第68話 VSアグリオス

アグリオスが近づくのを見てユウキは無意識に一歩前に出てしまった。

自分が狙われているのだと分かっていても・・・アグリオスがどれ程危険なのか知っていても、その悪意の前にリューイを晒しておきたくなかったのだ。

大事な妹を背に隠して木剣を構えた行動は称賛に値するものだったが、この時は完全に裏目に出てしまった。


「ほぉーーー。後ろの奴はお前の家族か?丁度いい。そいつらを殺してお前の顔が絶望に変わるのを眺める方がずっと気分が良さそうだ。」

ユウキの表情が強張るのを見てアグリオスは満足そうに笑みを浮かべた。


いつの間にか炎を消したアグリオスは人間形態に戻って、あの切先の無い片刃肉厚の剣を担いでいた。

炎鬼であれば天敵と言えるユウキの木剣もこれでは水を出すただの木の棒に過ぎない。

このままでは最初に襲われた時の繰り返しにしかならず、しかも手の内は知られ、風の魔導具は壊れてなくなっていた。


しかし全てが悪い方向に変わった訳ではない。

あの後、僅かな間にユウキは驚く程多くの事を学び成長している。

そして何よりも、あの時にはいなかった心強い味方が傍らにいた。


「儂の目の前で家族を殺させる訳がなかろうが。」


静かに進み出たゴーザが愛刀『水きり』を抜き、鞘を左手に構えてアグリオスの前に立ち塞がった。


「英雄ゴーザか。エリグマの手前できなかったが、いつかこの手で壊したいと思っていた。」


言い終わるのを待たず、一歩踏み込むと肩に担いだ剣を振り振り降ろす。

目で捉える事の出来ないアグリオスの斬撃は、しかしゴーザの剣で撃ち落とされて地面を盛大に抉って終わった。


「技の出が単純だ。緩急がない。その剣速は調節が利かないな―――確かに早いが速度は一定で止める事も曲げる事もできなければ止まっているのと大した違いはない。総じて芸が無いな。コルドランで中層までは通用するが深層や底では1ザードと保たん。」

辛辣な評価と共に、振り上げようとしたアグリオスの剣を途中で弾き、今度は左の鞘で横面を叩いて吹き飛ばした。

無造作に近づくゴーザに対して直ぐに立ち上がったアグリオスが斬り掛かるが、断崖に挑んでいる様にその斬撃は悉く打ち払われる。


実の所、斬撃の速さとそこに込められた力に限れば、アグリオスはゴーザを凌駕している。

単純に打ち合えば弾かれ押し切られるのはゴーザの方だろう。

だが経験と、経験に裏付けられた技量によってアグリオスの力と速さはその威力を発揮する前に潰され、あるいは逸らされて、決して十全な状態で打ち合う事など出来はしなかった。

