異世界でマヨネーズ無双するために
まつきち
マヨネーズ
中世ヨーロッパ風異世界を舞台としたラノベで現代知識チートの代表格ともいえるマヨネーズ。「作れっこないじゃん」などとツッコミを入れるのはあまりに無粋だろう。いや、むしろリアル中世であっても作ろうと思えば作れない筈がないのだ。
リアル中世ヨーロッパの食文化をナメてはいけない。
とはいえ、ラノベにおける「中世」をある程度は定義しておかないと、リアルとの対照も出来なかろう。それは個々の作品の世界観がどう構築されているかに依存しているわけだが、「文明レベルは中世ヨーロッパ」という一言で世界観の説明を済ませてしまう作品も少なくないのだから、作者たちと読者の間に「中世ヨーロッパ」についての共通認識がある筈だ。
ヨーロッパ史の一般的な時代区分では
・4世紀以前……古代
・5世紀〜16世紀……中世、ルネサンス
・17〜18世紀……近世
・19世紀以降……近代、現代
となる。もちろんこれは大雑把なものに過ぎず、ルネサンスを中世と近世のどちらに位置づけるか、近代の始まりを絶対王政の終焉と産業革命のいずれに重きを置くか、など問題点はたくさんある。けれども今ここで確認したいのは、異世界ファンタジーの作者たち、読者たちが共有する「中世ヨーロッパ」なのだからあまり細部にこだわる必要はなかろう。
余程の歴史好きでなければ、既存のラノベ、アニメ、RPGにおける剣と魔法のファンタジー世界のイメージが多くのラノベの読者にとっての中世ヨーロッパだろう。バロック様式の建物があったとしても、その窓に大きな板ガラスが使われているとしても、些末なことに過ぎない。大切なのは、電気、ガス、水道、電話、テレビ、ラジオ、蒸気機関、ガソリンエンジンなどが存在しないことだ。これらの
NAISEIモノを別にすると、現代食文化チートをやる作品はおしなべて食料問題に直面していない印象がある。というか、飢餓に直面している状況で現代日本の料理を作ってどうするのさ、というのが普通の反応だろう。モンスター、魔物や野獣を狩ることで食肉が供給されているなどというまことにプリミティヴな形態であっても、穀物や果物、野菜、乳製品は苦もなく手に入る。ファンタジーなのだから目くじらを立ててはいけない。とりあえず食材はあるのだ。マヨネーズの材料はある、ということにしよう。
リアル中世、というよりも20世紀も半ばを過ぎるまで、鶏卵は年中気軽に手に入るものではなかったし、それなりに高級食材だったのも事実だ。とはいえ、都市住民でもカネさえあればゲットできた。植物油も酢も同様だ。胡椒もナツメグもあった。というか料理ではよく使われた。
フランスで14世紀終わりごろに書かれた『ル・メナジエ・ド・パリ』という書物がある。パリに住む大金持ちの男が、自らの若い嫁の教育のためにものした(と本文に書いてある)。嫁としての心得から始まって、ブルジョワの家を仕切るのに必要な事柄が記されている。その後半に食事のメニュー、レシピがかなりのページにわたって収められている。
誰のせいかは知らぬが、中世ヨーロッパ風異世界の食というと、粗末なスープとパン、何故か片手で持てる串焼きばかりが描かれる傾向にある。だから食文化無双をしようというわけなのだろう。
リアル中世ではそうはいかない。もう一度言うが、リアル中世ヨーロッパの食文化をナメてはいけない。
『ル・メナジエ・ド・パリ』に収められたレシピの総数は三百以上にのぼる。貧富の差の激しい社会だったから、貧農や庶民の食事は哀れなものだったろうが、貴族や金持ちのブルジョワはけっこう豊かな食生活を送っていたのだ。
マヨネーズに話を戻すと、『ル・メナジエ・ド・パリ』で必要な食材はどれも言及されている。つまり、リアル中世においてもマヨネーズを作ろうと思えば作れたわけだ。だがマヨネーズのレシピはない。
料理書にマヨネーズが載るのは1806年、つまり19世紀になってからのことだ。それ以前、18世紀中頃にはマヨネーズに言及した記述もあるようだ。いずれにしても、1815年にはユードというフランス人シェフがロンドンで出版した料理書(英語)にマヨネーズのレシピが収められているから、19世紀以降かなりの勢いでマヨネーズが普及していったと言える。
だから植物油を用いたマヨネーズは近代以降のものだと言っていいのだが、マヨネーズの原型というか兄弟みたいなものは17世紀の料理書に出てくる。1651年刊ラ・ヴァレーヌ著『フランス料理の本』の「白いソース添えアスパラガス」というレシピだ。アスパラガスは茹でるだけだから、ソースの部分のレシピを引用すると、
「新鮮なバター、卵黄、塩、ナツメグ、ヴィネガー少々をまとまるまでよく混ぜる」
