第62話 パンデミア 1

それが現れたと同時に周囲の人たちは後に下がって行き、マリーンとトードリリーを取り囲む直径2シュード程の空間が出来上がった。


「やっと見つけたわよ。可愛いお嬢さん。」


妖艶に微笑む姿に気後れして思わず後退ってあとずさってしまったが、マリーンは自分がこの女を探していた事を思い出して逆に一歩前に出た。


「わ、私もあなたを探していたの。ユウキを追いかける人達を止めて下さい。あなたの目的は私なのでしょう?なら、ユウキは関係ないじゃないですか。」


「ふふ。好きな男の子の為に自分を差し出すなんてずいぶん健気な事を言うのね。私もそういうのは嫌いじゃないわ。じゃあ、静かな所でお話しましょうか。」


「待って!先にこの人達を止めて。ユウキを助けてよ。」


「大丈夫よ。そんなに時間は掛からないから。」


言うや否やトードリリーから噴き出した炎が二人を包み込み、マリーンの悲鳴だけを残して消え去った。

後の残った人々は何事も無かった様にまた虚ろな表情を浮かべたまま歩き始めた。



◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ 



人混みの真ん中に開けられた道を馬車の列がゆっくりと進んでいる。

聖トリキルティスの聖祭で中央教会に向かう人達だ。

徒歩で赴く一般の人達が延々と長い列に並ばなくてはならないのに対して、裕福な人たちには専用の順路が用意されている。

一部の者だけが、待つことなく聖紙を奉じる事ができると言うかなり優遇された制度なのだがこの仕組みに文句をつける者はほとんどいない。

身分などの差別ではなく、純粋に金額の差でサービスに違いがあるだけだからだ。

馬車で乗り付ける人たちは教会へ向かう道の通行料、馬車を止めておく保管料、専用の入口を使う入場料、そして一般の物よりもかなり豪華でその分割高な聖紙代を払っている。

しかもこれらの高額な金銭が聖祭の費用の多くを賄っており、そのおかげで一般の人達はかなり安くこのイベントを楽しむことが出来るのだ。

だから多少不便ではあっても喜んで・・・まではいかなくとも少なくとも納得できる程度の理解はして通り過ぎる馬車を見送るのだった。

それに人混みに苦労すると言っても特に危険があるわけでもなし、楽しそうにしている人に混じっていればそれはそれで楽しい休日と言えなくもなかった。


馬車の窓を流れて行く人たちを眺めながら、リューイ:フェンネルは深いため息をついた。

この娘はまだ5歳だと言うのに『人生の楽しさを全て置き去りにしてきた』かの様に昏く虚ろな目をしていた。

目に映る物も聞こえてくる音も心の水面みなもに水滴一つ分の揺らぎも起こす事はなく、氷に吹き付ける風の様にあっけなく過ぎて行く。

同乗している両親がしきりに話しかけて来てもリューイの気持ちが上向事はなく、むしろこの両親の為にこのような状態になっているのかもしれなかった。


『お兄ちゃんがいてくれれば良かったのに・・・』


今日、リューイが出かける時にはユウキとゴーザは既に出かけた後だった。

聖トリキルティスの聖祭とは主神エフィメートにお願いを届け、(本来はそんな効果はないのだが)あわよくばかなえて貰おうと言うものだ。

ゴーザには自分の願いや決意を他人に任せる様な感性はなく、ユウキは願いや決意をそもそもかなえるつもりがないので本来の意味で祭りに参加する意味がなかったのだ。

それに、仮にユウキが行くと言ってもこの両親が同行させる筈はない。


『早く終わってほしい。』

死期を悟った老婆の様に全てを諦めて苦痛に耐えるしかなかった。


「あなた達、そんなに話しかけてばかりではリューイが疲れてしまうわよ。」


見かねたエリスが声を掛けるとハッとしたアラドーネが口をつぐむ。

幾分ほっとしてエリスに目をやると両親に見えない角度でウィンクをしていた。


停車場に着くとそこには多くの馬車が並んでいた。

馬車を降りて誘導されるままに入口へと向かう。

このような時、父親のカイルは露払いをするかのように前を歩き、母親のアラドーネはリューイの周囲を見張るかのようにすぐ後ろを着いてくる。

