
しかし、ただただ喜んでいる暇はない。
「よし、次だ」
そうアイコンタクトを二人に送り、髭が押し退けていたうちの一頭を引き受ける
「やることは同じだ……!」
完全な分担作業をすることにより、次々と餓狼種を倒していく。
しかしイレギュラーが訪れる。
「コイ……ツ……!」
最初に囮として飛び出したにもかかわらず、マルコシアスはもう一人の男に、真っ先に狙いをつけて襲いかかる。それが、今までの同種の殺られ方を見て学んだのか、偶然だったのかは分からないが、三人に焦りをもたらしたのは言うまでもない。
「クッ……!」
剣身は長くないが、重く、一撃に重きを置いたそれに噛みつき離れない。金属製の剣身に牙を突き刺して、口元から覗く光景は、犬歯がその厚さを貫いているようにも見えた。そのせいか、振りほどこうとすればするほど、相反する力に剣そのものが持っていかれそうになる。
「今助ける……!」
もう一人の残りのメンバーが、加勢に向かう。
横っ腹を、今まで同様下から上へ切り上げるように剣戟を繰り出す。しかし、その剣戟が火花を散らしたのは噛み付いている剣とだった。力技であるが、何よりも確かにそれを防ぐ手段でもある。
「えっ……!?」
音を立てて跳ね返された衝撃に、思わず数歩下がってしまっていた。
その光景を見て、一撃に力を込めて斬りかかることにした。
「離れろ……!」
上がっている息を一つして、唾を飲む。
構えるのは、水平な脇構え。
「…………ッ!」
その重さのものを携えていれば大きな動きはできない。その予想は間違いなかった。
繰り出された突きは、一瞬、マルコシアスの動きのように視界から離れたかと思えば、切っ先はその眉間に刺さっていた。
「ピタリと水平で止まる脇構え……。剣筋が似ているな……」
集中していたために、誰と似ているのかまでは耳に残らなかったが、きっとそれは自身の剣線を褒めているととっても相違ないだろう。
ふつっと糸が切れたように集中力は切れ、途端に辺りの様子の視界が広くなる。よく見れば、取り囲んでいたはずの餓狼種は数を減らし、残り数頭となっていた。そしてそれらは髭のいう一隊、二隊が引き受け、逆に複数人で取り囲んで確実に仕留めていく。
「餓狼種は子供で構成された群れなら、数が尋常じゃない限り生き残りやすい。もうここまで来れば大丈夫だ。それにしても、さっきの連携、初対面にしては光るものがあったぞ!」
そう言って短いながらも蓄えられた髭を揺らし、親指を立てて称賛する。
「まあまだ粗削りだが」
ぬか喜びだった。
そのあとは、敵の行動パターンに気付くのが遅いとか、あそこの攻撃はなってないとか、さんざん指導を受けた。
「よし、全員即座に帰還準備を始めよ! 次の餓狼種が寄ってくる前にさっさと帰るぞ」
その一言で、少ない荷物を背負い、一分もかからずに準備を完了させると、まずは直近の拠点に向かって歩き出した。
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