素気ない記述だが、植物油ではなくバターを使っているけれどマヨネーズと同じということはわかるだろう。「白いソース」と書いてあるが、この本では色が白ければなんでもかんでも「白いソース」の名称を付けられているから、この呼び方は定着しなかった。のちに「ソース・オランデーズ」と呼ばれるようになる。オランダ風ソース、の意だが、どうしてオランダなのかという明確な根拠はないらしい。現代のフランス料理でも見かけるものだ。というか、「オランデーズソース」でググれば日本語のレシピがたくさん見つかる。ヴィネガーではなくレモン汁を使うのが一般的だが、大した違いはなかろう。好みの問題だ。
実際にこのオランデーズソースを作る際には、湯煎にかけながら全体が乳化するまでしっかり混ぜるのがポイント。冷えると固まってしまうから注意が必要。
さて、リアル中世で既にマヨネーズの材料はあった。似たようなレシピは17世紀に作られた。だから中世風異世界でマヨネーズを作ること自体はまったく不自然じゃない。やれば出来る。乳化するまで混ぜるのが大変なだけだが、そんなのは魔法で解決させればいい。
問題は異世界人たちを魅了するかどうかだ。中世風の貧富の差が激しい社会で、飢餓に直面していないとするなら、上流階級はそれなりに舌が肥えていないとおかしい。なにしろ食は三大欲求のひとつだ。生活に余裕があれば、美味の追究がなされていない筈もない。料理の素人がおぼろげな記憶をもとに作ったマヨネーズが彼らをに
もしタイムスリップでもして、リアル中世のフランスでマヨネーズを作ったとしたらどうだろうか? 拒否されることはないにしても、絶賛される可能性もあまり高くないように思われる。というのも、マヨネーズのようなソースに限らず、植物油を使うレシピはあまり多く残されておらず、油脂としてはもっぱらラード、バターなどが使われていたからだ。言うまでもなく植物油は動物性の脂と比べればあっさりしている。それを美味と感じるかどうか、ようするに味の好みの問題が大きいのだ。
日本でも、たとえば江戸時代にマグロの大トロなどは美味とされなかった。ところが現代では大トロこそ最上の扱いだ。これは食文化の変遷(間違っても「進歩」と呼ぶべきではない)、平たく言えば「好みが変わった」というだけのことだ。その変化は比較的ゆっくりとしたものだ。料理のひとつやふたつで、一朝一夕に変わるものではない。江戸時代の人間に、現代の高級寿司店の大トロのにぎりを食べさせたって、美味しくないと反応する可能性のほうが高いのだ。
オランデーズソースならどうか? 可能性はあるだろう。いかにも成立しそうだ。
ならばラノベでもマヨネーズならぬオランデーズソース無双すればよさそうなものだが、知っている者にとっては、いかにもありそうでかえってつまらないし、知らない読者からはワケワカランと拒否されそうな気もする。そもそも食文化無双は飯テロの要素もあるのだから、読者の知らないものを書いたってしょうがないのだ。
いや、マヨネーズ無双を批難しているわけではない。この点は誤解しないでいただきたい。本稿で僕が書きたいのはリアル中世の食文化についての蘊蓄であり、中世ヨーロッパ風異世界のことはダシに使っているだけなのだ。異世界ファンタジーに過度にリアリティを求めるべきじゃない。だから作者は好きに書いていいと思う。荒唐無稽もまた娯楽としてはいいものだ。
ただ、もはやテンプレと化し、マヨネーズを登場させたらネタ切れとさえ言われるくらいだから、パロディーとして笑いを狙うのでなければ、それなりに世界観を作り込み、効果的なギミックを仕込んでおかないと、平板な紋切り型の、ダレたエピソードに堕しかねないとは思う。
マヨネーズを現代知識チートのひとつとして有効に機能させるための仕掛けをいくつか提案しておこう。
ひとつは植物油と酢の種類。どういうものがマヨネーズに適しているかを示すと説得力が出るだろう。ちなみに、リアル中世において酸味付けは未熟なぶどう果汁(ヴェルジュ)が好んで用いられた。ヴェルジュは現代でも普通に売られている。
ふたつめは、全卵を使うか卵黄だけにするかの選択。これは日本の大手メーカーでも分かれるところのようだが、現代ヨーロッパでは全卵が主流。マヨラー同士で論争になるくらいだから、エピソードの肉付けにもいいだろう。
みっつめは容器。現代ヨーロッパの市販のマヨネーズは瓶詰めが主流。プラスチック製のチューブもあるけれど、それほど一般的ではないような印象がある(学食などではシャンプーの容器のようなポンプ式のボトルが据え付けられていることもある)。瓶詰めの場合は、スプーンで掬って皿に出したり、料理にかけてやる必要がある。これが存外面倒だったりする。
異世界モノのラノベでマヨネーズがテンプレ化しているのは、現代日本においてマヨネーズが非常に好まれているという事実の反映に過ぎない。自分が好ましいと強く思っているものを、他者にも好ましいと思われたい。それは、マヨネーズを好んでいるという自身の属性を他者に認めてもらいたいことに他ならない。ようするに承認欲求の表れとも解釈できるのだが、とまれ、ラノベはそんなことを考えながら読むべきものでもなかろう。
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