90話 奥義 木霊の太刀

「エリス、リューイと一緒に離れていろ。直ぐに片を付けてくる。」


ゴーザが立ち上がり、床に落ちていた刀を拾って歩き出した。

一度だけ、刀を鞘に納めて両手で構えたが「クッ!」と言ってすぐに片手を鞘に戻す。


「ユウキ。その剣でもう一度だ。」


「おじいちゃん!でも痛がっているけど傷一つ付いていないよ。」


「奴らにとって顕現体の傷など、さしたる意味はない。痛みを与えられるのなら今度はもっと致命的な所を攻めればいい。その露払いは儂がやる。お前は全力で一撃を放つ事だけを考えろ。」


そう言い放つとぐっと腰を落として刀を抜き放つ。

鞘走る刀身は夕日の僅かな残光を受けてくれないに染まる。

純烈な紅の刃は赤黒く照らされた聖堂の中に在って邪悪にこうしているかのように光りを放った。


苦しそうに立ち上がったトードリリーは指を動かして動きを確かめたが、しかし自分のその行動自体が忌々いまいましかったのか顔を上げてゴーザを睨みつけた。


「愚かな。私に痛みを与えたくらいで勝ったつもりか。多少は驚かされたが所詮は小枝が当たった様なものだ。この程度で私をどうにか出来ると思うなよ。」


「確かに孫の力では斬り裂く事ができなかった様だな。だがユウキは一人で戦っているのではない。貴様を斬り裂くのは儂だ。」


「ふっ、鋼より硬い私の身体が剣などで傷付くものか。それとも、その鞘を使うのか?私はアグリオスとは違うぞ。」


「そんな必要はない、使うのはこの刀だけだ。」


そう言って鞘を置くと、構えた刀を徐々に上げて行く。

床に置いた鞘は足先で弾いてエリス達とトードリリーの間を遮る様に滑らせる。

万一の場合に少しでも敵の歩調を乱す為だ。


「ユウキ良く見ておけ。これからやるのはこの水切りの奥義。斬撃に特化し、折れず曲がらず、あらゆるものを『水面を滑るが如く』斬り捨てる、その銘の由来となった一太刀だ。」


頭上を越えた剣先が弧を描いて背後に傾ぎかしぎ、右足を引いて左半身に構えた姿が静かに沈む。

俗に上段は『火の位』と呼ばれる攻撃専心の構えであるが、その姿は澱みなく流れる水の様だとユウキには感じられた。


そして何の高まりも切っ掛けもないままに、それはいつの間にか始まった。



◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



何の高ぶりも見せず、目の前の男はいつの間にか前に出て剣を振り降ろしていた。


(思った以上に早い。だがこの程度なら)


避ける程の余裕はないが腕を上げて外皮の厚い部分で受け止める。

思わせぶりな事を言っていたが予想したほどの衝撃はなく、剣は腕の表面を滑る様に流れると、最後に『キンッ』と鳴って切っ先が離れて行く。


刃鳴りの音が『キ~~~ンーーーキ~~~ン・・・』と木霊が返る様に響く。


「ハン!大きな事を言った割に傷さえ付かないではないか。」


右腕を振り上げてゴーザを叩き潰そうとしたが、目の前にはある筈の姿が無い。


(何処へ行った?)


僅かな疑問


僅かな苛立ち


僅かな怯え


「この刀が正しく振るわれる時、刃鳴りの音は刀身に宿りて駆け巡り、人と刀と魂の三位一体をもってあらゆるものを斬り裂く刃と化す。」


声に引かれて左を向くと横なぎに振りきった姿で残心を示すゴーザがいた。


(いつの間に。何が起きた?)


ふと気づくと上げたつもりの右腕が無かった。

直後、ズルリッと腰から上がずれて行く。

慌てて修復しようとすると、腕を突き出した格好の子供がいつの間にか目の前に立っていた。


そして


「ギャー―――――――!痛い!痛い!止めろ!離れろ!」


今まで感じた事のない激痛が身体の中心に差し込まれ、それが大木に斧を打ち込む様に身体の端々にまで広がって行く。

身体は内側に鉄心を通された様に動きにくくなり、自分が別の物に書き換えられて行く様な恐怖が湧き上がって冷静に考える余裕など欠片も残らない。

しかも斬られた傷が物理的なものであった為に身体は瞬く間に修復され、折れた木剣を咥えた様に取り込んでしまっていた。


「くそっ!抜けない!これを抜け!早く、早く抜かないか!」


もはや痛みから逃れる事しか考えられなかった。

掴んだ手が痛むのも構わずに刺さった木剣を握って必死に引き抜こうと足掻くが、それは元から身体の一部であったかの様に離れる気配を見せない。

しかも、更に押し込まれる恐怖から一度握ってしまった手は開く事ができなくなり、そうしている内にも身体は益々動かなくなって更に恐怖が降り積もって行く。

遅ればせながらユウキの存在に思い至り、尻尾を―――それでも恐ろしくて手を放す事はできなかったので―――ノロノロと持ち上げたが『キ~~~ン』という音と共に切り落とされてしまう。


「くっ、こんな・・・こんな事は認めない!私は傲慢な神たちを追い落とし、何もしないエフィメートに替わって世界を変えるんだ。そこの小娘を取り込みさえすれば私は・・・ギャー――――――――――ァァ。」


全身全霊を賭けてセレーマを注いでいたユウキにとって、トードリリーの呟きは風の音の様に意味を為さなかったが、リューイを私物の様に語った事だけは耳に残り、押えきれない怒りが心のベクトルを一つにした。


『『『リューイはお前の物じゃない!』』』


急激に高まった力が更なる苦痛をもたらした。



◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



実に簡単な話だ。


それまで重なり合う部分を増やそうしてユウキは一つ一つのロジックサーキット―――心―――の有り様を変えようと苦心していた。

だが調整しようとして『他』に意識を向けた時点で『自』と『他』の差異が生まれてしまう。

これでは双生児爆発ジェミニ・エクリクシスを起こす事など出来る筈はなかった。

ところが、リューイを私物扱いするトードリリーの言いぐさに全てのロジックサーキットは同じ怒りに染まり、同じ方向へと憎しみを向けた。


この瞬間にユウキのセレーマは強制搾取されている数十万人の想いを凌駕した。


「あぁーー。」


最早、張り上げる声さえも力を失い、厳つく膨れ上がった身体からは砂が落ちる様に鱗と筋肉が消えて元の弱々しい女体へと戻って行く。


やがて、木剣を掴んでいた腕が力を失ってだらりと垂れ下がって行った。





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