89話 反撃のきざはし

「お前に選ばせてやろう。もう一度私の炎を受け入れて下僕となるか、このまま死ぬか。」


手の平に炎を載せながらトードリリーは脅迫紛いの選択を迫っていた。

異形を歪ませているのは笑っているのだろうか。

しかし大きく裂けた口を開き、ギラギラとした眼を見開く様は誰が見ても『子供を喰おうとしている魔物』としか思えなかった。


「私も優秀な手駒は欲しい。欲を言えばお前の祖父か?あれ程の能力の持ち主が良かったのだが、壊れてしまったからな。

だが、血縁者なら期待はできるからお前にもチャンスをやろう。

私に仕えるがいい。」


ユウキから1シュード程離れた所に立ち、見下ろす瞳にはすでに勝者の余裕がある。

よもや自分の思い通りにならないなど考えてもいない。

だがユウキは何も答えない。

聞こえていないかの様に床を見つめて微動だにしない。

だが静かな様子とは裏腹に、頭の中では今後の展開を必死に考えていた。


(せめて、あと3歩)


ユウキは折れた木剣を背後に隠し持って間合いを測っていた。

吹き出す水に勢いがなくなり、もはや遠間から攻撃することはできなくなってしまったが、重ね掛けをした水の色は変わらずに血の様な濃い赤をしている。


(アグリオスを倒した時と同じ色に変化するのなら、威力も同じなのではないか。)


もちろん全くの見当違いの可能性もある。

しかし相談する相手も確かめる時間もない以上、ユウキにはこの直感に賭ける以外に方法はなかった。


とは言え、今のトードリリーはユウキよりも速い。

こちらの意図を気付かれてしまえば二度とチャンスはないだろう。

だから、なるべく近くで隙を突かなければならなかった。


「何とか言え!」


焦れたトードリリーが一歩足を踏み出した。


(あと2歩)


だがトードリリーはそれ以上近づく事はなく、代わりに炎の大蛇を出現させて顔を舐める程に近づけて来る。


(まだだ。炎では僕を従わせる事が出来ない以上、最後はきっと暴力を振るう為に近づいて来る。それまで待つんだ。それに、まだ重ね掛けの力が足りない。)


ユウキの意識の中ではアメーバの様にウネウネと増減を繰り返す8つのかたまりが重なり合って蠢いている。

この揺らぐ一つ一つがユウキの意識、セレーマの形を表している。

今までもロジックサーキットで意識の状態を観察することはあったが、意識的にその形や有りようを変えるのは難しく、重なり合う部分は思う様に増えてくれなかった。


「自分の立場が分かっていない様だな。」


苛立ちを見せたトードリリーが声を荒げるとユウキの肩に大蛇の牙が突き立てられた。

タルタロスサーキットは開いているので意識を縛られる事はないが、炎を消すために周天法を使う余裕はない。

ジリジリと痛みを感じる毎にせっかく積み重ねたセレーマが乱されてゆく。

僅かに顔を歪めたユウキが顔を上げると見下ろすトードリリーと目があった。


「怯えも媚びもしない。本当に癪に障る小僧だな。」


ヒュンと回された尾がユウキの首に巻き着いて膝を着いていた姿勢から強制的に立ち上がらせる。


(これは予想していなかったな。)


せめて殴る距離になれば斬り掛かるチャンスもあったかもしれないが、これでは期待していた所まで近づいてこないだろう。

その前に、このままでは身動きが取れない。


「自分で判断できないのなら私が決めてやろう。お前はここで死・・・」


「ユウキ!もういいから自分の事だけを考えなさい。これ以上あなたが傷付き苦しむ必要はないのよ。あとはおじいちゃんが何とかしてくれるわ。」


見かねて叫んだエリスの胸にはほとんど炎が着きかけていた。

ユウキが持って来た水切り、壊れたと言うトードリリーの言葉、そして現れない本人。

ゴーザに対する並々ならぬ信頼が有ればこそ、まだ持ち堪えているがエリスが炎に囚われてしまうのも時間の問題だと思われた。

腰にしがみ付くリューイが心配そうに見上げていても、返す笑顔はどこかぎこちない。


「言わなかったか?あの男の心は壊れてしまったぞ。身体は無事かもしれないが、もう意識が戻る事はない。」


「貴女はあの人を・・・ゴーザ・フェンネルの事を何も知らない。私は夫を信じています。あの人は必ず私達の所に来て、全て解決してくれるわ。」


「その割には心に炎が着きかけているじゃないか。痩せ我慢が出来るだけ大した物だが、こうも逆らわれるのは面白くないな。ならば私の炎を受けてもその考えが変わらないか試してみようじゃないか。それにこの坊やも身内に説得された方が決断がしやすいだろう。」


ユウキに絡みついていた尾が離れ、噛付いていた大蛇がトードリリーの元へ戻って行った。

だが次の瞬間にはエリスへと向きを変える。


「おばあちゃん!」


もう機会を待ってなどいられなかった。

ユウキは急ぎ折れた木剣にセレーマを注ぐと走り寄って斬り掛かる。


だが何の工夫もない攻撃など今のトードリリーにとって大した意味はない。

避ける事も容易かったが、あえて片手で受け止めて見せたのは、その方が力の差をはっきりさせて従わせ易くなるとの思惑があったから。

ところが


「ギャーーー!」


悲鳴を上げたトードリリーが苦痛に転げ回る。


「痛い!・・・痛い?顕現体なのに、何故痛みを感じる?」


思いもしなかった苦痛にパニックどころか恐慌に陥っていた。


顕現体は遠隔操作の人形の様なものだ。

自由に動き、権能を使う事はできても、所詮は仮初めの身体。

痛みを感じたり、仮に消滅させられる事があったとしても神界にある神体そのものが影響を受ける事はない。

ない筈だった。

ところが、今トードリリーが感じた痛みはこの前提を覆し、下手な事をすれば自分の存在も危うい事を意味していた。


平静を失い、エリスに向かった大蛇はかき消された。

心配したユウキが振り向くとエリスとリューイを抱き留めたゴーザが荒い息を吐いていた。


「待たせたな。」


そう言うゴーザは酷く苦しそうだ。

それが『急いで息が切れた』などという単純なことではないと気付いても、エリスはおくびにも出さない。

夫がこの程度の事で妻に心配されたと知れば余計に無理をするだろうし、実際必要もない。

ここにいるのは英雄ゴーザ

あらゆる困難を排してきた男だ。


「大変な時にどこでサボっていたのですか?」


「そう言ってくれるな。儂も色々と忙しかったのでな。」


「英雄ゴーザが泣き言を言わないのよ。・・・でも、ありがとう。」


もう何も心配することはないとエリスは微笑んだ。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る