第67話 最後の抵抗者 2

カイルの炎からジャンプしたアグリオスは聖火の中に姿を現した。

一段高いそこから見れば周りの状況が良く分かる。

この広場に居る人間でトードリリーの支配を受け入れていない者は残る所の目の前の二人だけになっていた。

それも近くにいる女がジリジリと向かっているし、周りに集まった者達が堀に降りようとしているのだからすぐに片が付くだろう。

何しろ、先程の男カイルの様に戦闘力がある訳でもない、唯の老人と子供なのだ。

碌に抗うあらがう事さえできずに取り込まれて終わるのは疑う余地もなかった。

だが、アグリオスは成り行きに任せる事に違和感を感じて考えを変えた。


「お前らは下がれ。トードリリー様が命じられたのだ。やはり最後は俺自身でやる。」


アグリオスの一声で柵を越えようとした者は止まり、堀に降りていた者は下がって行く。

つい先ほど炎に囚われたアラドーネも例外ではなく、嫌とも応とも言わずに二人から距離を取ると壁際まで下がって行った。


残ったのは開かない扉を背にした二人。

碌に力もない二人ではあのままアラドーネが近づけばそれで終わっていただろう。

あるいは逃げる事もできず、救いもない状況では膨れ上がる恐怖に潰されてアラドーネの様に発火する事も十分あり得る事だった。


だが、不思議な事に二人の目には悲壮感が全くない。

その事をいぶかしく思いはしたが、取るに足らない事と作業―――それはアグリオスにとって単なる作業に過ぎなかった―――を終わらせることにした。

足元で燃える炎を掬い揚げると、飼い犬に食べ物を投げ与える様にヒョイと放り落とす―――それだけの事だった。


◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


直ぐ横でアラドーネが炎に包まれるのを見てもエリスが取り乱す事はなかった。


『見た所、少し苦しそうだけど特に火傷や怪我をする様子はないわね。心を操られてしまうのは不気味だけど寝起きに微睡んでいると思えば大した事はないし、それに、きっと・・・。』


「ねぇ、リューイ。直ぐにユウキとおじいちゃんが来てくれると思うの。私たちにできる事は無くなっちゃったけど怪我だけはしない様に気を付けましょうね。」


幼児おさなごに『転んでけがをするから走らないでね』と注意をする様な気軽さだ。


生来のエリスが呑気なのか、稀代の英傑を夫に持ったが故の豪胆さなのか、普通であれば絶望する場面で実に伸び伸びとした振る舞いだった。

片やリューイにしてもユウキが来てくれると聞けば嬉しくさえある。

何より、この娘もまた死にたがりと揶揄やゆされる『フェンネル』なのだ。

自分の生命が掛かった場面でも客観的に考える事ができてしまう。

そして、その眼で眺めればこの状況は危機でもなんでもなかった。




アグリオスの投げた炎は緩い放物線を描いて二人に迫って来た。

それが落下に転じようとした時に二人の背後である異変が起こっていた。


もしも、注意深い観察者が居たならば気づいたかもしれない。

固く分厚い扉の表面にほんの小さな突起が生え、横にスッと移動したかと思うと今度は上から下に、扉の半ばまで動いて消えた。

その直後、深紅の液体が濁流と見紛うみまごう激しさで扉の上半分を吹き飛ばした。

落下途中だった炎は敢え無く流れに呑まれ、吹き飛んだ扉の破片は聖火台に当たりその土台を傾ける。

かしいだ台座から炎が零れ落ちたが続く紅い流れに触れるとジュウとも言わずに消え失せた。


切り取られた扉からゴーザが顔を出した時、扉の下に蹲ったエリスは赤い液体を浴びてズブ濡れになっていた。


「あなた・・・この服はとても気に入っていたのに酷いと思いませんか。お洗濯で綺麗になるのかしら。」

「おまえ、他に言うことはないのか?これでは儂の方が余程慌てている様ではないか。」

「あなたは色々な事に気が付き過ぎてただでさえ忙しい人なのだから、少し慌てる位で丁度いいのよ。それに比べて私はあなたが来てくれるのを待っていればいいだけなのよ。何を慌てる必要があると言うの?」

「そんな言い方をされると・・・儂よりお前の器が大きいように聞こえるぞ。」

「あら、当たり前じゃないの。だって、散々やんちゃをしたあなたを受け止め続けてきたのよ。器だって大きくなるわ。」


「うふふ」と笑うエリスと呆れるゴーザ。

周りに居る者達はこの場面でじゃれ合う二人にあ然としていた。


「おばあちゃん、その水はしばらくすると消えるから心配いらないよ。」

ゴーザの横からユウキがヒョイと顔を出した。

ユウキにとってはこんなものは日常茶飯事なので驚くにはあたらない。

エリスはそれを聞いて『心配する事は無くなった』と胸を撫で下ろし、ゴーザはその様子に呆れて憮然とした。


もっとも、これはゴーザの照れ隠しに過ぎない。

本心ではそこに居るのがいつも通りの妻であった事を密かに安堵していたのだが、『心配していた』『信頼が嬉しかった』などと気づかれれば調子に乗って何を言い出すか知れたものではない。

本心を隠すためには殊さら厳めしい顔をするしかなかった。



「エリス、あとは儂が対処する。少し横に離れていろ。」

気持ちを切り替えたゴーザが真剣な面持ちでエリスに告げる。

戦いを前にした戦士の顔だ。

するとエリスも夫を信頼する妻として即座に横に移動する。

直後、ゴーザが剣を振り降ろすと扉から僅かに突き出た切っ先が上から下へと移動した。



『英雄ゴーザ』の武器と言われれば誰もが『炎の大剣』を思い浮かべるだろう。

刀身7キルド、二握り半の束まで含めれば小柄な女性の身の丈に迫る両手持ちの大剣だ。

肉厚幅広の鉄塊は剣の形はしていてもその威力はむしろ鈍器に近く、ひと度炎を纏って斬りつければ衝撃で押切り炎で焼き切る凶悪な破壊力を発揮する。


一方でゴーザ本人が常用したのは今も手にしている刀だった。

黒い刀身は5キルドと大剣よりやや短く、重さに至っては半分近い。

派手な能力こそないが固く、伸びず、刃こぼれせず、ただ『斬る』ことだけに特化したひと振りだった。

銘は『水切り』。

その切れ味はあらゆるものを『水面みなもを滑るが如く』両断する。


その名に偽りなく、さして力を込めた様子もなかったが厚さ1キルド(手の平を広げた程)もある鉄の扉がゴトンと倒れて閉ざしていた道を開いた。



◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



紅い水流が迫った時、アグリオスは反射的にアラドーネの炎に跳んで攻撃を避けていた。


炎鬼は炎を纏うので『水に弱い』


などと言うことはもちろんない。

それは神威がその様に見えるだけで、実際に燃えている訳ではないのだ。

だから本来は水流如きを避ける必要はないのだが、人間であった時の本能で無意識に攻撃を回避してしまったのだ。

だが、聖火台を傾けた水流がその炎まで消したのを見て『自分の行動が間違いではなかった』と知ることになる。

聖火もまた炎の形を取ってはいてもトードリリーの神威に他ならない。

上位者の神威を消せるなら、今や自分の命となった炎も消される可能性がある。

ほんの数刻前に、炎鬼となって初めて受けた苦痛が蘇った。


「また会えたな、小僧!」


身内を駆け上がる歓喜にアグリオスが獰猛に笑った。


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