自然とリューイは一人で歩くことになる。

他の家族の様な交流など望むべくもなかった。


しばらく進んだところでエリスがリューイに並んで手を繋いだ。

見上げると優しく微笑んで少しだけぎゅっと力を込めてくる。

これを見てアラドーネが表情を険しくしたが直接文句を言う事はしない。

代わりに前を歩く夫に声を掛けた。


「お義母さん、その位置にいてはアラドーネが周囲を見きれなくなります。万一の時にリューイを護れなくなるので下がってもらえますか。」

振り向いたカイルが呆れたように言った言葉がこれだ。

この夫婦の娘に対する態度は終始こんな調子だった。

家族というよりもお姫様と警護と言った方が近い。


「あなた達は何からリューイを護るつもりなのかしら?こんなに可愛いのだから心配になるのは分かるけど周りに居る人達も『自分の子が一番』だと思っている人達ばかりよ。もう少し力を抜きなさい。」


「ねぇ、リューイ。」と繋いだ手を引き寄せるエリスは絶対譲らないと言っている様だった。



そのまま何も言わずに前を向き、何も言わずに歩き続けた。

人の列はそのまま一つの建物に続く。

参列者はそこで聖紙を受け取り、目隠しのある個別のブースで自分の願いを記入することになる。

幼い子供は当然大人と一緒だ。


「お嬢ちゃんはおうちの方に書いてもらってね。」

係員がそう言って聖紙を手渡した。

アラドーネが出てこようとしていたがリューイの為にも譲るつもりはなかった。

なぜなら、リューイのお願いしたい事をアラドーネが許すはずはないのだから。

「それじゃあ、おばあちゃんと一緒に書きましょうね。」

アラドーネを残し、二人で記入スペースに入った。



「おばあちゃん、ありがとう。あのね、リューイはずっと前からエフィメート様にお願いしたい事があったの。」

記入スペースに入ると小さな孫は小さな声でやっと話しかけてくれた。

ここは囲いがあるので書いている事は見えないが声は無防備に聞かれてしまう。

幸いアラドーネ達は少し離れた所に居るので、この位の声であれば聞かれることはないだろう。


「それで何をお願いするの?」

「あのね、あのね、『お兄ちゃんを幸せにしてください』って書いて欲しいの。」

思っていた通りだった。

この子も決して幸せとは言えないのに兄の事を優先する優しさを持っている。

そしてユウキがいればやはり同じことを願ったことだろう。

エリスはリューイの聖紙に言われた通りに書くと自分の聖紙には『ユウキとリューイが幸せであります様に』と書き、丸めた聖紙を置かれていた巻き紐で封をした。



異変が起こったのは聖火の列に並んでいる時だった。

人混みの喧騒の向こうから微かかすかに言い争う声が聞こえてくる。


「よりによって聖祭で騒ぎを起こすなどバカな奴だ。」

あちこちでそんな声が上がる。


聖トリキルティスの聖祭とは主神エフィメートが願い(本来は誓い)を聞き届けてくれる日であり、それはより近くで神が見ている事に他ならない。

主神エフィメートは慈悲深い神ではあるので多少の事でお怒りになる事はないが、その眷属には激しやすい神もいる。

この日だけは悪行不徳の輩であっても身を慎み、不信心な者であっても祟りや天罰を恐れて大人しく過ごすのが普通だった。

それなのに聖祭の会場、しかも選りによって中央教会で騒ぎを起こしてはどのような事が起こるか測り知れなかった。

多くの声は非難よりもむしろ憐みであり、すぐに収まると誰もが考えていた。


だが、言い争う声は消えるどころか大きく、そして数を増やして行く。

そこかしこで係りの者と押し入る者との押し問答が増え、やがて一つにまとまった集団に対して成す術がなくなると不本意ながら道を空けざるを得なくなった。

もはやその集団が進む先で人は生木を裂く様に左右に分かれ、誰にも止められることなく教会の聖堂前まで歩いて行った。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る