そして何よりその心の強さに於いてアグリオスは決してゴーザに敵わない。


剣は一心に鍛錬し、自信もあったのだろう。

今までアグリオスが壊せないと思うモノは存在せず、力任せにその剣を叩きつければ敵対する全ては残骸に成り果てた。

それなのに、目の前の男も男が持つ剣も幾ら力を込めても壊れないし崩れもしない。

何度も何度も剣と剣がぶつかっては火花が散り、直後に鈍器のような鞘に殴られては吹き飛ばされた。


そして何度目になるのか、ゴーザが横なぎの斬撃を受け止めた直後、剣は炎に変わり再度加速してゴーザの刀をすり抜けた。

ファミリアの男達を斬り殺した時と同じだ。

余りに固い壁に阻まれてアグリオスは剣士のプライドをあっさりと捨てると、形振り構わず結果を求めたのだった。

この瞬間、アグリオスの中から人間であった頃の拘りは跡形もなく消え失せ、完全な炎鬼アグリオスが誕生した。


ゴーザの愛刀水切りは超級エリアルを加工したものだったので炎鬼の炎でも溶断される事は無かったが、剣では実体のない炎の動きを阻む事はできない。

水切りの刀身は炎の斬撃を遮ったが、その幅は僅か1ダキルド・・・親指程の長さでしかない。

それを過ぎれば容易く鉄を断つ炎鬼の炎に、生身の身体が耐えられる筈は無かった。


だがゴーザには一分の油断もない。

その半生を過酷な運命に身を置いた戦士の勘は瞬時に働いて対応した。

受け止めた剣が実態を失くした時、空を切る右手を即座に引き留め、更に振り降ろそうとしていた左手の鞘口を打ち当てて無理やり自身の刀を押し戻した。

そのままアグリオスが振り切る速度に合わせて引き戻せば、躱しようのない斬撃を神技の如き身体制御で防ぎ切っていた。


『してやった』と思っていたアグリオスは無傷で立つゴーザに慄き、思わず後退る。


「お前は化け物か!」


「人を捨てたお前に言われる事ではないな。」


そう言ったゴーザはいつの間にか刀を鞘に納めている。

居合の為でない事は鞘を『はばき』と呼ばれる刀の根元まで押し込んでいる事からも明らかだ。

無論のこと、戦いを諦めたのでもない。

水切りを完全に納刀すると柄頭つかがしらの装飾環を握って半回転まわし、そのまま引くと半ばから割れた束が一握り分引き伸ばされた。

すると円環状の鍔が8枚の花弁の様に分かれ、その半分が前に倒れて鞘を挟み固定する。

続いて潰れる様に鞘が厚みを減じると刀身を挟み込んで固定、同時に鞘の前面が鋭角化して新たな刃となり二回り程大きさを増した太刀へと形を変えた。

その漆黒の新たな刀身には鞘であった時にはなかった蛇の文様が巻き着く様に浮かび上がっている。

清冽な印象のあった水切りと異なりその姿は禍々しい。

刀身全体から滲みだした黒いもや煙るけむる様に纏わり付く事で、その異様を強調する様だった。


秘刀 苦水ひとう にがみず。貴様ら邪悪な神を斬る太刀だ。」


あれからから2年。

ユウキが襲われ、リューイのために強くなることを誓い努力してきた様に、ゴーザは孫たちを護るために神を退ける方法を探し続けていた。

様々な職人や識者と合い、命がけでコルドランの底や深奥まで赴いて希少なエリアルを求めた。

そうして幾多の試行錯誤の末にたどり着いたのがこの苦水だった。

核となるのはステージ8に達したヒュドラの毒腺、もちろん討伐難度は超級だ。

これを加工して神素を侵すおかす毒の刃を作り出した。

その刀身に触れた物は内包する神素を強制的に変異させられ霧散する。

如何にも禍々しい黒い靄はその残滓に過ぎなかった。


神々が物質世界に干渉する際には神威を現すにしろ、顕現体に宿って降臨するにしろ神素を媒体としている。

苦水はその神素を奪う事で神威を破り、顕現体を破壊するのだ。


『退神の妖剣』


決して表沙汰にする事はできないが故に鞘に偽装し秘剣とされた。


互いの剣が閃くと先ほどとは異なって打ち合う音はしない。

苦水が触れるところは瞬時に黒く変色し、崩れる様に霧となる。

苦水がアグリオスの炎の剣を斬り、腕を斬り、足を斬り、胴を薙ぐ。

直ぐに新たな神素を使って斬られた所を再生するのだが次々に消えて行く身体に徐々に再生が追い付かなくなっていった。


アグリオスは受ける事はできず、避ける技量もなく、駆け引きに於いては常に上手を取られ続け、このままであれば神素を使い尽くしてその存在自体が消滅するのも時間の問題だった。



◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



ユウキはゴーザの後ろでその姿を見ていた。


ユウキがあれ程苦戦した相手に、ゴーザは危なげなく対処しているどころか圧倒していた。

最早アグリオスが最初に見せた余裕の表情は影を潜め、今は焦りと苦悶に顔を歪めている。

このままゴーザに任せておけば何の心配もいらないと言うのに、ユウキの顔色は依然として優れなかった。


「どうした坊主、幽霊でも見つけた様な顔をしているぞ。」

エリスとリューイの避難を部下に指示してエリグマが隣に並んだ。


「僕は、おじいちゃんの事を何も知らなかったんだなと思って・・・。いつも怒っているみたいで近づき難かったけど、あんなに怖い顔は見たことがありませんでした。」


「ふむ、あれはゴーさんが戦う時の顔だな。家族に、ましてや孫に見せるものじゃない。」


食い入るように戦いに見入っているユウキにエリグマは諭す様に語りかけた。

「坊主、いや、ユウキ:フェンネルだったな。ユウキよ、もしお前さんが今のゴーさんを恐ろしいと感じているのなら、あの姿をしっかりと目に焼き付けて自分の分をわきまえる事を学べ」

「思い上がるな・・・という事ですか?」

「その言葉の通りだが、おそらくお前が思っている事とは意味が違う。自分の力をしっかりと計り、自分の虚像を自分だと勘違いするなということだ。お前はゴーさんに手解きを受けて、加減したゴーさんを見て全てを知った気になっていたのではないか?あれが武の頂点なら自分でも十分やれると。だが、実際にはどうだ。あの遥かな高みとお前の間に何百何千の武に関わる者がひしめきあっていると思えば自ずと対応は変わらざるを得なくなるはずだ。」

「僕は、分を弁えていなかったのでしょうか。」

「さあな、儂はそこまでお前さんの事を知らん。ただあの背中を目指すのであれば自分の力を計り損ねればどこかで道を誤る事になると言う事だけだ。」

「よく分かりません。」

「今はそれでいい。偉そうなことを言ったが、儂を『おやじ』と呼んで慕ってくれた奴にそれを教えてやれなかったジジイの繰り言とでも覚えていておいてくれ。」

「覚えておきます。分かる様になるかは約束できませんが。」

「充分だよ。その時が来れば自然と理解できる様になるはずだ。」


悲しそうに戦いを眺める二人には、それ以上何も言う事は無かった。


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